霊夢と天子が守矢神社へ降り立つと、境内には諏訪子が待っていた。
夜の冷たい風が吹き抜け、神域にはどこか嫌な静けさが漂っている。
「おや。霊夢と……隣の子は誰だい?」
霊夢は眉をひそめたまま、天子を指で示す。
「今回の異変の元凶。……だったんだけど、それどころじゃなくなったわよ」
諏訪子は口元だけで笑った。
だが、その瞳は笑っていない。
「あー……なんかさっきから、胸の奥がざわつく感じがしてたんだよ」
霊夢は短く息を吐き、天子へ顎をしゃくる。
「ほら、天子。説明」
天子は腕を組み、少し不満げに言う。
「私はただ、諏伯から回収した力を、そのまま返しただけよ。
それで急に暴走して……戦闘してただけで、別に悪いことはしてないわよ」
諏訪子の目が細くなる。
「回収した力……? 何を回収したんだい」
天子は一瞬言葉に詰まり、視線を逸らす。
「……分からない。でも本人が、様子が変わる前に言ってたわ。“純化の力”って」
諏訪子は深く息を吐いた。
「なるほどね。純化の加護か」
霊夢が首を傾げる。
「本人の力なら、別に問題なくない? 自分のものでしょ」
諏訪子は首を振った。
「本人が纏ってる分にはね。
でも、“攻撃として返された”なら話が違う」
霊夢が苛立ち混じりに促す。
「違うって、どう違うのよ」
諏訪子は言葉を選びながら続ける。
「純化ってのは、迷いを削って、目的を単一にする。
敵と見たら、排除だけが残る――そういう類の力だよ」
霊夢の顔が険しくなる。
「……つまり、あいつ今、誰でも敵扱いしてるってこと?」
「たぶんね」
諏訪子は少し黙り、苦い顔で続けた。
「しかもあの子の純化は、本人だけのものじゃない可能性がある。
前世の母親――純狐さんの力が混ざってるかもしれない」
霊夢が眉を寄せる。
「純狐……?」
その瞬間だった。
どこからともなく、冷たい気配が境内に降りる。
黒い影が、音もなく現れる。
月の光すら拒むような、研ぎ澄まされた存在感。
「純粋なる力は、他者からの干渉を受けにくくする」
霊夢が即座に構える。
「……誰よあんた。勝手に神社に出てきて」
「諏伯の前世の母です」
諏訪子が肩をすくめる。
「純狐さん、早いね」
「加護が異常な経路で揺れた。気づかない方が難しいわ」
純狐は天子を見て、淡々と言い切った。
「あなたが返したそれは、私の“純化”を攻撃として引き出した。
今の諏伯は“敵の排除”だけを優先し、誰彼構わず倒そうとしているでしょうね」
天子はムッとし、前へ出る。
「ならもう一度、緋想の剣で吸い取ってやるわよ。
私がやったんだから、私が片付ける!」
純狐はわずかに首を傾げた。
「無理じゃないかしら。
剣の効果を否定する気はないけれど――私の加護を無に帰すほど吸えば、剣が持たない」
諏訪子が不安げに尋ねる。
「純狐さんは、どうにかできないの?」
純狐は一瞬だけ視線を落とし、それから静かに答えた。
「……元を辿れば、私と同じ力。
今回は私が、皆さんに迷惑をかけないようになんとかします。」
天子がさらに食い下がる。
「なによ! 私がやるって言ってるでしょ!
こんな楽しい久しぶりの戦い、邪魔しないでよ!」
その瞬間――
バキッ!!
霊夢の拳が天子の頬を捉えた。
「ぐふっ……!」
天子はよろけ、そのまま膝から崩れ落ちる。
「卑怯……がくっ……」
気絶した。
諏訪子が乾いた笑いを漏らす。
「……巫女って怖いねぇ」
霊夢は拳を払って、純狐を見る。
「どうなるかは知らないけど、あの力は間違いなく厄災よ。一刻も早くなんとかして」
純狐は小さく頷いた。
「ええ。息子がご迷惑をおかけしました」
そして諏訪子へ視線を向ける。
「諏訪子さん。少しだけ、紙と筆を借りても?」
「いいけど……何を書くんだい?」
純狐は紙と筆を受け取ると、迷いなく文字を綴り始めた。
その背中は静かで、凛としている。
だが――どこか“覚悟”の匂いがした。
諏訪子は胸の奥に、嫌な予感が沈むのを感じる。
(何か不都合があるのかは分からないけど……
犠牲を受け入れる母親の顔をしている)
書き終えた純狐は、手紙を折りたたみ、諏訪子へ差し出した。
「はい。ありがとうございました。
この手紙、諏伯が目覚めたら渡して下さい。
それまで……盗み見しないで下さいね」
「……分かったよ」
純狐はそれだけ言うと、夜の空気に溶けるように姿を消した。
霊夢は肩の力を抜き、境内を見回す。
「これでなんとかなりそうね」
諏訪子は手紙を握ったまま、笑わなかった。
「……だといいけど」
一方その頃。
純狐は諏伯のいる戦場へ辿り着いていた。地面には倒れる永江衣玖の姿。
暴走する諏伯は、目の前に現れた純狐でさえ“敵”として認識し、襲いかかる。
(やはり……純化の力で暴走している)
純狐は息を吐く。
(あの天人……やってくれたわね。けれど――)
純狐は一歩も退かず、諏伯へ手を伸ばした。
「伯封。母さんが分かる?」
答えはない。
ただ、殺意だけが返ってくる。
純狐は諏伯の胸元に手を当てた。
「大丈夫、私はお母さんよ。」
その言葉と同時に、諏伯を包んでいた黒い霧が、純狐の手へ吸い寄せられていく。
まるで戻るべき場所へ帰るように。
(元は私の力……問題なく回収できている)
だが――回収が進むほど、純狐の表情が僅かに歪んでいく。
胸の奥から、古い感情が湧き上がってくる。
押し込めていたはずの憎悪。
消したはずの恨み。凍らせたはずの復讐心。
純狐の瞳に、かつての“神霊”の光が戻り始める。
「……ふふ」
唇が笑いの形を作る。
「憎しみが……恨みが溢れてくる」
純狐は自分の内側を確かめるように呟いた。
「伯封を殺された後に抱いていた、あの感情……
また私は、復讐の神霊へ戻るのでしょうね」
最後の黒い霧が消えた瞬間、諏伯は崩れるように倒れた。
気絶しただけだ。命はある。
純狐は諏伯の身体をそっと地面に横たえ、静かに髪を撫でる。
「……でも、あなたは元気でね。伯封」
純狐は立ち上がる。
そして指先で空間を裂くように、扉を開いた。
仙界へ続く裂け目。
純狐は一度だけ振り返り――
何も言わず、扉の向こうへ消えた。
仙界。
空は高く、澄みきっている。
だが純狐の中には、澄みきるどころか濁りきった激情が渦巻いていた。
そこへ、気怠げな声が降ってくる。
「……あれ、純狐。早い帰りね。終わったの?」
振り向けば、ヘカーティアがいた。
純狐はゆっくり顔を上げる。
その瞳は、先ほどまでの母のものではない。
「ヘカーティア」
声が低い。冷たい。
そして――純粋だった。
「私はやるぞ」
ヘカーティアの表情が変わる。
「……何を?」
純狐は笑った。
あまりにも静かに、あまりにも恐ろしく。
「あの憎き月の民を――消滅させる!!」
仙界の空気が、一瞬だけ軋んだ。
暴走した純化を取り込んだ純狐は、再び復讐を始める。
それは諏伯を救うための回収が――
次の戦争の引き金になったということだった。