早苗と別れた諏伯は、まだ日が高いこともあり、稗田家へ足を向けた。
門を通ると、顔パスの彼はそのまま屋敷へ通される。
畳の部屋で筆を走らせていた阿求は、諏伯の姿を見るなり筆を止め、にやりと笑った。
「これはこれは、我が友・洩矢諏伯。本日のご用件は……妹紅さんとのおめでた報告ですか?」
「……昨日の新聞、読んだんですね」
「もちろん。幻想郷の歴史を記録する者として、“重要案件”は見逃せません」
「重要……?」
「ええ。守矢神社の後継者に春が来た――これは歴史的出来事です。後世の誰かが、“あの諏伯にも恋人ができた日”と読み返すわけです」
「勝手に歴史に刻まないでください……」
「じゃあ事実確認。手を繋ぎ、夕刻まで二人きりで過ごし、神社に一緒に戻った――合ってますね?」
「……大枠では。でも内容が盛られすぎです」
「ふむ、“盛られすぎ”ということは一部は事実、と」
「……その言い方やめてくれませんか」
阿求はくすくす笑い、扇で口元を隠した。
「冗談です。けれど――もし本当に妹紅さんがそういう気持ちを持っていたら、あなたはどうします?」
「そんなこと、考えたこともないです」
「……それは逃げですよ。我が友」
阿求は真剣な目になる。
「縁を結ぶことで人は強くも弱くもなります。あなたは長く生きすぎて、それを避けてきた。でも、誰かに必要とされるのは悪いことじゃないはずです」
「……阿求、阿礼と言うべきか、いつになく説教くさいですね」
「説教じゃありません、助言です。誰かが背中を押さないと、あなたはずっと同じ場所に立ち続けますから」
「……考えておきます」
阿求は頷き、筆を置く。
「では次に――諏伯、あなたと私は稗田阿礼の頃からの旧知ですよね?」
「ええ」
「貴方の母君を除けば、私ほど長くあなたと関わってきた者はいません」
「まあ、そうですね」
「問題は、私の能力。一族郎党が絶えない限り転生を続けますが……代々、寿命は短い」
「千年も机に向かって書き続けてきたせいじゃないですか?」
「うっ……余計なお世話です。ともかく、このまま一族を続けてもいいのですが……もっと確実に寿命を延ばす方法があります」
「……運動でも始めるんですか?」
「いえ。あなたの血を稗田家に取り込めばいいんです」
「……おい、阿求。その目でこっちを見るな」
「いいじゃないですか。こう見えても私は名家のお嬢様で、そこそこ人気もあります。あなたとの関係も深い。条件は悪くないでしょう?」
「いや……男なのにそんな話を――」
「うるさい。男だったのは千年前の転生前ですよ。今は女です。それに、男も女も経験した私にとって、性別は重要じゃありません。私の性別は“稗田阿礼”なんです」
「はぁ……」
「当時も今も、男色文化があるじゃないですか。私が男でも問題ない。これは性別じゃなくて、好意の問題です」
阿求はさらりと言い切った。
諏伯はしばし沈黙し、溜め息をひとつ吐いた。
「あー……今、溜息しましたね?」
「……しましたけど」
「まだ私のこと、“体は女でも心は初代の男だろ”って思ってるんじゃないですか?」
「……いや、そんなつもりは――」
「いいですよ! そっちがそう思うなら、私が女だって証明してやります!」
畳をバンッと叩いて立ち上がる阿求。
その勢いに、諏伯は思わず半歩下がった。
「ちょっ、何言って……落ち着けって! 落ち着いて下さい!」
だが阿求は止まらない。
すっと歩み寄ると、座っている諏伯の顔を両手で掴み、自分の胸元へ押し当てた。
「……この胸、肉付きは貧相かもしれません。でも、確かに女です」
押し当てたまま、阿求は声を震わせながら続ける。
「私は……初代の時は男だったかもしれません。でも、今はもう心だって……女なんです。想いだって持ちます。……あなたのことだって、ずっと考えています」
その瞳には、羞恥と覚悟とがないまぜになっていた。
「それでも……まだ、私を“男”だと思いますか!」
「……悪かった。阿礼――いや、阿求。確かに、もう“女”ですね」
阿求はわずかに肩を震わせ、けれども嬉しそうに目を細めた。
「……ふふ、分かればいいんですよ。それで……私からの提案、受け入れてくれるんですか?」
声は普段よりも低く、柔らかい。
筆を握っていたときの冷静さは消え、視線はまっすぐに諏伯を射抜いている。
「……その、貴方の血を稗田家に入れたいという希望を……もし、聞き入れてくれるなら――」
言いながら、阿求は少し身を乗り出し、諏伯の袖に指先をかけた。
微かに香の匂いが漂う。
「……抱き返して下さい。私なら……不老不死の貴方とでも、転生を重ねてずっと付き合えます。何番目でもいい……最古の付き合いの貴方と、これからも一緒にいられれば……」
最後の方は、ほとんど囁きだった。
頬には紅が差し、視線は伏せられている。
普段の阿求なら絶対に見せない仕草だ。
――返事を待つ間、阿求の指先は袖を離さない。
しかし、沈黙は長く続いた。
「……諏伯? 断っても構いませんから、何か……返事をください。保留でも……いいんです」
それでも反応はない。
不安が胸に広がり、阿求は袖を引く。
――そこにあったのは、袖ではなく、小さな人形。
「……え?」
隣には紙切れが一枚、置かれていた。
> お子ちゃまにはまだ早い。
諏伯は用事があるので預かる。
――封獣ぬえ
一瞬、阿求の顔から血の気が引き、次に一気に赤くなる。
「……あの女……ッ!」
立ち上がった阿求は、思わず自分の唇に触れた。
ほんの少し前まで、確かに返事を待っていたはずなのに――今はただ、悔しさと恥ずかしさでいっぱいだった。
「こんな……大事な場面で……持っていかないでくださいよォ!!」
畳を叩く手は、普段よりもずっと強かった。