純狐の息子は二度目の生で母を追う   作:四国の探索人

103 / 122
希望の回帰

ざわつく怒号が響き渡る。

こころへと詰め寄る群衆は、恐怖と怒りに支配され、もはや理性を失っていた。

その光景を見て、ぬえは小さく息を呑む。

 

「……仕方ない。人里で使うのは嫌だったけど――」

 

目を閉じ、両手を広げる。

次の瞬間、ぬえの身体から淡い闇が広がり、まるで霧のように広場全体を覆った。

 

「――“正体不明の目眩まし”」

 

世界が、ぐにゃりと歪む。

人々の目には、隣に立つ者の姿が次々と別人に変わって見えた。

 

「お、お前……なんでここに……!?」

「母さん……? いや、違う!」

「ヒィ! 許してくれぇぇ!」

 

それは幻覚でもあり、記憶の投影でもあった。

人々は“最も強く心に残る存在”を互いの顔に見てしまい、混乱の中で足をもつらせ、逃げ惑う。

 

早苗もまた、その混乱に飲み込まれていた。

「諏訪子様!? どこに行かれたんですか!?」

 

すぐ隣にいるというのに、彼女の目には諏訪子の姿が見えない。

 

「早苗! 目の前にいるって! 何、あんたも引っかかってるのかい!」

 

「へ? 声だけ聞こえる……!? まさか、敵の術!?」

 

諏訪子はため息をつき、頭を抱えた。

「まったく……ぬえの能力は、人も神も区別なく惑わせるねぇ」

 

混乱の渦が人里を覆う中、ぬえは振り返らずに叫ぶ。

「さっ! 今のうちに行くわよ!」

 

諏伯は頷き、走り出す。

「早苗も騙されてるのか……! 仕方ない、今は退くしかない!」

 

三人――諏伯、ぬえ、こころは混乱に乗じて人里の外へと走り抜けた。

しかしその背に、ひときわ鋭い声が飛ぶ。

 

「これは……封獣ぬえの能力、ですね」

 

豊聡耳神子は一歩も動じていなかった。

彼女の耳は、幻影を見せられても“真実の音”を聞き分けていた。

 

「人里の者たちは騙されていますが――私の耳は誤魔化せません!」

 

金色の光が閃き、神子は駆け出す。

その速度は疾風のごとく、目眩ましの霧すら切り裂く勢いでぬえへと迫る。

 

「逃がしませんよ、封獣ぬえ!」

 

刹那、金属がぶつかる甲高い音が響く。

 

ガンッ!

 

「――兄上! ここは私が何とかします!」

 

錫杖を構え、寅丸星が神子の刃を受け止めていた。

火花が散るほどの力のぶつかり合い。

 

「寅丸! ありがとう!」

諏伯の声に、寅丸は一瞬だけ笑みを浮かべた。

 

「お礼は後で! 今は行って!」

 

神子は寅丸を睨みつける。

「邪魔をする気ですか!」

 

「当然です!」

寅丸が言い切った瞬間、神子は身体を捻り、強烈な蹴りを放つ。

寅丸の身体が宙を舞い、石壁へと叩きつけられた。

 

「寅丸!」

しかし、倒れたと思われた寅丸の前に、白蓮が音もなく降り立つ。

 

「寅丸、手伝いますが大丈夫ですか?」

 

「はい……まだ、やれます!」

 

白蓮は視線を神子に向ける。

その瞳には慈悲と覚悟が同居していた。

 

「確かに、この異変の根はあの子にあるかもしれません。

 ですが――彼女に“悪意”は感じられません。ならば、通すわけにはいきませんね。神子さん」

 

神子は口元を歪める。

「……妖怪側に肩入れ、ですか。聖白蓮。あなたらしい」

 

「ええ。信仰とは、守るためにあるものですから」

 

「では、壊して差し上げましょう」

神子の瞳が鋭く光る。

「――“道教”の正義で!」

 

次の瞬間、二人の導師が激突した。

光と闇、信仰と理念がぶつかり合い、広場の空が一瞬だけ白く弾ける。

 

 

 

 

地底へと続く洞窟は、湿った空気と共に熱を帯びていた。

三人の足音だけが響く。岩肌に反射する音は、まるで誰かが奥から囁いているかのようだった。

 

ぬえが後ろを振り返りながら声をかける。

「諏伯、なんか足取り遅いけど……大丈夫?」

 

こころが隣で首をかしげる。

「“嫌がっている感情”を感じる。地底、苦手?」

 

「……苦手な妖怪が多いんです。」

 

そう答える諏伯の顔を、こころはじっと見つめた。

「今の、嘘の感情。隠し事?」

 

「はぁ……参りましたね。前回来たとき、危険な妖怪を“殺そうとした”んです。少し、気まずい。」

 

ぬえが苦笑する。

「あー……お空の時ね。まあ地底じゃ争いなんて日常茶飯事でしょ。向こうも気にしてないわ、多分。」

 

そうして三人は、淡い光の中を抜けていく。

やがて、熱気の向こうに巨大な屋敷――地霊殿の影が見えてきた。

 

 

---

 

