東京五輪殺人事件   作:ひねもす@HAMELN

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TokyoMassacre2020-11-011.hmos

廊下までは普通だった。

2000番台の扉が並ぶ。

2133号室を開けると、ごく普通のホテルみたいなシングルルームだったので強烈な違和感にたじろぐ。

内側に把手はついてない。つまり一度入ると出られない。

安心した、ここはカモッラの牢獄にちがいない。

 

ドアを閉め、室内をあらためる。

アメニティや筆記具などは置いてない。照明スタンドは埋込み式。テレビも無いな。

普通のトイレがある。トイレットペーパーは無い。ウォッシュレットで洗ったあと……このタオルで拭けというのか。

要するに、武器に使えそうなものが極力置かれてない客室なのだ。あくまで豚舎のグレードアップ版にすぎない。

それでも、とんだVIP待遇だぜ。

ひとしきり、床の上で腕立てや腹筋にいそしみ、ベッドに横たわって明日のことを考える。寝つけなかった。

 

朝は8時にコールサインがきて、部屋を出てからシャワーを浴びる。

用意されていた服は見た目いつもと変わらぬワイシャツとスラックスだが、下着が厚手だった。ヒートテックか。あったかい。

そうだよな、雪国へ行くんだ。

 

プリウスを運転し、羽田空港へ。

エヴァンズから本日の概要を聞く。

新千歳空港で乗り換えて花巻空港へ。フライトが順調なら午後2:30から5:15までが現地滞在時間となる。空港から俺の実家までは15分程度なので、妹との逢瀬はきっかり1時間とする。時間厳守で日帰りするぞ、と。

 

「新幹線より若干こちらの方が早かったのと、花巻空港を見ておこうかなっていう僕の趣味が選択基準だ。余計な心配はしなくていいから、妹さんと何を話すかよく考えておけ」

 

何が狙いなんですか?

俺を妹に会わせることが、カモッラにとって何のメリットをもたらすのかがわかりません。

 

「カモッラというより、トキオが立案して承認されたってことじゃないのか。

妹さんは、君と非常に仲がよく、トキオとも一時つきあっていたんだろう。

僕はただミッションを命じられて送迎を手伝うだけさ。

むしろ君がトキオから何も伝言を預かってないというのが意外だね」

 

俺の口から、トキオは元気にしてるよって安心させてやればじゅうぶんだってことですかね。

まあ、とっくに別れてるんだし。

いきなりトキオが会いに行ったりしたら説明も大変か。

ところで、妹は看病されてないそうです。連れ去って、病院で治療してもらうことは可能ですか?

 

「無茶いうな。親父さんに見つからないようにしろって条件付きなんだろう?

岩手県だって病床はあいてないし、医者も薬も足りてない。

被験体にできる見込みがあるなら博士に預ける道もあるが、それならトキオが検討済みだろうから、不採用だったんじゃないかな」

 

せめて薬を置いていっちゃいけませんか。

博士は治療薬だって研究されてるでしょう?

 

「その考え方は全医療従事者に対する侮辱だから即刻改めろ。

素人が診療をすっとばして生兵法で薬を扱おうとするんじゃない。

それに、この状況で延命だけさせるってのも感心しない。むしろ即効性の毒薬なら与えてやれんでもないが、最終的に何をどうしたいんだ」

 

最終的に、妹を元気にしてやりたいんです。

あんな廃屋に寝かせてたんじゃ死んでしまう。救えるチャンスを与えられたからには、救いたいんです。

なんでわかってもらえないんだ?

