東京五輪殺人事件   作:ひねもす@HAMELN

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全米の死者累計が25万人を突破した。

毎日10万人以上の新規感染者も出し続けている。

それだけの検査をしているところがすごい。仮に陽性率を50%とするなら、PCR検査キットが毎日20万セット消費されているということだ。

 

「検査キットといえばヤポでは綿棒のことしか意味しないが、それに付着させた唾液から特定遺伝子を増幅させ検知する機械の方が重要で、これがUSでも払底している。

ボルティモア機関の修正が施されているとはいっても、実態は死者数・感染者数ともにその数字よりも大きいと見做すべきが正解だよ」

 

日本では要人が検査して陽性反応を出した場合、二度三度と繰り返して陰性の回数が多くなれば偽陽性でしたと判定するのが常識で、勇み足で報道したマスコミにはきつーいお灸が据えられるらしい。

空き店舗に机を並べて格安PCR検査を謳っている業者が今やコンビニよりも多いが、エヴァンズの話を聞いたあとではすべて胡散臭く映る。

病院の検査では1回ごとに2~3万円かかるそうなので、綿棒1本5000円でも客は群がる。

おみくじと一緒で、大吉が出るまで引き続ければいい。

誰も不利益なんて被ってないのじゃないか?なにがいけないのだろう。

あれ?

そもそも、おかしいぞなんて誰が言ってる?

 

「USでは病院や診療施設なども襲撃対象になっている。

貧困層は発症しても仕事を休んでなんていられないし、検査費用は行政負担でも治療となると高額だ。

結局、金持ちが憎いという衝動を煽る流れにつながるんだよ。

治療中の患者が銃撃や爆弾テロで殺された場合、covid-19による死亡に含めるべきかどうかという議論だって、ずいぶんと長引いた。

ボルティモアは複雑な数式を公開しているんだが、US以外の国や地域ではそのまま当てはめられないとしている。

難しい問題だな」

 

その議論、意味があるんですかね?

俺は、そんな数字をもてあそんでる学者連中に憎悪が向くんですけど。

 

「腹いせに襲撃したいならしたまえ。止めないよ。

ちなみに、100年前だって同じ問題が生じていた。

リヴァイアサン号の乗員は戦死なのか病死なのか。

陸軍省と公衆衛生局がそれぞれ発表した数字を単純合計すると合衆国の総人口を超えてしまったりするんだ。でも、正確に求められないから数えるのすらやめようというのも極論だとは思わないか」

 

修正しないで、そのままの数字をのこしておけばいいんじゃないですか。

それだって正確じゃないのかもしれないけど、一番作為の少ない、基礎データとなるものでしょう。

とりあえずそこだけは、変にいじらないようにする。

 

「まさしくボルティモアがやっている仕事は、それなんだがね。

各国が発表する数字を、それぞれの機関が持つ設備や予算規模の情報まで含めて可能な限りオリジナルのまま蒐集し、アーカイヴしている。

そのうえで、自分たちの持つ最新の数学理論と計算能力で方程式にかけ、メディアに公開し対策を急がせるんだ。

単純な答えを出すことを主目的にしているわけではないんだよ。そこは理解してやってほしいな」

 

はあ、そうだったんですか。

そこまでしてるんだったら、襲撃はしないでおこうかしら。

 

「100年後、もし人類が瞬間移動や恒星間航法などの技術を手に入れていれば、その時に発生するパンデミックはcovid-19とは較べられないほど壊滅的な被害をもたらすに違いない。

新世代の子供たちが賢明であってくれるなら、かれらは歴史を繙くだろう。

100年前、200年前、それより以前にもコレラやペストの大流行が起きたとき、じいさんばあさん連中はどんなことをしてきたのか。

未曾有のパニックに、何がヒントとなるかはわからない。わからないから、やれるだけのことをやって、のこしておくのさ。もしかすれば感謝してもらえるかもしれないからな。

なんてことをボルティモアの先生たちは言ってるよ」

 

100年後のパンデミックかあ。

想像もつかないけど、歴史なんて繙かれたら日本の評価はボロカスだろうなあ。

 

「1918パンデミックの正体が判明したのだって、つい20年前だ。

アラスカ州で罹患して死亡し、土葬されてずっと冷凍状態にあった遺体が発掘された。

その肺の組織片を分析した結果インフルエンザの亜種だったと特定され、発生源もカンザス州だと突き止められたのさ。

それ以前は流行初期の情報が充実していたESの地名に準じてスパニッシュ・フルーと呼ばれていたんだよ。実はUS産だった」

 

現代技術すげえ。

土葬もアラスカの寒さもパねえ。

80年後でも真犯人わかっちゃうのか。

歴史が変わるよ。

 

「そんなボルティモア機関の統計によれば、あと数日中には全世界の累積感染者数が6000万人に達し、死者も140万人を超える。

ヤポは2002年のSARSが8ヶ月で突然無力化したという歴史に学び、来年7月までにはすっかり人々の記憶からも消え去ってくれるさと期待する。年末年始は郷里で楽しく過ごしましょうと、前回以上の予算をかけて大キャンペーンを宣伝中。

よく正気でいられるなあ。

IOCは監視を続けてるぜ。ブレーキを踏めないドライバーだとシビアな評価をされたことだろうに、それも自覚してないのかな」

 

俺だって、こいつらバカじゃないかとさすがに思ってますので、勘弁してつかあさい。

それより教えてほしいです。新聞は決定してからしか報道しないでしょうから。

官邸では今、どういう議論をしてるんですか?

