7時出発。アウトランダーで西へ向かう。
道中、エヴァンズから毒蛾事件の概要を聞き出す。
発端は2月中旬。
毒物を使用して一般人を襲撃し、金品を奪う盗賊団があらわれた。
強盗自体は都内では珍しくないが、この毒物が国際法で製造も保有も禁止されているという強烈な代物だったので、カモッラはただちに仲間たちへ警報を発する。
当初の事件現場である渋谷の繁華街にはいくつものカメラが仕掛けられ、回収され、分析にかけられた。
次第に犯人像が浮かび上がってくる。
子供たちだ。
チームワークがとれており、薬品の危険性を熟知していることも窺われる。
警戒はますます強められた。
映像はコジモでも検証されたが、現在奥多摩に居住している子供たちとの関連は無しと結論された。
ただフォーメーションに特有のクセがあり、過去にコジモで腕を鳴らしたものの脱走しお尋ね者となっている18歳の男が指導役として関与している可能性などが指摘される。
そちらはコジモの現役精鋭部隊が以前から追跡中。
一方、襲撃は渋谷から新宿へ拡大を示し始め、2月末には一日で約20ヶ所のATMに毒が塗られるという大被害が発生。
カモッラではこれを、もっと大規模なテロへの予行演習かと危険視したのだが、繰り返されはしなかった。
犯人たちは慎重に試行錯誤しているようであり、大人たちと接触するリスクをできるかぎり減らしたいのではないかと推測される。
なお警視庁はATMの事件を起爆剤としてやっと捜査本部を設置。毒蛾という名称を使い始めた。
霞が関に監視網を張りめぐらせているカモッラは、このネーミングをいただく。
刑事たちは都内の化学工場を放浪し、毒蛾に薬品を提供した会社をつきとめた。
しかし毒蛾は手懸りをのこしておらず、工場側も顧客に不利益をもたらす取引履歴をつくっちゃいない。
警視庁は見せしめ的な処罰を下すが、これが仇となり、困窮する町工場経営者たちは捜査協力を一層拒むようになった。
それまで毒蛾が使用していた毒ガスはGB剤と呼ばれる化学兵器である。
僅かな量でも吸引すれば激しい嘔吐を惹き起こし、絶命しなかった場合は苦しい後遺症に一生苛まれる。
解毒剤は存在するらしいが、20年以上前にGB剤の製造や所持を法律で禁止した日本でそんなもの準備している医療機関など無い。
緊急外来だって24時間以内に受付までたどりつければラッキーだ。
つまり襲われる側からすれば、いっそひといきに殺してほしいところである。
毒蛾はGB剤を追加入手することができなくなった。いくら工場側が乗り気でも、警視庁は原料となる物質の発注を見張っていればよいという知恵をつけてしまったからだ。
毒蛾の犯行は一時的に減少する。
これがより危険な段階であることは子供にだってわかると思うのだが、警視庁の官僚たちはどう考えていたのだろう。
ともかく次の転換点は3月21日の緊急事態宣言解除だった。
翌月曜日の夜、大勢のおっさんたちが現金をにぎりしめて夜の街へ繰り出す。
毒蛾は暴れまくった。
この頃から市販の殺虫剤が使われるようになっていく。殺傷力はGBより低いが、入手が簡単だから多くの模倣犯も生んだ。
毒蛾たちは、苦しみのたうち回る被害者からは金品を奪わない。けたたましく悲痛な叫びを上げさせるのが目的で、周囲の注目をそこへ集めた隙にチームの面々がスリやカッパライを働くというのが定石だ。
たまたま警官や刑事、あるいは目付きのヤバげな同業者か探偵などと遭遇すれば、そのときはGB剤をお見舞いする。実に厄介な相手だよ。
そして最近とうとう毒蛾は新たなる武器を手に入れた。
それがベン・ギャザラだ。
バイナリー兵器と呼ばれるらしい。無害な2種類の薬剤を混合した瞬間、猛毒に変わる。ベン・ギャザラを合成するにはラファエロ・クトロとスティーヴン・グレイヴスを混ぜればいいそうだ。
毒蛾は前回同様盗んだスマホで別々の工場へクトロとグレイヴスを発注し、前金でチップまで払い、置き配で入手した。
警視庁はまだ気付いてもないようだが、カモッラでは山猫博士がバイナリーの可能性を指摘し、すぐさま追跡を開始する。
そして今日、いよいよ毒蛾のアジトへ挨拶に伺おう、という運びとなった次第だ。
9時前、山梨カルテルの研究所へ到着。いいペースだ。
スーツ姿のナツミさんをお迎えする。
ガボさん、そしてドン・パブロも玄関まで出てきた。
マスク越しに、終始にこやかな笑顔ではあったが、ガボさんはもう俺のことを見忘れてしまったらしい。
すっかりただの運転手でしかなくなった今の俺は、とくに語るべき言葉も持たなかったので、余計なことは喋らなかった。
それでは出発。いま来た道を、引き返す。
エヴァンズは後部座席でナツミさんと積もる話を咲かせ合っている。
