副題:レディの壁尻
若干の下ネタ注意、かもしれない。
石壁の中ほどから、白い尻が突き出ていた。
「……」
「そんな目で見ないでちょうだい……」
白いとは肌の色ではなく尻を包む白絹のズボンであり、石壁とは円卓の庭園に散乱する瓦礫の一つである。そして声の主は円卓の巫女にして夜渡りでもあるレディであった。
状況を整理しよう。
レディが、瓦礫に腰を挟まれて動けなくなっていた。
……どうしてこうなった?
▼△▼△
追跡者は、ひとり剣を研いでいた。
いくら研いでも磨いても、相棒たる大剣の刃は歪んだままだ。それだけ永い夜を共に戦い、それだけ多くの敵に叩きつけてきた。この身を駆り立てる執念と共に。
「……」
己とこの剣は同じだと思っていた。どれだけ傷つき、最後は折れて朽ち果てようと、それまでに夜と刺し違えればそれで良いと。この身に先が無いことも既に悟っていた。円卓の加護を失えば、その時に己も死ぬのだと。
構わなかった。望むところですらあった。事を成したその果てに、皆のもとへ逝けるというならば。
それで良かったのだ。そのはずだったのに。
――そう、このイヤリングは私の大事なもの
――いつか会いたい人へと続く道標なの
なぜ、いまさら。
俺の前に現れたりする。
――……事を成せば、お別れね
なぜ、また。
また、俺から奪うのだ。
「英雄サマ」
がたん、と剣と共に体が揺れる。
顔を上げれば、召使人形が静かにこちらを見下ろしていた。こんな近くに寄られるまで気付かなかったとは。……案外、己の最期とはそう遠くないのかもしれない。
「お忙しいところ申し訳ございません。どうか手をお貸ししていただきたく」
「……今は調子が悪い。他を当たってくれ」
「巫女サマが大変なのです」
「分かった、行こう」
案内された庭園には、既にいくつもの人影があった。
「巫女殿、本当にやるのか? 他に何か手は……」
「これだけ引っ張られても抜けないのだから仕方ないでしょう! ひと思いにやって!」
「力加減に、気を付けないとね」
「……」
どれも見慣れた姿に聞き覚えのある声ではあったが、どうにも様子がおかしい。特にレディの声が切羽詰まっており、足を速めて、そして。
「……は?」
そしてそこに、瓦礫に挟まれたレディの尻を
頭と目の前が、真っ赤に染まる。
「――お、まえ何をして……ッ!?」
何を考えるより前に体は剣を抜き、だがその前に黄昏色の刃が突きつけられる。音もなく立ちふさがった剣士――執行者は、無言で妖刀を構えていた。
「あぁ英雄サマお待ちください! 誤解です!」
「……まあ無理もない、どうか落ち着いてくれ」
「まず話を聞いて、ね?」
「ちょっと! 彼だけは呼ばないでと言ったでしょう!?」
がしゃがしゃと追ってくる召使、嘆息しつつ棍棒を下ろす守護者、やんわりと窘める隠者、叫ぶレディ。状況は追跡者が理解できる範囲を超えていた。完全に。
「誰か説明してくれ……」
頼むから。
最初に異変に気付いたのは執行者だったという。いつものように絵画と向かい合っていたところ、庭園の奥から物音が聞こえたのだと。刀に手をかけつつ見に行くと、その先で。
「あ……」
庭園に転がる瓦礫のひとつ、かつては窓であっただろう隙間から、レディの上半身だけが生えていた。
執行者は固まった。
「……」
「……あの、動けなくて、その……引っ張ってもらえるかしら」
無言でレディの肩を掴んで引っ張るも抜けず、ならば逆側からと足を引いても抜けなかった。瓦礫の隙間はレディの腰と両腕を挟み、その太さが
「か、彼だけは呼ばないで! お願い……」
「彼」が誰を指しているのかは執行者も理解できていた為、いま円卓にいる追跡者以外の面子を呼び寄せて今に至る……と。それらをわざわざ絵に描いて説明してくれた執行者に、追跡者は頭を抱えた。色々な意味で。
