メジロ家の使用人やってます。あ、彼女募集中です。 作:shch
「…あの…ラモーヌ…ね、姉さん…じいやが淹れるのを見て…自分もお紅茶を淹れてみたんですが……よろしければ、飲んでくださいませんか…?」
「……あら、あなたが?……なら、いただくわ」
ラモーヌはそう言って、パタンと読んでいた本を静かに閉じた。
そして、学が運んできたティーセットに目をやり、優雅な所作でカップを手に取る。
カップに顔を寄せ、そっと香りを確かめるラモーヌ。
次いで、小さく息を吐くようにして口を開いた。
「……香りが、逃げているわね、蒸らしの時間……計らずに済ませたのではなくて?」
「……あ……は、はい…」
学はそう呟いて視線を落とす。
「学、あなたはまだじいやと違って貴方自身の明確な『所作』を知らない…美しい一杯は、正確さと敬意の積み重ね……まずはそこから」
「……はい、お言葉……ありがとうございます」
幼少期の学にとって『メジロラモーヌ』というウマ娘は一言で言えば「不思議な存在」だった。
同年代のパーマーやドーベルのように一緒に遊んでくれるわけでもなく、年上のアルダンのように優しく甘えさせてくれるでもない。
ただただ美しく…そしてどこか近寄りがたい、そんな空気を纏っていた。
表情の変化も乏しく、ラモーヌが何を考えているのかなど、幼い学には想像すらできなかった。
……カチャ
ラモーヌが静かに、ゆっくりとカップを口元へ運ぶ。
「……喉に、風味が残らない、それに温度も……少し低いわね」
静かに告げながら、ラモーヌは暗く沈み込む学の顔に目線を送り、ふと視線を合わせる。
「……ただ」
他のメジロ家のお嬢様たちと比べれば、明らかに接点は少なく、言動もどこか冷たい。
けれど…学は…
「……美味しかったわ、だって貴方が……私のために淹れてくれたものなんでしょう?」
「…は、はい!」
そんな姉が自分に見せるどこか優しい微笑みが大好きであった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
「これは酷い……右足がかなり熱を持っています」
「……そう」
メジロ家本邸の広い部屋の中央。
ベッドに腰掛けるウマ娘は『メジロラモーヌ』。
彼女に声をかけるのは、仰々しい白衣を着たメジロ家専属の主治医だ。
「ラモーヌ様。明日からのリハビリはもう少し軽いメニューにしましょう。今の内容は現在のラモーヌ様には負担が大きすぎます」
険しい表情でそう進言する主治医。
「……」
ラモーヌは無言のまま、思うように動かない自分の足を見つめていた。
「……ラモーヌ様。主治医として申し上げますが、やはり復帰は絶望的です。お言葉ですが……私は、リハビリそのものをやめてしまっても良いと考えております」
「それはありえない…私が進む道はそこではないわ」
ラモーヌの低く、短く切り捨てるような声。
するとそれを聞いた部屋の奥に控えていた執事長――じいやが、深く息をついて口を開く。
「……お嬢様。お嬢様がどれほど『レース』を愛し、覚悟を持っておられるのかは、長年お仕えしてきた私なりに理解しているつもりです。ですが……」
少し言葉を詰まらせてから、静かに告げた。
「今のように痛みに顔を歪めるお姿を、流石のこのじいやもこれ以上見ていたくはございません。どうか……引退をお考えくださいませ」
「じいや……あなたまで、そんなことを言うのね」
「貴方のチームトレーナーからも同じ意見を頂いております。……ラモーヌ様、貴方はもう十分頑張った、と」
史上初の完全三冠――三つの冠とその全てのトライアルを制した偉業。
二つ目の冠『オークス』以降、再発した右足の炎症に苦しみながらも走り抜いた当時のティアラ三冠目である『エリザベス女王杯』と直近の『有馬記念』。
前者は意地で勝ち取り、後者は力尽きたように惨敗した。
後者の走りを見たファンや関係者の多くが思ったに違いない。
――「もうメジロラモーヌは走れない」と。
「……」
ラモーヌは無言で足を睨み続ける。
主治医も、じいやも、ただ重い沈黙に呑まれていた、その時。
――バァン!!!
