間章3幕『苦海にもがく黒氷』   作:せっせこパパイヤ

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第5幕『戦火呼びし黄金のアポカリプス』⑭

ミカ「こ、この地図を見て頂いたら...わ、わかる通り...」

 

 

ミカが大きな長方形の机に、モンド全域を記した地図を貼り付ける。その地図は、アビス教団との戦いの後の地図である。茶色の羊皮紙に描かれている、モンド城の前にある広大な草原には、城の縮小図程の大きさの穴とドラゴンスパインよりも巨大な穴が記されてあった。ミカはそれを羽根ペンを使いながら、面々に説明している。だが、ミカはモジモジしながら、聞こえるか聞こえない声量で喋っていた。なぜなら、ミカの目の前には騎士団の役職付きの団員がいるからだ。当然、ジンもいる。普段から人前で喋ることが苦手な彼だったが、自分よりも偉い立場の人間が多くいる状況によって拍車がかかっているようだ。ミカの話を聞いている者達は、眉をしかめていたり、頭を傾げていたりして、何とか聞き取ろうとしていた。

 

 

あの戦いから3日後。ジンの執務室に団員達が集まり、戦いの被害の規模などの報告会が行われていた。ミカも、自ら作成した地図を使って説明をする。

 

 

ミカの頭には4、5回巻かれた白い包帯が巻かれていて、それは目の前にいる人間も同じだ。ジンに関しては頭だけに留まらず、折れた右腕を支え、腹に包帯を巻いていた。

 

 

ミカ「あの戦いの余波で......モンドの4〜5割程が...えー...消滅しました。調査に赴いた所...小さい方の...あの......穴には何らかの施設の痕跡がありました...。名誉騎士さんのお話によると...あそこはアビス教団がモンドに攻撃を仕掛けるための...施設...だったようです...」

 

 

「ミカ」

 

 

ミカがある程度喋り終わった時、とある1人の男が遮った。

 

 

ミカ「は、はい!」

 

 

「すまない...もう少し声量を上げてくれないか?聞き取りずらい......」

 

 

ミカ「え、あ......は、はい...。すみません」

 

 

注意されたミカは顔をりんごよりも赤くしながら、恥ずかしがり、俯いた。

 

 

ジン「まあまあ...。ミカも怪我をしている中、こうして頑張って報告してくれている。そう、緊張しなくてもいい」

 

 

ミカ「は、はい...」

 

 

ロボットかのように同じトーンの返事をすると、再び視線は地図に落ちる。

 

 

ミカ「そして、大きい方の穴を調査したところ、何も無い更地になっていました」

 

 

ジン「更地...?」

 

 

ミカ「ええ...。草1本すら生えてない地帯です。それだけじゃなく、地面に大きな谷のようなものもあります。....まるで斬られたかのように。更地の範囲に足を踏み入れた瞬間、明らかに不気味な空気が流れてました...。危険な魔物がいるわけでもないのに、ここだけ生命の気配がないというか...。それに、ここら一帯の空気に炎元素が混じっていました。そのため蒸し暑いという異常気候も起きています」

 

 

ジン「......。なるほど。この方向を見る限り...確かゼーレという者が戦闘していたな...。もしや、彼女1人がここまでやったのか...?まぁ、いい...。ドラゴンスパイン並に広い更地となるとドーンマンポートが気になるな...。ミカ、港はどうなっている?」

 

 

ミカ「はい...。私も気になって、ドーンマンポートに直接赴いたのですが特にこれと言った被害はなかったようです.......。あの炎の範囲にギリギリはいっていなかったようで...」

 

 

ジン「そうか...それは良かった...。ミカからの報告は以上か?」

 

 

ミカ「え、ええ...。以上です」

 

 

ジン「ありがとう。ミカは退出してくれてもいい。その...頭の傷は大丈夫なのか?」

 

 

ジンが少し躊躇しながら、怪我の心配をする。

 

 

ミカ「ぼ、僕の傷ですか...?いえ、大丈夫です。治療班の方々も、後1週間したら包帯を外してもよいと言っていました...。ぎゃ、逆にジン団長は...大丈夫なのですか...?聞いたのですが、その傷で生きてる方が不思議と......」

 

 

魔物に蹴り飛ばされた状態で、数多くの魔物と戦ったのに加え、あの律者の打撃を腹に食らっている。受け止めたとは言え、全身に甚大なダメージを負っているはずだ。

 

 

ジン「ふっ...。心配は無用だ。この状況で私が頑張らないとどうするんだ...」

 

 

ミカ「そ、そうですか...。ジン団長がそこまで言うのならば...。し、失礼します」

 

 

ミカは気持ち急ぎめで地図と自分の持ち物を片付けると、そそくさと執務室から出ていった。

 

 

ジン「ふぅ...さて。次は......モンド城の被害報告だな...。......頼む」

 

 

ジンは机の端に両手を置き、視線を下に落としながら、そう言い放つ。唾を飲み、覚悟を決めたかのようだ。

 

 

「はい」

 

 

すると、人だかりの中から1人の男が前に出た。分厚い紙の中から1枚取り出すと、それと睨めっこしながら読み上げ始める。

 

 

