イスラエル。
かつて栄えし、ユダヤ人の王国。
民族の始祖アブラハムが神より与えられた約束の地カナンにつくられた。
アッシリアやバビロニアなどとの戦いに敗れ滅亡するが、選ばれし民であるユダヤ人は教えを守り、歴史を伝承し、決して挫けたりなどしなかった。
ユダヤ人は永く領土を持たなかったが、このたび合法的に手に入れた。
得たからには、しっかり育てていかなくてはならない。
南北470km、東西135km。
細長い土地で、総面積は3万平方キロメートルに満たない。その半分は砂漠であり、海岸平野やヨルダン川流域など住みよい環境は限られている。
文明人なら敬遠してしまうことだろう。
雑草がはびこり、猛獣や害虫もわんさといる。根気よく退治していかねばならない。
しかしこの労苦もまた、あらゆる世代が結束を固め、収穫をわかちあう貴重な経験である。
将来必ずや私たち民族の誇り高い歴史の一部となることは間違いないのだから、たゆまず着実に踏み固めていくべし。
神は見ておられる。その御心を、決して疑ってはならない。
西暦1948年5月14日午後6時をもってイギリスは統治の責務から解放される。それ以降の治安はパレスチナに居住する者たち自身が取り組まねばならない。
住んでおらず、住む気もなく、行くつもりすらない者たち以外は皆、心得ていた。
パレスチナ先住民もわかっていたが、かれらには武器がなかった。
同じムスリムであるアラブ国家勢が戦争の準備をしてくれていたので、集中砲火でユダヤ人たちを降参させられるものと期待することができた。
ユダヤ人はかれらの居住区域内で何十万もの先住民を奴隷として酷使しているが、ひとたび足もとが揺らげば、下からの盛大な反乱も巻き起こるだろう。
かれらは、信じて待っていた。
ユダヤ人は待ってなどいなかった。
綿密なシナリオを組み立て、必要な軍備をスケジュール通り仕上げることに余念が無かった。
3月頃からイギリス軍の駐屯兵は徐々に減らされていった。ユダヤ人による自警団と交代が完了した区域では、予行演習としてパレスチナ人の大虐殺が始められた。
練度はみるみる上がってゆく。
ぎりぎりまでは警備員だが、かれらはまもなく創設される国軍の兵士となるのだ。編制時の階級に反映されるから、演習でも必死である。
こんな発想がパレスチナ人には無かった。
野獣たちは始まる前から追い詰められていたのだ。
午後6時の期限がきた。
1分後、テルアビブの美術館でセレモニーが始まった。
ユダヤ首脳陣は、イスラエル建国を宣言する。
事前に知らされていたアメリカ合衆国大統領は10分後、承認すると伝えた。
全世界のメディアも、ベイビーの誕生を祝福する報道を行う。
パレスチナを包囲する5ヶ国は、ただちに開戦準備へ入った。
レバノン・シリア・トランスヨルダン・エジプト、そして国境は接していないがイラク。
かれらはアラブ連盟という軍事経済同盟を組織しており、連合軍としてイスラエルへ宣戦布告した。
5月15日、侵攻を開始。
地図上で見れば、圧倒的な多勢に無勢。兵力差でも、人員数なら10倍ほどの開きがあった。
イスラエルのユダヤ人は袋の鼠だった。
それでもアラブ側が勝てなかったのはなぜか。
戦う前に考えてほしい。
この戦争、各プレイヤーはどうなれば終わりだと考えていたか。
まず、旧イギリス統治領内のパレスチナ人視点。
かれらは救世主を待っていた。
外から強力な軍隊がきてユダヤ人をこらしめてくれると期待していた。
やあ、爆撃機や戦車や駆逐艦が国境を越えてきてくれたぞ。ユダヤ兵も銃口を向けて身構えているぞ。さあ……あれ?
おれたち、邪魔じゃあないか?
アラブ側は攻撃をためらっている。ユダヤ側は容赦なくぶっぱなす。ユダヤ人居住区にも、大勢のパレスチナ人が囚われている。
うわあ、おれたちの被害が一番きつい。
そう。5月15日以降、ユダヤ側はコソコソせずともパレスチナ人を殺し放題にできる状況を迎えたのだ。
アラブ軍とはやりあうな。どうせやつらは撃ってこれない。それより狭間で密集しながら足掻いてる鼠どもを殺し尽くせ。
ユダヤ人はドイツ軍からしっかり学んでいた。電撃戦も大量虐殺も、世界で誰よりも詳しいのは、いまや、かれらだ。
次に、馳せ参じたアラブ連合軍の視点。
戦場は国外だ。思う存分破壊してよい。
しかし遺跡もあるし同胞もいる。俺たちにとってもエルサレムは聖地だ。
思うように動けない。
いったん国境まで退く。ユダヤ人は攻めてこないぞ。ちょっと様子見するか。
司令官、我々は敵の首都テルアビブを占領すればよろしいのですか。誰からやらせます?
