憎まれた世界の果てに   作:お米うまい

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終章
第170話 全ての想いをその身体に


「きゃっ……」

 

 しがみ付かれていたのでは、これからの行動に巻き込んでしまう。

 

 隣から黄色い小さな悲鳴が上がった事にすら気付かない程の強い気持ちで研一は覚悟を決めると、顔を上げ、もはや空を覆う天井にしか見えない神獣を睨み付けた。

 

「もし俺が死んだらアクアさんに伝えておいて下さい。これは生贄なんて要らないなら一人で勝手に死んでろ。俺達を巻き込むなって思ってムカ付いて、やっただけ。自分の為に戦っただなんて自惚れて、俺の死を背負い込んだりするなって」

 

 嘘八百の出鱈目だ。

 

 本当は今だって助けられるなら、神獣だって助けたいと思っているが――

 

 こうでも言っておかないと、アクアはきっと後悔し続けてしまうだろうという、今の研一が出来る、最後のけじめ。

 

「待っ――」

 

 引き留めようとするアクアの声を無視し、研一は水面を蹴って飛翔する。

 

 あまりの速さに、必死で伸ばしたアクアの手は掠る事も出来ず、虚しく空を掻く。

 

 その瞬間、研一の身体に凄まじいまでの力が漲ってくる。

 

 全てアクア一人から放たれた悪意による影響だった。

 

(ははっ。さすがに無責任な伝言過ぎるよね……)

 

 こんなに夢中にさせて、こんなに好きにさせておいて、自分を置いて一人だけで死ぬなんて絶対に許さないという、怒りや独占欲から来た想いだったのだが――

 

 未だアクアをファルスだと勘違いしている研一は、見当違いの解釈をしたまま、空に居る神獣へと突き進んでいく。

 

(ああ、よかった――)

 

 遺言を託すなんていう一番辛い役目をファルスに押し付け、自分は何も出来ずに死んでいくのだろう。

 

 無責任も程があるという自覚が加わり、更に力が漲る。

 

 もしかしたら、今この瞬間が、過去最高の強さになっているのかもしれない。

 

(飛行魔法なんて使えなくて……)

 

 それでも尚、埋まらない程の力の差が研一と神獣の間には、あった。

 

 このまま行けば死ぬと確信出来てしまう程に。

 

 もし自由自在に空中を移動出来たのなら、きっと死ぬのが怖くて逃げ出していただろう。

 

(軌道を少しでもズラせれば!)

 

 成功したって、ほんの少しの延命にしかならないのは解かっていた。

 

 それでも少しでも自分の身勝手で巻き込まれる人間を減らせればと願い、緩慢に動く世界の中、神獣に研一が直撃しようとする。

 

 その瞬間であった。

 

『さすがにそれで皆殺しなんて目に遭ったら可哀想だからな。慈悲深い俺様は、希望する女は全員、肉奴隷として飼ってやってもいいって言ってんだよ』

 

(走馬灯?)

 

 研一の頭の中に、かつての光景が急に浮かび始める。

 

 それはドリュアスで行った茶番。

 

 党首であるテレレに全ての苦労を押し付けるだけの民なのかと試す為、悪党を演じた記憶。

 

(我ながら何と言うか、随分と酷い言葉が思い浮かんだもんだ……)

 

 思い返して、何だかおかしくて口元に笑みが浮かぶ。

 

 さぞやドリュアスの民達には、とびっきりの悪党に見えてくれたに違いない。

 

 そんな事を研一が思った時であった。

 

『ほら、少しは楽しませろよ。じゃねえと、お前の大事な大事な一人娘に相手にしてもらう事になるぜ?』

 

 抵抗出来ない誰かを甚振る事に悦びを見い出す、下卑た声が脳内に響く。

 

 相手の姿形は全く見えない。

 

 だからこそ、逆に相手の歪んだ情欲全てが手に取るように感じられ、あまりの不快さに胃が動きを止めたかのように腹の中で重くなり、吐き気を催し始める。

 

(何だ、これ……)

 

 こんな記憶は、研一の中にない。

 

 それなのに過去を追体験するように、何者かの記憶が流れ込み――

 

 まるで自分自身が当事者であったかのように、記憶の持ち主が抱いていた感情まで再現されていく。

 

 娘を守る為、触れたくもない相手に媚びなければならない屈辱。

 

 いつの間にか張り付いてしまった笑顔の裏に、発散される事無く積み上がっていく想い。 

 