「えー...まずはモンド城の被害報告から...。皆さんもご存知の通り、アビス教団との戦いでモンド城も甚大な被害を受けています。倒壊した家が13軒、半壊した家が25軒です。城壁は西側に大きなヒビあり、東側は完全に崩壊しています。更には城上部に向かう階段の機能性が失っており...全体的に城のインフラが麻痺しているのが現状です」

 

 

ジン「そうか...。それで......その......死者数は?」

 

 

「......。えー...完全に調査が終わった訳ではありません...。ここから変動する可能性もあります...」

 

 

ジン「構わない。報告してくれ」

 

 

「現段階では...団員と一般人含めて死者数は......0人です」

 

 

 

ジン「......!ふぅ......」

 

 

0という言葉を聞いた途端、ジンは風船がしぼんだかのようにへなへなとしゃがみ込む。胸を撫で下ろした。それは今この場にいる全員がそうだった。張り詰めていた場の空気が一気に和む。

 

 

ジン「0人...良かった......」

 

 

「城門近くで花を売っている少女の証言によると、どうやら黒色の魔物と交戦していた女性が清泉町方向に伸びていく氷の橋を作り出し、避難できる時間を確保してくれた...とのことです。もし、彼女がいなければ死者数は一気に跳ね上がっていたことでしょう」

 

 

ジン「そうか......。そろそろ復興の目処も着きそうか?」

 

 

「はい。あと数日すれば璃月や稲妻から物資と人手が到着します。そうすれば、城の復興も始まるでしょう。建築素材、食料品、包帯などの物資を要請しています」

 

 

ジン「それは安心だな...。璃月はともかく、稲妻は最近に鎖国令が解除された所だ。政治的にもまだまだ不安定だろうに物資をくれたのか...。これは後で璃月七星と稲妻幕府に感謝の手紙を送らないと行けないな。それで、復興までの一般人の避難先はどうなっているんだ?」

 

 

「はい。えーと......それほど被害がない家については住民がもう戻っています。家が半壊...もしくは崩壊している住民については清泉町への避難、または避難テントでしばらく過ごしてもらうことを決定しました。食料などは人手や物資が到着するまでは持ちそうです。報告は以上です」

 

 

そうして、報告している団員は紙をポケットにしまうと、再び人混みの中に混ざった。

 

 

ジン「ありがとう。城の被害はかなり甚大だが、死者が誰も居なかったのは奇跡だ。引き続き、負傷者の手当と避難テントの設営に注力してくれ。それに、今モンドが壊滅的な状況の中、もしかするとアビス教団の残党が攻めてくるかもしれない...。城の警備を怠らないように。私も出る」

 

 

今、この場にいる全員がジンの顔を見て、真剣に話を聞いている。そんな、ジンはもたれていた体を起こし、全員を見渡せる位置まで下がった。そして、胸に手を当てて、そのままその腕をゆっくりと下げる。騎士団の敬礼だ。

 

 

ジン「君達も癒えない傷で頑張ってくれているのは百も承知だ。......もう少しだけ、私の我儘に付き合ってくれ」

 

 

ジンのその言葉に文句を唱える者は居なかった。静寂こそ流れていたが、団員達は背を正し、敬礼し返す。

 

 

ジン「では、みんな持ち場に戻ってくれ」と、団員に命令するとぞろぞろと執務室から退出し、この部屋に残ったのはジンとリサの2人のみだった。

 

 

ジン「はぁ......ふぅ......」

 

 

部屋の外から複数の足音が消え、鉄の扉が閉まる音が聞こえた途端、ジンは机の上に置いてある資料の片付けの手を止めた。深いため息を吐きながら、その場に座り込む。

 

 

リサ「...大丈夫?」

 

 

ジン「ん...?リサか...。いや、大丈夫だ。ただ...一気に疲労感が襲ってきただけだ...」

 

 

リサ「亡くなった人が居ないという報告を聞いたからでしょう?」

 

 

ジン「ああ...。あの戦いが終わった日から今日まで生きた心地がしなかった。血なまぐさい治療室とボロボロになったモンド城を見ていると、どうも心が落ち着かないんだ。戦いは終わったとはいえ、多すぎる怪我人と刻一刻と無くなっていく物資の問題が重くのしかかっていた...。どうすれば、この局面を切り抜けれるか...これをずっと考えていた数日間だった」

 

 

リサ「私もよ、ジン。あの報告を聞いて、1種の安心感というか...解放感というか...。そんなものを感じたわ」

 

 

ジン「ただ...負傷者も全員回復傾向にある。物資も他国から援助を受けれるということは一先ず安心だな」

 

 

リサ「あなたも怪我人なのにね...。しかも、重症の...。あなた、さっき皆の前で自分の体は心配しなくもいいって言ってたけど、それは本当なの?正直に言ってちょうだい」

 

 

ジン「......。正直に言うと普通に傷が痛む。だが、本当に大丈夫だ。このぐらい、我慢できる」

 

 

リサ「そう...そうならいいんだーーー」

 

 

コンコンーーー。

 

 

リサの言葉は突然鳴ったノック音で遮られる。2回鳴った木の音に2人はすぐにドアの方向に向いた。

 

 

リサ「あら、お客さんのようね」

 

 

ジン「入ってくれ」

 