唐突に、勢いよく扉が開かれた。
「……はぁ、はぁ……ラ、ラモーヌ様!ご無事ですか!!?」
黒い学ランの少年が肩で息をしながら飛び込んでくる。
じいやは額に手を当て、深いため息を漏らした。
「……はあ…やはり来てしまいましたか。今は中学校で授業中のはずでしょう、学?」
「ラモーヌ様がリハビリ中に倒れたと知らせてきたのはじいやでしょう!?授業なんて受けている場合じゃありません!それよりも……」
彼の名前はお馴染み『九重 学』当時中学2年、メジロ家使用人まだ見習いだ。
「ラモーヌ様!お怪我は……炎症の悪化は!?俺…いや私はもう心配で心配で…」
ラモーヌの元に辿り着くや否や、心配そうに冷や汗を垂らしながら学はラモーヌに顔を寄せてそう言った。
「騒々しいわ、学。それほどのことではないわ。落ち着きなさい」
そんな学に対して冷たく言葉を返すラモーヌ。
「……あ、す、すみません。取り乱しました……ですが、よかった…大事ないと聞いて安心しました」
ラモーヌの言葉に学は慌ててその身を引くと、次に胸に手を当てて安堵の息をついた。
「……学。お前という子は……」
その時じいやが深くため息をつき、学に厳しい眼差しを向けた。
「先ほども申したでしょう?今は授業中のはず、主人を想う気持ちは理解しますが、メジロの人間として学業を疎かにするなど言語道断……この不始末、あとで大奥様にも報告せねばなりませんな」
「うぐっ……か、返す言葉もございません…」
じいやの言葉に学は肩を落としながら反省した様子で言葉をこぼす。
「…ラモーヌ様のことを考えればいても立ってもいられず…気付けば教室を飛び出してしまっていました…」
学は続けて口を開く。
「…ですが、間違いだとは思っていません。使用人である私にとっては…自身の授業なんかよりもラモーヌ様の方がよっぽど大切です」
「はぁ…これは次同じ事が起きても、同じことを繰り返しそうですね……」
まだまだ精神的に未熟な義理の息子の言葉を聞いたじいやは額に手を立てて小さくそう呟いた。
「これはもう本格的に大奥様に叱ってもらうしかありませんか…」
「そ、それだけはどうかご勘弁を!!あの方に叱られると俺は泣いてしまいます!」
そんなわちゃわちゃとしたやり取りをしているじいやと学の姿をベットの上に佇むラモーヌは…
「……」
目を細めて無言で眺めていた。
ラモーヌはじいやと主治医のやり取りをしばし見つめていたが、やがてふっと目を伏せて口を開いた。
「……紅茶が欲しいわ」
「……」
じいやと学が顔を見合わせる。
普段ならラモーヌの紅茶を淹れるなら腕の立つじいやが行う、だが今回はラモーヌの視線が明らかに学に向いていた。
どっちに言ったんだと顔を見合わせる2人に、ラモーヌは鋭く言い放つ。
「貴方に言ったわ、学」
名を呼ばれた学は、一瞬きょとんとしたが、すぐに深く頭を下げる。
「……かしこまりました」
ラモーヌは軽く手を振ると、視線をベッドから外さないまま告げる。
「じいやも主治医も、今日はもう下がって……気を遣わないで、私も…今日は安静にしておくわ」
「……承知いたしました」
ラモーヌの言葉に頭を垂れるじいやと主治医。
「それでは、私は紅茶の用意を」
学が部屋を後にすると、重厚な扉が音を立てて閉じる。
――広間に残されたのは、ラモーヌただひとり。
彼女の視線は、なおも動かない右足に注がれていた。
・
・
・
コンコンコン…
静かな廊下に軽いノックの音が響く。
「ラモーヌ様……お紅茶をお持ちしました」
「ええ。入りなさい」
返事を受け、学は扉を開けた。
ティーセットを乗せたワゴンを押し、静かに部屋へと足を踏み入れる。