 

「議論とは、知能を持つ者が二名以上参加して意見を述べ合い、考えを深めたり、何らかの決定へ辿りつく行為をいう。すなわち官邸で議論など行われていない。

秋ノ宮がよく、そんな重要なことをなぜ今頃言うんだ!と青筋を立てるので、閣僚たちが誰にどう切り出させようかと目配せを送り合っている。

そんな静かな戯れごとの場さ」

 

それじゃ何も決まらないじゃないか。

全国知事会ではもっと具体的な議論が交わされているみたいですけど、そこからの意見書は上がっているんでしょう?

それとも、小さな記事ですけど新聞を見れば秋ノ宮首相だって早く何らかの手を打たねばって気付くと思うんですけど。

 

「ずいぶんと彼を高評価しているねえ。

秋ノ宮は派閥や財界の裏工作は得意だが、ランチのメニューすら自分で決める訓練を積んでこなかった男だよ。

4月に岸が出した緊急事態宣言で経済指標がガタ落ちしたことをやたら気に病んでいるから、制限なんて二度と出すまい。それだけは決めているみたいだけど、じゃあどうすればという具体的なプランを一切立てられない。だから機嫌だけ悪くなるのさ。

今夜もモニタ越しに岸から慰めてもらって、歯ぎしりしながら寝つけない夜を過ごすんだろうねえ。

とっとと首相を辞めればいいのに」

 

絶望的になる。

昨日開催された全国知事のオンライン会議で、旅行キャンペーンに対して強い懸念が多く出た。47都道府県のいくつかが、感染拡大中かつ医療態勢の危機的状況を理由に、対象から外してほしいと要望。

芦屋都知事は発言を求められるたびに冷笑し、国の決定を覆せると思っているなら是非あなたが言ってみればいいわ、とふっかける。

意見書なんて読まれもしないわよ、と最後まで辛辣だ。

 

「心配することはないよ。

疫病もテロも、経済や医療の崩壊だって、ヤポでは起きていないも同然なのだから。

年末年始は少しくらいハメを外して世界標準レベルの地獄を味わってみたらよい。

人口はUSの40%ほどだから、12万人も死ねば少しはかれらの苦しみに近づけるだろう」

 

新聞の一面に目をやる。

日本での累計死者数はまだ2000人にも達していない。

圧倒的に少ないことは誇ってよいことじゃないのかよ。

アメリカの、120分の1だぞ。実数なら240分の1だ。

感覚がバグってきてよくわからない。

 

「ん。……ジョバンニ。今日、アヴァンティへ寄れってさ。

仕事ではないみたいだ。

トキオから、話したいことがあるそうだ」

 

え?ずいぶん久しぶりだが、アヴァンティ。

なんだろう。

トキオが異動になって、また俺にお鉢が回ってくるのかな。

 

「ふうん。……これは僕の口から説明すべき内容じゃないな。

明日以降の予定にも影響するか。

了解、と。よし、まあそんなところだ」

 

エヴァンズらしくないリアクションだ。

不吉な予感しかしない。トキオと俺の個人的な問題か。アザリアの誰か絡みかな。

保阪を殺すとか言っていた、あれかも。

厭だな。すごく厭だ。

 

夕刻、アヴァンティへ直行。

ウェイターの制服ではなく、昼間のとほぼ変わらないカジュアルが用意されていた。

それでもシャワーと着替えが必要なのは衛生対策および重量チェックで異物持ち込みを防止するため。はいはい、わかってますよ。

厨房裏から入店する。

カムパネルラに挨拶。

ホールへ入ると、制服姿のトキオと、スターンがいた。

この取り合わせは完全に初めてだ。

 

「ケンヂ。トシさんが重態だ。SARS2に感染したとみられる。

現在、花巻の御実家2軒先に隔離され、寝ている。医師による治療は受けていないようだ」

 

……は?

ええと。

ついスターンに目を向ける。腕組みして、こっちを見ていた。すべて御承知か。

隠し立てする必要はまったく、無さそうだな。

 

岩手県の、俺の郷里で、妹が臥せっている。看病されていないようだ。

2軒先というのは、そこの住人が夜逃げしたあと、金を貸していたのでうちの親父が取り上げて、離れとして使っていた2階建てのボロ家のことだろう。

隙間風が吹きこむので、およそ病人を寝かせておく環境じゃあない。

いったいどういうわけだ。

 

「トシさん以外の御家族は感染していないらしい。

弟さんと、もうひとり下に妹さんがいるよね。その2人が食事を運んでいるみたいだが、使い捨て容器で、これも看病というより、はっきり言うと、死ぬのを待っているように見えている。

どうだろう、君の意見を聞きたい」

 

親父ならやりかねない。世間体を気にする上、医者嫌いでさんざん近所と悶着も起こした。感染症についての理解だって100年は遅れている。

おふくろも、弟たちも、逆らえないで従っているのだろう。

ひでえ。

たすけに行きたい。

 

「スターン。いいですか」

「いいよ。ジョバンニ、今日はこれから2133号室へ上がって、ひと晩ゆっくり休め。明日エヴァンズがおまえを花巻まで連れていく。その後どうするかは、エヴァンズと相談しろ」

 

カムパネルラが、料理をつくってくれていた。テーブルでゆっくり味わう。激旨だった。

店が開く前に退出し、エレベーターへ乗り、これも久しぶりのガウンに着替える。

2133号室……ここか。

 

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