パレスチナ。
地中海の東端。
アフリカ大陸とユーラシア大陸をつなぐ、のどぼとけのような地域の一部。
聖書物語の中心となる舞台であり、とくに古都エルサレムは、イエス・キリストが磔刑に処された聖地として特別視される。
十字軍の時代に何度かエルサレムはカトリック勢力の支配下に置かれたけれど、そんな僅かの例外を除いて、パレスチナ地方はずっとイスラム圏に属していた。
宗教で線を引く場合、民族や言語についてはそこまでこだわらないものなので、人種的には常におおらかだった。
とくにイスラム教徒は、納得できない相手に無理強いはしない主義なので、キリスト教徒でも人頭税さえ払うなら改宗なんてしなくていいよと優しくつきあってくれていた。
こんな世風だから、軍隊も強くなかった。
西洋に定着したカトリックは、真逆ともいえる思想を貫く。
自我を疑い、実存を突き詰め、他人にはより厳しくあたった。
私有財産で優劣を競い、人格までこれに準ずると決めつけて理論武装に躍起となる。
異教徒は改宗せねば赦さぬが、改宗すれば「偽善者め!」とより激しく笞を振るう。
初期支配層の王族は肌の色が薄かったのだが、これが美醜の基準とされた。色素が濃い者は人間扱いされなかった。
じっさいアフリカ大陸では、イスラム商人が文字と礼節を持ちこんで広めた文化圏が広範に繁栄していたのだけれど、遅れて進出した西洋人たちの狩り場とされたばかりか、肌の色を根拠に先住民は魂や感情を持たないと理論化される。
いくら人のように見え、人のような挙動を示しても、それは人ではない。カトリックの威光輝く領地では、子供たちがこんな教えを元気よく復唱した。
混血児は日に日に増えていくが、一滴でも白くない血が含まれていれば国民として勘定しない。こんな法規もしっかり整備されたので、民主主義は揺るがなかった。
だから戦争にも勝利した。
ルールは勝者が決めてよいのだ。
パレスチナはユダヤ人にくれてやる。そこに人など住んでいない。国無き民に、民無き国を。これほど美しい完全解があっただろうか。
反論は認めない。
正解は、つくった者が決めてよいのだ。
イギリスのユダヤ人たちは政府から土地を与えられたことに喜びはしたが、聖地とはいえそんな糞ド田舎へ開拓に出かけたがるほど困窮してはいなかったから、他国のユダヤ人から希望者を募った。
この時期パレスチナへ移住してきた最大手は、ソ連のユダヤ人である。
1917年に誕生し22年に連邦化したソヴィエト政権下では、民族も宗教も超越した共産主義思想が国民の条件として定義されていた。まったく新しい社会体制だったから様々な可能性を秘めてはいたのだけれど、世界のどこでも孤立して信仰とカネの力だけを信じて生きてきたユダヤ人とは、相性が悪すぎたのだ。
「パレスチナなら土地取得しやすいってよ、早いもの勝ちらしいぜ」
こんな噂が駆けめぐって、大移動が加速する。
もちろん先住パレスチナ人は抵抗したが、イギリス政府に雇われた現地兵が容赦なく立ち退かせた。ききわけなければ鉛弾をお見舞いし、焼き払って更地にした。
パレスチナは急速に都市化していった。
ロンドン政府が予算を出してユダヤ系建築会社にどんどん仕事を発注するものだから初期の町並みはイギリス風だったが、どうも地中海の風土と合わない。順応の早いユダヤ人は現地でデザイン会社を設立し、独特の景観をつくりだしてゆく。
幼い頃から童話や伝承で慣れ親しんだ、聖書のモチーフが積極的に採り入れられた。
数千年前の文化や風俗へ回帰しようというのではない。現代技術を駆使して、現代の大衆を感動させられる世界が創りだせれば、それでいいのだ。
新パレスチナ人たちは猛烈に仕事をした。ソ連もびっくりの最先端社会実験場だった。
パレスチナにはまちがいなく、おそろしい可能性を秘めた新しいアイデンティティが生まれつつあった。
ところでユダヤ人というものは世界のどこでも嫌われていた。
ユダヤ人らしさを消して移住先へ同化していった人たちをここでは問題としない。
目立つユダヤ人というものは、自らが誇り高きユダヤ民族の末裔であることをどこの土地だろうが堂々と主張して近所づきあいを拒む。地域の祭りに参加せず、常にマイルールに沿って行動し、反政府主義であることも隠さない。そんな面倒臭い連中というイメージが定着している。
こんな性格だと蓄財にも熱心となる。
あなたが借金で困ったとき、頼りになるのはユダヤ人だ。これも世界のお約束。
貸してくれるのだから感謝してもよさそうなものだが、古来、金融業者が好かれた前例もない。