視線を上げた先…壁一面のモニターに、青いターフを駆けるウマ娘たちの姿が映っていた。
学の視線は自然とそちらに向き、椅子に腰掛けたラモーヌは、その映像から一瞬たりとも目を離さない。
(……レースの映像…レース研究でもしてるのかなラモーヌ様?……あれでもこのレースって……)
「前のドリームトロフィーリーグですか」
見覚えのあった映像を見た学は口を開く。
「ええ」
短く返る声。感情はほとんど滲まない。
ドリームトロフィーリーグはトゥウィンクルシリーズを引退したウマ娘達が出場する、宝塚記念と有馬記念の後の年に2回開催されるレース。
トゥウィンクルシリーズでは見られなかったスターウマ娘同士の対決も見られる文字通り夢のようなレースだ。
そして、本来なら有馬記念を走り終えたラモーヌが出走するハズだったレースでもある。
学はティーセットをテーブルに並べながら、思わず口にした。
「久方ぶりにルドルフ様が出走されていましたね、ブランクを感じさせない、素晴らしい走りでした」
紅茶を注ぎながらも、ラモーヌは反応しない。
ただモニターを凝視する横顔が、光に照らされて静かに浮かぶ。
(……あれ俺無視された?…いや集中してるだけか…)
学は注ぎ終えたカップをそっと置いた。
「お熱いので……お気をつけください」
「ええ。ありがとう。…下がっていいわ」
「かしこまりました」
(…下がって良いんだ……てか、なんで今回は俺に淹れさせたんだろう)
そんな疑問を頭に浮かべながらも学は頭を下げ、ワゴンを押して踵を返す。
だが…レースの映像が視界に入り、思わず足を止めた。
良いレースというものは何度だって見たくなるものだ。
モニターには、最終直線。
ターフのド真ん中を切り裂く緑の勝負服が次々と先行するウマ娘達を交わし、まっすぐゴールへ突き進んでいく。
(……やっぱり、ルドルフ様は強いなあ)
結局、2着と四バ身の差をつけ、映像の中のルドルフは大観衆に向けて左手を掲げていた。
歓声に包まれるその姿に、学の胸は自然と熱くなる。
(かっこよすぎるな……でも)
学の視線がゆっくりと隣に座るラモーヌへと移る。
「……」
隣で同じ映像を見つめるラモーヌの表情は――険しかった。
視線は自分の脚へと落ち、唇が固く結ばれている。
「……」
彼女の脳裏に、主治医や執事の声が甦る。
『引退をお考えください』
だが、学の脳内には別の思いがよぎっていた。
(もしも……万全のラモーヌ様がこのレースに出ていたなら――きっと……)
「……ハナ差で勝ってましたね」
口をついて出た優しく小さな声が、部屋の静寂を破った。
ラモーヌの耳がぴくりと動く。
「……あら…今のその言葉、誰の影に重ねたの?」
はっとして、学は背筋を伸ばす。
「……これは失礼しました」
「……」
ラモーヌの視線が鋭さを増す。
だが、そんな視線に学は怯むことなく、その瞳を見返して言葉を重ねる。
「貴方が……あのターフに戻った時のことを想っておりました」
一瞬、ラモーヌの瞳が揺れた。
「貴方があのターフに戻ることができれば………私はこのレースを見てから何度貴方の影をルドルフ様の隣に見たか分かりません」
沈黙の後、かすかな笑みが浮かぶ。
「……ふふ。今の私に復帰の話をするなんて、あなたくらいね」
「どうして笑うのでしょうか……だって、復帰するのでしょう? なら話してもなにもおかしくはない筈です」
「……主治医は『絶望的』と言ったわ」
「それに関しては…ただの使用人の俺にはなんとも言えません……それでも、ラモーヌ様ご自身は……諦めてないんでしょう?」
問うと、彼女は即答した。
「当然よ。必ず、ターフに戻るわ」
その言葉に、学は微笑みを返す。
