100年前にも、疫病の大流行が起こったらしい。
1918年初頭、アメリカのカンザス州が震源地。
悪質の風邪が流行っているぞと医師が警告を発したのだが、たちまち州内の陸軍基地で感染が広まる。
500名以上が発熱と頭痛を訴え、激しい咳をしながら病原体を撒き散らした。
当時ヨーロッパでは前代未聞の大戦争が演じられており、アメリカも軍隊を派遣していた。
ある輸送船がフランスの軍港に到着したところ、船内には吐瀉物の悪臭が充満しており、上陸後に病院で絶命した者も含めると約200名が戦死扱いで処理されたという。
しかし兵士たるもの、この程度で弱音など吐かない。
パンツを洗う暇も惜しいと前線へ駆けてゆく。
やがて双方の指揮官が気付き始める。敵はどうやら新型の化学兵器を使い始めたらしい。
どれだけ投入しても戦勝報告がもたらされない悪夢のような夏が過ぎる。
報道管制は徹底されていたが、参戦していなかったスペインでは国王の罹患が普通に公表され、各国はこの情報をもとに「戦争なんかしている場合じゃないのでは」とようやく冷静さを取り戻す。
11月にコンピエーニュで休戦協定が締結され、5年間も続いていた大破壊の祝祭に終止符が打たれる。
疫病は戦争を止めさせたのだ。
もしかして救世主なのか。
いや、こいつもたいがい人殺しですぜ。
うわああん、一難去ってまた一難かよ。
疲弊した経済が更に烈しく鞭打たれた。
疫病は女子供にも容赦をしなかった。
より凶暴化した第2波がヨーロッパを暗黒時代へと逆行させる。
フランスでは共和政こそ倒れなかったが、カトリックへの信仰が復権し、新時代の奇跡と聖人を次々と生んだ。
1900年ほど前に大型アップデートを一度したきりのキリスト教に、最新型の疫病を封じこめるほどの実力が備わっていたと考えるのはファンタジックに過ぎるだろう。
だが解釈論はともかく、1919年の夏頃にはヨーロッパにおけるパンデミックは収束していた。
復興がはじまる。
IOCも動き始めた。
大戦中、通信もままならなかった各国の委員たちがローザンヌで再会し、委員会設立25周年を祝賀する。
来年はオリンピック・イヤーだ。やりたいよね。やらねばならぬ。どこでやる。
選択肢は少なかった。
ベルギーのアントウェルペンが選ばれ、すぐに準備が始められた。
ベルギーはフランスとドイツに挟まれた豊かな土壌を有し、大戦中、双方から凄まじく踏み荒らされた。とくに積年の怨みも昂じてドイツに対する憎悪はこのとき頂点に達しており、ドイツ及びその同盟国からの選手と観客は迎えないと断固たる拒絶を示す。
IOCは逆らわなかった。
しょうがないよね。
それでも、やるんだ。できる限りは、継続するんだ。それが力になる。
こうした危機を乗り越えて1920年のアントウェルペン・オリンピックは無事開催され、人々に勇気を与えた。
2020年の東京都知事・芦屋ユリコは、来日したIOC委員長トーマス・フォン・リッパーオフに、こんな物語をしてみせた。
流暢な英語で。原稿も見ずに。
そして、東京オリンピックを、完全な形ではできないかもしれませんが精一杯やりとげて、100年先まで語り継がれるレガシーにしたいのです。と締めくくって、固い握手を交わしたそうだ。
「どうだい?少しは芦屋ユリコのこと、見直したかい?」
エヴァンズから手渡されたプリントアウトは、リッパーオフらがスイスへ帰国したあとでIOCの広報サイトに掲載されたレポートを、機械翻訳したものだ。
俺なりの補足や解釈を加えながら読みこむ。
芦屋ユリコ、ただもんじゃねえなあ。
「岸や秋ノ宮なんかとはそもそもの器が違うし、常に真剣勝負で臨んでいる。ヤポメディアに嫌われるのも道理だよ。
同じ話を語ってやっても、かれらには記事にすることなんてできないだろう」
そうですね。新聞記事ならもっと漢字や専門用語を減らして、情弱さんにもやさしくわかりやすい文章にしないと伝わらないかな。
しかもこれ、オリジナルは英語なんですよね。
「芦屋はアラビア語の方が得意だから、英語じゃなければもっとキリスト教をおちょくっていたと思う。
リッパーオフがドイツ人だからそこにも遠慮した跡が窺えるが、いずれにしても国際関係を熟知した上で練られた作文だ。
ヤポの外務省や文科省には、これから100年勉強しても書けっこなかろう。だいたいIOCのウェブサイトなんて見に行ったりもしないだろうから」
今からでも、東京オリンピックを芦屋さんに仕切らせたら、うまくいくんじゃないですか?
秋ノ宮首相にはそこまでの情熱は無いんでしょう?