「なら、その棍棒は、まさか」
「あぁ、何か大きな物で尻を叩けば抜けるかもしれぬと、巫女殿が」
どこかで聞いた話だなと、追跡者を含めた皆が思っただろう。とにかく却下である。彼女は壺ではない。
「海賊さんがいれば、良かったのにね」
「しかし先生、こうも見事に嵌っていては力で解決できるかどうか……」
無頼漢、鉄の目、復讐者の三人は現在リムベルドへ向かっていた。……なんというか、この状況を楽しみそうな連中であったことは不幸中の幸いなのだろうか。痛み始めた頭を押さえている間も、レディはひどく取り乱したままだ。
「彼は呼ばないでと言ったのに、どうして……!」
「しかし巫女サマ、
静かに窘める召使と、ぐぬぬと押し黙るレディ。三日目ということはつまり、夜の王を倒せても倒せなくても戻ってくるということだ。おそらく、復讐者のことを気にしているのだろう。彼女とあの少女人形は互いを
それはともかく、この状況をどう解決するかである。うんうんと皆で頭を悩ませていると。
「――ぬるぬる」
意味不明な言葉と、何より聞きなれない声に皆が顔を上げる。声の先にいたのは、執行者だった。鎧から覗く唇が薄く開き、また。
「――なにか、ぬるぬるした物は、無いだろうか」
意外と渋い声だなとか、喋られるなら最初から口で言えとか、そのような事を指摘している場合ではない。守護者も、ふむと嘴を撫でた。
「なるほど、滑りを良くすればあるいは」
「しかし、ぬるぬるした物ですか。たとえば?」
「――獣血、生き壺の中身、大ナメクジの粘液」
「やめてやれ」
良い案を出してくれたことには感謝するが、具体的な方法が悍ましすぎる。それらを塗りたくられることを想像したのか、レディも顔を青褪めさせていた。
ぽん、と隠者が手を叩く。
「蕩けたキノコ、があれば油を抽出できる」
さすがの知恵者であった。いつも書庫でウトウトしているだけではなかったらしい。追跡者はこの魔女に対する認識を改めた。
「さすがです魔女サマ。して、そのキノコはどこに?」
「
「ちょうど地変も起きている。この風向きを逃す手はない。貴殿も来てくれるか」
「――承知」
そこから先は早かった。三人はすぐさま霊鷹に掴まってリムベルドに向かい、召使は抽出の準備をしておく為に円卓へ戻る。
庭園には、追跡者とレディだけが残された。
「……」
「そんな目で見ないでちょうだい……」
まず己は兜をかぶったままであるし、そもそも見ていたのも彼女の顔ではなく尻であったのだから、そんな目とはどんな目なのだろうか。とりあえず尻からは目を逸らした。
「それで、何があったんだ」
状況は見ての通りだが、そもそもどうしてこうなったのか。当然の問いに対し、レディは仮面に隠された目を泳がせながら。
「……笑わないでくれる?」
「あぁ」
「呆れない? 怒らない?」
「分かったから、はやく聞かせてくれ」
もはや怒る気もしなければ、呆れることもできない。ましてや笑うなど。それにしても、レディの言動がだんだんと幼くなってきていた。この状況に相当まいっているのかもしれない。
まるで、あの頃のような。
「だって……いつもは通れたのよ」
曰く、いつもこの庭園で訓練していた。瓦礫を飛び越え、潜り抜けて敏捷性を鍛えていたのだと。戦いの中で彼女が見せる華麗な身のこなしは、日頃の鍛錬の賜物だったのだ。だが今日に限って、隙間を通り抜けることができなかった。
「あなたが、あんなにパンを焼くから……っ」
「パン?」
確かに「あの時」から、己がピタパンを焼く機会は増えた。いつも彼女が美味そうに食べてくれるから、という理由も確かにある。だが、それとこれと何の関係が……?