「なら、私…いや、俺の答えはひとつです」
学のその瞳はご主人様のアメジストの如く輝く瞳を真っ直ぐに捉える。
「ラモーヌ様…ご主人様を信じない執事なんて、どこにいますか?」
「……そうね…少しだけ、考えすぎていたかもしれないわ」
ラモーヌはようやく息を吐き、小さく呟いた。
「では、私はこれで」
学が退出しようとした時、低い声が背を呼び止める。
「待ちなさい」
振り返ると、ラモーヌは空のティーカップを学に向けて差し出していた。
その瞳は…現役時代と同じ、揺るぎない光を宿している。
「……今はこの余韻が名残惜しい……学、おかわりをお願いできるかしら?」
その自信に溢れる瞳を見た学は思わず笑みを深め、深く頷いた。
「……ええ、よろこんで」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ラモーヌにとって『九重 学』は一言で言うならば「不思議な存在」であった。
幼い頃に一緒の屋敷で暮らしていたといっても、他のメジロのウマ娘たちと比べれば明らかに接点が少なく、互いにそこまで大きな存在ではなかった。
アルダンのように溺愛するわけでもなく、下の娘たちのように一緒に遊んでやるわけでもない。
…だがしかし、2冠目のオークス後に療養のために帰った本邸にて、執事長を含めた使用人の中で一番高い献身をラモーヌに見せたのは学であった。
技術的にはやはり拙いところはあれど、幼い頃の学とは見違えるほどの成長を惜しみなく見せながら、ラモーヌに付き従った。
その献身は最後の有馬記念を走り終えた後も健在で、学校生活を送ったり、まだ見ぬ彼女候補を探したりしながらではあるが、学はその身を粉にしてラモーヌを支え続けた。
そして、そんな学をラモーヌは何も言わずにじいやと共に隣に置き続けたのだ。
『ご主人様を信じない執事なんて、どこにいますか?』
…だが、ラモーヌの中には分からないことがあった、それは学の異常なまでの献身の理由だ。
身寄りがない自分を拾ってもらったメジロへの恩義からか…だがそれだけの理由で若くしてあれほどの献身を見せるのか?
学が自分への忠誠を見せれば見せるほど、学はラモーヌの中で不思議な存在へと変わっていった。
ーーーーある日のことだった。
メジロ家本邸の広大な敷地を使った巨大な庭園…
その中心にはメジロラモーヌが佇んでいた。
気品と孤高さを纏ったラモーヌの傍らには、白布をかけたイーゼルと、彩り豊かな絵具を載せた木製のパレットが置かれている。
「……」
細く長い指で筆を取り、彼女は目の前のキャンバスに向き合う。
ゆっくりとパレットナイフでバーミリオンをすくい上げ、しなやかな動きで筆へと移す。
柔らかな風が、深い藍色の髪を揺らしていた。
彼女の趣味の一つである油絵を描いていたその途中、色を重ねられたキャンパスへと向けられた筆が突然ピタリと止まる。
「……」
しばらく無言で何かを考えこんだ様子の彼女はやがて隣に待機する学に向けてポツリと口を開く。
「……学…貴方の好む色は…何色?」
ラモーヌの問いに、学は少し考えてから口を開いた。
「……『白』です」
「……白?」
学の答えに、ラモーヌはわずかに眉を動かした。
学は少し気恥ずかしそうに微笑みながら続ける。
「油絵において白色は…ただの無色ではありません、どんな色を重ねても受け止め、隣にある色を一番鮮やかに見せてくれる……そういう力がある……そんな白色が私は好きで…そうありたいと思っています」
ラモーヌの指先がわずかに止まる。
「……白は確かに重要だけど、自分の色を持たないつまらない色……貴方には自分の色は無いのかしら?」
