正午近くに目を覚ました。
スマートウォッチにメッセージが入っている。
1件目、7時半頃。エヴァンズより「今日は寝てろ」
2件目は10時過ぎ。スターンから「15時になったら店へ来い」
水を飲み、シリアルを頬張り、腹筋と腕立てをちょっとやって、もう少し寝る。
3時前に誰かが迎えに来るのかな、と思っていたらドアが勝手に開いた。こんな機能もついているのか。
1106号室を出る。
この廊下には、他に3つの部屋がある。番号はバラバラで、どのドアも開かない。いつものことだ。
左手突き当たりのドアだけが開く。
ここから3つの小部屋が続く。真ん中がシャワー室。その両隣が更衣室だ。
今日はまっすぐ通過する。
抜けた先に、エレベーター。俺が近づくと勝手に開いて、乗ると勝手に閉まって、動く。
下がっているようだ、くらいの感覚しかわからない。
着くと、同じ側の扉が開いた。先程の階と同じように3つの小部屋が連なる。
1番目でガウンを脱ぎ、2番目でシャワーを浴び、温風で乾かしたあと、3番目の部屋で服を着る。昨夜と同じユニフォームだ。
一度ごとに回収し、洗って、次の衣装を準備する係がいるってことだよなあ。
俺と同じ奴隷がやらされているんだろうか。
いずれにせよ、ベルトコンベアーみたいなラインからはみ出すことは不可能に思われるので、黙々と処理され加工されていくしかないわけだが。
着替えた先には5メートルほどの廊下。左右の壁にドアはない。
突き当たりのドアを開けると、厨房だ。はい正解。
カムパネルラがサラダの仕込みのような仕事をしていた。
軽く挨拶して、ホールへ出る。
スターンがグラスをチェック中。おはようございますと挨拶を交わす。
「血中酸素濃度が低下していたから、エヴァンズが君を一日休ませると言っていたよ。彼は優しいね。
ここの仕事はそれほど疲れもしないだろうし、会話をしている方が気晴らしにもなるんじゃないかと思うから私は呼んだ。
帰りたければ帰してあげてもいいが、どうするかね?」
反論したいところが何ヶ所かあったけれども、まあ確かにあの豚舎に一人でいるよりはここの方がいい。
ええ大丈夫ですと答えた。
掃除をして、アルコール洗浄液やナプキンの補充など開店前の準備をひとしきりすると、暇になった。
カムパネルラは厨房で黙々と仕込みを続けている。
そっちも手伝わされるかと思っていたが、カムパネルラから頼まれない限り手を出すなと言われた。
スターンの酒についても同様で、洗い終えたグラスを持ってくることさえ禁止される。
俺は定位置の椅子に腰掛けたまま、ぼんやりと店内BGMを聴いていればよいのだった。
時々スターンに話しかけることは許可された。
ここのお客さんは、皆さん、カモッラの方ばかりなんですか?
「基本はそうだね。カモリスタが取引先のお客さんを連れてくることも多いが、私もいちいち詮索はしないからね」
カモッラの正社員は、何人くらいいるんですか?
「わからないねえ。私も全員の顔は知らない。
入れ替わりも激しいし、東京へ出張で来ているだけかもしれないしね。
それに、たとえばムスリムはこの店へ来ない」
ムスリム?
「そこからかい。
イスラームの民だ。かれらは戒律で、アルコールを禁じられている。
ここではハラールを提供することもできないから、ムスリムと親睦を深めたいカモリスタは他の店を使う」
スターンは、カモリスタなんですか?
「そこは間違いないね。この店の経費一切はカモッラが支払っていて、私の収入もそれに含まれているから」
俺はカモリスタに含まれますか?
「ははは、怒るよ。
君は入ったばかりのヤポで、派遣会社所属で、スレイヴだ。
カモリスタへの敬意を忘れたら、その瞬間に君は、よくてヤポニカになる」
ヤポニカ?
それは、何ですか。
「私の口からは説明しづらいね。エヴァンズに訊くといい」
はあ。では、カムパネルラはどこに所属する人なのでしょう?
「私の弟子にしてから2年くらい経つかな。
厨房はもうすっかり彼に委ねている。立派な人材だ。君も目標にするがよい」
彼はここの専属なんですかね。外仕事もしてるんですか?
