IOC御一行が離日して、ようやく情報を大っぴらに流せるようになったらしい。実はこんなことをやっていましたよという記事が、一応トップを飾る。
しかし生気の無い文章だ。いつもに増して。
東京に住んでいれば、暴行や掠奪、たなびく黒煙を毎日目にする。
だが紙面でそれらが報じられたことはない。
実はこの半年、東京はこんな状況だったんですよ。と、どうして今更記事にできよう。
新型コロナが東京だけで流行ってますよと騒がれていたのも夏休みまでの話で、イベントもやってないから訪れる人は激減した。
秋に入ってから新聞が扱う話題といったら、ステイホームを充実させるテレビドラマや動画配信の紹介と、リモートワークの成功事例が中心。
インターネットのつなぎ方・スマホ決済・スパムメールへの対処法などがわからず困っている老人向けの特集が定期的に組まれる。毎回同じ内容でも老人は気付かず熟読するみたいだから、楽でいいよな。
イベントといえば、国内旅行支援キャンペーンを年末年始にもやるそうだ。今度は東京都発着も対象にして。
ということは、いつまでも東京の安心を騙り続けることもできまい。
どう自然な形で切り出そうかと、マスコミ総出で議論している最中かもしれないね。
行政が発表する感染者および死者の数字は、世界ランキングでは、ずっと低スコアだ。
日本は新型コロナ対策の優等生なのだ。
オリンピックの1年延期が決定したのは3月だった。あの時点ではやむをえなかったし、妥当な判断だったとされる。
コロナは封じこめられつつあり、アメリカ製のワクチンだってもうすぐ世界中に出荷される。
8ヶ月後に万全の態勢で東京オリンピックを開催することの、どこにどんな心配があるというのでしょう?
毎日といわずとも、ずっと新聞のニュースを読んできた日本国民には、この点が不思議でたまらないはずだ。
都民はわかっているよ。マスコミが書かないことを知っているよ。
毎日おびえて暮らしていて、家族と財産を守るのに必死だもの。オリンピックどころじゃないぞと心の底から叫んでいる人がほとんどだもの。
マスコミはいつになったら、かれらの声を載せるんだ。
そもそも、できるのか。
無理じゃないかなあ。
今まで試みたこともない挑戦だろうからね。
エヴァンズには愚弄されたが、近代オリンピック史を今日も読む。
俺にとってはこんな小さな丘を登るのも難儀なのだ。それでもいつかおまえを追い抜いてやるぞ、エヴァンズ。
がうがうがう。
ピエール・ド・フレディ男爵がIOCを退いたことにより、劇的に変化したルールがいくつかある。そのひとつが女性参加だ。
男女の住み分けは当時、地上のどこでも厳しかったが、ピエールはとくに女性が苦手だった。口論では勝てる自信が無いと病的なまでにおそれていたのだ。
古代オリンピックは男だけの愉しみだったという文献学上の定説を根拠として、近代オリンピックも男性だけで讃え合おうと主張した。しかしこれはあまりに前時代的な発想であるし、なによりフランス人権宣言に反する。
国籍やメートル法の問題に負けじと、この議論も熾烈に紛糾した。
「女性は無理なんかせず、勝利者に栄冠を与える仕事だけしてくれればいい」
「筋肉のつき方が男と女では異なる。女にスポーツをさせることは犯罪級の愚かしさだ」
「ちがうんだよ女性が走ると胸が揺れて刺激的すぎるから、そんな彼女たちを見世物にさせてはならないというつもりで僕は反対していたんだからね」
等々、ピエールの発言は迷走を繰り返すので面白い。
彼に論戦を挑む者も多かったが、特筆すべきはアリス・ジョゼフィーヌというフランス人だ。
幼い頃から腕白で、兄弟と一緒に野山を駆け回り、結婚後は夫と仲良く様々なスポーツを経験した。友達も非常に多く、体力自慢の女性を集めてチームをつくりオリンピックで歓声を浴びたいと目論むが、愚にもつかない理由で断られるのでブチギレる。
埒が明かないので自分たちの体育祭をつくることにした。
1922年8月20日、第1回世界女子オリンピック大会をパリで開催。
5ヶ国から77選手が参集し、汗と涙と根性を讃え合って観衆たちを熱狂させる。
「4年後に再会しましょう、みなさん」
さあIOCは涙目だ。
同じ年にかぶらないよう配慮されたことさえ口惜しい。このままだとあっちに本家をとられちゃいますよ、とピエールはさんざん忠告を受けたが、いまさら自分の口から女に詫びなど言えるものか。
1924年のパリ・オリンピックは盛り上がらなかった。
誰も彼もが2年後を期待している。
ピエールは引退を決めた。もう口は出さない。
さあ新委員長はすかさず動く。
本家オリンピックは女性を差別しない。いや、男と同じレギュレーションでは女性に酷であることを配慮しますので、どうか不公平感の生じないルールづくりに参画していただけませんか。