 

「は、入るよ?」

 

 

てっきり、忘れ物をした団員が来たのだと思っていた。だが、ドアから聞こえてきたのは少女の声だった。

 

 

籠った声が聞こえ、ギギギと軋む音を出しながら、ドアが開く。そこにはバーバラが立っていた。

 

 

ジン「バ...バーバラ...?」

 

 

予想だにしなかった来訪者にジンは思わず、目が点になる。そんなバーバラは、緊張しながら、いつもジンが座って仕事をしている机を見たのだが、そこには誰もいない。そして、視線を左に向けて、初めてジンの存在に気づく。すると途端に両目に涙を貯め始め、両手を広げながらジンの腰に抱きついた。

 

 

ジン「!?バーバラ!?ど、どうしたんだ!?うぐっ!傷が開く...!」

 

 

抱きつかれたジンは別の意味で目が点になりながら、バーバラの金髪の頭を眺める。

バーバラは顔を腹に埋めながら、言葉を発した。

 

 

バーバラ「お姉ちゃん、本当に良かった...!重症を負ったって聞いたから...!!だけど、生きててくれて嬉しい...!!」

 

 

ジン「......!バーバラ...」

 

 

事態をようやく把握すると、ジンの口角は緩み、やれやれと言わんばかりにバーバラの頭をそっと撫でる。

 

 

その光景を見ていたリサはジンに静かにウインクすると、執務室から出ていった。

ザシュッーーー。鋭い大剣が真っ直ぐに振り落とされる音が更地に静かに鳴る。刃の垂直の軌跡は小さな炎スライムを切り裂いた。木こりかのように真っ二つに割れたスライムはただのゼリー状の固体として地面に散らばる。

 

 

空「お見事」

 

 

エウルア「...たかが炎スライムよ。そんな、褒められたことじゃない。...だけどありがとう」

 

 

エウルアは炎スライムが動かなくなったことを確認すると、大剣に付いたゼリーを揺らして落とし、こちらを振り返った。

 

 

空は少し離れた距離でエウルアを見ていたが、パイモンは2人の様子を見ずにずっと更地になった、かつてのモンドの森林地域を見ていた。

 

 

エウルア「......」

 

 

エウルアが自分の手のひらを見つめながら、握り拳を作ってみたり、それを離してみたりして、体の状況を確認する。

 

 

エウルア「(本当に体は何事もないようね...。体調に違和感もないし...これなら仕事に戻れそう...)」

 

 

空「どうしたの?」

 

 

エウルア「いや、何でもないわ。ただ、本当に体が大丈夫か確かめていただけよ。これなら、すぐに日常生活に戻れるわね」

 

 

パイモン「ティナリもお前の体のどこにも異常がないって言ってたぞ?あいつの目は確かなんだし、安心してもいいとオイラは思うけどな...」

 

 

エウルア「そのティナリっていう人があまり分からないけど、パイモンのその言葉...信じておくわ」

 

 

パイモン「へへっ」

 

 

エウルアは完全にこちらに向き直して、ゆっくりと周りの情景を見ながら、歩き始める。

 

 

空「リハビリ、終わった?」

 

 

エウルア「ええ、十分だわ」

 

 

パイモン「結構な時間やってたな」

 

 

エウルア「数週間というブランクは相当なものだわ、パイモン。ましてや、遊撃隊は普段アビスを相手にしているのよ?これぐらいでも足りないぐらいだわ」

 

 

パイモン「オイラは大丈夫だと思うけどな。......根拠はないけど」

 

 

エウルア「......。褒め言葉として受け取っておくわ」

 

 

パイモン「そっか......」

 

 

パイモンが再び、遠い目で周りを見渡す。

 

 

パイモン「本当、ここすごいよな...。オイラ、かつてここが森だったってことが信じられないぞ...」

 

 

パイモンと空はエウルアにリハビリという名目でここに誘われた。ゼーレが作り出した更地だ。空はちょうどここに興味があったので、快く了承した。

 

 

エウルア「私、ここら辺一帯を任務で何度も行ったことがあるの。草が異常に茂ってて、敵の場所が分かりにくい場所だったんだけどね...。それがまさか、たった一日でこうなるとは...」

 

 

木と草が集合した大地は茶色一色に染まっている。炎で全てを焼き尽くし、衝撃波によって大地をひっくり返された結果がこれだ。そこには当然、スライムと空達以外の生命の気配なんて存在せず、草や花なんて目を凝らして見渡しても見つけることはできない。それに加え、大地には底が見えない谷のようなものが形成されている。きっと、ゼーレが刻んだ斬撃なんだろう。それが無造作に配置されているこの地面は儚さと恐怖が混じりあった不気味さを醸し出していた。

 

 

パイモン「それにしても、ここなんか蒸し暑くないか...?もしかして、この暑さが原因で炎スライムが湧いてるんじゃ......!?」

 

 

空「かもね。ゼーレの炎元素が過密すぎて、数日経った今でも熱いのかも」

 

 

よく目を凝らして、更地を眺めると炎スライムの家族連れがこの無機質な大地をさ迷っている。きっと残留している炎元素目当てに来たのだろうが、すぐにどこかに行くだろう。危険性は無い。

 

