グジュア、という奇妙な音とともに、ライムグリーンの
その一瞬、ヴェルの火球に顔を半分焼かれたリューシアの、ガラス玉みたいに無機質な瞳と目があった。
目をそらさず、サソリの尾を切り落とした勢いのまま、俺は光の剣を振り切る。
光り輝く
リューシアの身体は真っ二つにはならなかった。
飛竜を斬った時と同じだ。
光の剣はリューシアの身体を透過しただけだ。
だが。
その途端、リューシアの瞳が揺れた。
「ア、アアアアアアァァァ?」
うめき声のようなものをあげつつリューシアがその場にへたり込む。
同時に、彼女の法術の力によって産み出されていたサソリの尾――それが空間に溶けるように消失した。
「アウァ? アアアア?」
その場にへたり込んだリューシアは、がくんと頭を垂れてうなだれる。
「ア……アグァ……ガ……」
声というよりも喉の奥からただ単に空気を吐き出している、そんな感じの声をあげ、リューシアはガクガクと身体をゆすぶり始める。
――攻撃的精神感応。
それこそが、俺の能力の本質だ。
俺の発する光の剣に身体を触れられた生物は、脳神経を焼き切られる。
「エージ様……やった……」
キッサが俺の背中にそっと手を当ててそう言った。
「エージ様、やりましたね、……この変態女を……やっつけた……」
「終わった……のか……?」
「はい、こいつはもう……駄目でしょう。飛竜をも殺したエージ様の攻撃を、あれだけまともにくらったのです。まだ息があるのが不思議なくらいです」
「そうか……やったのか……。……そうだ、ヴェルは!?」
俺はヴェルが横たわる方向に視線をやる。
ヴェルにすがりつくようにして、ミーシアが泣き叫んでいた。
そのミーシアの髪の毛を、ヴェルは力なく、でも優しく
まだ、意識はあるみたいだ。
さっきちらっと見ただけだが、腹部をもろに突き刺されたのだ、大量に血が噴き出していた。
息があるのが不思議なのはむしろヴェルの方かもしれない。
俺もヴェルに駆け寄ろうとした時。
ぐいっとキッサに袖を
「お、おい、なんだよ」
「エージ様、まだです」
「なにがだよ」
「まだ大切な仕事がひとつ残っています」
「……仕事?」
「はい」
そして、キッサは、いまやよだれを垂らして
「首と、耳を」
「…………!」
まだ俺の脳内にはさきほどまでの闘いでアドレナリンが充満していて、全身がカッカッと熱く感じていた。
なのに、キッサのその一言で、俺の身体からさあっと熱が引いていく。
「さあ、エージ様」
「……やらなきゃ、いけないのか?」
「もちろんです。反乱の首謀者の一人、ターセル帝国第二軍将軍、リューシアを討ち取った。もし、エージ様が今後あの奴隷様を盛り立てていくおつもりならば……。……あの奴隷様の再起を手伝おうというならば、その事実は絶対に公に広めねばなりませんし、その証拠も必要です」
キッサの言う奴隷様とは、もちろん、奴隷に変装している皇帝ミーシアのことだ。
「殺さなきゃいけないのか……?」
「皇帝を
うん、まあね、帝国で君主を殺そうとするなんて、最悪の犯罪だ。
どっからどう考えても、死より軽い罰などはありえない。
魔王軍を国内に引き入れて反乱をおこしたってことは外患誘致なわけで、ここが日本だったとしても一〇〇%死刑の案件である。
平和な日本ですら、死刑以外の刑罰が存在しない重罪、それが外患誘致罪なのだ。
