数日後。
仙界での療養を終えた諏伯は、純狐の判断を経て「もう大丈夫」と太鼓判を押され、久しぶりに幻想郷へと帰還した。
まずは自宅へ、と足を運んだのは守矢神社。
山の風と匂い、なじんだ空気に思わず肩の力が抜ける。
境内に差し掛かったその時、正面から気配を察知した誰かが走ってくる。
それは他でもない、諏伯の「もうひとりの母」のような存在、八坂神奈子だった。
「ケガは……大丈夫そうだね。」
「ああ、一生分の傷を負った気がしますけど、今はもう大丈夫です。」
軽口を交えた返事に、神奈子の表情が緩む。
そこへ少し遅れて、奥から早苗が駆け寄ってきた。
「ちょっと神奈子様! 紫さんに負けたばっかりなんですから、まだ寝ててくださいよ!」
「バカっ、それは言うなと……!」
「もう、諏訪子様が全部話してますよ。私を口止めしても無駄ですからね?」
「……諏訪子、あれほど恥ずかしいから言うなって言ったのに……」
神奈子はぶつぶつと呟きながら顔を手で隠すようにして、奥の部屋へと引っ込んでいく。
「私のために戦ってくれた神奈子さん、すごく格好良いと思いますよ!」
その諏伯からの言葉に神奈子の背中がぴたりと止まり、少し肩を震わせる。
そして顔を隠したまま、早口で吐き出すように言った。
「もう恥ずかしいから寝てくる。それ以上言うな。」
「お布団、敷いておきますね~」
早苗がにこにこしながら後を追っていく。
部屋の出入り口に手をかけながら、神奈子はちらりと振り返り、低い声で告げた。
「そうだ、諏伯。戻ってきたばかりで悪いが、妹紅のところへ行ってやってくれ。」
「え?」
「いつものことなんだが、“諏伯がいなくなったのは輝夜、お前のせいだ!”って言い出してな。
竹林で暴れてる。さっき一度頭を叩いてやったが、全然聞かなくてね。あの子、気が立ってる。お前の無事な姿を見せてやれば、落ち着くはずだ。」
「……分かりました。行ってきます。」
そう言って諏伯は、ふたたび足を竹林のほうへと向けた。
戻ってきた幻想郷には、やはり騒がしい日常が、変わらずにあった。
迷いの竹林に足を踏み入れた諏伯は、誰の案内も受けずに進んでいた。
だが幸いなことに、遠くから響いてくる騒がしい爆音と怒声が、行き先を示していた。
永遠亭が近づくにつれ、その声はますます鮮明になる。
「クソが……クソが……クソが!! 許してたまるかよ、輝夜!」
竹林に響き渡るのは、妹紅の怒声と荒々しい炎の爆発音。
業火を纏った彼女が、感情を剥き出しにして輝夜にぶつかっている。
「お前らのせいでな! 兄さんが帰ってこなかったら、どうするつもりだったんだよ!
たとえ死ななくても、心が壊れるんだよ!」
対する輝夜は、明らかに力を抜いて相手をしている。妹紅の感情を真正面から受け止めるように。
「……別に、私だって行かせたわけじゃ――」
「うるさいっ! 元をたどれば、兄さんと付き合ったお前のせいだろ!
周りからの信用を得るために“恋人ごっこ”を演じやがって!」
後方から永琳が口を挟む。
「それでも彼自身が選んだことよ。永夜異変の時もそうだったでしょう?」
「分かってるよ……でも! でもな……!
あの時、私が止めていれば――! あの人は、私にとって……!」
叫びの最後はもはや言葉にならなかった。
妹紅の怒りは、悔しさと、自分への無力感に満ちていた。
――そのときだった。
「妹紅!」
名を呼ばれた瞬間、暴れていた彼女の動きがピタリと止まる。
目を見開き、声の主を確認する。
「……帰って、これたの?」
静かな声に、永琳が息を吐く。
「まったく……聞く耳も持たなかったのに。」
言葉の通り、妹紅は永琳の声を無視するように走り寄り、諏伯にぎゅっと抱きついた。
「兄さん……! 月に囚われて、もう戻ってこないかと思った……!」
諏伯も、戸惑いながらもそっとその背を叩く。
「ただいま、妹紅。」
ようやく場が静まったのを見て、輝夜が袖で汗を拭いながらぼやいた。
「やれやれ、ようやく収まったわね……」
「相当荒れてましたね。庭も廊下も……あと鈴仙が泣いてましたよ?」
「鈴仙に後で直させるから、いいわ。――それより……」
輝夜はすっと諏伯のもとに歩み寄ると、ふいに表情を真剣にする。
「諏伯。あなたが月に行ってる間、こっちは大変だったのよ。
妹紅の怒りに、純狐の面会、永琳の胃痛。……なにより、あなたを信じて待ってる時間が一番、堪えたわ。」
「すみません……」
「それにね、私との約束、覚えてる?」
「え……?」
「永夜異変の時に“私を守る”って言ったでしょう? ちゃんと守ってもらわないと困るのよ。だから……いなくならないで。」
小さく、けれど確かにそう告げた輝夜の声に、諏伯はまっすぐ頷いた。
「はい。――もう、黙ってどこかへ行ったりしません。」
妹紅、輝夜、永琳――
それぞれの想いが交差する静かな竹林に、風がそっと吹き抜けていった。
横で修復作業に絶望する鈴仙の姿もあった。