ピエール・ド・フレディ男爵。
パリ生まれ。生粋のフランス人。
1892年11月25日、ソルボンヌ大学で講演を行う。
「国際オリンピック委員会を設立し、広く国際的な政財界の協力を仰ぎたい。4年ごと各都市の競技場を巡回する、スポーツの祭典を開催しよう」
多くの賛同者を集め、さっそく準備を進めた。
オリンピックの復活であるから、第1回は象徴の意味もこめてアテネでの開催がふさわしい。これに異論は出なかった。
さっそくギリシャ政府と交渉だ。
ここで数々の難題に直面する。
当時のギリシャ王国は1832年にオスマン帝国からの独立という形で誕生していたのだが、王様はデンマーク人だった。
10年以上にわたる独立戦争では、イスラム嫌いの西洋諸国がよってたかって軍事支援し、なんとかオスマン帝国軍をあきらめさせたというのが真相だ。生粋のギリシャ人であれば誰でもが、我が物顔で武器を持ちこみ国土を踏み荒らした西洋人に対する怨みつらみを募らせていた。
そんな国で共和政なんか始めさせたら、せっかく引き離したオスマンと同盟を構築するに決まっている。
だから西洋人は、ギリシャ人の文明レベルは遅れているという尺度を設定して、指導者を派遣し監督させることにしたわけだ。
初代のギリシャ王はバイエルンから、2代目はデンマークから。「ギリシャ語なんか話せなくていいから、とにかく民衆の反乱だけは起こさせるな」と厳命されて送りこまれた。
こんな王様が睨みをきかせていては、国民の顔が明るくなるわけがない。
復興もままならず、イスラム商人の援助も頼れなくなったギリシャは、どちらの世界から見てもみすぼらしいままの状態でくすぶっていた。
そこへオリンピックがやってきたのだ。
デンマーク人のギリシャ国王ゲオルギウスは、国際オリンピック委員を大歓迎した。
「第2回以降もギリシャで定期開催し、世界中から観光客を呼び寄せたい」と意見することもはばからなかった。
ピエール男爵はフランス貴族だったから殊更こういう態度を軽蔑する。
「イスラム流のあつかましさだ」と、雇われデンマーク人に対して頓珍漢すぎる感想まで口にした。
ちなみにピエールはギリシャ以外でもやたら交渉相手と衝突している。
事実上組織の最高権力者だから、部下がフォローするのにも限界があった。そんなわけで次第に表舞台へは出てこなくなり、交渉はもうすこし協調性のある他の委員がまとめてくるようになっていくが、その結果に対しても文句は尽きなかったようだ。
ピエールは近代オリンピックの目指すべき道について多くの箴言を遺しているが、それらを鵜呑みにして引用する者には注意した方がいい。おそらく同類だ。つきあうと疲れる。
1896年4月、第1回近代オリンピックがアテネにて開催される。
14ヶ国から280人の男子選手が集められ、10日間にわたって8競技43種目を披露した。
さしたる不祥事も起こらず、成功したと見做す者もいるが、会計上は大赤字だったはずだ。IOC初代委員長に抜擢されたギリシャ人の財閥ディミトリウス氏は大会終了直後辞任し、その後終生オリンピックとは関わりを持たなかった。
当然後継者をやりたがる者も現れず、ピエールが2代目を継ぐハメになる。
となれば候補地はフランスだ。
西暦1900年のパリ・オリンピックへ向けて準備と交渉が始められた。
母国だから協力を得やすいだろうと目論んでいたピエールの自尊心は、ここでズタズタに引き裂かれる。書簡集や言行録でも、この期間は特に味わい深い。
フランス政府や言論界にとって自分たちの文化以外は、すべからく前時代的で野暮ったい周回遅れの遺物なのだ。各地から野蛮人をパリへ招いて、フランス人も混ぜて競わせるなどという見世物が、許可されるはずもない。
とりわけ宿敵ドイツから来た選手団はこの手で殺してやると息巻く愛国者のサークルがいくつも旗揚げされた。
結局、もともと政府主導でフランスの栄光を知らしめる目的で企画されていた万国博覧会の、いち協賛イベントとして、半年間かけて19競技をひっそりと実施し、既成事実とした。
アテネを上回る赤字を記録したはずだが、このときの会計簿も徹底的に処分されているため詳細はわからない。
実際ここでIOCが解散していてもおかしくはなかったのだ。
ところがアメリカ人の委員が、次はシカゴでやりたいという。大統領に手紙を書いてスポンサーになってもらうから資金も心配しなくていいという。
それならばと、任せることになった。
当時のアメリカは広大なド田舎で、西欧文明を仰ぎ見ながらまだまだ大家族で暮らしていた。
国際大運動会の招致なんて最高じゃないか。
そんな雰囲気が、確かにあった。
交渉開始直後に大統領が暗殺され副大統領が繰り上がったり、途中からライバル都市も立候補してきたりといった波瀾も経て、1904年、セントルイス・オリンピック開催。高い渡航費を払って参加するヨーロッパ勢はほとんどおらず、表彰台はアメリカ人選手が独占した。
しかし記録は記録だし、何ひとつ間違ったことはしていない。
この年の成功体験がアメリカ人に、オリンピックが危機に瀕したときは自分たちが手をさしのべよう、レガシーを語り継ぐ道を閉じさせてはならないという使命感を植えつけたのも、無理からぬことであった。
事実これ以降、ヨーロッパ貴族が主勢力だったIOCにアメリカ人委員が大量流入してきて、発言力も大きくなっていく。
これを不愉快に感じたのが、イギリスである。
次の会場はロンドンに決まり、アメリカ選手へ屈辱を味わわせるための作戦がいくつも練られた。
この辺りから、国際大会ならではの問題が噴出する。
カナダ在住のアメリカ人は、どちらの国籍を選んで出場してもいいのか?