「本人に訊け、と言いたいところだが彼に口を開かせるのは難しいだろうから私が答えよう。
カムパネルラはここの専属だ。
日光が苦手だから、外出はしない」
日光を浴びないとビタミンD不足になりますけど、大丈夫ですかね。
「紫外線と放射性物質の脅威にも曝されることを考えたら、食品で摂る方が健全だろう。
彼はシリアルも必要量をきちんと食べているし、ここでも賄いを食べていくから、君よりずっと健康状態は良いよ」
俺はチラチラと厨房のカムパネルラを観察した。
スターンの話と絡めて、すっかり飼い慣らされた従順な奴隷だと認識する。
俺なら客に出す食事にツバとかフケとか混ぜ込んでやりたくなるところだが、そんなことをしたら即、ヤポニカとやらに転落させられるのだろう。やべえやべえ。
目標にはしないが、彼のようにしていれば、ここで生き延びることができるのか。
だったら参考にさせてもらう。
対話を試みることは絶望的みたいだから、あきらめるが。
今日の予約は夕方6時から入っていた。
カウンターもボックス席も、ぼちぼちと埋まる。
客たちの会話はほとんど聞き取れない。日本語でも英語でもない言葉が飛び交う。日本語らしく聞こえてもその中の単語が複雑だったり早口すぎたりして、ついていけない。
人道的にけしからん連中だとしても、カモリスタの知識や仕事ぶりには、きわめて高いレベルの素養なり実力が要求されているのだろうなあと認めざるを得ない。
どうすればこんなやつらから逃げ出すことができるのか。俺は途方に暮れる。
突如、手招きをされた。
ボックス席で笑っていたおっさんが俺を指名している。
厭な予感しかしないが逆らえるわけもなく、そこまで出向く。
空いてる席に座るよう命じられる。
「新入りヤポくん。キミ、この人が誰かわかるよね?」
ヨッパライだよこいつ。
スマホの動画を見せられる。ニュースの映像らしい。
喋っている人物は、暴言と老害で超有名な、元首相だ。その名を答える。
「そう。現政権の副総理でもあるよね。
さて、この人が、こんなことを言っている。
なにかコメントをしてくれたまえ」
めんどくせえヨッパライだ。知らんがな。
マスク越しに毒づきながら、動画を早戻しされたところから数十秒、見る。
「日本はワンチームでまとまってるでしょ。勝てっこないと言われて出場して、ベスト8に残った。いいことですよ。
インターナショナルになりながら、きちんと祖国を大事にし、日本文化を誇りとし、日本語で、お互いがんばろうと声を掛け合う。堂々と存在感を発揮して。
すごいことだ。
やっぱり日本という国は偉ェ。
2000年の長きにわたって、1つの国で、1つの場所で、1つの言葉で、1つの民族、1つの天皇という王朝、126代の長きにわたって1つの王朝が続いているなんていう国は、ここしかありませんよ」
日本のチームが海外で奮闘して、準々決勝まで進出した。その直後に興奮しながらスピーチした場面のようだ。
単一民族説はナンセンスだと思うけど、昔からよく使われる論調で、特別耳新しいものでもない。
ヨッパライが感極まって浮かれてるだけじゃん。
ほっといてやれよ。いちいち、つついてる方がみっともないよ。
という感想を抱いた。
もう少しマイルドに言い換えたが、大体そのような意見を伝えた。
3人の男たちがうなずき合っている。
最初のヨッパライがこう返してきた。
「ありがとうヤポ君。
いやあ。いろんなコメントを読んだんだが、ヤポは誰一人として、2000年の、という部分に違和感を抱かないことがおかしくてね。
ここ、どう直すのが正解だと思う?」
え?そこ?は?
俺は、答えに窮した。
「皇紀を正しく理解していて、126代まで言い切っているのなら、2680年の長きにわたって、と言わなくちゃおかしいんだよ。
誤差25.373%。どの桁を四捨五入しても2000になんてならない。
ずいぶん数字に関してはおおらかな人種なのだろうねえ。200個体以上いる聴衆の恍惚ぶりを見ても、疑問を感じてるやつはいなさそうだし。
どうだい、これがヤポだよ。
皆さんが日々どれだけのストレスに苛まれているかと、心よりお察し申し上げる。
それでは、あらためて乾杯!」