諏伯が神社の玄関をくぐると、いつものように諏訪子が小さな体でぴょこんと顔を出した。
「おかえり~。で、早苗とはどうだった?」
諏伯は一瞬ためらったが、すぐに姿勢を正す。
「……母さん」
その真剣な声音に諏訪子は首を傾げる。
「ん? なぁに」
「真面目な話があります。神奈子さんにも、一緒に聞いて欲しいんです」
諏訪子は目を丸くしてから、にこりと笑う。
「ふぅん……。はいはい。神奈子~!」
奥から神奈子がのっそりと現れる。
「どうした? なんだってそんな改まって」
諏訪子が肩を竦めて言う。
「諏伯が真面目な話だってさ」
「真面目な話ねぇ……」神奈子は腕を組み、じっと諏伯を見る。そして口角を上げてから半ば冗談めかして問う。
「――まさか、彼女でも出来たのかい?」
その言葉に、諏伯は反射的に頬を赤らめ、視線を逸らした。
その様子を見た神奈子の表情が一変する。
「……えっ、本当に図星なのかい?」
横で諏訪子はクスクスと笑っている。
「で、相手は?」
深呼吸をひとつしてから、諏伯は口を開いた。
「……封獣、ぬえです」
途端に諏訪子はにこにこと目を細める。
「なるほどねぇ。実はね、今日早苗と外出させたのは、恋愛を少し意識して欲しかったからなんだよ。……まさかその日のうちに相手を見つけてくるなんて、母さんもびっくりだわ。やっぱり、きっかけがあれば早いもんだねぇ」
「……そんな理由で?」諏伯は苦笑を漏らす。
「別に、早苗とくっついてくれても母さんは良かったけどね。でも、あの大妖怪を選ぶとは」
諏伯は不安そうに眉を寄せた。
「その……やっぱり、ダメでしたか?」
神奈子はしばらく諏伯をじっと見つめ、静かに息を吐いた。
「……なに、私や諏訪子が相手を決めるような親だったら、とっくに婚姻先を押しつけているさ。そんなことはしない。自分で選んだからこそ意味がある」
諏訪子は頷きながら、にこりと笑う。
「そうそう。それにしても懐かしいねぇ。覚えてる? かつて諏訪の村にぬえを連れてきた時のこと。神奈子は“討ち取って帝に差し出せ”って強く進言してたんだよ」
神奈子は眉を寄せ、少し恥ずかしそうに口を挟む。
「昔の話を蒸し返すな……。だが確かに、あの時、諏伯はぬえを庇い、村への帰参を諦めた。指名手配される中でなお彼女と旅をした。……正直、私は苛立ちよりも、その頑固さに驚いたよ」
諏訪子はクスクスと笑う。
「ねぇ、あの時から好きだったんじゃないのかい?」
諏伯は真面目な顔で首を振る。
「……当時は、誰かと付き合うなんて考えもしていませんでした。ただ……昨日、母さん――いや、ある誰かさんが“相手を作れ”と妙にしつこく言ったせいで、過去を振り返ることになって。そこで気づいたんです。私はあの時から、ずっとぬえを大切に思っていたんだと。……好きだったんだと」
神奈子は目を細め、やがて大きく頷く。
「なるほど……諏伯なりの答えというわけだ」
諏訪子は腕を組み、嬉しそうに目を細める。
「ま、決まってしまえば話は早いね。母さんは反対なんかしないよ。諏伯が選んだ相手なんだから」
神奈子は勢いよく手を叩いた。
「さて!そうと決まれば盛大に祝ってやらないと……!」
諏伯は慌てて手を振る。
「待ってください神奈子さん! それは駄目です」
神奈子は首をかしげる。
「どうした、恥ずかしいのか? やってしまえばどうとでもなるもんさ」
「違う、違うんです」諏伯は真剣な顔で遮った。
「ぬえは“正体不明の大妖怪”です。派手に騒いで新聞にでも取り上げられたら、正体が盛大に知れ渡り、力を失うことになってしまいます」
神奈子は口を閉じ、なるほどと腕を組む。
諏訪子が代わりに頷きながら口を開いた。
「なるほどね。じゃあ身内だけだ。諏伯とぬえ、私たち二柱に早苗。あと妹紅に寅丸。これくらいかな?」
神奈子も指を折って数える。
「ふむ。加えるなら命蓮寺の連中くらいか。彼らは最初からぬえの正体を知ってる。問題はあるまい。……他に呼びたい者はいるか?」
諏伯は少し考え、静かに答えた。
「人里の稗田阿求をお願いします。……ただし天狗は出禁で。特にあの新聞記者だけは」
諏訪子は吹き出すように笑った。
「ああ、阿求ね。昔あんたと文通してた“本の虫”。……面白いメンバーになってきたねぇ」
神奈子はうなずきながら新たな問題を出す。
「よし、人選は決まった。問題は場所だ。うちでやれば必ず天狗どもに勘付かれる」
「命蓮寺はもっと目立つ」諏訪子が肩をすくめる。
諏伯が一歩踏み出して提案した。
「それなら……永遠亭にお願いしましょう。医療施設ではありますが、昔からの縁もありますし、きっと許していただけます」
神奈子は思案し、すぐに笑みを見せた。
「永遠亭か。悪くないな。けが人が集まる場所としても自然だ」
そのとき、障子の向こうから声が響いた。
「それなら!」
ひょいと顔を出したのは早苗だった。
「いっそ“命蓮寺と宗教で揉めて怪我人続出”って噂を流せばいいんです。そうすれば信仰獲得の口実にもなりますし、堂々と永遠亭に行けますよ!」
諏訪子は目を丸くして笑った。
「おお! それなら自然に理由が立つね!」
神奈子も満足げに腕を組む。
「決まりだ。諏伯は永遠亭に話を通せ。早苗は命蓮寺に。私と諏訪子は人里で適当に“宗教対立演説”でもしてくるさ!」
諏伯は永遠亭に向かう前に、仙界にて純狐に会った。
白く霞む空の中、彼女は静かに微笑み、諏伯を迎え入れる。
「……ふふ。顔色が変わったわね、諏伯。何か良いことがあった?」
「ええ。……報告があります。私、ぬえと……付き合うことになりました」
その言葉に純狐の目がぱっと開かれる。
いつも凪いだ湖面のような表情に、珍しく波立つ喜びが浮かんだ。
「……あら。それは、それは……本当に嬉しい報せだわ」
純狐は胸に手を当て、噛みしめるように言葉を続ける。
「一度目の生では貴方の成長を見届けられなかったけれど、二度目の生で――お付き合いまでするなんて。……私、もう思い残すことはないかもしれないわね」
諏伯は少し照れながらも微笑んだ。
「永遠亭でお祝いがあるんですが……母さんも、参加してくれますよね?」
純狐はその言葉にわずかに視線を伏せた。
「……ごめんなさい、諏伯。もちろん参加したいのよ。だけれど、あの医者と姫を前にすると……憎悪が、どうしても溢れ出してしまうの」
「……確かに、それはよくないですね」
「ええ。だから私は遠慮するわ。でも代わりに、ヘカーティアやクラピちゃん、華扇ちゃんを呼んで――私たちだけの小さなお祝いをしましょう」
「……分かりました」
純狐は諏伯に向けて穏やかな笑みを浮かべ、指先で空を撫でる。そこに淡い光の扉が開かれていった。
「ほら、準備もあるんでしょう? 行きなさい。……私はいつだって、あなたの幸せを願っているわ」
諏伯は深く頭を下げ、その扉へと歩み出した。