何もできないくせに休みますとも言えない首相なんか放っておいて、公務員は続々と冬休みの準備に入っている。
厚生労働省はコヴィッドと全国規模の医療崩壊に対処しなくてはならないため休めないことだろう。と思う人もいるかもだが、年間スケジュールに変更は加えず、有給休暇もしっかり取得すべし。という原則を貫くらしい。
そこでマスコミが年内最後の御挨拶をしに行った。ついでに面白い話が聞ければ記事にして日銭を稼げる。
担当官は迷惑そうに対応してやった。
「日本製ワクチンの国内承認審査は来年へ持ち越しとなる。
慎重に進めているので、大臣からの発表を待て。
有効性の否定はしない」
最後のフレーズが印象に残ったのだろう。記者はそのまま原稿に起こした。
校正をしていないとはさすがに思わないが、紙面にそのまま載った。
俺には「有効だと書いておけ、ただし省として断言はしていないからな」という含みを感じるのだが考えすぎか。
まあ所詮は無学なゲスの勘繰りだ。
俺を取材しに来る奴なんていないから、へたな揚げ足もとられまい。
「国家予算で治療薬やワクチンに開発投資している政府は少なくないんだが、ヤポが過去にそんな発想をした例は記憶にないね。
いま4つほどの企業が厚労省にワクチン承認の申請を出しているんだが、すべて自費での開発だ。1社を除いて倒産寸前。
年明けまでもたないだろう」
え。日本でもそんなにワクチン開発やってたんですか。初耳でした。
「メディアが紹介するのは広告費を先払いできる企業だけだし、小さな会社は官僚への接待費を優先したら広告費なんて残らないのが普通だ。
広告屋もメディアもカネの匂いがしない海域には近寄ってこないから、そいつらだけ見ていても業界全体は把握できないよ」
そこまで視界を広げたいわけではないんですけど、もっと初手からリソースを集中させて国産ワクチン開発に取り組んでいれば、と悔しい気持ちが湧いてきますね。
「ヤポには100年先でも無理だろう。
今だって申請中のサンプルをただ一時預かりにしてるだけだし、USから送られてきているワクチンのサンプルだって、ヤポは国内で治験する技術を持っていないから」
は?
厚労省は、いったい何をやっているんですか?
「こっちこそ聞きたいね。
いったい何をやりたいんだ、おまえたちは。
あらゆる薬物投与は全段階において実験的であり、常に危険と副作用を伴うものなんだ。厚労省は安全基準を厳しくするばかりで、禁止と自己責任しか唱えない。法律を犯さずには動物実験も人体実験もできない国にしておいて、すべてのデータは外国の諸機関に依頼して出してもらうという体制を半世紀にわたってガチガチに固めてきたから自分たちでは何もできないのさ。
もう一度言うぞ。
いったい何をやりたいんだ、おまえたちは」
な。マジか。本統か?
いや、矛盾がある。
海外でテストしてもらったからって、その薬を使用するのは国内でなのだから、それが違法のままではまずかろう。
安全に厳しいことは重要だが、求めすぎては息苦しいだけの国になる。
日本は医療先進国だ。
そこまで愚かなはずがない。
「やれやれ。先進国とはバカの代名詞だと以前にも説明したはずだぞ。
とりわけヤポはUSが自分に1票入れさせるために承認しているだけのニセ国家だ。実態は国家と呼べるだけの自律性すら備えちゃいない。
自覚しろよ」
いつ言ったよそんなデタラメ。
聞いてねえし、ありえねえよ。
日本は国際承認されている独立国だ。侮辱にもほどがある。
「厚労省が承認してからなら国内で患者に使用して稼ぐことは合法とされるが、事故は大小かかわらず現場責任とされるところまでが法律による規定だ。
それでもあまりに事故が続けば厚労省へも批判が向くので、官僚たちは予防措置を徹底的にしておきたいのさ。
だから承認までに時間をかける。
外国の検査機関が余計なデータを集めていないか等の信用調査と宣誓書を集めておくのが大変なんだ。
ヤポでエリートになると外国語に異物感を抱くようになって拒否反応をこじらせるからね。それで時間がかかるというわけさ。
ともかくそんな伝統をせっせと積み上げてきたヤポでは、ワクチンなんて永遠に完成しないよ。
いまさら承認したところでUS製その他とすぐ比較され、物笑いの種にされることが明らかだ。
厚労省はそれをわかってるから、急がず慌てず冬休みへと入るのさ」
エヴァンズの説によれば、厚労省が下す判断はすべて政治力学に拠るってことになる。
ますますありえん。偏見のカタマリだ。
ムカついてたまらない。
反論すればするだけ掻き回されるので疲れた。
少し黙って気を落ち着ける。
