ユリはゲヘナへ来ていた。
色々事務所から書類を取って整理して、ちゃんとゲヘナ領に足を踏み込む頃にはすでに夜。
「腹減ったなあ」
なんて言いながら、おでん屋の屋台に入った。
春でしかも暑くなり始める時期におでんをやっているとは珍しいものだが、まだ夜は寒くなる時期。有り難がる人も多いだろう。
流石にユリも昼以降はカザミと会ったり、書類の整理をしていたせいでお腹が空いてしまっている。
「ここで何か食べていこうかな」
そう呟いた彼女に、声をかける者が一人。
「おーい」
「ん?」
振り向くと、一人。角が生えた銀髪の少女がいる。
ユリは当然見覚えがあった。
「マコトさん?」
「おお、あまり大声を出さないのか。助かったぞ」
マコトだ。何かしらのファイルを抱えている。
「丁度良かった、明日お邪魔しようと思ってて」
「知っている。扇皇ゼンヒの件で、絶対に来ると分かっていたからな。予定よりは一週間早いのには驚いたが。もう少し立ち直りが遅いものだと」
「全然立ち直れていないですよ。けど、今ここで躓いているだけじゃいずれ手遅れになってしまう。相手がどうなのか分からないのも相まって出来る準備くらいはしておかないと」
「あの女も居ればそうしただろう。しかし、ゼンヒはまだ見つかっていないのか?」
「ええ」
ユリは目をそらす。それに気づかないマコトではない。
「……ああ、なんとなく予想はつくぞ。その顔は裏切られた顔だ」
「____」
「あの女はお前らから離れた。そうだろう?」
「言わないでください。アタシ達はまだ、リーダーに見捨てられた訳ではありません……っ!」
「ほう?」
否定したいのに、否定し切れない。
セツカに意識を渡した事がゼンヒの意思によるものかどうかは彼女らには知りようのない事だった。そしてゼンヒが『自分が1人である』と言う事実を知ってからの急速な精神の疲弊を感じ取れなかった罪悪感も知らなかった……それがユリの心に影を作っている。
彼女らが頑張れているのは根底に『自分たちはエリートだ』という自信と『かけがえの無い頼れる仲間がいる』という安心感と……『だからこそ冷静に立ち回り事件解決をしないといけない』という本来の見栄っ張りでは無い大事な意識で成り立っていた。
それでもいつまで保てるかは不明だが。
「……少し歩こうじゃないか」
「……ええ」
運河の方へと2人は歩く。
河はとても綺麗だった。道の近くは街灯に、中央は星空によって仄かに輝いて居た。
「お前達のリーダーに一体何があったんだ?表情から逃げられた事だけは察しが付いたんだが、それ以外に何も情報がないから分からない」
「それは_____」
「話してくれれば協力はするし、その為にわざわざ待ってたんだからな」
「……リーダーが、元々はヴァルキューレが隠すくらいの殺人鬼だったと言った場合、信じられますか?」
少しばかり目を開いて、驚くマコト。
「どういう事だ?」
「えっと……彼女は天衣セツカという殺人鬼でした。記憶を失ってからは人格もリセットされて、その上で扇皇ゼンヒとして生きてましたけど……この前のレストランの事件でどうやら元の人格が復活したようです。私達には知らされなかった、いや、知ったところでどうにもならなかった事だから_____」
言いたいことが全くまとまってない中で、聞いている方は情報を整理する。
「つまりは今はセツカとして生きているから、どの道捕まえないといけない。だから、それの準備のためにこのマコト様に会いに来た訳だな?」
「はい……彼女は神秘に関する情報を持っていた、というより研究者だったんです。実際その成果の一つで、ショウコは重傷を負って大部分も怪我で戦えなくなってしまいました。このままでは戦うどころか追うことも出来ない、出来たとしても対抗手段がない。だから、神秘に関する情報をまだ持っているのならそれをお譲り頂きたい、そう思ってここまで来ました」
「そうか」
いつものカッコよく悪どい笑みは、マコトの顔から消えていた。代わりに、相手の言っていた問題に対してかなり真面目に考えているようで、それは頼もしさを感じるものである。
この一瞬に出た"差"は、先生の目に止まるか否かを表したような優秀さの区別であったかもしれない。
「あの、何か」
「私は教会の事件の時に彼女を政治利用した。それは彼女に直接言ったことだが、何よりも彼女がいるおかげでトリニティとの関係を少し安定させれた。いや、内政を安定させるだけの策を講じれたと言うべきか。恩を売れたわけだからな。それができたと言うことは、それだけゲヘナの一般生徒の溜飲が下がると言うことだ。感謝していたが______そうなってしまったとはな」
「マコトさん」
「安心しろ、私が持ってきた書類はお前が望んでいた書類だ。役に立つかは分からないが、な」
彼女は有能だ、相手が欲しいものをあらかじめ用意すると言うのはそうそうできる事ではない。為政者としては完璧である、ヒナが絡まなければの話だが。
