「……阿求。犯人って、誰なんだ」
諏伯の問いに、阿求は一度だけ小さく息を吸った。
その表情は、個人ではなく記録者のものだった。
「稗田阿礼の時代に、聞いた話があります。
当時の帝が、こう語っていたと――」
言葉を慎重に選びながら、阿求は続ける。
「“捕縛した諏伯を、天人様より授かりし要石にて封印した”と」
その瞬間、場の空気が凍りついた。
まるで風そのものが止まったかのようだった。
「……天人?」
諏伯が、低く繰り返す。
諏訪子は腕を組み、遠い記憶を探るように言った。
「私も噂話くらいでしか知らないけどね。
最大級の要石は、地球の生物の大半を絶滅寸前まで追い込んだ――
なんて話がある。……その“天人”のことだろうさ」
「私なりに調べましたが……」
阿求は静かに首を振る。
「分かったのは、“神々や天人が住む場所”という程度。詳しい記録は、意図的に伏せられているようでした」
諏伯は諏訪子を見る。
「母さん、何か心当たりは?」
諏訪子は苦笑する。
「私は地上の土着神だよ。天人なんて、立ち位置的には真反対さ。影も形も分からない」
その言葉に、諏伯は小さく呟いた。
「……空の上、か」
誰ともなく、全員が同時に空を見上げた。
「さてと……どうやら、皆さんお集まりのようで」
唐突に響いた声に、その場の全員がびくりと肩を跳ねさせた。
「げっ……地獄の閻魔」
「今は説教を受ける時間じゃないぜ……」
「私が現れたら説教しかしない、という前提は心外ですね」
間の抜けた声が続く。
「説教以外……してるんすか?」
「……小町。怒りますよ?」
「やだなぁ、冗談っすよ冗談」
諏伯が慌てて話題を戻す。
「えっと……映姫様。どうされたんですか?」
映姫は表情を引き締め、一歩前に出た。
「今回は、私たちが動く案件です。犯人が天人――本来なら、我々が地獄へ連行すべき存在」
一瞬だけ、悔しそうに視線を伏せる。
「それを今まで放置していた。……不甲斐ない限りです」
「ま、坊やたちがここまで辿り着いたからさ。
あとは連れて行くだけってわけ」
諏伯が眉をひそめる。
「ありがたいですが……どうやって?」
「それはな、あたいの能力を使って――」
「小町。今は説明しなくていいです」
ぴしゃりと遮り、映姫は続ける。
「諏伯は連れていきます。
ですが、全員は連れて行けません」
「地獄の人たちがやるって言うなら……私は遠慮しとこうかしら」
「博麗の巫女!
あなたは異変解決が仕事でしょう!」
「それなら最初から“来い”って言いなさいよ」
映姫は一瞬考え、小町の方を見る。
「小町の限界から……残り一人ですね。洩矢諏訪子、霧雨魔理沙、藤原妹紅。誰が来ますか?」
「あー、私はパス。
地上離れると力落ちるしね」
「私もやめとく。阿求を里に送り返さないと」
少し間を置いて、魔理沙がニヤリと笑った。
「じゃあ、私が行くぜ」
空の上と、地の底。
異変は、ついに“天”へと向かう。
「では――私は閻魔としての仕事がありますので、後は小町。任せましたよ」
そう言い残し、映姫は踵を返す。
「へいへい。さすがに今回はサボらないっすから、安心してくださいな」
「……いつもそうだといいのですが」
最後に一言釘を刺し、映姫の姿はその場から消えた。
「結局、閻魔は帰るのね」
霊夢が肩をすくめる。
「まあまあ。あの人は本当に忙しい方ですから」
諏伯が取りなすように言うと、魔理沙が周囲を見回した。
「で、結局どうやって天界まで行くんだ?
