純狐の息子は二度目の生で母を追う   作:四国の探索人

91 / 122
早苗との半日

諏訪子に言われるがまま、その日は早苗と連れ立って外出することとなった。

 

朝の霧がまだ残る山道を、二人は肩を並べて静かに歩いていた。木々の間を抜ける風と、遠くで響く鳥の声が、辺りの静けさを際立たせていた。

 

「……いくら、諏訪子様に言われたとはいえ、朝からこれは大変でしたね」

 

早苗が小さく笑うと、諏伯もどこか疲れたように肩をすくめた。

 

「まったく……母さんも、千年相手が出来ないからと、息子にはあれこれ言ってくるんだから」

 

「でも、ちょっと不思議なんです。どうして、今までお相手がいなかったんですか?」

 

早苗の問いに、諏伯は足を緩め、少し空を見上げた。

 

「……必要がなかったんです。……いや、作れなかったんでしょうね」

 

「不老不死なんて、結局は呪いみたいなもので。相手を好きになったところで、必ず別れが先に来る。……気がつけば、時間の感覚も曖昧になって、最後には――姉の最期にも立ち会えませんでした」

 

早苗は一歩先に出てから、ふと振り返る。言葉を慎重に選ぶように、静かに訊ねた。

 

「……その方のこと、好きだったんですか?」

 

「……家族として。優しくて、明るくて、面倒見がよくて……。ただ向こうは私が帰らなかったこと、恨んでいたかもしれません」

 

「私は、その方を知りません。でも……本当に“姉”のように思っていたのなら、きっと――恨みじゃなくて、心配していたんだと思います」

 

その言葉は、不思議と胸に響いた。気休めではなく、まっすぐな優しさがそこにあった。

 

「……そうだと、いいですね」

 

二人の間に沈黙が落ちる。風がひときわ強く吹き抜け、木々が揺れ、落ち葉が足元を横切った。

 

しばらくして、早苗がふと足を止めた。

 

「あの……」

 

「ん?」

 

「私が、初めて諏伯さんに会った時。私に“姉さん?”って、言いましたよね」

 

「……うん」

 

「私って……その方に、似てましたか?」

 

諏伯は静かに、でも確かに頷いた。

 

「……とても、よく似てました」

 

早苗は少しだけ視線を落とし、それから、そっと笑った。

 

「だったら、今日は――私のこと、お姉さんだと思っていいんですよ。“命ある限り、そばにいますからね”。守矢神社の巫女として、ですけど」

 

その言葉に、胸の奥が静かに波打つ。まるで、かつて同じ言葉を告げてくれた声が、今そこに重なったようだった。

 

「……姉さん。帰らなかって……ごめんね」

 

それは、いつか言えなかった後悔。二度と届かない、祈りのような言葉だった。

 

自分でも驚くほど自然に口をついて出たその一言に、諏伯は我に返り、慌てて言い直す。

 

「あっ、ごめん、今のは……忘れて」

 

けれど、早苗はその言葉をさえぎるように、そっと微笑んだ。

 

「大丈夫です。貴方が家族のことを、忘れるなんてできないでしょう?」

 

「……」

 

「その方と、私が似ているのなら――たぶん、今みたいなことを言ってたんだろうなって。そう思います」

 

諏伯はそれ以上、何も言えなかった。

 

ただ、俯き、そっとポケットから財布を取り出し、震える手で差し出す。

 

「……ごめん。ちょっと……小遣い渡すから、何か、好きなもの買ってきて」

 

「……はい、わかりました」

 

早苗は、それ以上は何も言わず、静かに立ち去った。

 

その背を見送りながら、諏伯は一人、近くのベンチに腰を下ろした。

 

誰もいない公園の片隅で、木々の隙間から差し込む光が静かに揺れていた。

 

そしてそのまま、声を殺して――

誰にも見られぬように、ひとり、そっと涙をこぼした。

 

 

 

少しの後一人ベンチで俯いていた諏伯のもとに、誰かの足音が静かに近づいてくる。

 

「戻りました。はい、これ、どうぞ」

 

差し出されたのは、柔らかな白い手ぬぐいだった。

 

「……あくびが長かったみたいですね。ほら、涙、出てますよ?」

 

それは明らかに気遣いの言葉だった。

泣いていたことにあえて触れず、「あくび」と言い換えるあたり、こういった場面に慣れているのだろう。

諏伯は内心で感心しながら、それを受け取る。

 

「……ありがとう、早苗」

 

「どういたしまして」

 

そう返す早苗の笑顔は、いつもよりどこか優しく、そしてほんの少しだけ頼もしく見えた。

 

「さて、私はこれから布教活動があるので、ここでお別れしましょうか。安心してください、夕方には神社に戻ります。諏訪子様にはちゃんと“二人で過ごした”って報告しておきますから」

 

「……一緒にいるの、嫌だった?」

 

不意にこぼれた問いに、早苗は少しだけ驚いたような顔をしたが、すぐに照れくさそうに笑って、ぶんぶんと首を振った。

 

「いえいえいえ! そんなことないです。むしろ、もっと一緒にいたいくらいですけど……ちょっと用事を思い出しただけなんです。女の子の用事なので、詮索は禁止ですよ?」

 

「……そう。分かった。あまり人里の人たちに迷惑はかけないようにね」

 

「布教活動ですってば。迷惑なわけないじゃないですか」

 

そう言って軽く手を振りながら、早苗はくるりと背を向けて歩き出す。

 

その背を見送りながら、諏伯はゆっくりと深呼吸をし、涙の跡を手ぬぐいでそっと拭い去った。

 

 

その頃、早苗は人通りのない小道に入り、小さく息をついた。

 

そして、ぽつりと呟く。

 

「……いつも穏やかで、落ち着いてて、頼れる諏伯さんが……あんなふうに泣くなんて」

 

誰もいないのを確認してから、彼女の口元がふにゃりと緩んだ。

 

「……癖になりそう、かも……」

 

くすくすと笑いが漏れる。

 

「今日だけは……私の方がお姉さんだった、かな……。ふふっ、もっと甘やかしてあげたくなりますね、諏伯さん」

 

頬を軽く押さえながら、嬉しそうに歩き出す。

 

「……ああいう顔、好きなのかも……。でも見せたの、私だけって思いたいな。誰にも見せてほしくない……」

 

そして最後に、笑顔のままぽつりと――

 

「……やっぱり、来てよかった」

 

風に揺れる葉音が、彼女の声を優しくさらっていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。