 

エウルア「そう言えば、なんで姉さんは炎元素を使えるの?私、寝ていたせいで分からないのだけれども...。よく考えてみれば、デーヴァーンタカ山で姉さんがいきなり炎を出していたわね」

 

 

パイモン「あ、言われて見ればそうだな...。オイラも気になるぞ。旅人、何か知ってるか?」

 

 

空「知ってるよ。ゼーレ本人の口から説明された。終焉機の赤色のコアに浮舎の炎元素の力が刻まれてて、コアと世界樹が融合した結果、ゼーレが炎元素を使えるようになったって」

 

 

パイモン「へぇ...そうなんだな。というか、神の目がないのに炎元素がコアに刻まれたってどういう理屈なんだ?普通は不可能なはずだろ?」

 

 

空「その辺は俺にも分からない。長年、元素力を使ってると肉体にも蓄積するみたいで、それのせいかも...ってのが俺の予想かな」

 

 

エウルア「待って。君達が言ってる浮舎って誰のこと?」

 

 

パイモン「あ、そっか。エウルアは知らないはずだもんな。どうする?エウルアはリハビリが終わったんだろ?だったら、モンド城に帰るまでその話をするか?」

 

 

エウルア「じゃあ...そうすることにするわ」

 

 

そうして、3人は更地に踵を返し、城に帰って行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

城に到着した頃には、夕日が既に地平線へと沈んでいた。半壊した門をくぐり、舗装されていない道と階段を通り、騎士団本部まで到着した。建物の横には広場があるのだが、そこには茶色の布で構成されたテントが2、3個程立っていた。その周辺にはひっきりなしに団員達が忙しくしている。

 

 

パイモン「あれは...。テントか?あんなのオイラ達がここを出発した時は無かったよな?この間に建てられたのか?」と、パイモンがいきなり現れたテントに驚く。

 

 

その時、1人の女性の団員がエウルア達の存在に気づき、近づいてくる。その女性は、騎士団の制服の上からエプロンをかけていたのだが、そのエプロンには血痕が着いていた。

 

 

「エウルア隊長!お疲れ様です。どうされましたか?」

 

 

エウルア「いや、特にこれと言った用事ではないわ。えっと、これはどうしたの?こんなテント、ここになかったわよね...」

 

 

「あ、このテントは負傷者を治療するテントです。皆さんもご存知の通り、数日前の戦いで負傷者が大量に出ました。当然、騎士団本部の治療室のベッドだけでは賄いきれず...。上の指示で治療テントを増設することに決めました」

 

 

パイモン「それがここってことか?」

 

 

「えぇ。ですが、これだけでは足りないので、開けている土地があったらそこにも建てる予定です」

 

 

よく見ると、騎士団本部の入口のドアが全開になっていて、そこから治療班の団員が担架に乗った負傷者を運んでいる。ありの行列のようにテントまで続いていた。

 

 

エウルア「そう...だったのね。ごめんなさい、手伝えることはないかしら?」

 

 

「あぁ、いえいえ。エウルア隊長はまだ療養中でしょう?ごゆっくりしていてください」

 

 

エウルア「そう...。あ、そういえばゼーレ・ローレンスっていう人はどこに居るか分かるかしら?もしかして、そこのテントにいるの?」

 

 

「ゼーレ・ローレンス...?あぁ、その方なら建物内の治療室です」

 

 

エウルア「あら...。スペースがないって話じゃなかったの?」

 

 

「テントには優先的に意識があって、ある程度軽傷の負傷者を運ぶようにしているんです。意識がない重傷者はなるべく建物内でと決定しました。それに、感染症もありますしね...」

 

 

エウルア「つまり、姉さんはまだ意識がない......ってことね。分かったわ、ありがとう」

 

 

エウルアと女性の団員は互いに敬礼しながら、エウルア達は治療室に足を踏み入れた。

治療室のドアを開いた瞬間、血の匂いが3人を歓迎する。歓迎された空達は思わず眉をしかめてしまう。勇気を持って部屋に入ると、床にびっしりと重傷者が倒れていた。ベッドも勿論満杯で、溢れた負傷者は1枚の薄い布の上に横になっている。全員が体に包帯を巻かれており、その包帯には黒く変色した血が染み出ていた。

 

 

右に視線を向けると、壁一面を覆う布が吊るされていた。あの魔物によって破壊された穴をそのままとは行かないので、とりあえず塞ぐための布なのだろう。その布は時々吹く風でなびいていた。

 

 

ゼーレは部屋の隅に追いやられ、床に横になりながら、目を閉じていた。3人は彼女の横にある僅かなスペースに座る。

 

 

ゼーレの体のどこにも傷なんてなく、ましてや血なんてありはしない。だが、電源が切られたロボットのように目を閉じている。

 

 

エウルア「......」

 

 

エウルアはそれを見て、何も喋らず、何もせず淡々と見つめている。だが、彼女の顔には1つの感情で説明できない、複雑な感情の仮面を纏っている。

 

 

空「......」

 

 

パイモン「......」

 

 