「私はこれでも彼女のことを案じているつもりだ。珍しく面白い少女だったからな、連邦生徒会の私兵で終わるはずだった者達をここまで持ち直させて世間に認めさせたその手腕は見てて面白かった。その冒険譚に関われたのも、いい気分転換になったぞ」
「聞いたら、多分喜んでくれると思います。リーダーは」
「今喜んでくれるなら、居なくなったりはしないだろうな」
「……手厳しい」
マコトは話を続ける。
「ただまあ、彼女は私にとって重要な存在であることは間違いない」
「それはすでに政治利用したから、と言うことですか?」
「これからも頼らせてもらうことになる、と言っている」
どうやら教会調査の一件で飽き足らず、頼りたいことがあると、そう彼女は言った。
「ヴァルキューレは今、キヴォトスの中での地位を確固たるものにしつつある。それは何よりも、お前達も居ることでキヴォトスの治安を図る警察としての能力が手に入ったからに他ならないからだ。当然それを無視して、逆に自治区内の世論を固めて口撃することも可能だが、それよりもある程度の譲歩や喧伝の方がいいと思っている」
「アタシ達が中立の立場を取り続けることが出来れば、先生を待つよりも外交分野で先手を打てて柔軟な対応が可能になる。そう言うことですか?」
「ああ。何せゲヘナは三大学園の一つだからな。トリニティと喧嘩しているのは勿論だが、世論は強い者の味方はしない。いくらゲヘナとは言えど、他の学園が一丸となって襲ってきたら溜まったものではないからな。お前達の存在は、言わば外交における理性の壁と言える。私個人からすれば動きにくくはなるが、その分"やってはいけないこと"の線引きが明確化、および可視化されてすべての学園への牽制にもつながる。私がいなくなった後でもそれが続けば当然その状態は続くだろうし、何より先生が居なくなった後でも生徒同士の理性の象徴として残すことが可能だ。そう言う意味でも私には、その構想を可能に出来るであろう"扇皇ゼンヒと言う最後の影響力を持った個人"が必要だ」
キヴォトスの治安と政治をその手腕で安定させていた連邦生徒会長、それがいなくなったあとで出てきて様々な問題を解決した先生。
それらには劣るが、生徒達が自主性を保ったままの線引きを制定するための扇皇ゼンヒが居ればキヴォトスの内政はかなり安定すると考えた。言わば個人に依存した社会から脱するための力を、マコトはゼンヒに求めているのである。
彼女はすでに、前々からその構想を練っていた。語らなかったのは、語らなくても自然と彼女はその世界を作ると信じていたからに他ならない。だが、それが今続くかどうかハッキリとしない今_____自分が率先して協力することで、理想を達成しようと思い立ち協力したのだ。
「お前達には頑張ってもらわないといけない。ユリと言ったか?お前がSRTで抱いていた理想は今も続いていると思うが、それはすでにお前達だけの理想ではない。今はどの為政者も軽視している思うが、いずれそれはこのキヴォトス全てを救う鍵になる。救世主による救済は社会の回復ではなく、あくまで首の皮一枚繋がったとしか言えない。しかし、扇皇ゼンヒを取り戻せたなら_____それだけこの都市は進む、だから」
マコトはファイルを丁寧に、ユリに持たせた。落とさないように、そして重要であることを示唆するように手袋を外して素手でしっかり片方の手を握って。
「期待しているぞ、絶対に彼女を取り戻してくれ」
「は……はいっ!」
流石にこうされるとユリは弱いのか、顔は赤くはなっているがしっかり仕事として託されたと感じるとやる気と闘志が湧いてくる。ヴァルキューレはキヴォトスの治安維持を役目とする、だからこそこうして直接頼まれたからにはやり遂げなければと意識がしっかりするのだ。
それをマコトは理解していた、だから彼女は誠意を持って頼み込んだのである。この手腕、外交のテクニックもまた彼女が万魔殿のトップでいる理由だろう。ヒナが絡んだら一気にダメになるが。
さて、時間は既に夜の8時を過ぎていた。マコトはこれ以上は時間をかける理由もないのか、挨拶をする。
「では、私はこれで失礼しよう」
「ありがとうございます、マコトさん。絶対にリーダーは取り戻します」
「頑張ってくれ。ともかく今日は休んで、明日からに備えるといい」
そう言って二人は別れた。
ファイルはバッグに入れて、ユリは背伸びする。お腹は空いたし緊張はほぐれたからどっかで休憩したいところ。チェックインは10時までにすればいい、とのことだったからまだ時間はあるが______
「先にご飯済ませちゃおうかな」
彼女を誘う匂いは、焼き鳥の匂い。すぐ目の前にある屋台から来ているものだった。
それに釣られて、ユリは歩く。
「お邪魔しまーす!」
明るい声を出して、彼女は暖簾をくぐった。
美味しいものは心を癒す、作れるものは金をも生み出す。
そんな社会の追い風は、悪鬼羅刹に等しいセツカへ挑む勇気になるのかもしれない。