 

「聞いた限りでは手遅れだと思うよ。

妹さんを救うチャンスを君が与えられたのだとしたら、消息不明で心配していた兄貴が枕元に現れたので未練がひとつ減った、というエピソードは大きな救いとなるものじゃないのか。

妥協しろ」

 

定刻で花巻に到着。

本日の最高気温は3℃。エヴァンズは寒がりながら喜んでる。

空港の駐車場に岩手ナンバーの白いプリウス。

エヴァンズは平然と乗りこむ。俺は助手席へ。

 

「トキオの直属部下だと思うが、今も僕たちを監視してくれている。かれらがこうして先々で準備を整えてくれているから安心して、余計なことは考えるな。

家へ入ってから、きっかり60分でコールする。20秒以内に出てこい」

 

このプリウスも、ナビは無効化されている。エヴァンズはルートを頭に入れているようで、地元民しか知らないような裏道を迷うそぶりもなく通行し、うちの近所の空き地に停車した。

ここでトランクから防護服一式を取り出し、俺だけ装着する。全身を包み、手袋は二重だ。

再び助手席へ着座。

しばし待つ。

エヴァンズはタブレットを睨んでいたが、よし、と一言つぶやいて発進させた。

 

ゆっくりと、我が家へ近づく。

2軒隣の離れ前で、停車。

すぐ降りて、まっすぐ玄関へ。開ける。

閉める。

まるで盗っ人だ。マスクの下で息づかいと鼓動が響く。

ゆっくりと階段を上がり、襖を開けた。

トシが寝ていた。

石油ストーブが紅々と燃えていて、ヤカンから湯気が立ちこめている。

換気が悪いな。

少し窓を開けてやる。

 

「……え?お兄ちゃん?」

 

なぜわかる。妹よ。

俺は振り向いて、フェイスガード越しに、トシの顔を覗きこんだ。

ちっとも驚いてない。

なんでだよ。

笑ってやがる。

咳こんだ。おいおい、無理するな。寝てろ。

湯呑みに白湯を注いで、震える手で差し出す。

手袋が邪魔だ。取りたいな。

 

トシは少し体を起こし、熱湯を、さましながら口に含む。

しばし見つめあう。

俺の鼓動は落ちついてきた。

やつれたな。ひでえ親父だ。

なんで、なんでこんなことに。

涙がこぼれてくる。

拭いたいが、どうすりゃいいんだ。

 

「いま、こっちにいるの?

一年経つよね。どうしてたの?」

 

ごめん。まだ東京なんだ。

今日も、すぐ帰らなきゃならない。

おまえがコロナに罹ったって聞いて、会いに来た。

つらかったら、しゃべらなくていいから。

 

「お兄ちゃんも、コロナに罹ったんでしょ。すごく早いうちに。

それで、そのあと、行方をくらませて……

いったい、何があったの?」

 

ああ……俺、そのあとすぐ悪い組織に捕まって、強制収容所みたいなとこで働かされてるんだ。連絡手段も一切奪われて、何もできなかった。

心配かけただろ、ごめんな。

 

「そこから、逃げてきたの?」

 

うむ……いや、意外とそいつら優しいところもあってさ。妹が病気らしいっていったら、一日だけ、会わせてくれるって。それで今日、飛行機で、ここまで来た。

 

「ああ……ふむ……なるほど。

ねえ、それって、もう完成してる?

饑餓陣営より長い?

最初から読みたいな」

 

あ?おいおい。マンガのあらすじじゃねえよ。俺、もうマンガなんか描いてないから。

リアルの話だ。

とはいっても、たしかにマンガみたいな筋書きだよな。

 

「ちぇ。せっかくお兄ちゃんの新作が読めると思ったのに」

 

おまえ、バナナン大将が大好きだったもんな。

おまえのために描いてたようなもんだったしな。

饑餓陣営か。よく覚えてたよ。

俺、タイトル忘れきってた。

 

「一番推しは、グランド電柱だよ。タールを塗れる長靴のォ、歩はばは三百六十尺ゥ」

 

あは。あのクールガイな。

そういえば俺、最近トキオに会った。

 

「え?」

 

似てるだろ。

うちへも何度か来たことあるよな。

あいつ結婚したんだ。

もう男の子いてさ。

パパっぷりが、かっこいいんだ。

 

「へええ。それは、いいこと聞いたな。目に浮かぶなあ。

ねえ、また描いてよ。

グランド電柱リターンズ。トキオさんをモデルにしてさ。

ラフでいいから。

できたらまた持ってきてよ」

 