「無茶言うな。芦屋は東京都民に選ばれた知事なんだぞ。
都民をcovid-19から守るためにデクノボーたちと戦うっていう重要な仕事を抱えている。
本音ではオリンピックなんか中止させたいと思っているだろう。
秋ノ宮だって、岸が生きている以上は芦屋に屈服なんてできない。
それから、TOCすなわち大会組織委員会を仕切っているのは2014年以降ずっとミスター観音だ。こいつも、ピエール顔負けの男尊女卑専制君主だよ。リッパーオフと芦屋を会見させることさえ、なんとか阻止しようと直前まで工作していたくらいだ。
安心しろ。東京オリンピックは最後まで、岸の名とセットで語られる大会になる」
オリンピックって、究極的に政治のドラマなんですね。
スポーツの精神なんて、いったいどこに残っているんだろう。
「スポーツをやりたいならオリンピックだけは避けるべきだと進言する。
あれは戦争の代償行為だから、政府に魂を売るところが出発点になるんだ。
国家総動員体制を正々堂々と行うなんてファシズムの論理に他ならないし、開催権を獲得する条件から含めてあらゆる局面で公平な勝負など成立する余地がない」
こないだオールド・スポートって言ってましたよね。
あの本には結局最後まで、その言葉は出てきませんでした。
スポーツじゃなくてスポートなのが非常に気になってます。
ヒントをいただけませんか?
「はあ。そうへりくだった頼み方をされると断りにくいな。
ヒントか。ヒントでいいなら……
その前にまず、スポーツとはいったい何だ」
スポーツとは、サッカー・野球・水泳・バスケ・ホッケーやボルダリングなど様々ある運動競技のこと、ですよね。
たいてい、得点を競って勝ち負けを決めます。
「勝ち負けを決めないスポーツとは?」
ジョギングやアスレチックなんかは一人で黙々とやりますけど、あれもスポーツですね。タイムを計ったり、全ポイントを踏破するとかいった目標を設定すると、よりスポーツらしくなります。
「運動を伴わないスポーツもあるかい?」
イー・スポーツはスポーツに含まれますか?
いわゆるコンピュータ・ゲームですけど、あれもスポーツと呼ばれています、が……
「自信が無くて正解だよ。チェスをマインドスポーツと呼んでオリンピックの正式種目にしようなんて運動だってある。
世界中のスポーツ産業がIOCに注目し、日夜ロビイ活動にたゆまぬ努力を傾けている。
オリンピックが絡む利権と影響力は圧倒的だからね」
ああ、政治だけじゃなくカネもここに渦巻くのか。
「今後もスポーツの種類は増え続けるし、道具やインストラクターだって無限につくられていくだろう。
しかし昔はもっと少なかったはずだ。
遡ればたったひとつの源流に辿りつくんじゃないか。
完全なる素体。純粋無垢な原形が、歴史のはじまりには存在したはずだろう?」
だからオールド・スポートというわけですか。
ナンセンスですね。
まるで完全なニワトリのタマゴが突然この世にひとつだけ現れたみたいな発想だ。
「ところがカトリック式教育が骨身に沁みついている民族は、たとえフランス人になったとしてもそういう考え方をしがちなものなんだよ。
処女へのあこがれがキモすぎるんだ。
グロテスクだろ?」
泣けてくるなあ。
それにしても、古代オリンピックがそのオールド・スポートだったという解釈になるわけでしょうか。あんまりピンとこないんですけど。
「そのふたつは直接つながらない。
ピエールたちの指すオールド・スポートとは、フットボールだ。
当時のヨーロッパ貴族にはスポーツに対する根深い劣等感があって、これと古代ギリシャ幻想が融合してしまったがゆえにオリンピックという悲劇が誕生した。
いま僕はストレートに答えを言ってしまったんだが、たぶん君にはまったく意味がわからないだろうな」
はい。正直申しまして、何が何やらさっぱりです。
フットボール?
それはいったい何ですか。
「ひとつのボールを皆で蹴り合い、双方の陣地にあるゴールへ入れられたら得点というゲームだよ。
サッカーとラグビーの、共通の御先祖様だ。
スポーツも文明も、人間そのものだってこのように枝分かれしていったのだから、源流を辿ればたったひとつのルーツへ行き着くという、困ったイデオロギーのイメージづくりに貢献した名役者だね」
ふむう……え、それで?
「フットボールは15世紀頃からイングランドのエリート私立学校で体育の授業として採用され、徐々に厳格なルールが定められ公式戦なども行われるようになっていった。規則の標準化という大きな革新が起きたわけだ。
私立学校に通えるのは裕福な家柄の子供たちだけだったから、ある時期までは勝ち負けよりもファインプレイが尊ばれたりもしていただろう。
しかしやがて勝つために専門の人間が集められ、民間から特待生を入学させたりする流れが定着する。
パワーとスタミナで貴族たちを圧倒する労働者階級の子供たちがどんどん私立学校へ迎え入れられるようになってきて、由緒ある貴族たちは小難しい理屈を振り回すような戦い方しかできず、劣勢に立たされる。
19世紀も末になると、ヨーロッパの貴族連中てのは愚か者ばかりになってしまっていた。
ピエール・ド・フレディ男爵もそんな一人だ。
ありもしない幻想を追い求め、一発逆転するのが夢。
彼がザッパスの衝撃を浴びたのは7歳のときだった。
オリンピックの復興に生涯を捧げることを誓う貴族たちは徒党を組み、自分たちをオールド・スポートと呼び合って資金集めと人脈づくりに奔走する。
IOCを設立したときピエールは31歳になっていた。
やっと夢がかなったんだ、嬉しかっただろうねえ。
でも足りないものが多すぎたんだよ。
なにより世間を知らなさすぎた。
僕はやっぱりオリンピックが嫌いなんだが、ピエールについては一言だけ褒めたい。
よく引退した。跡を濁さず。
そこだけは、えらい」