ゼンヒは若干の懐かしさを感じていた。
自分の実家に帰ってきた気分を矯正局で感じるとは稀有な人間ではあるのだが、それでも自分が初めて住んだ場所というのは誰でも愛着を持つもので、それがたとえどこであっても変わらない。
そんな場所での生活は、窮屈極まりないものではあったのだが、その時と違うのは自我が明確にあることと_______
『ねえ、ゼンヒ』
自分を守ってくれる霊の存在だ。
ゼンヒに関しては監視カメラが被害者かついつもの素性がはっきりしているため機能停止している。それもあってか、その存在が話し相手になってくれている。ずっと孤独でいると精神を蝕まれる上に、攻撃してきた後輩が自分のことをどう思ってるか直接会って聞けないのもあって心に負荷がかかり続ける。それゆえに、守護霊を名乗る存在は彼女にとっても救いだった。
「何?」
『今日は何して遊ぼっか』
「うーん。ダーツ?」
『いいね。私得意なんだ』
「記憶喪失なのに?」
『カッコつけさせてよ、ちょっとは』
二人はダーツを始める。
特にルールは決めてないが、取った点数の合計で競うようだ。互いにダーツの矢を取って三本一ラウンドで投げ始めた。
『そういえば、ゼンヒ』
「ん?」
『私と居て一緒に楽しい?』
「うん」
ぼうっとするような会話をしながら投げ続ける。
どっちもうまいものだ、20のトリプルを刺し続けているのだから。
「上手いね」
『まあねえ』
ゼンヒは疑わなくなっていた。
なんで幽霊がダーツを投げれるのか、そんな怪奇現象を受け入れてしまっている。
それよりも、ゼンヒそのものがかなり変調していた。
目はほぼ翡翠色に置き換わっており、薄紅色の髪はもう無くなった。それだけなら飽き足らず、口調も少女然としている。ハクジツに切り付けられた日から急激に変わりつつある。
『まだ記憶は思い出せない?』
「うん」
『寂しい?』
「寂しくないよ。キミがいるから」
『そっか』
少女とそのままダーツを続ける。
どっちも上手いことやってるからか、事態が一向に進まない。流石に困るもので、ルールを変えてまた始めることに。501点ジャストに取れれば勝ち、それも最後ダブルに当てないといけないものだ。
二人は投げ始めるが、やはり先行有利。今回の先行はゼンヒなので、彼女が上手いことやっているようだ。
「そういうキミも思い出せた?」
『いいや全く。これと言って何か思い出せたってことはないかなあ』
「そう」
幽霊のことは嘘である。
というより、そもそも最初から全て知っている。知っている上で、ゼンヒと関わっていた。そしてハクジツを脅し、彼女に攻撃させたのだ。
「キミが一緒に、幽霊じゃなくて友達で居てくれたらな」
『そう思うのも無理はないよね。そしたら、その____うん、一緒に楽しく暮らせたのに』
幽霊は甘言をひたすら相手に投げる。
『知ってる?友達の作り方って』
「うん」
『共通点があったりすると親しくなりやすいからそこから話し合いをしたり、ってやつ。私と君、どっちも仲良くなれると思うんだけどなあ』
「もう仲良いでしょ」
『それもそうだね』
そんな二人の時間に水を差すように、扉が開いた。
扉が開く音は聞こえると、カンナがまた入る。幽霊は消えて、そこには二人だけ。
「邪魔するぞ」
「あ、はい」
「今何かやってたのか?」
「ダーツやってました」
「そうか」
カンナはゼンヒの様子を見る。
もう既に、彼女にとっては相手はゼンヒではなかった。少なくとも、ゼンヒだと思う要素は消えていた。
「一人でやるのもまあ飽きはしないだろうが……ゲームの方が楽しくないか?」
「ゲームでも良いと思いますけど……何と言うか、外に出た時にこう言う特技一個持ってた方がお得じゃないですか。カッコつけられる、そんな感じの」
「そうか」
そんな彼女の姿は、声は、立ち振る舞いはゼンヒのようなものではなく……若干の幼児退行が始まっているようだった。声は高いし少しだけ子供のような仕草、手を握ったり笑ったり、その笑みには少なくとも仕事をしていた時のかっこよさはゼロだった。
「そうだな」
「……あの、えっと。局長?」
「なんだ?」
「私、その……変なこと、しました?」
「何もしていない。安心しろ」
「そうですか……」
この時のゼンヒの表情は、若干相手を疎ましく思う気持ちが現れていた。
ダーツの続きをしたい。あの幽霊と話をしたい。どんなに中身のない会話でも、彼女が一番の友達だから。
怪我をすればするほど急速な心変わりをして、心にも傷を負ったせいで精神の腐食は続く。そのせいで、段々と彼女らに対する溝が出来上がっていった。
「ゼンヒ」
「なんですか?」
「お前は……その、仲間のことをどう思ってるんだ?何でも良い、教えてほしい」
「それは勿論頼れる仲間です」
「その中に友達はいるか?」
「……」
ゼンヒは答えなかった。
答えれるはずがなかった。
「_____寂しいか?」
「はい」
「どうして、寂しいんだ?」
「友達がいないから」
「相手を友達だと思えない理由は?」
