坩堝の騎士と絵描きの話。すべて捏造。
苦しく、追い詰められてこそ、眠れる力が引き出されることがある。
人はそれを、奇跡と呼ぶ。
その罪人は、ひどくよく喋る女であった。
「見たまえよ、あの荘厳なる姿を。至上の絶景であると、遠い我が故郷まで名が轟くのも頷ける。自分で言うのも何だが、生来の出不精であるこの私が旅をするなど、自分でも信じられないのだ。今こうして、遠い狭間の地まで遥々と来られただけでも、奇跡か悪い冗談としか言いようが無いね」
つらつらと並べられる口上は、おそらく騎士に向けられたものなのだろう。だが当の女はこちらを見向きもせず、聳え立つ黄金樹に向かってしきりに指を向けている。両手の親指と人差し指で象った四角形。それを覗き込むその意味を、騎士は知らない。
「だがそれを何だね君たちは。あの姿にここまで魅せられている私が、黄金樹を侮辱した? まずあり得ないし、身に覚えもありはしない。更には言うに事を欠いて、罰として右手を切り落とす? 冗談はやめてくれよ、そんな事をされたら絵筆も握れないし、我が友を振るうこともできないじゃあないか」
絵筆。いつの間にか見上げていた黄金樹から視線を下げれば、女の傍らには古めかしい
そう、この女は絵描きであったのだ。
そして同時に、殺人者でもある。
「――だから、斬ったのか」
はじめて騎士が兜の奥で口を開き、はじめて女が口を閉じる。
そのまま、くるりと振り返った女の顔。蜜のような色合いをした肌は、如何なる顔料よりも鮮やかな赤で彩られていた。起伏に乏しい異国の顔立ちはだが、それ故に怖気を覚えるような美しさも帯びている。
「然りだ! 刃には刃で応える、我が故郷では
それはそれとして喋れたのかい、お客人。そこの彼らは皆そろって問答も無用とばかりに斬りかかってきたものだが」
地にまで視線を下げれば、王都の騎士鎧に身を包んだ屍が四つ転がっていた。なるほど、ならばこの処刑の任が騎士に下されたことも道理であろうと……そう、己に言い聞かせる。
腰の大剣に手をかけようとして、手が固まる。何故ならば、罪人たる女が既に構えていたからだ。
細身の、片刃の長刀。執拗なまでに研ぎあげられた刃が、黄金樹の輝きを映している。
「抜きなよ、お客人」
結論を言えば、騎士と女の剣技は互角であった。
大剣の重さで守りごと叩き斬ることを旨とする騎士の剣に対し、女の剣は流水そのもの。生半可な盾なら容易く粉砕する騎士の剣戟をことごとく弾き、流していく。あの刀身と細腕でそれを可能にするなど、そこにどれだけの技が込められているのか。これだけの技が生み出されるまでに、女の故郷ではどれほどの血が流されたというのか。
密かに戦慄する騎士の体幹がわずかにぶれ、女はそれを見逃さない。鎧の隙間を正確に狙った刃が急所を貫こうとして。
「――“尾よ”」
突如として騎士に「尾」が生えた。赤みがかった黄金の光で成されたそれは、だが確かな重さを以て刀を打ち据える。薄ら笑みを浮かべていた女の顔が、はじめて歪んだ。
「――“角よ”」
「あ゛……っ」
それで終わりだった。再び放たれた騎士の切り札――坩堝の諸相が女の矮躯を弾き飛ばし、アルタスの草花を散らしながら転がって止まる。光角が身を貫くことこそ無かったが、女は仰向けのまま起き上がることはなかった。
「あーぁは、ははっは……、いや口惜しい……」
何がおかしいのか笑う女の首に剣を添える。断頭台の如く振り上げてもなお、女はただ騎士を見上げていた。
「描きたかったなぁ……黄金樹を」
騎士は、剣を下ろした。
「……お客人?」
怪訝そうな女の声にも答えないまま、戦いの余波で倒れていた
「――描け」
騎士の姿を、ではない。
黄金樹を、だ。
「――せめて、待ってやろう」
処刑人たる坩堝の騎士と、罪人たる絵描きの女。
二人の奇妙な時間は、こうして始まった。
▼△▼△
女は相変わらずよく喋り、騎士は相変わらず寡黙なままであった。
「我が故郷では、万物に魂が宿ると言われていてね。特に長く永く使われた道具はそれ自体が意思を持つそうだよ。それこそ、茶碗や箸……箸って分かるかい? この地にはあったかな? まあ良いか。とにかくそんな些細な物であっても例外は無い。私たちと同じように意思も言葉も持つのさ、聞こえずともね」