空の上って言っても、相当距離あるだろ」
小町がニヤリと笑う。
「それが、アタイの能力ってやつさ。
天界まで数千キロ? 関係ないね」
小町は軽く地面を踏みしめる。
「距離を操る。
……ほら、全員。試しにジャンプしてみな」
半信半疑のまま、一同は跳んだ。
次の瞬間――
足元の感覚が消え、空間そのものが引き伸ばされる。
景色が歪み、雲を突き抜け、気づけば――
「……着いたろ?」
足元には雲海。
幻想郷の気配は、もはやどこにも感じられなかった。
「……幻想郷が、見えないわね」
「ここが天界か……本当に雲の上なんだな」
「天人たちは……どこに――」
その瞬間。
「――雷撃!!」
真上から、光が落ちた。
「うおっ!? ……あれ、ちょっと痛いだけ?」
「距離をいじったのさ。
どんな攻撃でも、距離があれば威力は落ちる(とはいえまさか攻撃が減衰してるといえ当たるとは。)」
余裕たっぷりに小町が言う。
「ふむ……初撃では落とせませんでしたか。
さすがは地獄の船頭」
空に響く声。
「いやいや、褒められると照れるねぇ。
――竜宮の使いさんよ」
「……永江衣玖です」
雷雲を背に、衣玖が静かに姿を現す。
「地獄の船頭、人間二人……それに神の子」
「随分と好戦的じゃないかい」
「地獄の者が天界に来たとなれば、
天人の命を狩りに来たと判断するのが筋でしょう」
「ははっ、まあ否定はできないね」
衣玖は一瞬沈黙し、それから問いかけた。
「……それで。今回は何用ですか?」
「地上で要石が割れている。製作者が天人なら、心当たりがあるんじゃないかと思ってね」
衣玖の表情がわずかに曇る。
「私は何も聞いていません……ですが――
もし関係があるとすれば……」
その言葉を遮るように、陽気な声が響いた。
「そのとーおりっ!!」
衣玖は深く溜息をつく。
「……総領娘様。さすがに、何もしていない地上の民を危険に晒すのはおやめください」
「ほら、地獄の人まで来てしまいましたよ」
雲の上に立つ少女――比那名居天子は、悪びれもせず笑った。
「仕方ないじゃない、衣玖。
この天界、退屈なんだもの!」
「地上を見てても、みんなのんびりしてるだけ。
もっと人間らしく、本気で生きてるところが見たかったのよ」
「だから――地震を起こしたの」
「……随分と自分勝手な理由だな」
魔理沙が呆れたように呟く。
天子は視線を移し、諏伯を見る。
「それにね……まさか幻想郷にいるとは思わなかったわよ。――洩矢諏伯」
「……私、ですか?」
「天人の間では有名よ。
“平安京の悪夢”の時、要石に封じられながらも、生きて戻った存在」
天子は楽しそうに微笑む。
「ずっと一度、戦ってみたかったのよね」
その言葉と同時に、天界の空気が、確実に張り詰めた。
諏伯は、天子を真っ直ぐに見据えた。
「……勝ったら、異変は止めてくれますか?」
天子は一瞬きょとんとした後、楽しそうに笑った。
「天人に勝つつもり?
まあ、勝つって言わなくてもいいわ。私が満足したら止めてあげる」
そして、何かを思い出したように指を立てる。
「――と、その前に。戦うなら地上がいいわね」
「理由を聞いても?」
「決まってるでしょ。貴方、土を操るじゃない」
天子は雲の下、遥か地上を指差した。
「得意な地形で戦わせてあげるわ。どうせ私が勝つんだし、ハンデよハンデ」
諏伯のこめかみに、わずかに青筋が浮かぶ。
(……この娘)
(絶対に、ボコボコにしてやる)
次の瞬間、二人の姿が雲の縁から消えた。
迷いも躊躇もなく、地上へ向かって落下していく。
風を切る音が、天界に残された者たちの耳を打った。
「……こりゃ、最初から天界に来る必要なかったね」
小町がぽりぽりと頭を掻く。
「小町、地上に戻るわよ。距離、いじって」
「行きはいいけどさ、帰りはゆっくりにしな。坊やは死なないからいいけど、あの勢いのまま落ちたら、地面に突き刺って痛いよ?」
「それは困るわね」
衣玖は深く頭を下げた。
「……総領娘様の件、申し訳ありません」
誰も返事をしない。
視線の先では、雲を突き抜けていく二つの影が、地上へと向かっていた。