俺は、社交的な性格ではない。
サチカにもはっきり言われたが、ネクラだ。
ひとりでいるときが一番好きだし、落ちつく。
しかし6畳ほどの、窓もない牢獄で、何日も何日も、食って寝て走るだけの生活を送るハメになったらどうする。
さすがに発狂しちまうんじゃないか。
最初の一日はそんな恐怖に脅えていたように思う。
いや、どうかな。つとめて考えないようにしていたような気もする。
人間、極限状態のどん底に置かれたときほど、笑うものだと聞いたことがあるぞ。
絶望だの鬱だのは、まだ余裕のある人間が吐く幻覚だ。鮫や虎に食われてる最中の人間はそんな言葉つぶやかない。
走りながらずっと唄っていたよ俺は。思い出せる限りの唄を。ポップ、ロック、ラップに国家。なんでもハチャメチャに叫んでた。
飽きるまで唄うと、もう、なにも考えなくなっていたな。
チクッと、腕に痛みが刺した。
2月25日木曜日、午前8時。
ドアが開く。
すっかり黒ずんでいたトレーニングウェアを脱ぎ、何日かぶりの洗浄機をくぐる。
いよいよ絞首刑かしらん。
そんな面持ちでエレベーターに乗り、駐車場へ。
プリウスの前にエヴァンズがいた。
俺は助手席。いつもの床屋へ。
ああ、人肌のぬくもりを感じる。
小ざっぱりして、車へ戻る。
ここからは勘を取り戻すために運転をしろという。イエス・マム。
ドライブスルーでサンドを買い、駐車して、ぱくつく。
コーヒーが最高にうめえ。
身体にしみこむ、この苦さ。血液が真っ黒に染められていくのがわかる。記憶がよみがえってきた。ここは、地上というところだ。
太陽がまぶしい。そろそろ桜も咲く頃か。
「味覚は正常のようだな。ただの風邪だったみたいだよ。
君を休ませている間、僕はひとりで動き回っていたんだが、専属運転手を飼っておくことで得られる効能にいくつか気付くことができた。とくにこれからオリンピックの準備で忙しくなるからな。支払っただけのぶんは使い潰してやる。覚悟しておけ」
オリンピックかあ。まだやってたんですね、そんなこと。
じゃあ、それが終わるまでは地上暮らしですか。
やれやれ、早く穴ぐらへ戻りてえなあ。
「注意事項をひとつ伝える。
今後、駐車場などでひとりきりになる時、子供の姿が見えたら警戒しろ。
基本は静観。気付いたことはあとですべて報告してもらう。
もし君自身が標的にされた場合は、ウォッチの画面にアイコンをつくっておいたから、それをすぐにタップしろ。
どう逃げるかは任せる。
挑戦してもいいが、まず勝てないからな。どこかに隠れることができたら、あとは位置情報をたよりに僕たちが救出へ向かうから、とにかくじっとしているんだ」
ずいぶんとまあ物騒な敵が現れたものですね。
子供?
イェーガーか、マウスですか?
裏切者が出た?
「混じっている可能性もあるが、まだ実態がつかめていない。かれらの目的も不明だ。黒幕がいるのかどうかも含めてな」
子供を誰かが操っているのだとすると、誰かさんみたいに。
大人の動きも警戒しておくべきですかね。
ひとまず、いつもと違ったものを発見したら逐一報告します。それで、いいですか?
「ばっちりだ。今後新情報が確定していけば追加で指示する。いまの段階では、ここまでだ」
わかりました。ところで、世間のニュースで面白い変化は何かありましたか。
5日間くらい、ずっと籠もっていたので、無性に新聞が読みたい気分です。
「ヤポの新聞にニュースなんか載らないだろう。そうだな……
医療関係者優先でワクチン接種が行われているが、皮膚が赤く腫れたり、むくみや嘔吐を伴う副反応が、GBやUS、ILなどよりも高い比率で出ているようだ。
いずれ発表する際は数字操作するだろうが、今はストレートに現場から厚労省へ報告させるようにしている。平塚は省庁を直轄していないからこの集計には関与できないんだが、松阪が自分を目のカタキにしていることはわかっているから根回しを必死でやっているね。
まったく、寝る暇も惜しんでよく働く男だよ」
松阪ってそこにいる理由ないんじゃないか。と思うけど、もし平塚が厚労大臣も兼ねるようになったら、いつも走り回ってて連絡もつかない大臣のままじゃ困るから官邸に籠もっててほしいな。じゃあやっぱり松阪だけいらない。
芦屋と早来の対決はどうなりましたか?
