彼女はまだトリニティに居た。
別に何か問題を起こしたわけではないが、起きていた問題に関与したからそこに居るのである。
トリニティの紅茶専門店強盗事件を解決したゼンヒは、その後確かに何も彼女に有事はなく、トリニティ側も彼女の功績を認めて何もしないということになったのだが、その日はどうやら遠くまで足を運んだ挙句帰るには遅い時間帯であった。
事件があったと言うわけではないものの、ゼンヒの活動記録である以上、それも話しておくべきだろう。はっきりと外交問題にはならなかったとはいえ、現状のキヴォトスでは自治体がいる場所での活動は少しめんどくさいというケースの好例になるかも知れない。
「……っと言えばまあ、そっちは武力や解決するアテがあるから入った。そう言うことっすね」
「はい」
「なぁにしおらしくする必要はないっすよ」
カフェの店長とゼンヒは、応接室に居た。
向かいのソファに座ってる、事情聴取担当の気軽なお姉さん。名前を仲正イチカという。
彼女も自分の言葉通り領地で暴れたゼンヒに対しては何か悪い感情を抱いていたわけではないが、それを受けている側がやはり歴史を重んじる場所を乱す行為をしていたのを重く見ていたのは見抜いていた。ゼンヒを落ち着かせるために、彼女は気軽に話す。
「あそこはトリニティに多くの茶葉を提供してくれる良い店っす。もっと言えば、お得意先というべきか、ともかくあんな奴らに好き勝手されて良い場所でないのは事実っすよ。それを守った人間を責めようなんてそんな短慮はしないっすから安心してほしいっす」
「はい……」
「気にしてることはわかるっすよ」
イチカはゼンヒに笑顔で話しかけ続ける。
「確かにヴァルキューレの影響力は強くないっす。あの学園に頼るくらいなら正直なところ自警団とか作った方がいいのも事実で、それはこの学園都市の歪な構造とも言える。しかし、ヴァルキューレの対象はあくまでキヴォトス。たとえ自治区であっても、無視するまではできない。そうっすよね?」
「ええ」
ゼンヒは彼女の問いに肯定の意を示した。
「一応聞くっすけど、一人で解決しようとしてたっすか?」
「いいえ。今隣にいる店長にすぐに連絡するように伝え、その上で早めに行かなければ事態が悪化すると踏んでの行動でした。あそこまで行ったのは奇跡に近い、そう考えています」
「そうっすよね……流石にそこの判断はしっかりしてると」
彼女は笑った。
イチカは基本細めであり、目がどこ向いてるかわからない。それで朗らかなので、ゼンヒは底知れない威圧感を覚えている。無論イチカにそんなつもりはない。
「ええっとそっちの通報いただいた方?」
「なんでしょう?」
「一応もう一回生徒証見せてもらってもいいっすか?」
店長はイチカに生徒証を渡す。
彼女は記録とその生徒証に書かれてあった名前と証明写真を交互に見ると、納得して返した。
「間違い無いっすね」
「すみません」
「いや〜、こちらこそお手数かけて申し訳ないっす」
イチカは立つ。
「とりあえず報告入れてくるっす。すでに近隣住民からの証言等も頂いてるっすから、判断には時間かからないっすよ。それに行動的に問題は今のところ見つかって無いから、おそらくは何もお咎めなしで大丈夫だと判断されるともうっす、多分」
「不安だなあ」
「必要だったとはいえ暴れることに罪悪感があることも事実なのでそれも伝えておけば分かってくれると思うっす。じゃ、一度失礼するっすよ」
そうして、一度イチカは部屋を出た。今回の事情聴取の結果を報告するためである。
二人取り残されたら、今度は店長が彼女に話しかけた。
「そんなに緊張することはありませんのに」
「そりゃトリニティ生には分からないだろ____私ヴァルキューレなんだ、つまりは」
「外交問題になることを気にしてらっしゃるの?おほほ」
昼間からずっと一緒だった店長は笑っている。
「まあでも気にするのも正直分かりますわ、トリニティといえば三大学園の一つ。その領地で赤の他人が正当とはいえ暴れたとなればお小言をもらって当然かもしれないと考えるのは」
「震え止まらないからタバコ吸いたいんだけどだめかな」
「それは流石に別件として咎められますわ、やめましょう」
「そうかぁ」
背伸びをしても震えが完全に止まらないゼンヒ。
彼女がトリニティに対して理解が薄いため、それで過剰に恐れてる部分もあるだろう。それでも店長は隣に座って羽を彼女に寄せて守るように落ち着かせている。
「ほんと可愛らしい」
「褒めても何も出ないぞ……財布はあるけど」
「あら〜」
店長は微笑んだ。
少しすると、数人と共にイチカが戻ってくる。
「お待たせしたっす」
「ああ」
二人も立ち上がって迎える。イチカは連れてきたティーパーティーの書記官に、説明を促した。
「そこの子が割と怖がっているんで、ちゃんと説明よろしくっす」
「はい、イチカ様」
様子がちょっとおかしいが良いだろう。
「ごきげんよう、ゼンヒさま」
「ああ、初めまして。私の処遇どうなるんですか」
「結果だけ伝えると無罪です。他通行人に怪我はなかったことと、必要な分以外の射撃はなかったこと。それらを考慮すればまず何かをふっかけることはないとの判断に至りました。そしてこの判断は、ナギサ様直々に下されています」
「マジですか?」