「捕らえておいてあとで裁判で……」
「エージ様、わかっていらっしゃるとは思いますが、私たちは今から西のイアリー領へと逃げねばならないのです。捕虜をとる余裕など、ありません」
キッサの言うとおりだ。
リューシアを倒したとはいえ、帝都はあのハイレグ騎士、ヘンナマリに掌握されているのだ。
一刻もはやく、安全な場所に逃げなければならない。
つい昨日。
国家の秘宝だというマゼグロンクリスタルを用いた、五年がかりの
そしてヴェルに、戦争捕虜だったキッサの首を斬れ、と言われた。
それがつい昨日のこと。
ああもう信じられねえよ、まるで何年も前のことのように思える。
俺がロリ女帝ミーシアを説得したことによって命を救われたキッサ。
もしかしたら俺に首を斬られたかもしれないキッサが、今はリューシアの首を斬れと俺に言っている。
じっと俺の目を見つめている。
キッサの
リューシアのそれとは違って、血が通い、意志を感じさせる瞳だった。
「……エージ様が、人の命を大事にする優しい方なのは、私もわかってます。ふふ、エージ様、今すっごくやりたくなさそうな顔しましたし」
「え、そ、そうか?」
「でも。こればかりは。あの奴隷様や騎士さまや、それに、もしこの子を少しでも大切に思ってくださっているなら」
キッサは傍らにいた妹のシュシュを抱き寄せ、
「
そう言ってキッサは一本の短剣を俺に渡す。
ふと、ヴェルの方を見る。
おかっぱの黒髪を振り乱したミーシアが俺たちの方を指さして、何かを叫んでいた。
彼女らしからぬ、すごい形相だ。
涙でもう顔がぐちゃぐちゃだ。
幼い女帝陛下が何を叫んでいるのかは、距離があるのでよくわからない。
いや、本当は聞こえている。
でも、聞こえないフリをしたい。
と、そこにシュシュが、いつもどおりの
「ねーおにいちゃん、ちいねえちゃんがね、はやくそいつころして、って言ってるよ。ころすの?」
天真爛漫なのはいいが、さすがこの戦乱に生きる人間の一人、こともなげに殺すとかいいやがる。いい子なんだけど。
いや、それはともかくとしてだ。
ミーシア。
帝国内で最も孤独な人間。
たった十二歳で帝位につき、その責務に一人で押しつぶされそうになっていた少女帝。
彼女の、唯一の心の支え。
何者にも代えがたい、世界でただ一人の親友が、リューシアによって今まさに死ぬかもしれないのだ。
ミーシアがリューシアを許せない気持ちもよくわかる。
わかるし、それにつまりそれは……。
皇帝陛下のご命令でもあった。
どうしたって俺はやらなきゃいけないみたいだった。
ゆっくりとリューシアに近づく。
リューシアは目を見開き、そのグレーの瞳をぎょろぎょろと動かし、でもなにも見えてないかのように手をバタバタさせ、
「ウアーウアー」
と人を不安にさせる
……俺の能力って、かなり人道に反している気がしないでもない。
人事不省に陥った少年みたいな少女。
こいつをこうしたのは間違いなく俺で、そして俺は今からこいつを殺す。
短剣を握りしめる。
首を斬る……俺が?
世界がふわふわ揺れて見える。
何が現実なのか、それともこれは本当に夢なのかも。
俺が死んだとか、別の異世界で
ふと目を覚ましたら会社の机によだれのあとをつけて居眠りしているだけなのかも。
んでもってあの蛇みたいな目をしたクズ課長に怒られるのだ。
そっちの方がいいか?