「私と違うから」
端的な答えだった。
「私は、生まれて一年しか経ってません。でもみんなは違う。違うからこそ、友達がいる。私は自分の力で慕われるだけのことをして来たと思います、それだけの功績を残したと、思っていますから」
「そうだな。特別暴力対策課も、巡査部長としての沢山の事件解決も、全部お前のおかげだ。キリノとはまた違う貢献をした、それだけだ」
「でも、私は独りなんです」
パイプ椅子に体育座りをして、彼女は話す。
「ハクジツには心配してくれる友達がいて、ユリやマテバガールはそもそもSRTという所属でかけがえの無い友達です。それを否定したくはないけど、でも私は独りです。記憶が無いから、本当にこの世界で生きている実感はない」
「犯人達のことも夢物語だと?」
「私にとってはあっちの方が現実の話だと思います。みんな現実を生きて、何かに縋っても良い生き方をしたいと思って頑張って来ました。それは誰しもそうです、薬を使ったりテロをしたり……なのに私はそうじゃない。彼女らの努力を無かったことにするだけしかやってない。それは果たして、生き方として正しいんでしょうか」
ゼンヒの暗い表情は続く。
ある休日から一人のことが多く、仕事に余裕が出て来たせいでどうしても寂しく思う時が多かった。それが段々と心を蝕んでいく中で、仲間だと思っていた人に攻撃されたことが決定打となって彼女の精神は衰弱した。
何よりも自分と同じ境遇の人間を見て安心感を得たいと言う人間本来の弱さを補ってくれる存在は現実にはいない。ならば、非道なことに走ってでもその友の為と頑張った人間が尊く思えている。
それも結局普通のゼンヒなら『やりたかったことも望んでいたこともわかるがその為の社会福祉と治安である』と言って捕まえていただろう。彼女の変化に頭を悩ませる。
「社会的には正しいぞ。それはお前が証明してきたことだ、社会にとって正しいとされていること、それを守ることで幾人もの悲劇を救ってきた。それは誇るべきことで、そして喜ばれるべきものだ。私もそう思っている」
「私はそれによって自分が奴隷だというつもりはありません。皆が社会に対する奉仕をすることで、少しずつ自由に、そして沢山の利益を与えることができますから。しかし私は、それを理解していても納得することができなくなっています。感謝の言葉を受け取っても、それで自分が求めているものは手に入らないから」
「そうだな____それは、他のもので埋められないのか?」
「埋められないから!埋められないからそう言ってるんでしょう!?」
彼女は慟哭した。
「私だって友達が欲しい!過去がこうだったからって傷でもなんでもいいから共通点があって、それを分かり合える居場所が欲しいんだ!なのに!みんなは持ってるのに私にはない!挙げ句の果てには信じていた後輩に攻撃されて!それが彼女が望んだことじゃないからって受け入れろって!?私には!私には____自分の傷を治す場所もないのに!」
涙が溢れる。それが何度も床を濡らす。
あの時から、いや、もしくは最初から社会に出た時に願っていたことだろうか。純粋なのに時によって錆び燻んだ願いが口から出ていく。
叫んでは、力尽きたように今度はポツン、と声を出す。
「……私には、もうあの子しかいないんです」
「あの子?」
「あなたには見えない幽霊がいます。私と同じ記憶喪失で、今の私とおんなじ髪色をした、少女がいます。その子は私のことを、よく見ていますから」
「____その少女の服装は?」
ようやく事態の片鱗が見えたカンナは質問する。
「漢服の子で、優しい笑顔を見せてくれる子です。名前は知らないですけど_____でも、私のことを心配してくれています」
「ゼンヒ。その女は_____」
カンナが事実を言おうとした、その時だった。
突然鈍い爆発音が響き、部屋が揺れる。
二人は何もいうことなく近くの手すりに捕まって耐えるが、少なくともこれは何かしらの事故ではない。警報が鳴り響いている上に、緊急放送が入ってる。
『二階と五階で爆発が発生!対応班は直ちに現場に向かってください!繰り返す、緊急事態です!対応班は直ちに現場に向かってください!』
事件発生だ。
「ここに居ろ!」
「え、でも」
「大丈夫だすぐ戻る!」
そう言ってカンナはそそくさと部屋を出る。部屋は緊急電源でそのままだが、通路は赤黒くなっていた。
実際何かをしようにも自分と通路の間の扉は開きようがない。
『大変だ』
カンナが消えてから、幽霊はまた顔を出した。
「うん。でも大丈夫、局長は強いから」
『狂犬が簡単に捕まるとは思わないね。でも、一体どうしたら二階と五階で爆発するんだろうね?』
「わかんないよ。私はそういう人たちとは違ったんだから」
『だよねえ』
開けたままの扉は、サイレンの音を入れてくる。
不安を煽る音の先の足音からは、何かしらの会話が聞こえてきた。
「多分こっちだ」
「わかったすぐ行く」
その声が近づいていくと、その数秒後には誰かが入ってきた。