「私は執事です、あくまで主役ではありません……つまらない色で結構です。寧ろどこかのご令嬢のように強い色を染めて変えてしまうのではなく、その色を引き立てられる存在でありたい」
言い切った学のその顔は、まだ少年らしいあどけなさを残している。
だがその眼差しは、まるで学の瞳の色そのもののように真っ直ぐで、曇りがない、はっきりとした学自身の強い意志が込められていた。
ラモーヌはふと息を止める。
……そしてゆっくりとその口を開いた。
「……貴方は……どうしてそこまで私に尽くすのかしら?」
学に対する疑問を解消すべく、ラモーヌはついにその言葉を口にした。
「…それが私の仕事だからです」
…と惚けた顔でそんな事を言う学の目をラモーヌは鋭い視線で射貫く。
「…………」
無言で答えに納得がいっていないことを学に伝えると、学は観念したように首を振り、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「…ラモーヌ様は…よく『レース』に対する愛を説かれますよね」
「ええ」
「そしてその愛する『レース』のためなら…どんなに辛いことでも、何より優先しても、なんだってやり遂げますよね」
「当然、それが私の生きる意味だもの」
なにを当たり前のことを…と言わんばかりの表情でラモーヌは学の言葉に答えていく。
そんなラモーヌに学は言う。
「俺が貴方に尽くすのは…それと同じ理由です」
「…………そう」
学の言葉に短く言葉を返したラモーヌは直ぐに学から視線を外してキャンパスへと向き直り、ペインティングナイフを手に取った。
だがそのペインティングナイフの行き先は見つからず、ラモーヌは意味もなくキャンパスの前でフラフラとナイフを揺らす。
「……ターフを駆ける貴方を初めて見た時…私は衝撃と共に心打たれました…………まあ正直に言ってしまえば、あの日までラモーヌ様のことは難しい言葉を使う、ちょっと怖いけど優しいお姉さん……みたいな印象でした」
何故かキャンパスに向かう彼女の背中に向けて少し軽めな口調で言葉を紡ぎ始めた学にラモーヌの背中がビクッと揺れる。
「……でも、ターフを駆けるラモーヌ…姉さんの姿は美しく、気高く、そしてなによりも楽しそうで…そんな貴方の支えになるのなら俺は…「もういいわ…少し黙りなさい」
「…あ、すいません」
ラモーヌの普段は静かで優雅に揺れるその尾が、今は小さく、落ち着きなく跳ねる。
暫くすると、ラモーヌは短く息を吐きながら口を開く。
「…全く…貴方って子は…」
そう言うと学の方に再び向き直り、右手を差し出した。
「…色が足りなくなったわ…絵具を取ってくださるかしら?」
「わかりました……何色をご所望で?」
学がラモーヌに向けてそう尋ねた。
「…そうね……」
すると、ラモーヌは優雅な所作で口元に手をやり、一言で答えた。
「…『白色』をくださるかしら」
庭園に風がそっと吹いた。
メジロ家の庭園には、絵筆の音と、静かに湯気を立てる紅茶の香りだけが満ちていた。
誰かの夢を信じる強さも、夢を走り続ける意志も……どちらも美しいと言えるだろう。
そして一年後、またあの青いターフの上で、ひときわ気高く、しなやかな蹄音が響く日が来ることをこのときの二人はまだ知らない。
・
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『さぁ今年最後のドリームトロフィーリーグも大詰め!!最終直線に差し掛かる!!』
割れんばかりの歓声とウマ娘たちの地面を踏み締める蹄音があたりに響く。
『早くも先頭に立ったのは今回は先行策を取った昨年の覇者『シンボリルドルフ』!!後続をグングンと突き放していく!!』