その時、追跡者の第六感がろくでもない答えを閃かせた。
「つまり、これはそう、あなたのせいよっ!」
「勘弁してくれ……」
頭を抱えながら、彼女の上半身の隣で腰を下ろす。二人分の溜息が虚しく空気へ溶けていった。
そのまま、しばらく無言で時がすぎた頃。
「……あ」
ふと、レディが顔を上げる。仮面の奥の眼差しは、円卓の奥を見ているようだった。
「どうした」
「夜の王の気配が……消えたわ」
つまり、今回の出撃は成功したということだ。夜の根絶へと一歩近づいた。喜ばしいことだ。本来であれば。
途端にレディが身を捩りだす。
「まずい……皆がもう帰ってくるじゃない!」
「おい待て落ち着け、あいつらがキノコを採ってくるまで下手な真似は」
「間に合わないわよ! あの子にこんなところ見られたら、いったい何を言われるか……!」
彼女の中で復讐者は悪役の令嬢か何かなのだろうか。まあ確実に呆れて辛辣なことを言ってはくるだろうが、その後はなんだかんだ世話を焼きそうな気もする。無頼漢も得意のお節介をはたらくだろう。鉄の目は……よく分からない。
自棄になったように暴れるレディをどうしたものかと、ただ見ているしかできない追跡者の前で。
ビリィ! と、絶望的な音が響いた。
「「…………」」
そっと、瓦礫の反対側を覗く。もう微動だにしないレディの下半身、その尻を包む白絹のズボンが、大きく破れ、その奥に――
そっと、無言で、追跡者は己の外套を被せた。
「……見た?」
「……見えていない」
「なら、どうして隠したの」
「……」
じっとりと見上げてくる視線から目を逸らす。目を逸らして、ただ空を見上げることしかできない。
どうしてこうなった。どうすれば良い。誰か教えてくれ。頼むから。いや本当に。
そんな事ばかり、考えて。
ぐす、と嗚咽の声で我に返った。
「な……」
レディの仮面から、透明な雫が零れていた。白い頬を伝い、ぽたぽたと草地へと落ちていく。
「泣く、ことはないだろう」
「っ、だって……っ」
両腕を挟まれた彼女は涙を拭うことも、顔を覆うこともできない。ただただ、涙を流し続けていた。
どうすることもできず、どうすれば良いのかも分からず、ただ「外すぞ」と一方的に告げて、銀の仮面を手に取る。
常に目元を覆っていたそれを外されても、彼女は何の抵抗もしない。少女のようにしゃくりあげる嗚咽だけが続く。
「――……、……――」
隠されていた翠色の瞳は、泣きたくなるほどに美しく、そして、懐かしかった。
その双眸からはまだ、ぽろぽろと涙が幾筋も流れていく。
「だって、私はもっと、良いところを見せたいのよ……あなたに、もっと」
「俺に?」
「私は巫女で、淑女で、もっと優雅で……ちゃんと、ちゃんと出来るって、なのに……っ」
それは彼女の本心だっただろうか。それとも、取り乱した末の戯言だっただろうか。己などには分からないのだ。夜と戦うことしか知らない、こんな己には。
「なのに、なんであなたには……いつも、みっともないところばかり!」
「そんなことは」
「どうせ、私のこと、食い意地の張った女だって思ってるんでしょうっ!?」
「食い……は?」
涙は流したまま今度はひどく恨めしそうな目で睨んでくる。こんな馬鹿馬鹿しい状況とはいえ、彼女はやはり相当に参っているらしい。ひどく情緒不安定だ。
おそらく「あの時」の、己が眠っている間にピタパンを食べていたことを言っているのだろう。たしかにあの時、目覚めた瞬間、パンで口をいっぱいに膨らませていた彼女の姿を見た時……。
「そんなことは、ない」
「嘘よ、笑ってたくせに……!」
あれで笑うなと言う方が無理な話だ。もう二度と会えないと諦めていた片割れの――妹の、あんな可愛らしい姿を見て、笑わずになど。
だが断じて、
「泣くな」
「泣いてない……っ」
指先で涙を拭おうとして、未だ手甲を着けたままだったと気付く。両手とも脱ぎ捨てて、兜も庭園へ投げ捨てる。
久しぶりに感じた外気は、存外に心地よかった。
「泣くんじゃない」
そのまま、彼女の顔を隠すように、抱きしめた。
「お前はよくやっている。巫女としても、夜渡りとしても」
右手で髪を撫で、左手で背をさする。震えのなくなった体は、ただ華奢だった。
「みんな見ている。お前は、しっかり頑張っていると、みんな分かっている」
今の彼女にできることはひどく少ない。抱きつく代わりのように頭をこすりつけてきた。その頭を、また撫でる。
「……笑わない?」
「あぁ、誰も笑わない。もし笑う奴がいたら、俺が叩きのめしてやるさ」
「だから、もう泣くな」と、腕の中の存在が泣き止むまで。
そんな己は、かつての「兄」へと。この一時だけでも、戻ることができただろうか。