エウルアの様子なのか、この部屋の雰囲気に飲み込まれたのは分からないが、2人も何も喋らなかった。そして、エウルアが手前の掛け布を静かに捲る。腕甲冑が無い、切断された右肩が見えた。ティナリのおかけで多少は綺麗になったとは言え、依然黒く変色して、醜い断面を晒し続けている。その時、空は布を持っているエウルアの左手がギュッと握りしめられる気づく。小刻みに震えていた。

 

 

エウルア「初めて姉さんの右腕が無い事を見た時の衝撃は未だに忘れられないわ...。多分、一生脳にあの光景がこびり付いて離れないと思う」

 

 

パイモン「...だな」

 

 

エウルア「私ね、今の今まで姉さんという人間がよく分からなかったの。いつの間にか私の前に立っていて...いつの間にか私の前から消えて行って...いつの間にかまた出会っていた。当然、姉さんという人間性を深く知っているなんて無理な話で...だけど、何故か姉さんを理解していたの。不思議な話ね...」

 

 

空「それは上手く言葉に出来ないだけだと思うよ、エウルア」

 

 

その時、黙っていた空が突然口を開く。

 

 

エウルア「えっ...?」

 

 

空「人間で1番大切なのは心だよ。それを俺はゼーレという人間を見てきて、再確認できた。誰だって、心の中で思っている想いは違う。その想いに蓋をして、否定してもいずれ疲れるのは自分だ。正直になってもいいと思うよ。だって''人間''だもの。エウルアは言葉にできないだけで、ゼーレを内側で...いや...魂で理解していたんだと思う。あとは自分が正直になるだけだよ。エウルアは...どうしたいの?」

 

 

エウルア「...。私は...」

 

 

空の問いかけに反射的に口を開いたエウルアだったが、そこで言葉を止めて、顔を下に向く。それが数秒続いた。だが、それは終わる。

 

 

エウルア「私はただ...。姉さんがちゃんとした人生を歩んで欲しいだけよ。それ以上でも、それ以下でもないわ。姉さんは私を守るために父親を殺して...貴重な十数年を牢獄の中で過ごした。それだけじゃないわ。右腕を捨てて、受け入れたくもない異形の力が芽生えて...そんな人生、誰が嬉しいと思うの。だから、私は姉さんにありがとう...って言わないといけない。姉さん自身が変わったと言うなら、私も変わらないといけない。...姉さんを受け入れなければならない。だから...姉さんお願い...。早く...目を開けて...!」

 

 

エウルアが今度はゼーレの左手を強く握る。空とパイモンは無言で頷きながら、それを見た。

 

 

その時ーーー、

 

 

ゼーレ「!!」

 

 

ゼーレの目が突然開き、寝坊した時のように体を起き上がらせた。

 

 

ゼーレ「エルが...私を呼んでる...!?」

 

 

眠っていた人が突然飛び起きるというアクシデントに、傍に居た3人はびっくりしてしまった。エウルアに関しては、握っていた両手を離してしまった。開いた口が塞がらない。そんなゼーレは時が止まったかのように、真正面を見つめ、そしてゆっくりと視線を右に向ける。

 

 

空「お、おはよう...」

 

 

ゼーレ「え?あ...。うん、おはよう......」

 

 

ゼーレの視線はパイモン、空、そして最後にエウルアと目が合った。

 

 

ゼーレ「......!エル...」

 

 

パイモン「び、びっくりしたぞ...!いきなり飛び起きて......」

 

 

ゼーレ「いや何か...エルに呼ばれた気がして......。気づいたら起きていたの......」

 

 

空はその言葉を聞いて、ちょうどいいタイミングと感じた。それは、パイモンも一緒だった。2人は互いに見つめ、頷いた後、空は重い腰をあげる。

 

 

空「それは気のせいじゃないよ、ゼーレ」

 

 

ゼーレ「え...?どういうこと?」

 

 

空「すぐに分かるさ」

 

 

空はあまり深く言わずに、今度はエウルアの肩を優しく掴む。

 

 

空「エウルア。さっきも言ったけど、君は既に理解しているんだ。あとは...言葉にするだけだよ」

 

 

エウルア「......」

 

 

空「俺とパイモンは用事あるからこれで...」

 

 

踵を返して、他の負傷者を踏まないようにドアに向かう。最後まで2人を振り返ることなく、ついに木の扉は閉まった。

 

 

ゼーレ「......」

 

 

エウルア「......」

 

 

扉が閉まった後、しばらくの間、2人は口を開かなかった。喋ることが苦手な人同士が集まった時のように、気まずい雰囲気が互いにのしかかっている。喋り出す勇気が振り絞れず、言葉が喉元で突っかかっているのだ。喋ろうか...いや、そっちが喋るのではと2つの思考がサイクルする。だが、ゼーレが突然自分の髪の毛を激しく掻き始めた。

 

 

エウルア「...!?」

 

 

ゼーレ「あー...えーと...。エル」

 

 

エウルア「な、何...?」

 

 

ゼーレ「私が気絶してから、怪我とかはしてない?」

 

 

エウルア「えっ...」

 

 

エウルアは思わず、言葉が止まった。

 

 

ゼーレ「...?エル?」

 

 

エウルア「大丈夫よ。姉さんが気絶してから、アビス教団の残党が来たとかなかったわ」

 

 

ゼーレ「そう...。それは良かった。あなたに怪我がなくて、本当に良かった...」

 

