東京五輪殺人事件   作:ひねもす@HAMELN

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滅多に連絡をよこさない親友と、一年ぶりに逢ってきた。

 

「生モノだからさ、早く渡さなくちゃと思って」

 

東京駅で待ち合わせ、立ち飲み屋で小一時間語らった。

ウーハンから帰ってきたばかりだという。

中国の内陸にある大都会で、ハイテクの最先端なのだとか。

 

「東京が、最近はゴーストタウンにしか見えない。

時間どおりに動くだけ。伸びしろが無い。なにより、住民の表情が暗すぎる。ゾンビが彷徨う、そこそこ大きいスーパーマーケットだ。

ケンヂ、強く生きろよ。

金を貯めたら、世界に羽ばたけ。

いつか一緒に起業しようぜ」

 

保阪カナイは興奮気味にまくしたて、全額払って帰っていった。

たくましくなったもんだ。世界で起業か。

東京に住んでいると、たしかにそんな発想、しなくなるし、できなくなるね。

日々、精神と肉体をすり減らしながら、何も考えないように生きていくのがやっとだよ。

 

本郷のアパートに帰宅して、保冷袋を開ける。

ヤーボーとか言ってた。鴨の首肉だって。

うわ、グロい。

おそるおそる、口に入れてみる。

辛い。激辛だ。ヒリヒリする。

酒に合うな。

あ、こりゃ旨い。いけるぞ。

旨い旨い。すごいな。

やみつきになる。

たまらん。

 

写真を送り、礼を言う。

翌朝やっと既読がついた。

ほんとに忙しいようだな。いいことだ。

早く起業して、俺をここから連れ出してくれ。

 

それから出勤。夜まで仕事。

土曜日も、早朝から夜まで、エーンヤコラと仕事。

 

日曜日は休みだったが、朝から体がだるくて、気がついたら夜だった。

咳が止まらない。暖房をめいっぱい強くして、ヤーボーと、備蓄の食材を平らげ、風邪薬を服んで、そのまま寝ていた。

朝までに、快くなってほしいものだがなあ。

 

 

月曜日の朝。やはり、だめだ。

会社へ電話して、一番早く来る事務のおばさんに、休ませてほしい旨、伝える。

症状をきかれ、インフルエンザかもしれませんと答えた。

もしかしてニュースで騒いでいる、新型肺炎だったらお笑いだけど。

仮にそれだとしたら、保阪からうつされたんだろう。アンニャロめ。

まあ、さすがにそれは、ないと思う。

思っていたい。

 

9時に、近所の耳鼻咽喉科へ電話して、予約をとる。

すぐ診てくれるというが、裏口から入るよう言われる。

ヨロヨロと着替えて、家を出る。

今日はやや気温高め。部屋の中を暑くしていたので、外気が心地好い。

 

医院へ着く。

顔にプラスチック板のガードまで付けた、完全防備の看護師さんが出てきた。

別室へ通され、ベッドに寝て、ひととおりの診察を受ける。その看護師さん以外は入ってこなかった。

中国への渡航歴があるか、または、中国からの旅行者と2週間以内に接触をしたかどうか訊かれた。

さあ、心当たりはないんですが……と答える。

2時間くらい、かかったか。看護師さんが戻ってきて、この先にある大きめの病院で検査をするべきだと言う。

場合によっては、しばらく入院が必要だって。

なんだか、大ごとになってきたな。

もしかして、噂の新型肺炎ですか?