部屋の扉を開けると、静寂の中で一人の少女が彼らを待っていた。

第三の目を光らせる、古明地さとり。

 

扉が開くなり、彼女の瞳がほんの少しだけ細まる。

「……あら、私のペット・お空を殺そうとした諏伯さん。こんにちは。今日は何のご用で?」

 

その言葉に、諏伯の顔が一気に青ざめた。

罪悪感が表情からも感情からも漏れ出している。

ぬえが軽く手をかざす。

 

「そこまでにしておきなさい。」

 

さとりは微笑を浮かべ、軽く肩をすくめた。

「ふふ、すみませんね。心を読んだらあまりにも罪悪感が強かったので、つい弄ってしまいました。

 安心してください。気にしていませんよ。あの時は――状況が状況でしたから。」

 

諏伯は息をつき、話題を変えるように問う。

「……妹はどこに?」

 

「私にもわかりません。」

さとりは目を閉じ、静かに首を振った。

「無意識の存在ですからね。夕飯には戻ると思いますけれど……案外、近くにいるかもしれませんよ。」

 

「近く?」

 

諏伯が首を傾げたその瞬間――

 

「ばあっ!」

 

突如として目の前に現れた少女の声。

諏伯は驚きのあまり尻もちをつく。

 

「ははっ! 驚いた驚いた!」

 

その少女――古明地こいしは、お面を手に笑っていた。

そのお面こそ、こころが探し求めていた“希望”だった。

 

「希望の仮面……! それにその姿……我がライバル!」

 

「そこにいたのね、こいし。」

姉の声に、こいしは満面の笑みを浮かべる。

 

「うん! この人たち、私を探してたみたいだったから――ずっと一緒にいたの!」

 

「……気づかなかった。」

諏伯は呟き、ぬえも苦笑する。

 

「私も……いつからいたの?」

 

「えっとね、ぬえさんと諏伯さんがこころちゃんに声をかけるところから!」

 

「最初からじゃないの!」

ぬえが呆れる。

 

「だって、気づいてくれなかったんだもん。私の能力、勝手に発動しちゃうんだよ。」

 

諏伯は小さく頷いた。

「なるほど……ぬえの“正体不明”は、私に影響する能力だから加護で防げた。

 でも、こいしさんの無意識は“私に影響しない”から、見えなかったわけですか。」

 

「はい! じゃあこころちゃん、これ返すね。」

こいしは笑顔のままお面を差し出す。

「この人驚かせて満足したし!」

 

「我が……お面。帰還なり……!」

こころはお面を胸に抱き、光を放った。

仮面が元の位置に収まった瞬間、眩い輝きが地底から幻想郷全体へと広がる。

 

やがて、地底の空気が柔らかく変わる。

異変は終息した。

そして、また新たな日常が――幻想郷に訪れた。

 

 

 

 

幻想郷の広場。あの混乱の後、ようやく人々の表情に笑顔が戻っていた。

希望の光が戻ったことで、街の色がまるで春のように鮮やかになっていた。

 

豊聡耳神子は人々の様子を見つめながら、静かに扇を閉じた。

「……ふむ、結果的に私の説法は空振りでしたね。」

 

背後から命蓮寺から解放された布都が駆け寄ってくる。

「太子様! 異変は収束したのですな!? 我が命蓮寺を燃やそうとした甲斐が――」

 

「布都」

神子の一言で、布都はすぐに正座する。

「……すみません太子様。」

 

神子は少しだけ笑った。

「まあいいでしょう。

 しかし――人々の希望がこれほどまでに変化をもたらすとはとは、少々考えさせられますね。」

 

その隣で、屠自古が風に揺れる木々を見上げていた。

「今回は作戦通りとはいきませんでしたね。」

 

神子は目を細める。

「なに、異変を解決しようとする様を人々に見せられただけで十分ですよ。マイナスではありません。」

 

神子の口元に、静かな微笑が浮かんだ。

 

 

 

 

白蓮は、夕陽の中で寅丸と並んで立っていた。

寺の前では、子どもたちが笑いながら走り回っている。

 

「希望が戻って、みんなの心も明るくなりましたね。」

 

寅丸は頷きながら空を見上げた。

「はい。……酒も、美味しく戻りました。」

 

「寅丸、、後で正座です。」

 

白蓮はため息をつくが、その目は優しい。

「けれど、あの太子さんも、本当は幻想郷を案じての行動でしょうね。

 信仰とは、形が違えど“誰かを救いたい”という心の現れです。」

 

 

 

 

山の上では、早苗が掃除をしていた。

傍らでは諏訪子と神奈子がちゃぶ台を囲み、茶を啜っている。

 

「いやー、あの時は危なかったねぇ。危うく私達まで敵扱いされるとこだった。」

「早苗、少し焦りすぎたな。」神奈子が笑う。

 

早苗はモップを握りしめたまま振り返る。

「だって、あんな堂々と人前で宣伝されてたら、神職として黙っていられません!」

 

「うんうん、その心意気は大事だよ。」

 

早苗は目を細め、微笑んだ。

 

「さあ次こそは我が守矢による信仰を集めましょう!」

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。