協議中ですか。パレスチナ人たちがひしめいていて、進むに進めないんですが。
ええユダヤ兵は陣地より先へは攻撃してこないので、いまのところ被害は軽微です。
了解、もうしばらく待機します。
ちくしょう、ユダヤ人め。食糧が尽きたら降参するかな。先にパレスチナ人から餓死していくだろうな。
こりゃあ時間がかかりそうだぜ。
最後に、イスラエルの視点。
1年は余裕で籠城できる食糧と弾薬を蓄えてある。領土内の水源もすべて押さえてあるから、パレスチナ人が雨水でしのいでいるうちは自分たちだって生き延びられる。
必要以上に敵と交戦するな。命令はテルアビブから迅速に発する。とにかく消耗を避けろ。時間をかけることがむしろ我々には有利に働く。世界中のメディアから同情を誘えるからな。
残酷だが、世界中がイスラエルのシナリオ通りに適切な役回りを演じたというほかない。
国連も期待を裏切らず右往左往したし、イギリス人も表面上は途方に暮れて為す術もないと溜息をついた。
1949年を迎えてから、イスラエルは交戦国とひとつひとつ休戦協定を結び始める。
アラブ連盟は開戦後たちまち足並みを乱れさせていたが、名誉に傷をつけず戦争をやめようとすればそれなりの口実が必要となる。
イスラエルは各国に対し、個別に言い訳を提供した。断腸の思いで撤退するが決してパレスチナの和平を諦めたわけではない、という主旨の美文をアラビア語はじめ各国語で用意し、自由にアレンジして使ってよいという態度だった。敵対国の言語をネイティヴより優雅に使いこなす外交力を持つ国は古今東西きわめて稀なはずであるが、イスラエルはこの段階で中東全域の支配権を手に入れていたといっても過言ではあるまい。
7月までにすべての調印が完了し、イスラエル独立戦争は終結する。
全交戦国のメンツは保たれ、国連は胸をなでおろし、メディアは平和の到来を祝福し、ユダヤ人はイスラエル領土内における支配地域を78%まで拡大することに成功した。
パレスチナ先住民は22%の土地で身を寄せ合って暮らすか、周辺国へ難民として逃げのびたか、あるいは地上から消えた。その数は当時も今もこれからも、永遠に不明だろう。
「まだまだこの先長いんだが、ひとまずここまでにしよう。僕も疲れたよ。
おっと、何か言いたそうな顔をしているが、今はやめてくれ。パレスチナ問題については誰もが感情的に発言したがるんだが、よほど斬新な切り口でなければ聞きたくない。ウンザリしているんだ。
とくに君は今まで知ろうとも考えようともしたことがなかっただろう。そんなやつの意見なんて、最悪の極みだ。だから喋るな」
でしょうね。じゃあ、せめて質問いいですか。
この戦争は、ユダヤ対イスラムなんですか?
アラブ連盟といってましたけど、ここではアラブとイスラムは、イコールですか。
「ややこしいところを突いてきたな。
厳密には異なるが、厳密に区別することなんて不可能だ。
アラブ連盟は初期にはご近所さんつながりな側面が強かったんだが、イスラーム同盟にすると教義の派閥で分断が起きてしまうから、結束の支柱をアラブとしたような経緯がある。
PKのように地形が入り組んでて民族・言語・習俗が村ごとに異なっていたりすれば、イスラームを柱にした方がまとめやすくなるんだが。
ちなみに2021年現在のアラブ連盟は20ヶ国以上が加盟する大所帯になっているから、1940年代とはかなり雰囲気が違っているよ」
地域的な結束かあ。
イスラエルに全部いいとこ持ってかれちゃった、やられ役。みたいな印象しかのこらなかったんですけど。
「まさにそれがILのプロパガンダさ。エンターテインメントの新スタンダードをつくってしまったよね。
それから、ILはユダヤ教で国をまとめようとはしなかったし、今もしていない。このロジックにはつくづく感心させられる。
いいか?
ILはマンハッタン・トランスファー憲章に忠実であることを誓い、ユダヤ人のための国家ではあるが住民に対して宗教・人種・性による差別をせず、社会的・政治的諸権利の完全な平等を保障しているんだ。
中東全域に利益をもたらし周辺アラブ諸国とも友好を育むと建国以来一貫して表明しているし、名実ともに中東唯一の民主主義国家であり続けている。
これを矛盾なく理解できたら、第一関門はクリアだ」
は?
矛盾どころか、大嘘でしょう。
イスラエルが民主主義なわけないじゃないですか。
中東全域の利益が、聞いて呆れる。今もパレスチナ人をいじめ続けているんでしょう?
本統にそんなことを言っているんですか?
「むしろそれしか言わないし、メディアにも同じことしか言わせない。ILにはそれができるんだ。
賢い人間は皆ILに味方し、君のような愚か者は束になってパレスチナ人と同じ目に遭う。
なかなか強固なロジックでね。だからいつまでも解決しない。
さ、もうおしまいにしてくれ。
僕はくたくただよ。続きを聞きたいのであれば、まずは第一関門を突破してみてくれ」