新聞でイスラエルの文字を見ると、身構えてしまう。
気にし始めてから限定にはなるが、おそらくそれ以前からずっと、この国のニュースは好意的に紹介されている。
今回は、コヴィッドを抑えこむことに成功した優秀なトップランナーとして。
首相みずから米国フィッツナー社のCEOと交渉して、全国民2回ずつ分のワクチンを購入。副反応などの実証データを提供するからという、相手側にもしっかりメリットのある条件を出した。
国ぐるみ、モデルケースになろうと申し出たわけだ。
もともと医療レベルは高く、国民皆保険制度も完備。超低温冷凍庫の必要や、解凍から接種までのスケジュール調整などを専門チームをつくって管理させ、接種証明書の発行も独自基準ですぐ策定。
ちなみに証明書は、就業や渡航の際、検疫に費やされる時間を短縮できるメリットが間違いなくあって、WHOへは国際ルールを早く作れと昨年からずっと要求が突きつけられている。
ところがWHOはワクチンの公平分配システムを立ち上げたものの無惨に失敗した。それに、中国やロシアの未承認ワクチンをWHOが接種証明書に加えることもいまさら無理である。
そこで今後も、中国政府がやっているように正規流通品を有資格者から接種されれば証明書を発行するという形にするか、国ごとにフォーマットをつくって自国民向けに発行するしかないと思われる。
ちなみにここでも、先進国のワクチンじゃなきゃ不安だとか、ナノテクワクチンは人体に悪影響を及ぼすからといった理由で拒絶したり、証明書をつくること自体が差別や格差を助長すると問題視する人が相当いて、ここで揉めている国では議論が先へ進まない。
なんと米国がまさにこのジレンマに陥った。プライバシー保護を尊重するため国としてのワクチン接種証明書は発行しないという結論を出したのだ。国民皆保険制度をつくれないことも関係しているようだ。
ちなみに日本では、そもそも議論自体、してるんだかしていないんだか。
イスラエルでは何もかもが違っているようだ。それだけはわかる。
厳しい徴兵制度とも連携した、国民を一体化させ首相の指揮で迅速に政策を進めていくシステム。
国自体が、まるでひとつの軍隊であるかのようなイメージを抱く。
……これ、当たってますか?
「ILは国民皆兵だからね。建国宣言よりずっと前から領土内外に戒厳令を敷いていた。
ヤポのようにゆるみきった態度の国民はいないし、いたら市民生活に混じっていけないから生き残れないよ。
それから、軍隊のようだという表現は曖昧すぎて意味不明だ」
軍国主義とか全体主義という言葉も連想するんですが、イスラエルをそう呼ぶことは適切ですか。
「アモスの前で言ってみるといい。二度とその口は閉じれなくなるだろう。
国民皆兵といえばCHも有名だが、周囲が敵だらけなんだから、そうならざるを得ないだろう?」
イスラエル国民に自由はあるんですか?
とても、人間らしい生活を送れる社会だとは思えないんですが。
「アモスなら絶対に最後まで言わせないだろうなあ。
それにしても不思議なことを言う。ヤポはどうなんだ。
おまえたちの方がよほど家畜かゾンビの群れだぞ。表情筋だって持っちゃいないくせに」
……質問を変えます。イスラエル人は……イスラエル国民は、アラブ人を敵だと思ってるんですよね?