欲をいえばIOC委員に女性も迎えるべきであったのだが、これは1981年まで叶わなかった。アリス・ジョゼフィーヌが引き受けた重圧はすさまじいもので、心身を病んだ彼女もまたリタイアを余儀なくされ、後継者にはアリスほどのパワーとスタミナ・交渉術などを求めることができなかったためだ。
しかし彼女たちの戦った姿はオリンピックの歴史とともにいつまでも色褪せることなく輝き、語り継がれるであろう。オリンピックが続く限り。
そう。オリンピックが続く限りだ。
彼女たちが成し遂げた行動の意味は大きい。だが最終的には本家オリンピックに統合されてしまったので、アリスの伝記を書こうとすれば結局はオリンピックについて語ることになってしまう。
もしオリンピックが忘れられてしまうと、彼女たちの物語を紡ぐ機会だって失われてしまおう。
だからオリンピックにも続いていってほしいと願うのだ。アリスたちを讃えるために。そう。アリスたちの戦いに勇気づけられる者が地上に居続ける限りだ。
そして勇気づけられた新しい世代のアリスたちには、なんだかまた逆戻りしているオリンピックを、今度こそ乗っ取ってほしいものだと思う。
1940年と44年の大会は、世界大戦のために中止された。
1948年1月からのサンモリッツ冬季大会と、7月からのロンドン夏季大会で、近代オリンピックは12年ぶりの開催を果たす。
国際情勢は変わり果ててしまっていたが、だからこそ半世紀もの歴史を持つユニヴァーサルなイベントは歓迎されたし、求められる期待も大きかった。
IOCは1915年よりローザンヌに本部を置く。オリンピックはあらゆる国・地域に対し中立性を保つべきだとするイデオロギーは、スイスの国是をお手本にしたのだと言ってよいと思う。
スイス人なら知っている。大国のエゴに呑まれないためには、何よりも力が必要だ。
カネも資源も、国外に預けてはならない。
攻めこんでくる気も起こさせぬくらい街路を複雑なままにしておき、国民ひとりひとりに銃を持たせる。
IOCはこの教えに従ったが、独自に考えねばならない要素もあった。
スイス軍は越境する意思が無いので防衛戦に特化できるが、IOCの戦場は常に国外だ。警察力も軍事力も開催地に依存する条件下で、いったいどうやって自立性を保つか。
経営手腕もシビアに問われる。赤字を出しても現地にすべて負担させ、IOCの会計は常に黒字であるべし。むしろ貸付けできる余力を備えるべし。これを了解できない国には、開催権など与えない。
いまやIOCは、どんな相手もひれ伏させる権力を持つ超国家となる責任があることを自覚した。オリンピックをやるぞと号令すれば、たちどころに世界から銃声が鳴り止む。そんな存在であらねばと。
容易な道であるわけもないが、自分たちにはその使命がある。なさねばならぬ。求められる期待に応えねばならないと、委員たちは誓いを交わした。
試行錯誤の連続だった。
諜報力は研ぎ澄まされた。
世界中に下部組織をつくり、工作員を配置した。
世俗国家たちは冷戦を始め、どんどんこじらせていく。IOCはどちらにも加担しなかったが、そのため常に不安定な立場だった。
中立でいようとする限り、気の休まる瞬間など訪れはしないのだ。
1980年、危機的な状況が発生する。
現役アメリカ大統領が前年から手ひどい失政をいくつも積み重ね、このままでは年末の大統領選で惨敗必至、2期目は無理だと囁かれていた。
なにか威勢のいい宣言を発して国民の人気をとらねばならない。
安直だが敵国を批難して正義感を盛り上げようとソ連を叩き始めた。
これがエスカレートして、夏のモスクワ・オリンピックを西側諸国全体でボイコットしようなどと言い出す。
一笑に付した国も多かったが、日本など傀儡国家は追従した。
結局、東側諸国は大勢を表彰台に上がらせられて大歓喜、アメリカ選手団は活躍の場を失って大統領をブーイング。
張本人は記録的大敗という選挙結果を自らにスティグマータして退場した。
IOCの痛手も深刻だった。
自分たちは大国に利用され、それを覆せなかったのだ。
4年後、ロサンゼルス大会では東側諸国がボイコットを宣言する。これは感情的な報復ではなく、直前になってアメリカ側で前回メダルをとれなかったことへの不満が爆発しテロ予告が相次いだため、モスクワが選手団の安全を最優先して決定した措置だ。
アメリカ人も、元凶は前大統領なのだから彼を襲撃すればいいのに、4年も過ぎるとわけがわからなくなるものらしい。
IOCは無念でならなかった。
自分たちにはもっと力が必要なのだと、気を引き締めた。
それから10年後には、冷戦が終わっていた。
続く10年で世界は混迷を深めた。
誰もが銃をとり、自衛しなければならない時代が訪れていた。
肉体・精神・組織力を鍛え磨き抜く必要性は20世紀よりずっと高まった。
アメリカ一強であることはどうやら間違いないのだが、それでいいのか。
オリンピックはかれらに自信をつけさせるための大会なのか。
IOCは超国家であるぞ。
求められる期待とは何だ。
それに応えねばなるまい。