 

「それはまだ、なんとも言えません」

 

なんとも言えないにしては、ずいぶん強情だ。

いったん家に帰って考えますと言ったら、猛烈に反対された。

いくら、かかるんだろう。

不安でいっぱいだったけど、承諾するしかなかった。

 

まもなく救急車がやってきて、裏口から乗った。

皆さん、完全防備だ。これはやはり新型肺炎対策なのだろう。

むしろ頼もしいと感じる。この病気が、日本で拡がることはないと確信できる。

さすがニッポン。偉大なる、我が国。

 

検査結果が出るまでには一日かかると言われ、結局入院することになった。

個室をあてがわれる。完全隔離だ。

入院歴は過去に何度かあるけれども、こうなると、あきらめるよりない。

 

保阪に知らせるのは、結果が出てからにしようと思った。

当たり障りのないメッセージだけ送っておいたが、既読になるまで時間がかかる。

レスはつかない。

何の仕事をしてるんだろう。

 

テレビで新型肺炎のニュースに注目する。

木曜日に神奈川県で国内初感染が確認されたという。

もう、上陸しているのか。

発生源の中国では、ヒト→ヒト感染するかどうかが議論されている。

ヒト→ヒト感染しないとしたら、仮に俺が新型肺炎だった場合、あの鴨肉から感染したことになるの?

よくわからないなあ。

 

薬を服み、注射もして、だるいのでずっと寝ていたのだけれど、この日の夜、強烈な咳が出た。

喉に激痛が走る。

砂利……というより、粉々に砕かれたガラス片を吸いこんでいるような苦しさにのたうつ。

唾液を飲み込めないので、バキューム管をずっと咥えていた。

食事は点滴で摂取した。

涙と汗で枕がぐっしょり濡れた。

これはもう、絶対にインフルエンザじゃない。

 

新型だから治療法が確立していない、と繰り返す医者の免責説明がくどくどしく、長い。

どんな後遺症が出ても訴えませんという同意書に何枚もサインする。

そのたび、気持がどんどん沈んでいく。

翌日、陽性と診断されたけど、既に、どうとでもなれという気分だった。

いや、どうとでもなってほしくない。治りたいです。

治してください。早く退院したいです。

健康を取り戻して、社会復帰をしたいです。

 

ただその後、入院初日ほどひどい症状は、出なかった。

体のだるさが抜けて、喉の痛みもおさまった。

涙も、止まってくれた。

 

食事を口から摂れるようになって、味覚がなくなっていることに気付く。

木曜日に、あと24時間経過をみて問題なければ退院できると言われたので、心の準備を始めた。

あいかわらず、味覚は戻ってこない。

何を食べても、飲んでも、ゴムを噛んでいる気分だ。

おそらくだけど、退院して外界へ戻ってから、より一層せつなくなるんだろうな。

食べる楽しみが、なくなるんだぜ。

もう、あのヤーボーを味わうことだって、できやしないかもなんだぜ。

ひどいよな。ひどすぎるよな。

なんなんだよ、いったい。

 

 

金曜日の午後、退院した。

アパートへ戻って、しばらく、ぼーっとしていた。

気を取りなおして、会社へ電話する。

月曜日から復帰できると思います、と告げるつもりだったことを、通話が終了してから思い出した。

 

「コロナかね。コロナだったんだね?

うちは食品会社なんだよ。よりにもよって。

いいかね、守秘義務はこれからも永遠に、守ってもらう。絶対だ。

君がこの一週間していたことを、我社と関連づけさせる発言や書き込みが認められた場合、ただちに法的措置をとる。

もとより我社は一方的に君から迷惑を被った立場なのだ。

君が勝手に休んだぶんの業務穴埋めは大変だったし、車や備品の消毒にも多額の経費がかかった。ほんとうに、洒落にならなかったんだからね。

いい齢して、そんな自己管理もできていなかったことを、しっかり反省してもらいたい。

じゃあ、これからの君の前途が、すばらしいものであることを祈っている。

君の私物はすべて、今日中にアパートへ発送しておくから。すぐ確認して、退職届にサインをしたら直ちに郵送すること。

いいね。社会人として、最後まできっちり、けじめをつけるんだよ。

今日までの給料に加えて、ささやかながら退職金もつけて振り込むから。

ああそれから、事務所には直接来ないでくれ。いいね?」

 

課長は、いつもに増して早口だった。

途中でクビになったんだと気付いてからは、メモをとる手が止まっていた。

 

退職金か。

いくら、もらえるんだろう。

 

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