憎まれた世界の果てに   作:お米うまい

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第173話 それは終わりというには、あまりにも――

「……」

 

 僅かな逡巡。

 

 センの事は好きで大切だ。

 

 こんな場面で、こんな些細な願いを断る気なんて、研一に起きる筈もない。

 

 けれど、その好意は異性に対するモノとは違う自覚もあって、それを意識的に恋愛のそれに変えるなんて器用な事も出来ず――

 

 ただ最後の願いだから叶えてやりたいなんて気持ちでする口付けで、センを傷付けてしまわないか。

 

 それだけが心配だった。

 

「大丈夫です。その不器用さも優しさも、全部全部、私の大好きな研一さんだから」

 

 だが、センの持つ魔法は、口に出さずとも研一の迷いを全て読み取る。

 

 ここに来て、女の子として思ってもらえてない事は確かに残念であったけれども――

 

 それでも研一が自分の事だけを見て、自分の事だけを考えてくれている。

 

 センには、それで十分であった。

 

「んっ……」

 

 それは唇と唇が触れ合うだけのキス。

 

 ただ死にゆく大切な人の願いを叶える為だけの口付けの筈だった。

 

 少なくとも研一としては。

 

「んんっ!」

 

 だが、ずっと焦がれてきた願いが叶い、人生が終わろうとしている女が、そんな触れるだけの口付けとも言えない、誤魔化しの触れ合いごときで満足する筈がない。

 

 もはや、ひび割れて動かせなくなった手足で抱き締める事も出来なくとも――

 

 それでも必死で研一を求め、動く舌だけでも研一を感じようとする。

 

「んぅっ……ちゅっ――」

 

 センの舌が研一の唇を割り、口内に入り込む。

 

 まるで迷子が必死で親を探すように、センの舌が研一の口内を激しく蠢いていく。

 

(さすがにこれは――)

 

 何でもすると約束したとはいえ、いくらなんでも、いきなりこんな事をされては応えられない。

 

 だが約束は約束だ。

 

 舌を絡め合う事もせず、ただセンのしたいようにさせてやろうと口を離さないようにして、動かずに居た研一であったが――

 

「んんぅっ!」

 

 僅かに研一が舌を動かしてしまった瞬間、舌と舌がぶつかり合い、脳内に火花でも走ったような快楽が走り――

 

 身体中に熱が籠っていく。

 

(何だ、これ……)

 

 人が意識せずとも呼吸して歩き出していくように。

 

 夢魔であるセンには、本能的に熟練した娼婦ですら遅れを取る程の技術が眠っている。

 

 それは恋人との経験しかなかった研一に、無視出来るような甘いモノではなかった。

 

「んぅっ……ちゅっ――」

 

 もはやセンの最後の願いを叶える為に動かないのか。

 

 それとも、想像外の刺激に驚いて動けないのか。

 

 考える事も出来なくなるほど、されるがままになっている研一であったが。

 

 それでも満足出来ないとばかりに、センの舌の動きは更に激しさを増していき――

 

 まるで全てを求めるように、研一の口内を犯していく。

 

「ちゅぅっ……れろっ――」

 

 すぐ傍で繰り広げられる淫らな光景に、アクアもプリムスも呼吸すら忘れてしまう。

 

 だが、そこに静寂はない。

 

 唾液の粘付く音だけが、止まる事を忘れたように室内に響き渡っていく。

 

(これは――)

 

 息すら忘れる程の激しさに酸素不足になっているのか。

 

 それとも別の何かで、ぼんやりし始めた研一の頭の中に、何かが流れ込んでる。

 

『実は俺さ、あまり人と話せない事になっててね。だから話し相手になってほしいんだよ』

 

 もはや遠い昔に感じる、センとの出会いの話。

 

 研一からすれば助けられなかった母親に託され、怯えた女の子と出会ったような印象であったが――

 

 当の本人であるセンからすれば違う。

 

 いつ自分も母親と同じ目に遭うのかと怯えるだけだった日々から抜けださせてもらえた、センにとって全ての始まりの日。

 

『そうだね。一緒に食べた方が美味しいものな』

 

 頭を撫でられ、笑い掛けられて。

 

 胸が温かくなった時の記憶。

 

『絶対に守るからさ。ずっと俺の目の届くところに居てくれないか?』

 

 死んでしまった恋人の代わりに守られる形でだって、いいから。

 

 どんな形でも、研一の傍に居られればいいと願った日。

 

(センちゃん……)

 

 おそらく無意識にセンの魔法が発動しているのだろう。

 

 過去の光景がセンの感情と共に、次々と頭の中に浮かんでは消えていく。

 

 衝撃的だった時の場面だってあれば、研一からすれば忘れてしまうような些細な事だってある。

 

 けれど、たった一つ、変わらない事がある。・

 

