西側は、壁をとり壊した。
民衆はひと足早く自由を手に入れ、春の息吹を謳歌する。
東側は、3週間遅れで解放された。西側ほど浮かれ騒ぎはしなかったが、民衆は街へ繰り出し、永き冬の間に凝り固まっていた身体をほぐす。
西側はすぐさま東との境界に検問所をつくった。
東側は疫病の最多発地域であり、首長の人間性も信用ならない。かれらの安全宣言を真に受けてはならない。災厄は次もまた、東からやってくる。徹底的に備えておかねばならない。
平和は、一週間で幕を閉じた。
東側で起きる様々な凶行が伝えられ、これまで西側では観測されなかった新型のウイルスも初検出。東側起源とみられる。
西側世界が平和を維持するためには、やはり壁が必要なのではないか。
民衆の声は日毎に大きくなる。
文明社会の根幹であるところの民主主義を尊重し、地元民からの圧倒的支持に支えられている西側諸国連合の代表は、堂々と東側を批難する。
そして、要求した。
東方の中央政府よ、ただちに規制を再適用せよと。
さすがに虫がよすぎやしないか大阪府知事。今度は自分のカネでやれ。
先月末に緊急事態宣言解除の前倒しを要求して、カウントダウンして最前列で踊ってみせたのはどこのどいつだ。
地方都市で支持率が高いからってなんぼのもんじゃい。検問してたんだからむしろ東京由来じゃないことを証明してないか。
どれほどしっかり検疫してたんだか。なんなら今からガチで試してやってもいいんだぞ?ああん。
俺は都知事ほど人間できちゃいないので、つい言葉が乱暴になる。気をつけよう。一番殴りたい奴の目の前に着くまでは、捕まっちゃならんのだよ。
それにしてもリバウンドは早かった。
まだまだこれから山ほど出てくるだろうけど、すでに記者たちは原稿を書き放題だ。
官公庁も民間企業も、年度末で送別会のシーズンだから、予算使い切りを兼ねて大宴会を開催する。
一年以上遊ぶに遊べずプールされた積立資金は相当な額だ。
降格や解雇さえ免れたならば、収益悪化のマイナス分より不安を餌に貯蓄へ回されたプラス分の方がずっと大きかったのである。
大量絶滅からなんとか生き残った飲食店も、起死回生の一発勝負を賭け、食材もスタッフも極上のピチピチを掻き集め、おもてなしする。
規制解除の0秒後から、史上最大のバトル・ロワイアルは始まっていたのだ。
節度をわきまえ、譲りあって。など言うのも野暮だろう。
おまわりさんは交番での道案内で手一杯。
片や、無職からの脱出を夢見る実績なきルポライターは掃いても捨てきれないほど湧いてくる。枠の取り合いも熾烈なことは、文章の密度が高まっていることでも察せられる。歯切れよく、印象的なフレーズを一行にいくら盛りこめるか。
だらだらラノベってる時勢じゃないんだよ、もはや。
そんな躍動感を、まさか新聞から教わるようになるとはねえ。
とはいうものの、内容はひたすらゴシップなのだ。エリートや富裕層がどれだけハメを外しまくり、結果リバウンドを招く原因をつくったかという。誰を生贄にすれば一番おもしろいかという計算も透けて見える。
これも経済なのかしら。
一周読むと、なんだかもう関西勢が騒いでいることなど、どうでもよくなってきた。
秋ノ宮が即応じようが拒否ろうが、何をやったって政府は叩かれるのだ。
府知事は言うこと言ってやったぜと新たな実績をつくった。1ヶ月も関西の経済を通常運転させたんだから、企業はもう少し延命できるだろう。
都知事はいちいち構わない。
彼女の動きは地味に見えるが、動くときはすかさず動いているから、いちばん大局を見ているのではなかろうか。
いま、何を考えているのだろう。
「笑い話がひとつある。
兵庫県の製薬会社が、GBの企業と提携して、ワクチン生産のライセンスを買った。
さっそく岐阜県で空転していた工場に命じて製造準備に取りかかる。
先週木曜日に試運転をしているが、この薬を厚労省が承認する可能性が、無くなった。
おそらくこの先も開店休業状態。起死回生の一発勝負に失敗した例だな」
笑えませんねえ。気の毒でなりません。
厚労省が承認しない理由は何ですか?
