先週末は2連休だった。
今週末もそうだろうと思って、退屈なので娯楽がほしいと口にした。
「何様のつもりだ?
君に週2日も休みをやるわけないだろう。先週は採血のダメージを回復する時間を与えただけで、あれも立派な仕事のうちだ。
休養してなかったというのなら、懲罰必至だな」
つい、アクセルを踏み込んだ。
おちつけ自分。
殺すのは、このスマートウォッチを外してからだ。
「今だって夜はたっぷり寝かせてやっているじゃないか。
これからますます忙しくなれば、そんな余裕もなくなるぞ」
これからますます……仕事を増やすつもりなのか。増やされるのか。いったい……
「2万ドルも君の会社に支払うんだ。遊ばせてやるなんて、とんでもない。
僕のポケットマネーから君に恵んでやってるぶんだって回収したい。舐められてもらっちゃ困るんだよ」
おまえこそ、俺を舐めんなよ。
最後の最後に百倍返ししてやるからな。絶対ゆるしてやらねえ。
俺はエヴァンズをぶん殴りたい一心で、シャドーボクシングを始めてる。
腕立て伏せと腹筋もローテに加えた。ビスケットを噛み砕き、水分をしっかり摂って眠る。
目覚めるたびに、それを繰り返した。
日曜の朝、エヴァンズは軽快なカジュアルで現れた。俺の服も小洒落た春物が用意されていた。
車もプリウスではなかった。SUVのハイブリッドだ。駐車場で車輌点検しながら車名を確認する。
三菱アウトランダー。
「今後、必要に応じてこの車へも乗ってもらう。今日は慣らしだ。成田空港まで行ってみよう」
車高があって視界が広い。パワーもある。
初めて乗る車種だが、なかなかいいな。
助手席にこいつがいなければ最高なのに。
「プリウスはUSで大人気らしいんだが僕にはさっぱり理解できない。
ハリウッドセレブがやたら褒めそやしてる以外に、どんな訴求力があるんだろう」
なら買わなきゃいいだろ。
それにしてもカモッラだってプリウスばかり何台も購入してるじゃないか。
「世界中で走っているし、ヤポでも道路はこいつだらけだ。ありふれててカムフラージュに最適だから採用してるだけだよ。
車内は狭いし前後も左右も視認しにくい。面白みだって、かけらもない。
ただで貰っても乗らないねえ」
なら乗るな。うっせえんだよ。黙ってろ。
空港へ着いてから、妙なミッションをいろいろ与えられた。
コインロッカーに封筒を入れてくる。ATMでプリベイトカードに入金する。検疫所や税関、手荷物引渡し場の位置を確認し、相互の移動にかかった時間をメモしてくる。寿司屋で指定のメニューを注文する。
駐車場へ戻るたび、尾行はされてなかったか、同じ人物を何度も見かけたりしなかったか、この場所には何人くらいの客がいたか、などどうでもいいことをいくつも訊かれた。知らんがな。
エヴァンズはずっと車の中にいて、タブレットとにらめっこだ。
ターミナルの平面図が描かれている。
俺の居場所は画面上で完全に把握できているはずなのに、同じことを確認する。
誤差の程度を調べているのだろうか?
それにしても念の入れようが異常だ。尾行だって、されていても、俺にわかるかよ。
そのうち爆弾でも預けさせられ、本物のヤバい犯罪を命じられるんじゃないかと妄想する。
それでもせいぜい囮役か、時間稼ぎ担当だろうな。
俺は真相など知らされぬまま警官隊に撃たれてお陀仏するんだ。マンガのようだと笑わば笑え。逃げ切れたら、それは奇跡だ。
空港での滞在は3時間ほどだった。
車を出すように言われた。
まだ東京へは戻らないらしい。指示されながら空港周辺をドライブする。
入り組んだ山道や農道を、ゆっくりと走った。
「あいかわらず、かな。
ねえ。君は成田空港の歴史について、どんなことを知っているかい?」
え。いきなりそんな。
……成田は、羽田の次につくられた空港で、国際線専用にするため千葉県の田舎に建設されましたが、都心から離れすぎてて不便なのであまり発展せず、結局羽田のほうが国内線も国際線も充実していて集中的に運用されているとか。
そのくらいしか知りませんが……
「自信無さげだねえ。
いま走ってきた道路からでも、分離壁と検問所・鉄条網が見えていたけど、気付いていたかい?」
え?