「ああ、そっちは意外な方向に転んでいる。
新オリンピック大臣の朝日タマヨがさっそく口さがないプロパガンダを開始したので、早来TOC会長が芦屋都知事につい愚痴をこぼした。
これがきっかけとなり、その日の深夜からふたりの長電話が始まった。
早来は何十年も、日々の不満を吐き出せる相手を持っていなかったんだね。汲めども汲めども尽きぬ呪詛がいくらでも湧き出づる。
これを芦屋ユリコは辛抱強く聞いてあげるんだ。毎日何時間も。
惚れちゃうだろ。
もう、早来は芦屋から離れられないよ」
うわあ。男じゃその役、ちょっと無理だなあ。
芦屋ユリコはとんでもない必殺技を持っていた。
もし女性閣僚がもっと増えたら、官邸、あっさり乗っ取られちゃうかもしれない。
「あとは、これも表には出ないままになりそうだが、秋ノ宮の息子が昨秋から様々な経済団体の会合に招かれ、父親への口利きを依頼されていた。
受け取った金品はろくに整理もされず、3億から30億円相当にのぼると推定される。両親は首相官邸に居住しているが、息子といえどなかなか会えない。そのうち怒り出す法人も現れ、スキャンダルになりかねないので息子は党に泣きついた。
幹事長や総務大臣が間に入ってなんとか穏便に収束させようとしている。父親にばれたら怒られるからと、息子はそれだけを気にしている。3億円程度ならヤポでは軽犯罪にもあたらないだろうが、メディアの書きようによっては父親が首相を辞めざるをえなくなるだろうからね。
そんなハラハラさせるホームドラマが、まだもう少しだけ続きそうだ」
政府のメンツは保たれましたかね、ふう。
国内の話題はもういいので、海外が知りたいです。アメリカ合衆国の内戦はどうなりました?
「テキサス州の寒波は過ぎ去り、住民は落ち着きを取り戻している。ロビネットはMANGA勢を刺激しないよう、慎重に動いている。
ドナルドは行方をくらませた。次はどこが戦場になるかねえ」
いっそもう、分離しちゃえばどうなんですかね。アメリカ民主国とアメリカ共和国みたいに。
もっともカモッラにとってはさんざん殺し合った末にそうなってくれることが理想かもしれませんけど。
「もちろんカモッラUSがドナルドの監視は続けている。直近の報告ではフロリダでゴルフをしていたよ。生命を賭して前線で政府軍と戦っている熱心な愛国者たちに見せつけたくなるほど、下品な笑顔だった。
だがそんな映像も、出すべきときまではとっておかなくてはならない。つらいね。クライアントには見せておくが。
今日もそんな巡回だよ。
こういった仕事の流儀に、君も早く慣れてくれれば、僕のストレスも減るんだがな」
はあ。まだちょっとついていけませんね。
それでも、以前より、理解はできます。
復讐は、時間をかけて、愉しくやるもの。それを欲しがる人のもとへ、じっくり適切な調理を施してから届けること。
うまく言えませんが、そんなところかな。
俺、なんでこんな業界へ転職しちゃったんだ?
「さてと。それ以外だとまだ口外できない話題ばかりだな。
ワクチンについてだったら、小ネタがある。
WHOはコヴァックスというプロジェクトを立ち上げて、加盟国を対象に公平な分配を行うという宣言をした。
SARS2ウイルスに対するワクチンを最初に開発したのはRU。次いでCNだが、冷戦時代から薬物の安全基準が統一されていないままのため、旧西側準拠の規格で審査するWHOはこれらを承認しない。
RUもCNもWHO加盟国で、コヴァックスにも参加しているんだが、承認されたワクチンをもらう権利はあっても、自分たちのつくったワクチンを提供する責務が発生しないばかりか、欲しがる国に好きなだけ売ることもできる。こんな逆説が合法的に成立してしまうんだ。
さて、遅れてUSでワクチンが完成し、これをWHOは承認した。
ところが現在まだUSはWHOから脱退したままの状態だ。ロビネットが再加盟を締結するまでが商機だと、USの製薬会社はWHOよりも高く買ってくれる国へどんどん出荷している。
WHOは軍隊を持たず、強制力など無いに等しいから、せっかくつくったコヴァックスを期待通り運用させることができない。画餅に等しかったんだ。
それでも今日、10時間ほど前だが、GHすなわち西アフリカのガーナ共和国へコヴァックスによる初のワクチン輸送が行われ、ぶじ届けられた。
WHO加盟国でコヴァックスにも参加しているヤポだが、抜け駆けしてUSから直接手に入れたワクチンの方がやはり断然早かった。これが国際政治の現実というところだ。おもしろいだろう」
なんとも、やるせない気分になりますね。
「先週末、秋ノ宮はWHOから責められて、コヴァックスへの人道的支援として2億ドルの提供を独断で約束した。チョロい元首だねえ。
しかも、このカネのおかげでGHへワクチンが届いたわけではないんだ。
ヤポが負担する2億ドルは、コヴァックスのために準備され、まったく稼働していない倉庫や輸送業者・会議室・人件費などの穴埋めに充当される。WHOだって公にされたくない部門にこそ、そんな出どころの怪しい使途不明金を回すものだよ。
だからこそ、すばらしい貢献だと言えるのだけれどね」