「GB国内では年明けすぐから接種が開始されている。INで大量生産されていて、いろんなルートで世界各国へ販売されているんだが。今月に入って、接種すると血栓が生じやすいという報告が上がってきたので、使用を一時停止してほしいというアナウンスが発せられた。
10日ほどかけて100を超える研究機関が検証した結果、関連性が無いとは言いきれないが極めて稀なので、covid-19を予防するためのワクチンとして使用を続けるべきだという結論が出て、現在は再開されている。
さて、自国内に一定水準以上の研究機関など持っていないヤポは、どんな判断を下すかな?」
……安全……優先……主義の一択でしょうかねえ。
「このワクチンはナノテクじゃない。マイナス75℃なんて冷凍庫は必要としないし、製品寿命も長く、なによりCN製ほどではないが安価だ。
両社がライセンス契約を交わしたのは1月下旬だが、製造ラインの構築を急ぐとともに、厚労省へも早く承認をとせっついていた。
平塚がワクチン大臣を拝命したのは1月18日だったかな。購入予定の中にはそのワクチンも入っていたから、まさか承認されないとは予想だにしていなかったんだろうが……フィッツナー社からの供給が安定してきたからね。未だに送られてこないGB製なんて棚上げさ。
そこへ血栓疑惑だ。
一件でも問題が起きたら誰が責任をとるんだ、で議論は終了。
なにも不思議じゃないだろう?」
むしろその工場を活かすために国民の安全を軽視したのかってマスコミは騒ぎ立てるでしょうからねえ。
わからなくはありませんけど、それにしても、どうにかならなかったものか。
「今の最後のコメントは、良識あるかのようなポーズをつけているだけの一番醜い逃げ口上だからイエローカードだ。
ところで、ここからやっと笑い話の本題へ入る。
この岐阜工場、できたての新棟には最新設備が揃えられている。作業員も経営者も、仕事をしたくて困っている。さあ、何が起きる」
あっ。ふたつ思いつけます。
山梨カルテルの製品をつくらせる。
あるいは、……毒蛾たちをここへ誘導させられれば、かれらに恩を売ることができる。
「逸りすぎだ。医薬品と毒物を混ぜたら事故が起きるぞ。
ひとまず先方の所長と、ドン・パブロを引き合わせた。うまく運んでくれればいいけどね」
まったくです。むしろ日本の安全優先主義が厳格すぎるからこそ誕生した、奇蹟のコラボレーションということができますね。
「そこまでカッコつけて何を言いたいつもりだ。
工場の幹部たちもヤポ行政の機能不全ぶりには積年の怨みを溜めこんでいたようだから、会談は大いに盛り上がったそうだよ。
いま話せるのはここまでだ」
毒蛾の誘導については、なにか策を講じたりしてますか?
「接触すらままならない相手だからねえ。
模倣犯が何組か捕まってるみたいだが、毒蛾たちは一度やった襲撃方法を繰り返さない。警戒心の強さについては大いに刺激されるところがあるよ。まったく、おそるべき子供たちだ」
もとから都内に住んでいた子供たちなんでしょうか?
都内で行方不明になっている小学生の名簿を手に入れて、マウスになった子と鑑別所から脱獄させた子を塗りつぶせば、残りが毒蛾だと特定できませんかね。
「いったい何を寝呆けているんだ。東京都の年間行方不明者は8万人を超えるんだぞ。うち10歳未満は1000人程度。自宅で親に殺されてから捜索願を出されるケースが多いことも常識だ。
昨年分の統計はまだ出ていないが、アベレージの何倍かという跳ね上がりようだろう。リストを手に入れたとして、僕たちの仲間に加わった名前を消去していったとしても、軽く数百人は残る。特定には程遠い作業となるね」
まさかそれほどとは。
なにか手懸りでも遺していってくれないことには、捜査もお手上げですね。
「だから僕たちみたいに現場をぐるぐる走っている部隊が気付いたことを細大漏らさず報告する態勢に大きなウエイトがかかっているわけだよ。
このソナーは使わないでいるとすぐ錆びついてしまうものだから、ヤポほど退縮してしまうと生物としての存在意義すら疑わしくなる。ああ君は余計なことを考えず運転に集中してくれればいい。それだけでも僕の負担は大いに軽減されているんだ。費用対効果はともかく君は役に立っているんだぜ」
運転に集中するため、不愉快で醜い悪口は耳を素通りさせることにしている。それでも気になる点をいくつか心にとどめておく。
毒蛾は常に新しい攻撃方法を編み出してくる。走行中、あるいは停止中の乗用車を襲ってくる日がくるかもしれないじゃないか。
そのときは、おしゃべりエヴァンズよりも先に気付いて、こいつを盾にして、なんとかたすかろう。
今はそれだけを考えている。