 研一が大好きだという気持ち。

 

 それだけは、どんな光景になっても在り続け――

 

 胸中を満たしていくような温かさが、逆に研一の心を切り裂くように掻き乱していく。

 

 ――どうして子ども扱いなんてして、真っ直ぐ受け止めてやれなかったのかという後悔と怒りで叫び出しそうだった。

 

『もし研一さんが死んでたら――』

 

 そして、そんな陽だまりのような温かさだけじゃない。

 

 偶に漏れ出る事はあっても、それでも隠し続けていた全てを焼き尽くすような激しい想いさえ流れてくる。

 

『きっとウンディーネ国の人を、許さなかった』

 

 研一が助けようとしていた事も知っているし、八つ当たりでしかない事だって自覚していながら――

 

 それでも研一が死ぬ原因になったウンディーネ国の民を、セン自身の命が尽きるまで、殺し続けていただろう。

 

 直接、心の中に気持ちが流れ込んできているからこそ、研一は嫌でも理解する。

 

 本気だとか、そういう次元の話じゃない。

 

 理性じゃあ止められない程に荒れ狂う想いが、そこにはあった。

 

(…………)

 

 もし言葉や行動で見せられていたなら、きっと信じられなかったに違いないだろう。

 

 自分なんかが、こんなに好かれる訳がない、と。

 

 けれど、心そのものが繋がっているような今の状態なら疑う事さえ許されない。

 

 今のセンという存在は、研一との出会いから始まって。

 

 そして、研一と別れる時に終わりを迎える。

 

 研一だけが、センの世界の全てなのだ。

 

(センちゃん……)

 

 たった一人で抱え込むには、あまりにも大き過ぎる想い。

 

 一人の少女から溢れ出した気持ちは、いつしか研一の心まで覆い尽くすように広がっていくが、それも無限に続く訳ではない。

 

 終わりは、あまりにも突然に訪れた。

 

「い、いつまでやってる!」

 

 怒りを滲ませた声と共に、アクアが研一の首を引っ掴んでキスを止めさせる。

 

 無理やりにでも止めなければ、それこそ一生でも続けていそうな雰囲気であったから。

 

「あ、あれ? 俺は一体……」

 

 最初は死ぬ前に、せめてセンの願いだけでも叶えてやろうと始めただけの口付けであった。

 

 それが想像以上に激しい接吻に圧倒され――

 

 センの記憶を頭の中に流れてきてからは、もう自分が何をしていて、どれくらいの時間が経ったのかすら覚えていない。

 

「あ、センちゃん! 大丈夫かって――」

 

 そこで研一は、センが危篤だった事を思い出し――

 

 慌てて様子を確認しようと視線を映したところで、あまりに想像外の光景が広がって、驚きを隠せない。

 

「あ、あれ? 治ってる?」

 

 ヒビ割れていた手や足は跡形もなく綺麗に消え去っており、石膏みたいに硬くなっていたとは思えないほど、綺麗な肌を晒している。

 

 顔は高熱に冒されているように真っ赤なままではあったが、苦しそうな様子はなく、むしろツヤツヤと血色が良い感じで、健康そのものにさえ見えた。

 

(本当に命に何の別状もないっぽい?)

 

 スヤスヤと寝息を立てながら、時折、えへへなんて何か嬉しそうに笑うセンの姿に一瞬だけ安堵を覚えつつ。

 

 都合良く治ったただなんて思い込んで、悲劇が起きないように、神から授かった治療の力を使ってみる研一であったが――

 

 判定は、治療の為の功績値が足りないではなく、治療出来る場所がない。

 

 つまり完治したという事であった。

 

「その様子だと完全に回復したみたいだね。よかったじゃないか」

 

 何が起きたんだと疑問に思う研一に。

 

 祝いの言葉とは裏腹に、どこか当て付けるような響きの込められたアクアの声が届く。

 

「ええと、何か怒っています?」

 

「そんな事はないさ。助かって何より。とても喜ばしい事だよ」

 

(そりゃあ必死で治療を続けてくれた隣で、ずっとあんな事されたら不機嫌にならない方がおかしいよね……)

 

 どこか突き放すような拗ねた物言いに――

 

 未だファルスだと勘違いしたままの研一がそんな事を考え、謝ろうとしたところで――

 

 それより一瞬早く、アクアが頭を下げた。

 

「……いや、悪かった。助かってくれて良かったというのは本心だ。ただ、それでも色々と思うところがあってね。礼を欠いてしまった自覚はある。重ね重ね申し訳ない」

 

「いえ、こちらこそ、何かすみません……」

 

 互いに頭を下げあって、お互い無理には追及しない。

 

 下手に理解を深めるよりも、聞かない方が良い事なんて、この世には山のようにあるのだから。

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