「そんな話題よりも、こっちのニュースの方がはるかに重大事だぜ。
ドナルド大統領が最後の大ナタを振るった。
全国の刑務所から凶悪犯に恩赦を与えて出獄させたんだ。
側近たちが気付いてすぐ停止させたんだが、確認されているだけで29名、合法的に野へ放たれ行方がつかめない。
様々な形で遺されている元囚人からのメッセージは一様にドナルドへの感謝を顕し、この命を捧げますので御指示をくださいと綴られている。
何がおっぱじまるのだろうねえ。
世界中が注目しているよ」
ふうん。
俺には何もできないんで、知っちゃことじゃないんですけど。
それに世界中といっても日本は圏外です。
新聞にはそんなニュース、載ってません。
「この先、covid-19による死なのか、テロやリンチあるいは自由解放のための殉死なのかといった統計上の困難がますます大きくなると思う。
ボルティモアの先生たちは頭脳をフル回転させていることだろう。
なんだ、全然興味なさそうだな。張り合いがないねえ」
止めませんから好きにおつぶやきください。
俺は今夜の仕事に備えて心を落ち着かせておきたいんです。
「そうか、いま気付いた。
3日前ドナルドは突如、岸に勲章を贈っている。卓越した指導力とヴィジョンを讃え、という頌詞を付けて。
ヤポへ来るたび激越な接待を受けていたからそのお礼かなと気にも留めていなかったが、これも計画の一部だとすると、何かが仕掛けられている可能性はあるな。
この勲章、ヤポへ届く前にすりかえて入手できないだろうか。
だめでも、岸の手に届いてからの追跡を怠らないようにしたい。
もしかすると凶悪犯の一部を送りこんでヤポで何らかの行動を起こさせる、その鍵に使うかもしれないからだ」
ドナルドの任期ってあと25日くらいだっけ。
すごいなあ、ぎりぎりまで大統領権限を行使していろんなこと考えるんだ。
秋ノ宮にもこのくらいのバイタリティがあればなあ。
もはや、やつれきったボロ雑巾のイメージしかない。
少しは休めよ。無理に何かしようとするな。
むしろ何もするな。
大掃除だけしてろ。官邸をきれいにして、次の首相へ明け渡すんだ。
年末年始をそれに費やすといい。
「カストルプ・アインシュタイゲン」
「クレエゲル・アインシュタイゲン」
5時すぎ、南麻布でイェーガーを2人乗せた。本日最後の回収だ。
エヴァンズが、行きつけのステーキハウスへ向かえという。
了解。
バックミラーで、少年たちがマスク越しに喜んでいるのを眺める。
日本人、だよなあ。
店でもかれらはほとんど喋らなかった。
黙食が基本だしカモッラ御用達なら尚更なのだが。
もっとも、食事を待つ間エヴァンズだけはどうでもいい蘊蓄を垂れ流す。2人きりのときは俺もつい反応せざるを得なくなるのだが、こいつは傍に誰がいようと構わずつぶやくのがデフォルト動作なのだ。
なおリアクションなどは求めちゃいないので聞き流していればよい。
下手に構うと、漏れなく面倒がついてくる。
「こんな平和な街並みも、今夜限りだと思うと愛おしくさえなるよね。メリークリスマス。
クリスマスという祝祭はカトリック起源ではあるのだが、いろいろ混ざり合ってしまっているからもはや宗教行事とは呼べない。
USの麻薬飲料会社が赤いおじいさんのイメージを定着させたのだってせいぜい90年ほど前からだしね。
厳粛に祈りたい人は祈ればいいし、金儲けしたい人は働けばいいし、普段どおり過ごしたい人は家へ帰ればいい。
そんな平和な、最後の夜だ。
ちなみに昔は日没が一日のはじまりだったから、キャンドルを灯すと同時にクリスマスを祝っていたんだ。イヴを別扱いするなんておかしいよ。
しかしどんなに理屈を捏ねたところで、誰もがクリスマスには特別な郷愁を抱くものだと思う。
僕は幼い頃、精霊の友達を大勢持っていたんだが、その中でもサンタクロースは一番不可解な謎だった。物理的に家屋へ潜入して、世俗的なプレゼントを置いていくのだからね。
僕はなんとかそいつを捕まえたくて、小さな頭脳をフル稼働させ猛烈に考えて研究と挑戦を繰り返した。
あれがどれほど貴重な体験だったか、齢を重ねるにつれて思い知るんだよ。
おかげで僕は今もサンタクロースと親友でいられてる。
今年も彼は大忙しだ。
僕たちも、せいいっぱい手伝おう。
やあ、お肉が焼けたようだ。しっかり食べて、夜中に備えような」
元麻布へ帰り、632号室で就寝する。
夜中、アラームで起こされた。
着替えはグリーンサンタの衣装だった。
駐車場へ降りると、サンタが大勢いた。
プレゼントを満載したプリウスに乗り、俺たちは次々と都内へ駆けていった。