 許さない。

 

 それは燃え上がるような怒りとは違う。

 

 こびり付いて取れなくなった汚れのように何をしても消す事の出来ないそれは、復讐の機会を得るまで燻り、心の中を埋め尽くし。

 

 そして復讐の好機を得た時に爆発したように燃え広がる油だ。

 

(これは――)

 

 そこで初めて、研一は、この記憶が誰の者か気付いた。

 

 柔らかい物腰の影に秘められ、魔族の大軍を呼び寄せるほどに溜め込まれていた憎悪の持ち主。

 

 かつて研一が救えなかった相手、センの母親だ。

 

(一体何が起きて――)

 

 知りもしない事を、走馬灯なんかで思い出す筈がない。

 

 それならこの現象が誰かが何かしらの意図で起こしているものだろうと考えたところで、身を以て、見せられた光景が何を引き起こしたかを研一は知る事になる。

 

(この力は!?)

 

 恐ろしい程の悪意が流れ込み、力が溢れ過ぎて爆発しそうであった。

 

 そこまできたところで研一は理解する。

 

 もし先程の光景を見たのが、自分だけでなかったとしたら。

 

 ドリュアスでの悪党演技を見せられた直後に、センの母親が受けた仕打ちをウンディーネ国の民衆達が見せられていたとするなら――

 

(全部、俺がやったように見えただろうな……)

 

 その結果、ウンディーネ国の民が何を考えたかなんて想像するよりも容易い。

 

 あまりの悍ましさに嫌悪を抱く者も居れば、汚された者に同情し怒りを覚える者も居る。

 

 こんな悪党を信じようとしていた自分が馬鹿だと嘆く者も居れば、こんな悪党に守られている状況に歯痒さを感じる者だっていた。

 

 多種多様にして複雑な思いはあれど、結局、一言で言い表せば全て悪意。

 

 半信半疑で研一に悪意を抱いていた時とは違う、純度百パーセントの割合で、圧倒的な勢いと強さでウンディーネ国の民衆の想いが、研一の力に変わっていく。

 

 そして――

 

「ありがとう、センちゃん!」

 

 ドリュアスの出来事を知り、センの母親が受けた仕打ちを知っている者なんて、この世界にたった一人しかいない。

 

 おそらく、これこそがセンの魔法。

 

 夢に入り込み、心に働きかけると謳われるサキュバスの力なのだろう。

 

「さっきまでは絶対に死ぬって思ってたんだけどな……」

 

 研一が死にたいくらいに自分を嫌悪して、得られる力を仮に五十万くらいだとして。

 

 そして、アクアが独占欲を募らせた事で得られる力も、同じく五十万くらいだったとしよう。

 

 それで百万くらいの力になる訳だが――

 

 もし二十万の人間が、研一やアクアの気持ちの百分の一の強さ、五百でいいから、研一に憎悪の想いを抱けばどうなるか。

 

 単純計算で一億の力が加算される事になる。

 

「俺が準備とかしてた訳じゃないし、こんな直前でいきなり逆転とか卑怯な気もするけど――」

 

 そして、センの母親の気持ちを強制的に流し込まれた女性、恋人や娘を持つ男達が研一に抱いた怒りや嫌悪は、下手すれば研一の自己嫌悪やアクアの想いすら超えている。

 

 半信半疑で憎まれていた時点で神獣の一撃を満身創痍になりながらも、正面から受け止める事が出来たのだ。

 

 もはや今の研一と神獣の力の差は完全に引っ繰り返っており、既に研一は無謀な特攻野郎ではない。

 

 圧倒的な力を持ち、勝敗を自らの意志一つで決められる絶対者と君臨していた。

 

「これなら苦しませず、一瞬でアナタを消し飛ばす事が出来そうだ」

 

 自らの身体が神獣に激突するのを待つまでもない。

 

 ただ集まった力を拳に集め、振り上げるだけでいい。

 

「――――」

 

 まるで太陽が舞い降りたかと思う程の光が、辺りを照らす。

 

 決着は一瞬。

 

 空を覆い尽くしていた影は消え失せ、本物の陽の光が周囲に降り注いでいく。

 

「どうか安らかに……」

 

 塵の一つも残さず、神獣を消し飛ばしてしまった自らの力に恐れ慄きながら――

 

 最後に暴走こそすれど、それでも心優しく崇め奉られるべきウンディーネ国の守り神に、祈りを捧げる研一であった。

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