俺たちを乗せた馬車は、ひたすら西へと走る。
街道といっても、アスファルトで整備されているわけもなく、ただ馬車がかろうじてすれ違える程度の幅で、土が踏み固められてるだけだ。
たまに要所要所で、石や砂利による補強はされてるが。
針葉樹に覆われた山を抜け、宿場町で一泊する。
ミーシアたちの、粘膜直接接触法の副作用も抜け、万全の体調で出発する。
山賊たちを伴いながら、さらに西へ進むと、今度は広い草原に出る。
地平線の向こう側に山脈が見える。
ガタガタと揺れる馬車の中で、ミーシアは手紙を書き続けていた。
俺はちらりとそれを
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勅
朕、
第二等将士、
ラータ・テシラルガン・マディリエネ・レンクヴィストに、勅を遣わす。
先日、第三等騎士、ヘンナマリ・アルゼリオン・オリヴィア・アウッティ、及び第三等将士、リューシア・テシラルガン・ユーソラ・カンナス、長年に渡る恩を忘れ、
賊ら、第一等宰相エリン・ルミシリール・ミカ・カーリアインを捕縛し、聖なる帝都を攻む。
朕、忠臣たる第三等騎士、ヴェル・アルゼリオン・レイラ・イアリーをして、リューシアを
マゼグロンクリスタルは朕の耳にあり、帝位はいまだ朕の手にあり。
ラータ・テシラルガン・マディリエネ・レンクヴィストに命ず。
逆臣、ヘンナマリを討滅せよ。現在行っている戦闘は状況により中止を許可する。
ヘンナマリ討伐を最優先とせよ。
第十八代皇帝 ミーシア・イシリラル・アクティアラ・ターセル
唇印
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ラータ、ミーシアです。
起草してくれる人も校正してくれる人もいないし、雰囲気で書いた勅だから、文章がおかしかったらごめんなさい。あと、一生懸命丁寧に書いたつもりだけど、字が下手でごめんなさい。
私も、もちろんヴェルも、こういうのは苦手なの。
私は今、ヴェルと一緒に無事でいます。
どこまで聞いているかわかりませんが、ヘンナマリとリューシアが反乱を起こして、帝都が制圧されてしまいました。
ヘンナマリは自らの騎士団とリューシアの第二軍、それに魔王軍までも味方につけて、帝国全体をのっとろうとしています。
私は偶然の導きで難を逃れましたが、今はヴェルとともにイアリー領に向かって逃亡しています。
ヴェルと、ちょうど
ラータの助けが必要です。
今、ラータも獣の民の国との戦いで大変でしょうが、機を見て私たちを助けてください。
昇進と褒賞はもちろん、これから宮中
お願い。
助けてください。
ミーシア
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ラータ、あたしよ、ヴェルよ。
西の戦況はどうなってる?
聞いてるかもしれないけど、帝都でヘンナマリとリューシアが魔王軍と組んで反乱を起こしたわ。
あたしは今、陛下とともに領地に向かってる。
今すぐにでも、エステルと連絡をとって、援軍をこっちによこしてほしい。
あたしがついてるんだから当面は大丈夫だろうけど、きっとヘンナマリも陛下とマゼグロンクリスタルをねらって兵を出してくるはず。
助けてくれたら、あたしの領内の山で蛇取りを許可してあげるから。あそこにしかいない貴重な蛇、あんた、ほしがってたでしょ? なんなら、一緒に蛇探ししてやってもいいわ(いっとくけど、あたしは絶対食べないからね!)
頼むわよ。
ヴェル・ア・レイラ・イアリー
唇印
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俺にはさっぱり読めないが、ヴェルがざっと説明してくれたところによるとだいたいこんな感じの内容らしい。
三枚の手紙を書き終わると、ヴェルが小さな
ふたをとり、小さな
壷の中は染料だったみたいで、壷からとりだした刷毛は青く染まっていた。
「ミーシア、じゃあこっち向いて」
いわれたミーシアは、
「ん」
と、まるでキスをせがんでいるみたいに、ヴェルに向かって唇を突き出した。
ヴェルは青い染料をその唇に塗り始める。
なんだ、なんでこのタイミングでいきなり化粧を始めてるんだこいつら。
しかも、青い口紅って。
「……その色、趣味悪くねえか? 正直、あんまり陛下には似合わないような……」
「バカね。これは化粧じゃないわよ。唇印よ、唇印。これがなきゃ偽書と見分けがつかないでしょ」
「唇印?」
「うん、これをね、こうして……はい、ミーシア」
ヴェルが手紙を書いた経木をミーシアに渡す。
それを受け取って、ミーシアは、
「うーん、この辺かな?」
と、自分の署名の隣に、ぐいっと唇を押しつけた。
なるほど、キスマークを手紙につけるわけか。
たしかに、唇のしわってのは指紋と同じで、その人固有のもんだと聞いたことがある。
これで、本人が書いたものかどうかがわかるってことか。
印章や花押代わりなら、青い染料ってのも
「じゃ、次はヴェルね」
今度はミーシアがヴェルの唇に染料を塗る。
十代の女の子同士で口紅をつけあってるって、なんか、いいよな。
ほっこりする。