イギリス植民地の国籍を持つインド人や黒人の選手をイギリス選手団に組み込むことは無制限で構わないか?
バイエルンやザクセンが大ドイツとは別に出場したいと申請すれば別枠を設けるのか?等々。
単位も、深刻な議題となった。
IOCの憲章はじめ諸規則はフランス語を基本とし、競技会場ではこれまでメートルとグラムしか使われてこなかった。セントルイスではそれでも問題にならなかったが、開催地がロンドンならばヤードとポンドを採択すべきだ、という主張が強硬に叫ばれる。
1908年ロンドン・オリンピックは史上最悪の雰囲気で開会式を迎えた。
市民によるアメリカ選手団への嫌がらせやブーイングはすさまじく、アメリカ人もまた至る所で器物破壊などの応酬を厭わなかった。見るに見かねたある司教が、現地でこんな説諭をしている。
「勝つことのみが目標で、そこにしか価値が無いなら、勝てなかった全員が不幸だということになる。それは哀しい哲学だ。
同じ時、同じ場に参加した。
精一杯、正々堂々と戦った。
その共有こそが重要なのではないか。
これこそがオリンピアの教えだろう」
だったら全員を一様に褒め、賞なんかなくせばいい。だが、それではレースが盛り上がらない。
結局、人は点数をつけて評価したいしされたいし、だからこそ努力もするのだ。
ただ、結果しか話題にしないギャラリーがクソだねってところは同意する。
ついでに、オリンピアはそんなこと教えちゃいないからな。
ピエールは国際政治の何もかもに幻滅し、絶望し、厭世的になっていった。それでもオリンピックは続いた。
大戦で中止したり、
再開しても敗戦国からの選手団は参加を拒絶されたり、
ウィンタースポーツもやりたいからと年2回開催されるようになって膨大な業務量を抱え込むなど、
決して順調ではなかったけど。なぜか知名度は上がる一方で、招致希望国が途絶えることもなく、毎回いろんなスポンサーが赤字を負担してくれた。
ピエールはしかし、とうに意欲を失っていた。
1925年、辞意を表明。
第3代委員長をベルギー人の伯爵に委ねて、スイスの山奥へ隠居する。
名声がひとり歩きしていたから、公の場に現れたり、オリンピックについて語ることは慎重に避けた。それでも自分は実はこうしたかったのだよと漏らした証言は多い。
政治家ならばよくある悩みだが、いざ権力を手に入れても実現にはありえないほどの困難が伴う。
駒をひとつ動かすだけで、想定すら及ばなかったいくつもの連携が切断され、陣形が保てなくなっていくものだ。
ピエールは、自分が政治家向きではないと理解したのだろう。賢明なことに。
しかしそれでも、最初に思い描いていた壮大な夢は、まちがいなく頭の中にあったのである。
オリンピックは続けてほしい。1000年まで望まないが、それでもいつか実力のある誰かが、理想のオリンピックを完成させてくれるだろう。文明人たる我々の、過去と未来をつなぐのだ。
その架け橋に、自分は一定の貢献をした。
よく戦ったはずだ。
けなげに。せいいっぱい。
「ほう。面白そうなものを読んでいるじゃないか。
ピエールが死んだのは、ベルリン・オリンピックの翌年だったね。アドルフ総統が国家予算をつぎこんで大成功させた、画期的な大会だった。
その後の顛末を知らずに逝けたのは、しあわせだったというべきか」
オリンピックって、最初の頃から政治と無縁ではいられなかったんですね。
「政治と無縁な社会活動がこの世にひとつでもあるなら教えてほしい。
まして国境を跨いで何かをしようとするならば、言語も歴史も経済だって、知らなきゃ話にならないぜ。
ところで、ザッパスについてはどの程度触れられていた?」
ザッパス?なんですかそれ。ひとことも出てきてない単語ですが。
「エヴァンゲロス・ザッパス。ギリシャ人だ。ピエールたちの世代に、オリンピック幻想を刻みつけたキーパーソンだよ。
書かれてないって?じゃあ、オールド・スポートは?」
オールド……古い、スポーツの単数形?いえ、それも、出てきてませんね。
「なんとまあ。じゃあ、読むだけ時間の無駄だな。
よくもそれらに触れることなくオリンピックを語れるものだ。いくらヤポでも信じがたい。
買うならもっとコストパフォーマンスの高い本を選びたまえよ。まったく」