ああ……そうだな。俺もまた、描いてみたくなってきた。

トシが読みたいなら。

うん、考えておくよ。

 

そのあとは、とりとめなく、実家の事情を聞いた。

岩手県は全国で最もコヴィッドの流行が遅れていたが、7月末から徐々に報告が出はじめ、もともとムラ気質の強い風土だったため深刻ないじめや部落差別に発展した。

そんな病気をもらってくるなんて、どこでふしだらな遊びをしてきたんだ、という偏見がまかり通る。

 

俺たちの親父は以前から熱心な浄土真宗信徒だったが、この一年で病的なほどの狂信者へと変貌した。

長男が失踪したことも原因の一端ではあろうけれども、次男の清六が家業を継がざるを得なくなる。

大通りに店を構えているリサイクルショップを改装し、堅実な建築資材卸業に仕切り直して再起を図ろうという方向で進めているそうだ。

トシの発症を秘匿したいのは、父よりもむしろ弟であった。

つらい。カモッラへ戻らなくてよくなったとしても、俺が実家へ帰れば家族関係を更にややこしくさせるだけだろう。

なんで、なんでこんなことに。

 

左腕に痛みが。え、もう60分経ったのか。

トシは話し疲れてぐったりしていたので、起こさないよう静かに階段を降りる。

ドアを開けた。

側面から猟銃を突き出され、フリーズする。

 

「……兄貴?」

 

清六かよ。

よくわかったな。おい銃口を下げてくれ。

だめか。にらみつけてくる。

俺は両手を上げ、もう戻ってこないから見逃してくれと静かに頼んでみた。

大変な状況だってことはトシから聞いた。

兄のくせに何もできなくてすまない。

俺のことは、もう、この世にいないと思ってくれていい。

二度とここへは来ない。

約束する。

 

「兄貴を見つけたら、親父が発狂して、また手がつけられなくなるよ。母さんだって、もっと苦しむだろう。

わかってくれたんなら、もう行ってくれ。

……あ、ひとつだけ。

東京はひどいことになっているって噂だけど、本統かい?」

 

ありがとう。

俺はこれから東京へ戻るんだが、そう。ひどいよ。

ゾンビの群れがいつどこから襲いかかってくるかわからない魔都だ。

俺はそこで仕事を持ってる。

これ以上は言えないんだが、ともかく、戻らなきゃならないんだ。

ごめんな。50年くらい経って、また会うことができたら全部打ち明けられるかもしれないけど、今はまだ早すぎる。

ひとまずは、さよなら。いや、おやすみだ。

 

銃口は向けられたままだが、殺意は消えたようだ。

通りの端にプリウスが見える。

ゆっくりと歩いていった。

運転席のエヴァンズに指図され、後部座席へ乗りこむ。シートと前部との仕切りにビニールがびっしり張られていたのはこれのためか。

 

一度目とは違う工場裏へ入り、そこで防護服を脱ぐ。

エヴァンズが大きなポリ袋を広げ、中に全部放りこんで、密封。

新しいマスクを付け、両手もしっかりアルコール洗浄して、助手席へ乗りこむ。

まっすぐ空港へと向かう。

 

「あれが弟さんかい。

20分くらい見張っていたよ。ずいぶん強い意志を持ってる。立派な経営者になれそうだね。

情に流されないって条件をクリアできるヤポなんて、なかなかいないからねえ」

 

日没は4時すぎ。すぐ、真っ暗になった。

帰りの便はぴったり定刻で飛び、9時すぎ、元麻布へ帰着。

もう一日だけ同じ部屋へ泊まるかと訊かれたのだが、落ち着かないからいつもの部屋がいいですと答えた。

 

ただいま、632号室。

およそ人間らしさから隔絶された、こんな家畜小舎の方が、今の俺にはふさわしい。

長い一日だった。

泥のように眠ろう。

おやすみ。

 

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