口ばかり動かさずに手を動かせと、そんな小言を口にしたのも最初だけだ。こうして喋り続ける間にも女の目と筆は黄金樹と
「そして私はなんというか、そういう声を聞くことに長けていたんだ。幼い頃は巫女だとかなんだとか祭り上げられもしたが、まあ退屈だったよ。寺の奥に押し込められて、客人の一人も来やしないんだから」
「いま思えば、疎まれていたんだろうなぁ」と、乾いた笑いを漏らす女の顔を騎士は見ようとは思わなかった。他と異なるモノは神聖視されるか、異端として排斥される。そのどちらにも違いはなく、そしてどの地も同じなのだろうと。
「そんな私をいつだって慰めてくれたのが、絵筆とこの友さ!」
考えに耽っていた騎士は、女の声が
「――おい」
「この友は私の古い馴染みでね。不吉な妖刀だと言われて死蔵されていたところを勝手に拝借したんだ。こうして握るだけでどう振れば良いのか教えてくれたものだから、私もすっかり剣客の端くれさ。そういう意味では師でもあるのかな? ちなみに銘は、」
「――はやく、描け」
「おいおい構わないだろう運動ぐらい? もう分かっているだろうけれど、私はこうして口か体を動かしていないと考えの一つも纏まらないんだ。黄金樹の構図もね。
……それともお客人、私が友とばかり話しているからってまさか妬いて」
無言で振り下ろされた騎士の剣を、女の刀が弾き流す。
そんな事すら、日常の一部となってしまった。
「この地と我が故郷は似ているね。どちらも、王が力を以て国を成した。元あったモノを斬り捨て、焼き払って新たに築き上げた。力こそ王の故……だったかな? そういうのは嫌いじゃないよ。好きでもないけれど」
雨が降り、濃い霧によって黄金樹が隠されては何もできないと、あばら屋で女はただ喋る。こうして絵筆も刀も握っていない時の女は、本当にただか細いだけの娘に見えた。
「あの地では、皆が血なまぐさい狂気を孕んでいる。死に、狂っているのさ」
この地では、どうなのだろうか。
かつて黄金樹の敵は全てであった。数知れぬ戦いと勝利によって、それは律となった。その影で、無数の死と滅びが生み出されたことは何の疑いもない。
「どこも、同じだったかぁ」
黄金樹に魅せられて旅してきたと。そう語った女の言葉に嘘は無いのだろう。
他に理由など無いとは、語らなかったが。
黄金樹は着々と描き進められ、だが遅々として完成はしない。
二人の奇妙な時間は、まだ続いていた。
「怒らないで聞いてほしいのだがね。はじめて黄金樹を見た時、また声が聞こえた気がしたんだ。でも、その声は、どうしようもなく……
万死に値するであろう女の言葉を、騎士はただ聞いていた。手にした大剣も抜かないままで。
それこそが、女の罪であったのだ。
「絵描きにも剣客にも成り切れなかった、こんな私の戯言だ。だがそんな私でも、確かに解ることがある」
いつかのように、くるりと振り返った女の顔。
糖蜜のような肌は色とりどりの顔料でどうしようもなく汚れていて。
だが、それでも。
その、笑みは。
「あの黄金樹は――こんなにも美しい!」
その笑みは――こんなにも。
黄金樹は描き続けられ、時間は砂のように崩れていく。
「これを、君に」
女にしては言葉少なに手渡された物。それは女が「友」と呼んで憚らない、刀であった。
「ところでお客人。私の処刑の期限は
刀を受け取ろうとしない騎士を、女がじつと見上げる。兜で隠された双眸と目があったのかは、分からなかった。
やがて、女がいつものように薄らと笑う。
「まあ、いつでも構わないけれどね! ただ私と君の仲だ、処刑のやり方ぐらいは注文させてくれて良いだろう?」
垂れ下がったままだった騎士の手に、女が刀を握らせる。
そうして、切っ先を、薄い腹に当てた。
「
急所ではあるが、死には至らない。そんな箇所。
何故、そのようなと。そう、尋ねる前に。
「我が故郷の作法さ。自刃の際は、首ではなく腹を切る。切り方にも色々とあってね、ものによっては
まあとにかくだ! その時は、君が、この
それが……私の望み」
女は罪人。
騎士は処刑人。
その最後は最初から決まっていた。
是非も無い。
だが。
「――その前に」
「あぁ、あぁ分かっているとも! ちゃんと描きあげるさ言われなくても! 別にわざと遅く描いているわけじゃないんだからな! 勘違いしないでくれたまえよっ!