曇りなき青空の下で競技場の熱が季節と反して上がっていく。
『…おおっと!!しかしここで!!外から外から……』
その熱と、白日の下に美しく、気高く輝くティアラが反射する。
『…約1年ぶりにレースに復活した『メジロラモーヌ』だ!!』
『先頭のシンボリルドルフとの差を少しづつ縮めて……今並んだ!並んだ!両者並んでゴール板へと駆けて行く!!』
『さぁ両者一騎打ち!!ルドルフが粘り切るか!ラモーヌが差し切るか!!さあさあどうなる!!どうなるー!!!……』
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「うわあー!!ラモーヌ様あああ!!めちゃめちゃに惜しかったよー!!!」
競技場の最前列のフェンス付近で悲しげに叫びながら項垂れる燕尾服の少年。
「あとちょっとだったな、ラモーヌファンの燕尾服の少年…まさかメジロラモーヌがハナ差で負けるとは…」
「ああ…でも1年ぶりのレースであのシンボリルドルフにあそこまで迫れるのはかなりすごいぞ!同じメジロラモーヌのファンとして今は讃えようぜ」
そして、その隣に立って慰める様に優しく少年の背中をさするパーカーを着た男と感嘆の声を上げるメガネの男の一般男性2人組がいた。
「うう…ひっく…ひっく…でもぉ…いちねんはんん…ラモーヌ様が頑張ってるの近くで見てたからぁ…!!」
「おおい泣くな泣くな!少年も男だろう?」
「そうだぞ?去年まで復帰は絶望的だなんて言われてたんだ…俺たちももう無理だと思ってた…でももう一度元気に走る姿が見れた、今はそれだけで十分じゃないか?」
「…それもそうでぇ…ひっく…ひっく…う、嬉しさで泣いてるとこもあってえ……うう…」
とうとう泣き出した燕尾服の少年を2人の成人男性がなんとか慰めるという何とも言えない状況が最前列のフェンスの手前で発生していた。
「うわああ…ラモーヌ様ああ…」
「おいおい、どうするこの子?このまま放っては帰れないぞ?」
「…そうだな、めちゃめちゃ泣いてるし…取り敢えず俺らと一緒に競技場の外まで連れて行くか?」
泣いている少年をどうするか話し合っていた2人。
…だかその時だった。
「そこのお二方?少しよろしくて?そこの人に用がありますの」
凛と澄んだ幼さの中に確かな気品のある声が2人に投げかけられた。
「え?この少年にかい?」
2人はその声に振り返るとそこには…
「ええ、そうですわ」
男の問いにそう答える端正な顔立ちの芦毛のウマ娘がいた。
そのウマ娘を見たパーカーの男は驚いた様に口を開く。
「あれ!キミは!確か…来年にデビューするメジロ家のご令嬢の…」
「はい、わたくし『メジロマックイーン』ですわ、どうぞお見知りおきを」
「おお!やっぱり!来年のメイクデビュー応援してます!」
「ええ、ありがとうございます…でもすいませんが、今は早くそこの男を呼んでくださるかしら」
「分かりました!」
マックイーンにそう言われたパーカーの男は振り返り、地面に座り込んで項垂れている燕尾服の少年の肩をポンポンと叩いた。
「あの少年?なんかキミを呼んでるって人が来てるんだけど…大丈夫?立てるか?」
「…うう…ひっく…ええ…??お、俺を…??」
そう言われた少年は鼻を啜りながら、ゆっくりと立ち上がり、振り返った。
「…うう…こんな時にいったい誰が…「ご機嫌よう、学」
学の視界に自分の仕えるメジロ家の令嬢の1人であるマックイーンの姿が映る。
その刹那…
「お久しぶりでございます、マックイーン様…ご機嫌麗しゅうございます」
目に浮かんでいた涙を瞬時に拭き取り、背筋をピンと伸ばしてマックイーンに向けてそう言うと、恭しく胸に手を当てて頭を下げた。