 

エウルア「......」

 

 

エウルアは強烈な違和感というか、悔しさというか、説明しがたい痼(しこり)が心に引っ付いた感じがして、唇を噛み締める。

 

 

エウルア「なんで...真っ先に私の心配するの...」

 

 

ゼーレ「えっ...?妹の心配しない姉なんているの......?お姉ちゃん、何か変なこと言っちゃった?」

 

 

エウルア「いや...。ごめんなさい、なんでもないわ」

 

 

ゼーレ「そう...。そういえば、モンドの被害はどうなったの?」

 

 

エウルア「モンド城半壊...負傷者多数...。でも、死者は今のところ見つかっていないわ」

 

 

エウルアは淡々と部下から聞いた報告を簡単に喋る。

 

 

ゼーレ「......。甚大な被害は免れなかったわね...。だけど...死者は...0......か」

 

 

エウルアの話を聞いた彼女は、布をかすかに掴みながら下を俯く。

 

 

エウルア「......」

 

 

ゼーレ「......」

 

 

再び、沈黙が流れた。だが、今回は静寂を打ち破るのにそこまで時間がかからなかったようだ。

 

 

ゼーレ「状況は分かったわ。ありがとう、エル」

 

 

エウルアに簡易的な感謝を述べると、布をどかして、ゆっくりと立ち上がる。そして、体に溜まっていた疲れを絞り出すかのように長い伸びを始めた。

 

 

ゼーレ「ねぇ、エル。少し、新鮮な空気でも吸いに行かない?...後、話したいことがある」

 

 

エウルアはその提案に声を出すことはなかったが、静かに1回頷く。それを見たゼーレは空と同じく、踏まないようにドアに向かった。

騎士団本部の建物を出て、左に曲がる。階段を降りた先はシールド湖の簡易的な船乗り場だ。だが、かつては小さな門があった場所も城壁が無くなっていて、野ざらしの状態だった。船乗り場には当然だが人が居ない。湖で漁をしている漁師もそれを待つ子供も今は灰色の無機質なテントの中だろう。水面に浮かぶ船も瓦礫によって、押しつぶされている。その船の周りには死んだ魚が浮いていた。

 

 

エウルアはひたすらゼーレの後ろをついて行く。その間に会話は発生していない。ずっと、エウルアは自分の姉が何を喋るのかと自分から何を喋ればいいんだろうという2つの疑問が脳内を駆け巡っている。

 

 

かつて、裏口の門があった場所に到着したと同時に暗闇から三毛猫が姿を現す。それと同時にゼーレの足は止まった。エウルアも止まる。

 

 

ゼーレ「びっくりした...。猫ね...」

 

 

エウルア「あ...あの猫...」

 

 

ゼーレ「あの猫、知っているの?」

 

 

エウルア「城じゃ有名な野良猫よ。毎晩、この辺りに出現して、餌を探してるみたい。私も任務終わりに何回かちぎったパンをあげたことがあるわ」

 

 

ゼーレ「へぇ...」

 

 

ゼーレは生返事をすると、刺激しないようにゆっくりとしゃがみ込んで、左手を伸ばした。

 

 

ゼーレ「おいで」

 

 

猫は初めて見る人物に警戒しながらも、ゆっくりとこちらに接近し、ゼーレの左手を2、3回鼻を揺らす。ただ、人間が何も持っていないことがわかるとそっぽを向いて、船乗り場の方に歩いていった。

 

 

エウルア「姉さん、逃げられてるわよ」

 

 

ゼーレ「生意気ね」

 

 

エウルア「仕方ないじゃない。野良は今日を生きるのに必死なんだから」

 

 

ゼーレ「......そうね。人を攻撃し無いって事は少なくとも人馴れはしてそう」

 

 

野良猫をしばらく観察していると、水面に浮かんでいる魚を見つけたようで、一目散にそれを咥えて、今度こそ闇に消えていった。

 

 

ゼーレ「そういえば、ペットのニャーゴを思い出したわ。どうしてるの?」

 

 

エウルア「ニャーゴ...。懐かしい名前ね」

 

 

ニャーゴは昔、屋敷で買ってた猫のことだ。

 

 

エウルアは少し遠い目で考えにふける。

 

 

エウルア「もうとっくに亡くなっているわ。衰弱死」

 

 

ゼーレ「衰弱死...。確か、私の記憶の限りでは屋敷の食べ物をたらふく食べていて、ロールみたいに肥えていたわね...。昔から病気で死ぬんだろうなって思っていたけど、普通に亡くなったのね...。苦しまなくて良かったわ...」

 

 

エウルア「ニャーゴって何故か、姉さんには懐かなかったわよね。屋敷の誰でも触れたのに...。覚えてる?姉さんがこっそり触ろうとしたら、手首引っかかれたの」

 

 

ゼーレ「あー...そんなことあったわね。懐かしい。ふふ」

 

 

ゼーレは微かに笑いながら、シールド湖の岸へ歩みを進める。エウルアも後に続いた。

 

 

たとえ、どんな状況であろうと自然は美しい。それはシールド湖も同じだ。月の黄色の灯りが道のように水面を照らし、銀色の乱反射が目に飛び込んでくる。今日は波も静かだ。大人しい水面は素直に星空と満月を映す鏡として役割を担っている。