いいや。
例えここで人を殺すことになろうとも。
俺はもう、あんなくだらなくてつまらなくて悲しい人生は二度とごめんだね。
「アウーアウウウー」
人間のものとも動物のものともしれぬサイコパス少女の
ほんと、ひでえな俺の能力。
脳神経を焼き切り、人格を破壊する。
ある意味一番残酷な能力だ。
リューシアのそばに立つ。
手を伸ばせば届く距離。
俺は、これから、こいつの、首を、……斬る。
うん、へー、そうなんだ、俺、女の子の首を今から斬るんだね、ふーん。
どうやったらいいんだろう。
とりあえず、頭を固定しないとな。
俺は、リューシアの薄紅の髪の毛を
ギロッとリューシアの瞳が俺を見る。
知性の感じられない両生類のような瞳。
ダメだ、余計なこと考えると身体が動かんぞ。
何も考えずにささっとやっちまえ。
「すまんな」
俺はそう言ってリューシアの髪の毛をぐいっと上に引き上げ、顔を上げさせる。
細くて白い首があらわになった。
考えるな。
短剣をそこにあて、
考えるな。
あとはザクっと
考えるな。
右手を引けば、
考えるな。
……。
………………。
……………………。
くっそ、やっぱり
リューシアの目が、俺を見た。
くそ。
そんな目で俺を見るな、くそ。
「エエエエエージ……」
リューシアが、言葉を発した。
まだ知性が残っていたのか、それとも俺の顔をみてただ反射的に口が動いただけなのか。
「エージ、ボク、ヴェル、スキ……」
短剣を持った俺の右手が震える。
あ。
うん、ごめん、これ、俺、無理だわ。
はっはっはっは、俺がこんなことできるわけないじゃん、あーうん、やめやめ。
ダメだって無理だってつい昨日まで普通の生活していた普通のオタクサラリーマンが人を刃物で殺すとか、そこにどんな理があろうと不可能に決まってんじゃーん。
冗談冗談、無理無理、やっぱ、やめます、この少女はまー、ほら、キッサみたいに戦争捕虜奴隷として俺の奴隷にしてさ。
「ヴェル……スキ……コロシタイ……」
……あー、うん、いやもう、普通の奴隷にするのは無理っぽいから両手足斬って
うんうん、だから首斬るのはなしね。
リューシアから手を離しかけた時、リューシアの唇がだらしなく開き、そこから長い舌がだらんと出る。
舌には、紫色の石が埋め込まれていた。
これが、リューシアの法力を増幅させる種類の聖石なのだろう。
しかし、こいつ、舌、なげーな……。
先っぽの方なんか、針みたいに
針みたいに……。
ん?
錯覚なんかじゃなかった。
リューシアの舌先が、針のように鋭く
そして、その舌は長さを増し、唾液で
ゆっくりと、あくまでゆっくりと、それは俺の顔面に向かってきて。
そして。
それが俺の目を刺し貫こうとする寸前。
「おわぁっ!?」
俺は顔をそむけてなんとかそれをかわした。
この触手みたいな舌、速度自体はそんなにないおかげだ、助かった。
だが、リューシアは――いや、リューシアの舌は、諦めない。
その舌はさらに伸びていって、この場にいる中でもっとも弱い人物めがけて攻撃をしかけていく。
そう、九歳の妹奴隷、シュシュの喉元に向かって。
あまりのことに、俺もキッサも反応が遅れた。
シュシュ本人は何が起こっているのか理解もしていないようで、自分の喉元を貫こうと近づく舌先を、不思議そうな目で見ている。
針のように尖ったリューシアの舌先は、もうシュシュの喉元五センチほどまで迫っていて。
すべてが、スローモーションの中で行われているような感覚。
あれー、これ、シュシュ、死んじゃうぜ。
どうしたらいいんだ?
どうしたらリューシアの攻撃を止められる?
ん?
俺、そのリューシアの髪の毛を掴んだままじゃん。
しかもその喉元に短剣を突きつけてるじゃん。
えーと。
シュシュの死まで、あと一センチ。
俺は何も考えず、何も感じず、何も思わず。
ただ、俺の身体がシュシュを救うのに必要なだけの動きをするのを、そのまま許した。
あまり、この時のことは思い出したくない。
そもそもあんまり覚えていない。
覚えているのは――そうだな、脳が進化した動物だけあって人間の頭部ってのは思ったより重たいんだな、ということと、黒澤明監督の椿三十郎みたいな血の噴き出し方ってしないもんだな、やっぱり映画は映画だな、と思ったことだけだった。
俺はもう、映画もアニメも二度と見ることができないのだ。
パソコンもネットもない、その代わりに死の臭いに満ち満ちた、この世界で生きていくしか無い。
死。
そう、今俺が一人の命を奪ったところで、今度はもう一人の命が失われそうになっていた。
ヴェル・ア・レイラ・イアリーの傷は、思ったより、……いや、思った通りに、深かった。
なにしろ腹膜を破られたどころか、重要な臓器まで破損していたのだから。