「どうした急に」
学の変わりように先程まで介抱していたメガネの男が思わずそうツッコミを入れた。
たが、そんな声に構わず、学はマックイーンに向けて再び口を開く。
「マックイーン様、どうかされましたか?こんな所まで足を運ばれて私に何かご用でしょうか?」
「…え、ええ少しだけ」
泣いた跡のせいで目元が腫れている学に少し言葉を詰まらせながらマックイーンは続ける。
「学?貴方は来年に高校に入学するのでしたわね?どこの高校に入るのかは決めましたの?」
「え?ええ…まあ…1番本邸に近い高校へと進学しようかと…ラモーヌ様に仕えなければなりませんし…」
急に高校のことを聞かれた学は少し驚きながらもそう答えた。
「…そう」
そしてその答えを聞いたマックイーンはどこか意を決したような表情で真っ直ぐに学の瞳を捉えながら口を開いた。
「…お願いがありますわ、学」
「なんなりとお申し付けください」
そのマックイーンの真剣な表情からただ事ではないと察した学はしっかりとマックイーンの目を見つめ返す。
「…そ、そんな見つめられると照れますわ…あ…コ、コホン!」
学に見つめられたマックイーンは若干たじろぎながらも咳払いで気を取り直し、言葉を紡ぐ。
「わたくしは来年からトゥウィンクルシリーズにデビュー致します」
「もちろん、存じております」
「わたくしが果たすべく使命はメジロ家の悲願である『天皇賞』の制覇…メジロの誇りを背負って誠心誠意…真っ直ぐにその夢に向けて努力して行く所存ですわ…」
マックイーンは続ける。
「その道中は険しく、辛いものになる、決して簡単な道では無い…ですがその道をどんな困難があっても決して折れずに進んでゆく…その覚悟は出来ているつもりです」
その長い芦毛がシャラリと風に靡く。
「しかし、その道の中で一つの問題点がわたくしの中でございます、そしてその問題点はかなり深刻で…これを解消しなければ、わたくしはこの覇道をまともに歩めそうにございませんわ」
先程までの力強い言葉とは打って変わって、目線を下げながらそう言うマックイーンに学は少し驚きながら口を開く。
「…あのマックイーン様が…私もマックイーン様の夢は全力で応援したい所存でございます、この学にできることがあるのなら…その問題点を教えてください」
学が顎に手を当てがいながら、マックイーンにそう尋ねた。
すると…
「ええ、たった一つの問題点…それは…」
マックイーンは一瞬言葉を切り、学の瞳を深く見つめる。
その瞳には、メジロ家の誇りと、少女らしい一抹の不安が交錯していた。
「『九重 学』……貴方が、今…私の隣にいない事ですわ」
少女が少し震える声で絞り出したその言葉は、まるでターフを駆ける蹄音のように。
学の心に力強く響く、そして…
『…2着はメジロラモーヌ!メジロラモーヌでした!』
シンボリルドルフの隣で観客席に笑顔で手を振るラモーヌの姿が学の視界の端に入った。
でも今の学には分かる、その笑顔の奥に色々な感情が渦巻いている事。
2着になった悔しさも勿論あるだろう、だがそれ以上に…
「愛する『レース』に戻ってこれた」という安心感がその表情に出ている。
………気がした。
『ラモーヌ様がターフ戻るその日まで…このわたくし『九重 学』がお傍で貴方の脚となります』
脳内にフラッシュバックするのはラモーヌ様に仕えた様々な日々の思い出。
(……よし)
満足気なラモーヌの表情を見た学は一つ決心を固める。
「マックイーン様……俺は…」
そして、ラモーヌとは対照的に不安気な表情をするマックイーンに視線を戻すのであった。
長めの怪文書失礼しました。