結局ユダヤ人は嫌われるのだ。
本人たちも、それでいいさと孤高を貫く。
共産主義とは寄り添えないし、その他多くの、団結を尊ぶ文化や思想とも折り合いが悪かろう。
トラブルは、しょっちゅうだった。
中でも超弩級の激震が、1930年代のドイツで幕を開ける。
国民の圧倒的な支持を得て政権を掌握した労働者党が、最新優生学を根拠として、純潔な白人以外は生きる価値が無いと宣言したのだ。
21世紀の米国でもそこまでは言わんかな。カトリックなら似たようなこと言ってたが。
ともかくドイツじゅうの非白人が迫害を受けた。
とくにユダヤ人は数も多く、なにより財産を貯めこんでいたので積極的に狙われて、その血で国庫を潤した。
ドイツはこの資本を元手に軍備を増強、領土の拡大に着手するが、得たカネよりずっと多くの憎悪を買ってしまったため、最終的に全世界からフルボッコされ、戦勝国に分割統治されることとなる。
戦後、ドイツの支配地域で大量につくられていた強制収容所や絶滅収容所の解明が進むにつれ、ユダヤ人に対する国際的な同情が集まった。
ユダヤ人がパレスチナに自分たちの国を持ちたいというなら、それを応援しようじゃないか。国際連合ではこんな声が主勢を占めるようになった。
どこの国でもユダヤ人は厄介がられていたから、加盟国の大半が非常に前向きだった。
イギリスは大戦で疲弊しきっていたから、利益の出ない植民地からは撤退したがっていた。
そんな次第で1947年11月、国連総会でパレスチナ分割案が議題に上げられる。
48年5月をもってイギリスを統治の責務から解放し、その後は領土の56%をユダヤ人の国、43%を先住パレスチナ人の国として国境線を制定する。
この比率は現状の住み分けに基づくもので、地図上にはかなり入り組んだぐにょぐにょの線が書き加えられていた。
古都エルサレムおよびベツレヘムについては、どちらか一方のものとするのが難しいため、当面は国連による信託統治地区とする。
こんな新秩序が賛成多数により可決されたのだ。
国連というのはいったい何様なのかと思う。
この分割案で利益を得るのはたったひとり。
面倒な問題から抜け逃げできるイギリスだ。
各国から派遣されている国連大使たちもがっかりした。ユダヤ入植地を今以上に増やせないわけだから、自国から追い出したいユダヤ人がまだまだいるってのに新天地を斡旋しにくいではないか。
現地ではもっと深刻だった。
パレスチナの56%へはユダヤ人が入植済み。
登記上のユダヤ人口は50万人だが、同区域に居住する先住民も約40万人いたとされる。国連総会に提出された資料に基づく。
ぬくもりのある共存でないことはヨボヨボのじいさんにだって想像できると思う。
境界上にはバリケードがつくられ、その先には郷里から追い払われたパレスチナ人たちがひしめきあって暮らしている。
ユダヤ人の支配力が及ばない43%の土地にどれほどの人口がいたかは当時でも不明だった。国連の調査団は、危険だと言われて入っていないのだ。
そう、危険だらけの戦場だったのですよパレスチナは。当時から。
いや、1917年以来ずっと。
一日たりと、休むことなく。
第2次世界大戦が終わって間もなかったので、世界には武器があふれていた。外地から戻ってきた帰還兵も大勢いた。
ユダヤ人もパレスチナ人も、味方になってくれる世界中からの応援に支えられていたのだけど、その規模と動かせる資金の額ではユダヤ側が圧倒していた。加えて、ユダヤ人ネットワークは世界中に拡がっており、特にアメリカ合衆国にはドイツやソヴィエトから逃れてきた移民たちが多くいた。
敗戦したとはいえドイツはメディアを徹底的に駆使する新技術を生み出し、大戦前期はこれで世界中を味方につけたのだ。亡命ユダヤ人には、プロパガンダが黒を白に塗り替えてゆく効果と影響力を間近で味わってきた者も少なくなかった。
それも武器だ。原子力にも匹敵する、神にも悪魔にもなれる光だ。
いま使わずして、いつ使う。
邪悪な敵を薙ぎ払え。私たちの、この、かけがえのない祖国を守り抜くためだ。
ユダヤ人はそう考え、自分たちの神に祈った。
もちろんパレスチナ人も自分たちの神に祈った。
かれらは先祖代々イスラムの民であり、その神はユダヤ教やキリスト教の神と同じものなのだとクルアーンは教える。
しかし洗練され最も寛容で慈悲深いアッラーよりも、その原始形態であるヤハウェははるかに獰猛で厳格で、野趣あふれる神のように感じられる。その信徒であるユダヤ人もまた、情け容赦など知らなかった。
始祖は末裔を、尊重など、しないのだ。