 

 

ゼーレ「ほっ」

 

 

ゼーレは岸に付くと、早速平らな小石を拾い、水面にそれを投げた。すると、小石は水面をバッタのように5回跳ね、ポチャンという音と共に沈没する。

 

 

ゼーレ「よし、5回」

 

 

エウルア「......。姉さんの筋力ならもっと回数増やせるでしょ?」

 

 

ゼーレ「逆よ。必ず5回になるように調整してるのよ。これよりもっと投げるなんてつまらないでしょ?」

 

 

エウルア「何それ...」

 

 

エウルアは無言で手渡された小石を貰うと、続いて水面に軽く投げた。すると5回だけに留まらず、10回以上水面を跳ねる。

 

 

ゼーレ「お見事」

 

 

エウルア「......。子供っぽい」

 

 

ゼーレ「たまにはいいでしょう?昔、屋敷の裏庭にあった池で水切りやったの覚えてる?」

 

 

エウルア「いつも、私の方が勝ってたわよね」

 

 

エウルアは水の波紋が広がっていく様子を眺めながら、そう答える。

 

 

ゼーレ「そうそう。あなた、謎に水切り上手いから...。何かコツとかあるの?」

 

 

エウルア「コツ...。特にないわ。強いて言えば、石に回転を強くかける...ぐらいかしら」

 

 

ゼーレ「そう...」

 

 

ゼーレは小さくそう呟きながら、2回目の投石を行う。今度は8回跳ねて、石が沈んだ。

 

 

続いてエウルアも投げようかと思ったが、ふと我に返って手が止まる。不思議に思ったゼーレが振り返った。

 

 

ゼーレ「エル?」

 

 

エウルア「......」

 

 

振り上げた手を降ろし、俯く。何となく察したゼーレが喋ることなく、見つめている。

 

 

エウルア「なんで...こんな昔話ばかり話しているの?」

 

 

ゼーレ「......」

 

 

ゼーレはすぐに答えなかった。真正面を向き、落ち着いた水面に視線を落としている。

 

 

ゼーレ「さぁね。特には考えていないわよ」

 

 

エウルア「さぁね...って......」

 

 

ゼーレ「私にもよく分からないの。なんであなたにこんなことを今更話しているのか...。心がそう喋りたいって言ってる...みたいなものかも」

 

 

エウルア「姉さんには悪いけど...今はそんな事喋っている時ではないと思うの」

 

 

ゼーレ「そっか...。確かに考えて見れば、雰囲気には馴染めない会話だったかもしれないわね。だけど...これでいいの」

 

 

エウルア「...どういうこと?」

 

 

エウルアは恐る恐る聞く。

 

 

ゼーレ「お姉ちゃんとあなたの間で止まっていた時間は再び動き始めた。こんな傍から見て、仕様もない会話でも価値があると思うの。深い溝を埋めるためにね......。昔、親しい人間と遊んだ。昔、美味しい物を食べた。昔、笑いあった。そんないつの間にか忘れてしまうことをふと思い出すことに意義はあると思う。どんなにちっぽけな思い出でもいい。それでこそ記憶や人間に価値はあるわ」

 

 

エウルア「......」

 

 

ゼーレ「だけど、こんなのじゃあ...時間がかかってしまうわね。もっと、踏み込んだ事を喋らないと...。ねぇ、エル。一応聞くわ。私が姿を消した理由...知ってる?」

 

 

エウルア「......。知ってるわよ...」

 

 

エウルアがバツが悪そうにそう答える。

 

 

ゼーレ「...!あの馬鹿母親...!結局、口を滑らせたのね...!」

 

 

ゼーレにとっては確認程度だった。予想外の答えに汚い言葉を口走る。

 

 

エウルア「えっ...?あの馬鹿...?どういうこと?」

 

 

ゼーレ「...?お母さんから聞いてないの?」

 

 

エウルア「何の話?お母さんなんて、もう10年ぐらい会ってないわ。姉さんと同じく、突然行方をくらましたわよ。...あ。もしかして、あれのこと?」

 

 

エウルアはとある記憶の出来事を思い出す。

 

 

エウルア「...獄中でお母さんと話した事ね。やっと、姉さんの言っていることが伝わったわ」

 

 

ゼーレ「なんでそれを...!」

 

 

ゼーレは檻の中で事の顛末を伝えないことを話した時のことを知らないはずのエウルアに喋られ、隠しきれない程動揺する。

 

 

エウルア「正直に言うわ。姉さんの過去を全部見てしまったの。夢の中でね...。なんで姉さんが姿を消してしまったのかも......なんで姉さんがあんなことをしようとしていたのかも...」

 

 

ゼーレ「夢の...中」

 

 

その時、ゼーレはとある言葉を思い出した。灰色の魔物の言葉だ。

 

 

ー「可哀想な奴だ......。その女は今貴様の世界樹の中で夢を見させられている......」ー

 

 

ゼーレ「(あの言葉って...そういう意味だったのね)」

 

 

エウルア「デーヴァーンタカ山の戦いが終わって、私は気絶してしまった...。意識がない時、何故か分からないけど姉さんの過去の記憶をずっとみていたの」

 

