3月22日、月曜日の夜。
予想されていた通り、繁華街は大勢の人出で賑わった。
マスクをつけず、けたたましい笑い声で疫病退散を祝うおっさんたちも多かったようだ。
居酒屋は満席で、時間制限を設けた店も多い。
耐えに耐えてきた戦争が終わった最初の夜ってこういうものなんだろうか。ハメを外すなと言う方が無理かもしれない。
渋谷と新宿の十数ヶ所では惨劇が発生した。
やれやれ喧嘩か、まったく若いやつは。そう笑っていたヨッパライたちは悲鳴がいつまでも止まないのを不審に思い始め、黙らせてくるかと声をたどって路地裏へと赴く。
そこに、下半身を露出させ、顔をかきむしりながら嘔吐まみれでのたうっている紳士がいたら、どう思うか。
まあ、ゲラゲラ嗤うよな。
そのうち誰かが、救急車呼んでやるかとスマホをいじり始めるんだが、来るわけないことをみんなわかってる。
おまわりだって、今日みたいな日に酒場周辺へはやって来ない。何十人何百人と補導しなくちゃならないし、そんなところでトラブルを起こさないでおくれと、こっそり都知事も指示しているという噂だ。
貴重な警察官は大掛かりなテロ活動に備えておくので手一杯なのだから、交番を拠点として防衛に主眼を置くこと。
ヨッパライたちもわかってる。
持ちつ持たれつでいきましょうや。
ところでこの紳士、きっと美人局にとっちめられたんだろうねえ。災難だけど、ある意味自業自得だよ。病院は忙しいんだからさ。ほらやっぱりつながらない。
それにしても、おちつかないね。にいさん、もう少しだけ静かに泣いててくれないかな。今夜はもう帰りなよ。じゃあな。
さあ、飲みなおそうぜ。
処置が間に合ったケースもある。
GB剤を使用された場合は助からないが、毒蛾たちは市販の殺虫剤も併用するらしく、これを浴びただけなら死は免れる。
GBは頼りになるが入手が困難になりつつあるとわかって代用品を試し始めたわけか。
それにしても殺虫剤とは。
入手経路の特定など不可能。
作用は強烈で、死なさないだけ余計にタチが悪いともいえる。
GBだけ使われていたうちは箝口令も敷かれていたが、今回はマスコミが大々的に報じているから単純に模倣犯だって現れよう。却って状況は最悪になった。
とりあえず一晩で十数ヶ所の被害現場が確認された。
取材費で飲み歩いていた記者による独占スクープも含み、警視庁による発表がすべてではない。実態の把握は現時点ではまだ困難。
すべてが毒蛾の仕業なのかどうなのか。今夜も繰り返されるのか。怖いから宅飲みで我慢しようと外出を控えてくれる都民がどれほどいるものか。
ねえエヴァンズ。警察に対処のしようがないのは理解できますが、カモッラとして何らかの手は打てないんですか。
「なんらかの手、とはいったいどういう意味だね。
クークンたちには護衛をつけているし、夜は基本出歩かせていない。それをより徹底させるだけだよ。
事件概況も、僕たちの分析込みで彼女たちに周知しているが、それでも攻撃を受けた場合は貴重なサンプルとして入念に調査する。
何が訊きたいんだ?」
毒蛾の正体は、どこまで掴めているんですか。
小隊数は3よりも多そうですが、事件現場の分析から中枢がどのあたりにいるか等、そろそろ目星はついてきてますか。
「昨夜のすべてが毒蛾の正規部隊によるものだったとしても、事件現場を結んだ中心点に本部があると考えるのは、お粗末だな。
ちなみにその場所は明治神宮内の池付近だよ。刑事たちがわざわざ見に行っているが、もっと他に調べて回るポイントがあるだろうに」
カモッラの分析はもっと高いレベルなんでしょうね、もちろん。
「ヤポと比較されるのは非常に不愉快だ。
昨夜についていえば、現金を握りしめた白痴中の白痴が群れ集うことはわかっていたから、毒蛾ならずともハンターが腕を奮うだろうという予測はしていた。
むしろ繁華街で子供は目立つからおとなしくしているんじゃないかとも考えたんだが、すばしっこく駆け回っていたみたいだよ」
路地に男をひとりで誘いこむのは、やはり女の子の手管ですか。
「さあね。軽症者に警察が尋問をしてはいるが、マニュアル通りの質問に返ってきた答えをそのまま写しとっているだけで、ちっとも生々しくない。
いまどきの娘が、なうとかカキコなんて言葉使うわけがないだろうに。いつから改訂してないんだ」
うわあ。俺でも使わないなあ、さすがに。
「刑事たちとは対象的に、毒蛾はスマートフォンを使いこなしている。
獲物から奪ったあと、管理情報を抜くのに30秒もかかっていないようだ。余裕があれば付近にいるそいつの友人へメッセージを送って、別の罠へ誘いこむ。
スマートフォンは電源を切って持ち去り、ここで用の無くなった獲物に悲鳴をあげさせ、次の罠へ移動して待ち伏せを開始する」
おそろしくシステマティックですが、それを全部子供たちが?