キュア・ファイルーズの人気がすさまじいとか、オリンピックやウクライナの最新事情についてなど様々だ。
いいなあ、共通の話題がいっぱいあって。
「毒蛾の薬物担当は7歳の女の子だって聞いて、もう、いてもたってもいられなかったね。幼女だよ幼女。最高じゃん。思いっきり甘やかしてあげちゃうんだ。
でもねえ、なんだかもう、齢の離れた妹というより娘くらいな関係かなとか思っちゃうと複雑でさ。母親の目線ってほら、イメージ湧かないから。
どうだろうねえ。ママみたいって言われちゃうとあたしでもグサッときちゃうんだろうか。言わせ……たくないけど、7歳だろー。ママどころかババアだからさもう。
ああ、ドキドキする。受け入れてもらえるかどうか。最初が肝心だからさー」
そんなことも言っていた。
ナツミさんは独身らしい。
他にも気にすべきキーワードは多々とびだしたが、つとめてスルーする。
やがて原宿に着いた。
ふたりは出かけてゆく。俺は駐車場でお留守番だ。
昼食を買ってきて、ゆっくりと新聞を読む。
東京では明日からまた外出と飲食店営業時間の制限が始まる。
緊急事態宣言より一段階軽い「蔓延防止等重点措置」略してマンボウという政策だ。
市町村単位で、国が指定する。4月5日から大阪や兵庫では既に実施されているが、そっちは変異株感染者が急増中なので府知事たちが緊急事態宣言への格上げを要求している。
あいかわらず後手後手なのだが、それでもやったほうがいいのか。むしろ政府はなにも余計なことをしないほうが状況がよくなるのかなんて考える。
だって、機能不全内閣の号令に逆らった方が生き延びられる可能性は高いぞって、そろそろ鈍い人たちですら気付きはじめているからな。
あるいは、この政府にうまく寄生してまだまだ残っている養分を吸い取るかだ。
コネがあるか無いかでとるべき戦略は違ってこようが、考え無く従ってたら確実に路傍の石と成り果てるだけだもの。
ほか、気になった小ネタ。
全国10万人超の失業者がハロワへ登録したプロフィールの集計によると、意外にも前職のトップは製造業で、以下、小売業・飲食業・宿泊業と続くらしい。
話題になる件数および、記事で読む印象の強さでは逆だったから、驚いてる。
製造業とは、工場などでの大量解雇を指すのだろう。
毒蛾の薬品製造依頼に、そりゃ一も二もなく飛びつくよ。
ところで医療・福祉業はこのランキングに当然ながら入っていない。経験者なら引く手あまたでお呼びがかかるし、どこかで解雇された人材でも派遣会社でロンダリングされればすぐ別の会社に入れる。
むしろ、契約と待遇が違いすぎるとか、給与が振り込まれないとかいったトラブルがこの業界では渦巻いているようだ。
揉まれに揉まれた荒くれどものガチバトルなんだろうな。
タフでなければ抜けられまいよ。
3時頃、エヴァンズとナツミさんが、女の子を2人連れて戻ってきた。
まるで家族のようだ。
エヴァンズは助手席に、女性たちは後部座席へ仲良く座る。
それでは山梨へ出発します。途中何回か、トイレ休憩を入れますね。
では行きましょう。
「SARS2ウイルスは呼気に混じって拡散するから宿主をいじめずに外へ出歩かせる方が有利に働くけど、マラリアなんて宿主の自由を早く奪って蚊にたからせる方が得なんだから容赦する理由なんて無いわけよ。コレラも、じゃんじゃん水便を排泄させて、その水をより多くの人間に触れさせるよう仕向けていくわけね。かれらはかれらの思考と言語で、ちゃんとマーケティングを行っている」
「ランセット肝吸虫は羊の肝臓で普段はぬくぬくしてるんだけど、羊の糞に混ぜて卵を外に出し、これをカタツムリが食べ、その糞を蟻が食べ、ここで発動をする。蟻の脳を乗っ取って、草の先端に登らせてじっと空を見上げさせ、体ごと次の羊や牛に食べさせるわけ。どの角度から撮っても画になるでしょう。ロマンに満ちたソースコードよね」
「ポロニウム210って暗殺にはとても便利。塩化ポロニウムの形で飲ませたら、あとは体内をかけめぐって免疫系をズタズタにしてくれる。物理学を知らない医師は途方に暮れちゃうよね。アルファ線は体外に漏れないから、わかってても検出は難しいんだ」
ナツミさんは少女たちにずっと科学の講義をしていた。
どんな質問にも即座にレシーブを打ち、かつどんどんフィールドを拡げていくその話術は見事な芸だったが、俺にはさっぱり理解できなかったので、すべて聞き流した。
毒蛾として名を馳せた2人の小美人はすっかりナツミさんを信用したらしく、これから来年のキュア・シリーズをつくるチームに参加するそうだ。
さぞや恐ろしい悪魔が生まれることだろう。
すっかり暗くなって、俺とエヴァンズは元麻布へ帰投した。
つかれた。