それはもう、誰にも分らないことだったのかもしれない。
▼△▼△
どれぐらい、そうしていただろうか。
もう嗚咽は聞こえず、夜渡り達もまだ戻ってこない。静かな風の音だけが庭園に鳴り、その中で抱いたままの彼女が。
「……ねえ」
ようやく聞こえた声はいつも通りに澄んでいた。そろりと腕を離し、ふたりの熱が名残を惜しむように空気へ還っていく。
「――」
「――」
互いに素顔で見つめあい、翠の双眸に、郷愁とも悲哀ともつかない色を見つけてしまって。その前に伏せられた瞳に睫毛の影がかかった。
「
「あぁ」
「あなたも」
「……あぁ」
彼女の目元を再び仮面で覆い、己も兜で顔を覆う。そうすれば、二人ともに巫女と夜渡りに戻ることができた。
少なくとも、今は。
「その、ごめんなさい」
手甲を着け直しながら顔を向ければ、そこにはもう円卓の巫女がいた。……格好はともかくとして。
「面倒をかけたわ。だから、ごめ……あぁ、えっと」
ふと、彼女の唇が泣き出しそうに震えて見えて。
「ありがとう、――」
言葉の後に小さく呟かれた声は、鳴る風にまぎれて聞こえることはなかった。
「それと、言いにくいん、だけど」
続けられた言葉は、なぜかひどく震えていた。
「も、もう我慢、できない、かも……っ」
「……なんだって?」
これまで幾度となく死線を超えてきた第六感が告げていた。これはひどい窮地であると。
小刻みに震えるレディの顔面は蒼白で、ダラダラと冷や汗が止まらない。尋常ではない様子に、無理な体勢のせいで体に何か異常をきたしたのかと焦燥が巻きあがり、だが。
「どこか痛むのか? 腹か?」
「お願いだから察して! 言いたくない!」
「……!」
必死に過ぎる声に狼狽え、同時に察する。
人間なら、いや生物なら決して避けられない生理現象だ。馬鹿馬鹿しいと言ってしまえばそれまでの、だがこの上ない緊急事態でもあった。
どうする。どうすれば良い。手伝う? いや待て馬鹿か。いっそ一人にした方が。だがその後は?
答えは出ず、考えは纏まらず、時間も待ってくれない。そうこうしている内にレディがガクガクと震えだし、無慈悲な現実は更に追い打ちをかけてくる。
「うそでしょう……!」
遠く、霊鷹の鳴き声が聞こえたのだ。夜渡りの帰還の合図。どちらの組だろうか、いやここに至ってはどちらも同じでしかない。
もはや退路は消えて失せた。活路は前にしか無い。
肚をくくれ。
がちん、と左腕の楔を装填し。
「やるぞ、覚悟を決めろ」
「そんな……ちょっと、待って……!」
「信じろ!」
瓦礫とはいえ、それなりの大きさ。崩れれば石材の下敷きになり、その衝撃でどうなるかも分かったものではない。だが他に選択肢など無いのだ!
「俺が守る! どうにかしてやる!」
「――ぁに――」
そこから先は聞こえなかった。
咆哮と共に放った楔が瓦礫へと突き刺さり、衝撃と炎が炸裂し、そして――
▼△▼△
「いやあ今回は大活躍だったな嬢ちゃん! 俺や大剣の兄ちゃんも顔負けだぜ!」
「えぇい放せ鬱陶しい! いつもいつも無駄に大きな得物ばかり寄こしおって、わたしを何だと思っている!」
「その小さい成りでどう振っているんだ? 躰に何か仕掛けでもあるのか?」
「ある訳あるか! どいつもこいつも馬鹿ばかりか! ……何事だ?」
夜の王を見事に討伐した夜渡り達であったが、帰還してすぐに円卓の雰囲気がおかしい事に気付いた。いつもなら真っ先に出迎えてくる巫女がおらず、他の戦士たちの気配も無い。召使人形の姿すら見えないのだ。
つい今しがたの騒がしさが嘘のように押し黙った三人は足早に円卓を通り過ぎ、更に奥の庭園へと出て、その先で。
「英雄サマ、その調子です! さあ引いて! もう一度!」
「おい待てやめろ! 腕がもげる!」
「油が足りないのか? 先生にもっと作っていただくか……」
「――無念」
瓦礫の山に押しつぶされた追跡者を引っ張り出そうとしている円卓の住人たちがいた。しかも何故か、追跡者の鎧も衣装も油まみれだ。ひどく、ぬるぬるしている。
呆然とするなという方が無理な話だ。
「……あー、そのなんだ、……何があったんだ?」
三人を代表して無頼漢が遠慮がちに声をかけ、守護者と執行者と召使が一斉に顔を向けてくる。表情の分かりにくい面々であったが、それでも疲れた様子がありありと伝わってきた。
無言のまま答えない彼らに代わって、地に伏せたままの追跡者が一言だけ。
「……察しろ」
「無理を言うな」と、三人の意見はこの上なく一致した。
見上げた空は白々しく晴れており、今は隠者に世話を焼かれているだろう彼女の無事に安堵する。
馬鹿馬鹿しいと言ってしまえばそれまでの、どうしようもなく平穏な日のことだった。