「んー。これ、苦手なのよね……いつも場所がずれちゃう」
などといいつつ、ヴェルも唇印を経木につける。
「でも、皇帝陛下がイアリー領へ向かってるとか書いちゃっていいのか? 伝書カルトだって絶対に目的地につけるわけじゃないだろうし、途中でヘンナマリの勢力に手紙みられたりしたら……」
俺は不安になって聞く。
「まあ、そうね。だから、詳しく書いたものはラータ宛と、あたしの妹のエステル宛のものだけよ。他の諸侯にはもっとぼかして書いてるわ。正直、あたしたちが今後自由に動かせる軍といえば、あたしの騎士団一万……いや、ほんとはそんなにいないんだけどね、それとあとはラータの第三軍ぐらいだからね」
「そのラータ将軍ってのは、信用できるのか?」
「……うーん」
顔を見合わせるミーシアとヴェル。
「信用……はできると思うわ。先帝――ミーシアのご母堂様ね――を昔から崇敬していて」
「ふーん。まあでも一国の将軍が君主を崇敬するのはあるべき姿だしな」
「そんなんじゃないの!」
ミーシアが大声を出した。
「あのね、たとえば口うるさいといえばエリンもだったけど、エリンは言動とか皇帝としての心構えとか、そういうのだったけど、ラータはね、そうじゃなくて、私の――見た目にうるさいの!」
なんじゃそりゃ。
ヴェルがため息混じりに、
「そうなのよねえ。親子だからあたりまえだけど、ミーシアって先帝陛下と顔立ちが似てるのね。で、先帝陛下が崩御されたあと、ラータの奴、ミーシアに先帝陛下と同じ服着せたがったり、同じ化粧させたがったり、同じ髪型させたがったり」
「それだけじゃないよ! ラータっていっつもいっつも私に会うたびに、この、この辺、この辺を見て……」
ミーシアは心底嫌そうな顔をして、両手で自分の胸のあたりをあおぐような仕草をする。
「『食べないから成長しないのです、先帝陛下と同じくらいの大きさになるまでこれを食べなさい』とかいって蛇の! 蛇の丸焼き食べさせようとするんだよ、蛇の丸焼きでおっぱ……お胸が大きくなるなんて、聞いたことないよ!」
なかなかエキセントリックなエピソードではあるが、なるほど、ミーシア個人にそれだけの思い入れがあるなら、ある程度の信用をおいていいのだろう。
あと陛下はまだ十二歳なんだし、そのくらいの大きさがキュートでいいと思いますですよ。
口に出してはいわないけど。ヴェルに殴られる予感がするから。
そのヴェルがいう。
「ま、あいつ、法術とかはからっきしだけど。頭がキレるし肝も太いし、度量もあるし、軍の統率力は抜群だからね。ラータがまだ準将士のとき、実数千五百人しかいない第八軍を任されてた頃なんだけど、東の戦線で十倍の大軍を前にしてかき回すだけかき回してさ。敵を大混乱に陥れたあと、さっと軍を引いて被害をほとんど出さなかったのは、今でも語りぐさよ。ラータは第三軍の将軍になる前に士官学校で
なかなか頼りになりそうだな。
それに、蛇料理って、まあゲテモノではあるだろうけど、そんなに嫌がるものかね。
俺は食ったことないけど、目の前にあれば好奇心で普通に食えると思うが。
などと、この時の俺は
のちに、『産まれたばかりの生きた子蛇の踊り食い』なる
それ以上に、俺たちが想像しなければならないことがあった。
リューシアは、ヴェルのことを法術で追尾した、といっていた。
同じことができる人間が、他にもいて当然だ。
そして、勅書をくくりつけた伝書カルトを空に放したこのとき、すでに俺たちはその居場所を捕捉されていたのだった。
そんなことも知らず、俺たちは草原の真ん中で、のんびりと野宿の準備を始めていた。
日が暮れ、少し欠けた月が空で輝き始める。
俺自身が混乱しそうなので、キッサに聞いたことをまとめて、ここらで日付を整理しよう。
俺が蘇生召喚されたのが五月二十八日。
リューシアと闘い、粘膜直接接触法でヴェルを救ったのが二十九日。
山賊たちと闘ったのが三十日。
今、草原で野宿をしようとしているのが三十一日だ。
この世界にきてまだ三日とちょっとなのかよ、信じられん。
ちなみに、この世界ではすでに太陽暦が採用されており、月のすすみはうるう年も含めて地球の太陽暦と同じらしい。
俺にはとてもわかりやすくて助かる。
太陽との距離、月の存在、その他いろいろが地球と極めて酷似しているってことだが。
この世界が地球と同時に宇宙に存在している別の星なのか、別宇宙、別の時間軸のパラレルワールド的な何かなのか、それともシミュレーション仮説に基づいた……いや、やめておこう。
考えてもわからないことは考えるだけ無駄だ。
人間にはわかることとわからないことってのがあって、わからないことってのはきっと永遠にわからないのだから。
法術の理論だって未知の部分のほうが多いらしいし。
俺たちにできるのは、ただ今を生き延びること、そして生き延びてほしい人を生き延びさせるためにあがくことだけなんだ。
今の時点でイアリー領まであと百五十キロ。
飛ばしに飛ばせば、あと二日もあればたどりつけるはずよ、とヴェルはいっていた。
もちろん、それはなにも邪魔が入らなかった場合の話で、邪魔どころかとんでもなく大きな障害が迫っていることに、俺たちはまだ気づいてはいなかった。