鉄条網と、検問所?
ありましたっけ。
「今日はそのエリアまで立ち寄らないよ。でもヤポに住んでいる以上、基礎知識くらい持っておきたまえ。
成田は1966年以来、領土問題を抱えた紛争地域のひとつだ。
半世紀以上経つが未だに平和的解決の糸口すら掴めない。
国際的な人道主義団体が批難してもヤポ政府は内政干渉だと受け付けず、近年は問題の存在そのものを否定する。
国民の大多数も、そんな話は生まれてから一度も聞いたことがないと胸を張る。
知ったあとでも、たいがい政府側に味方するものだがね。
さて君はどちらかな」
いやいや。まったく初耳だしそんなの。
領土問題?紛争地域?日本国内で?
どこの時間線の話だそりゃ。
答えないでいたら、エヴァンズはそれ以上訊いてこなかった。
「来週、ある大物をエスコートする。
世界最大の、掛け値なく史上最悪の領土問題を抱えている政府のエージェントだ。
ヤポの、こんな生ぬるい動物園などには興味も示さないだろうと思うんだが、下見くらいしておこうと思ってね。
さて帰ろうか。安全運転でよろしくな」
史上最悪?
いったいどこの国のことを言っているのだろう。
訊いてもバカにされるだけだと思って自分からその話題を掘り下げることはしなかったのだが、運転しながら思い出した。
日本で領土問題といえば有名なものがあるじゃないか。
クナシリ、エトロフ。北方領土だ。
それでも俺は、はるか昔からロシアとの間で揉めている程度のことしか知らない。
悔しいがエヴァンズには太刀打ちできない。
しかし最低限の知識くらいつけておかねばと思った。
1106号室へ戻ったら、スマートウォッチに解説させよう。
「ところで君は、食品卸の会社に勤めていたのだったかな。料理の腕はどれほどかね」
ん?また唐突に話が跳んだな。
ええ、まあ、そこそこ自炊はしてましたが。
「そうだよな。ジェノベーゼやバルサミコ酢まで揃えているヤポのオスはなかなか珍しい。あれは自分で買ったものか?」
おいおい勘弁してくれよ。アパートまで荒らしやがったのか。
肚が立ったので、答えなかった。
エヴァンズは勝手に話し続ける。
「バールで、人手を欲しがってる。
賄いがつくからやりたがるヤポは多いんだが、下心が露骨すぎるとカポクオーコからすぐクビにされる。
君なら適任じゃないかと思ってね。紹介してみたいが、どうする?」
ふー……ん?
悪い話ではない。もともと料理は好きな方だし、出てきた用語からイタリア料理の店だとわかる。
他のヤ……日本人とも、接触できるのか。
これはチャンスだ。
俺は「興味ありますね」と控えめな同意だけを伝えた。
毎日エヴァンズの運転手だけをして一人あの牢獄へ帰るというサイクルから抜け出せるという期待も大きい理由だった。
想像が膨らんでゆく。どうせそっちもブラックを超えるブラック環境なのだろうとは思うが、間違いなく脱出の機会は増える。
気になるといえば、下心。
女もいるのかな。客に色目をつかうケースもありか。私をここから連れ出して、みたいな。
今よりずっと厳しい監視体制が敷かれていることだろう。絶対に気を許しちゃいけない。そこまで考えて俺はこの機会を逃したりなんかしない。
元麻布のアジトへ戻ってきて、エレベーターに乗る。
操作はすべてエヴァンズがスマホで行うのみだ。ドアが開く。ん?
いつもと違う階だ。つくりは同一なのだが、壁紙の色に違和感がある。
「まっすぐ進み、いつものようにシャワーを浴びて次の部屋で服を着ろ。その先には一つずつしかドアがない」
今日から?
もう、いきなり、バールで仕事か?
薄気味悪い想像をしながらシャワーを浴び、新しいマスクを付け、準備されていた服を着る。厨房ユニフォームだよ。本気か。まるでバイトの掛け持ちだ。
俺は前進した。
突き当たりの、唯一のドアを開けた。