 

ゼーレ「.....そう」

 

 

エウルア「姉さんが...父親を殺した記憶は言葉が出なかった。怒りとか...悲しみとか...そういう感情がその時には湧いてこなかったの。言葉を失うってこういうことを言うのね」

 

 

ゼーレ「ローレンス家が崩壊した後、エルは何をしていたの?」

 

 

エウルア「叔父に引き取られたわよ...。叔父に育てられたんだけど、彼は死ぬ最期までローレンス家の礼節がどうとか...くだらないことに執着していた...。子供の時から私は貴族に対する反骨心が助長されていたのかもしれないわね」

 

 

ゼーレ「お母さんは...?」

 

 

エウルア「...。お父さんの遺産を受け取った次の日にはもう姿を消していたわよ」

 

 

ゼーレ「結局、あの人は金目的でしかなかったのね。少しぐらいは頑張ってくれるかな...って思っていたのに」

 

 

エウルア「だから、私は家を飛び出て、騎士になった。だけど、それは決して楽な道じゃなかったの。家からは裏切り者扱いされて、衆人からはスパイ扱いされて...。もう...慣れたけれども」

 

 

エウルアは口角を上げた顔を見せる。だが、その笑顔は到底本心から出たものではなく、無理やり作られたものだ。

 

 

エウルア「確かに茨の道かもしれないわ。だけど、私にも守るべものがある。私にも役割が存在しているんだって...。それを教えてくれた人の中に、絶対に姉さんはいるはずなの。だから...姉さんに伝えないといけないわ...。もし、姉さんが何もしなかったら今の私はなかったと思う」

 

 

エウルアは改めて姿勢を正し、ゼーレの顔を見つめる。

 

 

エウルア「ありがとう、姉さん。私を守ってくれて。そして、ごめんなさい。私のために人生を潰させてしまって...」

 

 

しばらくの間、静寂が流れた。周りからは虫のなく音と夜の涼しい風が吹く音しか聞こえてこない。そして、ゼーレはため息に近い何かをした。

 

 

それはめんどくさい時の物にも聞こえたし、笑っているようにも見えた。

 

 

ゼーレ「もう...そんなのあなたが気にすることじゃないのに...。負い目を感じて欲しくないから、私のことを忘れて欲しい...とそう願っていたのに...結局はこうなるのね...」

 

 

エウルア「姉さん......。もう、私は大人よ?自分の姉の犠牲の上で生きているのを知らずにいるだなんて...人間として恥だわ」

 

 

ゼーレ「......。どの道、ローレンス家が崩壊するのは避けられなかった。だから、あなただけでもと...最悪の中で最善を尽くした。だけど...これも結局は自分で納得するしかない、身勝手な思いなのかもしれないわね」

 

 

今まで遠い目をしながら、湖を眺めていたゼーレは、神妙な顔でエウルアに向き直る。

 

 

ゼーレ「エル。私はあなたが夢を見ている間、旅をしてきたの。自分とは何かを改めて探すために。その中であなたが私を思い続けてきたことに気づかされたの。だから、その事にありがとう...と言わなくちゃいけないわ」

 

 

そして、ゼーレはエウルアに近づき、左手を自分の胸に当てる。

 

 

ゼーレ「私を止めてくれてありがとう。私を信じてくれてありがとう。私を思い続けてくれて...ありがとう...。私の生きがい...に...なってくれて...ありがとう......。私...を...愛してくれて...ありがとう...!」

 

 

初めはスラスラと言葉が出てきたが、段々と言葉に行き詰まってきた。更には、途中に鼻水をすすり始める。目はりんごのように赤くなっていた。

 

 

ゼーレ「私の...妹になってくれて...ありがとう...」

 

 

ついには目から大粒の涙が溢れ出す。それは際限なく流れた。わなわなと体が震え、地面に崩れ落ちる。

 

 

ゼーレ「こんなに思ってくれたのに私は...あなたを傷つけてしまった...!!あなたを認めずに...!子供扱いしてしまって...!こんな私を...もう一度、姉さんと呼んでくれる...?」

 

 

握り拳に塩っぽい液体が一滴と、時間と共に増していく。その時、ゼーレの視界に右手が映った。思わず、顔を上げる。口角をあげたエウルアがゼーレに右手を差し出していた。

 

 

エウルア「...喜んで」

 

 

それを見たゼーレは思わず左手が動いていた。そして、2人の手が繋がる。今度はエウルアがゼーレを抱きしめた。

 

 

エウルア「私は...そのために姉さんと出会ったのよ」

 

 

ゼーレ「ごめんなさい...!ごめんなさい...!!本当は私を忘れて欲しくない!いつまでも私の事を思い出して欲しかった...!あなたの傍にいつまでもいたい...!いつまでも...!!」

 

 

不意に心から溢れ出てきた本音が口から滝のように漏れてくる。十数年、そんな年月の中で貯めてきた本心をたった今、出し切った。ゼーレは肩の中でずっと泣いている。鼻水が出ようと、どれだけ醜い泣き顔になったとしても。

 

 

「おかえりなさい、姉さん」

 

 

「ただいま、エル」

第5幕【完】

エピローグに続く

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