まったく嫌だねこれだから唐変木は! 剣の扱いの前に乙女の扱いを学ぶべきなのはどこの地も変わらないひぇっ!?」
女の声が素っ頓狂に引きつった理由は、騎士の手によるものであった。
無骨な手甲に覆われた指が、後ろから女の腹をつつと撫でていた。
切れと望まれた箇所を、なぞるように。
「……くすぐったい」
女の手は刀でも絵筆でもなく、騎士の手を握る。
その手も体も、唇も。
はじめて見た時より、ずっと儚かった。
黄金樹は変わらずそこに在り、黄金樹は完成しない。
それでも、時間だけは血のように滴っていた。
「あぁ……貴公か」
女と出会って幾度目かの朝。
処刑の期日が過ぎて幾度目かの朝。
あばら屋を訪ねた騎士の前に、騎士がいた。
「遅かったな、事はもう済んだぞ」
同じ、坩堝の騎士。名は、なんと言ったか。
「愚かな罪人だった。異邦人の分際で、黄金樹を侮辱するなど」
同じ、処刑人。
別の、処刑人。
次の、処刑人。
「せめて潔くあれば良いものを……おのれ、命乞いなどしおって」
赤で彩られた
赤に塗れ、赤く塗りつぶされた黄金樹。
点々と続く赤。赤く染まったあばら屋。
赤く、赤に、赤の、赤が。
女、が。
「おのれ、おのれ……何故、我らがこんな。王よ、我らは誇り高き、なぜ……」
黄金樹は変わらず在り、だが全ては変わってしまった。
女王は乱心し、戦王を放逐した。
誉ある坩堝は、秩序なき穢れたとされた。
騎士から処刑人へと身をやつしてなお、それでも騎士は騎士であろうとした。
「……何の、真似だ?」
変わらないものなど無い。
永遠である筈の黄金律すら、不変ではなかったのだから。
過ぎたものは、もう還らないというのに。
「騎士の誇りを、忘れたか……!」
騎士は、もう騎士ではなかった。
処刑人ですらなかった。
女の客人にも処刑人にも成り切れなかった男は、ついに何者にもなれなかった。
男はただ、刀を握った。
刀の声が聞こえずとも、ただ鮮烈な意思だけが男を駆り立てていた。
「――抜け」
騎士の屍を踏み越え、あばら屋へと入る。
女の屍は、蹲るように丸まっていた。
全身に刻まれた傷跡。特にその細腕と背中に、いくつもの傷が。
「――あぁ」
万物の声など聞こえずとも、男には理解できてしまった。
女は、死を受け入れてなどいなかった。
死にたくないと、必死の抵抗をした。そうして最期には、平伏して命乞いまでした。
そうしてまで、生きようと、していた。
「――あ、あああ」
腹を切られたいと語った女は、背を刺されて死んだ。
黄金樹を描きたいと語った女は、黄金樹を描けないまま死んだ。
男にこそ殺されたいと、そう語った女は……。
「――あぁああ、あ……」
黄金樹は変わらず在る。
変わらない物など無いというのに。
そうまでして、在り続けると、いうならば。
アルタスの高原に風が吹く。
風が吹き、雨が降り、夜が来る。その律と理のままに。
二人と一振り。そこにはただそれだけがあった。
刀を、握る。
――黄金樹よ、生命の坩堝よ
――変わらぬまま在り続けるというならば
――その律を、見せてみろ
刀を振り上げ。
男は、女は、刀は。
――お前の奇跡を、見せてみろ!
アルタスの高原に血潮が舞う。
すべてが終わった後、二人と一振りだけがそこに残った。
その全てがどうしようもなく血塗られていたとしても。
人はそれを、奇跡と呼ぶのかもしれない。
▼△▼△
その円卓は、ひどく賑やかな場であった。
「なあ貴殿らよ……この円卓には立派な訓練場が設えられていた筈だが、何故わざわざ食堂で戦ったりしたのだ?」
「酔った勢いでやった」
「今は反省している」
「おい、わたしは関係ないぞ! このデカブツと緑頭が勝手にだな……」
「往生際が悪いわね、それでも貴族?」
「お手伝いさん、直せる?」
「えぇ、えぇ問題ありませんとも。ただし当分の間は椅子も机も使えませんが……」
「どうでも良いが、他所でやってくれないか。いま焼きあがるところなんだ」
がやがやがやがや。
いつもの喧噪と時には剣戟と爆音まで聞こえてくるが、
黄金樹は、未だ完成しない。
「いつ見ても見事なものだな。この黄金樹も、貴殿の筆使いも」
「こんなでっけえ樹が本当にあったとはなぁ。良い灯台になっただろうにな、ガハハ!」
「私は、見たことがある」
「それは本当ですか魔女サマ?」
「前から思っていたが、アンタいったい
「死んでおけ! この戯けが!」
「反省なさい」
「おい静かにしてやれ。人の趣味を邪魔するものじゃない」
無口な戦士の言葉に、更に無口な剣士は首を振った。
円卓でも特に騒がしいこの場で絵を描くことには理由がある。「彼女」のように言葉を繰れない執行者にとって、この喧噪は必要なものであったから。
かたりと、腰の「友」……「陽掴」が震えた気がした。同時に、白い少女人形が硝子の瞳を向けてくる。
「いま……何か言ったか?」
ふるりと首を振れば、人形は元の喧噪へと戻っていく。執行者もまた、意識を目の前の黄金樹へと戻した。
絵筆を握る前に、手で腹の傷跡をなぞる。「彼」のように。
「くすぐったいよ」と、「彼女」の声が聞こえた気が、した。