ちなみに、イェーガーに同じようなことをやらせようとしたら可能ですか。
「可能だろうね。
僕たちはターゲットを明確に絞りこんでから実行に移すのが基本だが、同じことならできるよ。
毒蛾が厄介なのは無差別攻撃にしか見えないところだ。
僕たちを狙ってないと確実にいえれば協力関係を結べるんだが、そこが不鮮明だから今のうちは距離をとって観察するしかない」
なるほど。早めに同盟しておきたい相手ですよね。
でも……かれらだって、カモッラの存在には気付いているんじゃないですか?
毒蛾のボスも相当に悪ど……いえ、頭がよくて組織力もたしかな大物だと思います。
クリスマスの大騒ぎに、先月の鑑別所襲撃と江戸川のテロ。これらがカモッラの仕業だと向こうもわかっているでしょうから、自分たちも子供を使って派手な事件を起こしてみた。
カモッラとのコンタクトをとりたがっているのでは?
そんな可能性はありませんかね。
「その逆の可能性だってあるだろう。カモッラへの挑戦だったらどうするんだ。
対話のチャンネルは開けてあるよ。そこにメッセージが入るまでは、最大限の警戒をやめるわけにはいかない。
カモッラの防諜態勢がどれほどの強度かと、まだ先方が探っている段階なのかもしれないしさ」
国際陰……スパイ組織同士の、肚のさぐりあいってこういうものなんですか?
「基本だね。ヤポには想像もつかないか。無理もない。
高望みせず、いつまでも幸福な豚であれ。せいぜい有益に役立ててやる」
はあ。きびしいなあ。ここは俺たちの国だってのに。
その国の治安を守る根幹であるところの警察官を大量に殺されたがために、ここまで踏みにじられても抵抗ができないとは、泣けてくる。
いっそ毒蛾とカモッラにつぶし合ってもらえまいか。
俺は……隙をついて、逃げられるようだったら逃げる。どうせこのままカモッラに飼われ続けたって、一生バカにされるしかないだろうからな。
「コジモも、山梨カルテルも、今ではカモッラとファミリー同然の絆を結んでいる。毒蛾たちもこの環に加われば、僕たちはもっともっと大きな仕事ができるようになっていくだろう。
その希望は持ちたいし、だからこそ信頼できる相手かどうかをわからせ合えなくては始まらない。
至極あたりまえの考え方だと思うんだが、ヤポには伝わらないのが残念だし不愉快でもある。
今夜も多くの犠牲者が出るんだろうし、毒蛾にとってはますます練度を高めるチャンスに違いない。
外郭に立って眺めてみるとわかるよ。毒蛾は成長と試行錯誤に懸命だ。
ヤポは、いつまで経とうが学習も反省もできない。
なぜ規制延長セズが脅威消滅とイコールなんだ。それすらわからないとは。
幸福でよいことだが、僕たちが囲むテーブルの中央にいつまでも載っていたまえ。なんて繰り返し続けてきて飽きた。
もっと明るい話題を楽しもうか。
上海組の一員であるINだが、かつてGBの植民地だった関係でGBに本社を置く様々な企業の工場が多く建てられている。
その技術はIN国内で取引材料として流出するし、いくら地球の裏側からGB政府が制裁を加えようとしても、IN政府から物流を止められることによるダメージの方がはるかに大きい。
IN政府もしたたかだから、GBの権威に傷がつかないよう切り札を握った状態を保ち、必要以上に愚弄しない。
生殺与奪の権を握っているのは、INの側なんだ。
こんな視点を、君は持ったことがあるかな?」
……いえ。考えてもなかったですね。
日本企業は中国に大規模工場をたくさんつくってますけど、同じことがいえますか。
「GBがINに対し行使できる権限を、ヤポはCNに対しなにひとつ持っちゃいない。はるかに分が悪いよ。
よく危機感も持たずにのうのうと暮らしていられるなあと不思議でたまらないんだ。
なおかつCNは上海組の実質的なリーダーであり、INと同じく核兵器による武装も完備している。
かれらに信頼される努力を、もう少し磨いておいた方がいいんじゃないのかね」