上品な言葉使いは学んでこなかったのでかなり俗っぽい返事になってしまう。相手はそれを気にせず、話を続けた。
「なので安心してください。協力感謝します、ということでヴァルキューレにも連絡はしますので」
「よかった……いやあもう何言われるかほんと気にしてたから」
「よかったですわね」
その後、ティーパーティの書記官から二人に鍵が渡される。
「これは?」
「ゼンヒさん用の客室を用意したのでお使いください。今からシャーレ前へ戻るのはかなり遅くなりますよ?」
「えっマジ?」
ゼンヒは外を見た。
確かにもう紅い。今から出発したとて、帰りは早くても11時を過ぎるだろう。
「あ〜、これはそうだな。うん、分かりました。お言葉に甘えて使わせていただきます」
「よろしい。ではお休みください」
「ありがとうございます」
書記官が話し終わったのをみて、イチカが付け加える。
「飯は購買で買うか、一度外に出て買ってきたら良いっすよ。一応夜間警備してるうちの生徒もいますから挨拶して出入りしてくださいっす」
「ありがとうございます」
「んじゃ、うちらは退散するっすよ」
事情聴取は終わりを迎え、それぞれが退散した。
イチカ達が先に出ると、二人もそれを追うように出る。廊下は夕日に染まっていて、少々のノスタルジックを感じさせた。
「……はぁ〜」
大きく深呼吸したゼンヒは、店長を見る。
「よかった、何もなくて」
「そんなに心配することはなかったでしょう?でも……」
店長は抱き寄せて彼女の頬にキスする。
「怯える姿は少し可愛かったわ」
「あの悍ましいこと言うのやめない?」
「あら〜もう、そんな取って食おうってわけじゃないんですから」
スキンシップの距離は間違ってないがそれ以外は間違っている彼女に呆れながらも、自分に協力して支えてくれた相手の精一杯の励ましと受け取れていたゼンヒは、笑顔で返した。
「でもありがとう。おかげでタバコに頼らなくても、落ち着けそうだ」
「どういたしまして。では、いきましょうか」
「ああ」
寒い廊下なので、二人はかなりくっつきながら歩き始めた。
校舎は広い。歩いても数分かかる距離に、ゼンヒが泊まる部屋がある。
そうなると当然話をするのだが、ゼンヒは相手に質問をした。
「そういえば、店長ってトリニティの生徒だろう?あのカフェ開く前は何やってたんだ?」
「あの前はトリニティのティーパーティーで書記官をやってましたわ。まあ、それなりの地位にいたことだけは確かです」
「すごいな……しかし、なんでやめたんだ?」
「飽きました」
単純明快な理由だ。
「当然でしょう?歴史を守るなんて楽しくない。私は歴史を作るか壊すか、そう言う人間でありたい。願わくば破壊しても怒られないだけの力が欲しかったですが、それはもう生まれ以外でどうこうできる問題ではありません。ですから、もっと分かりやすい手段で社会に殴り込もうとしました」
「それがカフェ、か」
人々には三大欲求がある。
そのうちの食欲から、彼女の野望は動き出した。
「世の中、まず相手と仲良くなりたければ胃袋からとも言いますわ」
「そうだな」
「おかげであなたとも仲良くなれたでしょう?」
彼女の微笑みが、ゼンヒを捉える。見られた方は少し照れながらも、何も言わずに言葉を待った。
「こんなふうにゲヘナの連中も何もかも全部巻き込んで、歴史という品位を全部破壊する。そしたら幸せになれんじゃないか、なんて思ったりしているわ」
「歴史は勝手に積み重なるものだからか?」
「そうですわ」
店長は頷いた。
「歴史やしきたりを守ったところで得られることは正直少ないと考えています。特にこの学園都市は強力な指導者に飢えている、もし先生が悪に堕ちた場合、それまでのものが一瞬で無駄になるでしょう。逆に彼のおかげで、連邦生徒会長失踪からの回復も迅速になった。一瞬で人々は幸福になるのです」
歴史とはそれの積み重ねでしかなく、現在を変えるのは技術や知恵、そして踏み出す勇気である。
つまり歴史を守るというのは、膨らんだだけの記録を装飾して現状の気に入らないものに対しての叩き棒という役目にしかなってないと彼女は考えていた。
「まあ、それだけの野望ですから。あまり大っぴらに語れるようなものでもないですわ」
「素敵だ、と私は思うよ」
「ありがとうございます」
そんな話をしていると、ゼンヒに用意された部屋の前にいつの間にか来ていた。
そろそろ別れの時である。と言っても、互いに永遠に合わないと思っていたからか寂しさは薄かった。
「ここね」
「ああ、私はここに泊まってから明日シャーレ前に戻るよ」
「ゆっくり休みなさい」
店長はゼンヒに近寄った。
「何を?」
そう、ゼンヒが問いを投げた瞬間。
4枚の羽が彼女の上半身を隠して、額に唇がつく。
吸い付く音もなく、キスマークもなく、だが温もりだけは残った。
「……おやすみなさい、ゼンヒ」
「あ、ああ。おやすみ」
今日ずっと一緒にいた淑女の影が消えるまで、ゼンヒは見送る。まるで夜の子供を安心させて眠らせる、そんな慈悲をあんな突飛な行動で感じてしまった彼女はただタバコを吸う気力も何かを食べようという気力もなく、姿が見えなくなってからも数分立ち尽くす。
自分以外の全てを好き勝手に友愛を送ってはあちこち飛び回る彼女。
その姿は大天使のそれであった。