国境線のすぐ外には腹をすかせた野獣の群れが常に自分たちを狙っていると。
だから武装して、一瞬も気を抜かず、100年あまり、ずっとそうして生きてきた。
……いったいどんなアイデンティティを持つようになるものなんでしょう。
「なるほど。ヤポには想像もつかないんだろうな。
古井戸の底で泥水をすすりながら体に生えた苔を舐め回すばかりの一生を過ごしながら王者気取りでいられる、すばらしく幸福なアオガエルよ。僕は君に説明する語彙を持たない。そろそろあきらめてくれ」
エヴァンズはイエメン大使館へ歩いていった。2015年以来、激しい内戦が続いている国だそうだ。
新聞でその国名を見たことはない。
日本のマスコミや読者にとっては興味を惹きにくい話題だろうことはわかる。だからマスコミに求めちゃかわいそうだと割り切り、俺は本屋へ駆けこむのだ。
マスコミの使命とは、マスの中をたゆたう連中に共通の話題を提供することであるわけだが、今の俺はマスコミとの接点など持たない。
必要なのはエヴァンズその他のカモリスタが何を考えどう動くかを知る能力を身につけることであり、願わくば先読みしてムザムザ殺されることを回避し、あわよくば逃げ出すのだ。
切実なんだよ、こちとら。
しかし本屋で俺は途方に暮れる。
国際情勢に関する書籍・ムック・雑誌の類いが、合わせても棚ひとつ分に満たぬ。
しかもその半分以上は、この一冊ですべてがわかる!とかテレビで紹介されてました!風の、やはりマス受けを大前提に書かれているような本ばかりで、人前で読むのを躊躇させるような装幀が施されているのだ。
中東関連は一角で異彩を放っていて、タイトルに必ず「難民」が含まれていることと、表紙の写真はたいてい子供だという共通項を発見した。
しめっぽい話は求めてないんだ、現地へ行ってどう戦えばいいかの心構えをくれよと心で叫んで車へ戻る。
次なるアプローチは、ウォッチに内蔵されているテクマクマヤコン。
テキスト読み上げしかできないので、何度も繰り返させ、頭に入れる。今日はイエメンについて教わった。
アラビア半島の南端に位置する。
北の大国サウジアラビアとは砂漠と山岳で隔てられる。
オスマン帝国解体後、イエメン王国として独立したが、その後何度も内戦やサウジアラビア王国との戦争を経験し、1960年代以降は南北に分裂した。
冷戦時代の常として、片方が東側の支援を受ければもう一方は西側と結託する。
その冷戦が終わりを迎えた1990年に和解が模索され、平和的に統一が実現した。
南北ともに共和国で、イスラム色は強くなかった。
冷戦末期は西側の方が経済的に安定しており、列強からの援助も受けやすかったため自然な流れでそちら陣営だった方の大統領が統一政府の元首をつとめる。
これが悲劇のはじまりだった。
西側イズムでは、旧東側人民は再教育すべき劣等生なので、容赦ない簒奪が正当化される。
新大統領は米国から資本と武器を調達し、反対勢力を潰してまわった。
この粛清に抵抗する勢力は武装蜂起を開始するが、当初は自分たちの方が出ていくからと穏便な姿勢を表明する。つまり再分離しようということだ。
ところが統一政府はこれを国家への反逆だと定義した。
一度手に入れたものは簡単に手放さない。これも西側イズムである。
ガチの武力衝突が幕を開ける。
1994年のこと。すでにソ連邦は消滅しており、再独立派は支援を受けられなかった。
反対に米国を中心とした列強勢力は現大統領の言い分だけを聞いて加勢する。
60日あまりで反乱軍は息の根を止められた。イエメンはこれよりしばらく、民主主義陣営公認の独裁体制という暗黒時代を謳歌する。
2011年、宮殿への砲撃で負傷した大統領に代わって副大統領が元首の座に就く。
彼は翌年、正式に2代目大統領となるが、初代ほどの恐怖心を国民に与えることはできなかった。
サウジアラビアで治療を受けていた初代は息子に大統領を継がせるつもりでいたため、暗殺部隊を動かして2代目の排除を画策する。
治安がどんどん悪くなり、2014年、最大の武装勢力によって首都が制圧された。
2015年1月に2代目大統領が辞任を発表したことにより、1990年からのイエメン政府は終焉する。
武装勢力は2月に新政府を宣言するが、このとき元2代目を逃がしてしまった。元2代目は犯人たちを挑発しながらサウジアラビアまで逃げのび、我こそが正当なるイエメン大統領だと名乗って軍事介入を依頼する。
サウジアラビアを中心とした多国籍軍による空爆が始まり、2021年現在も続けられている。
5年余の間にイエメン領土内ではいくつもの暫定政府が生まれた。
各自が拠点を武装化し、隙あらば敵対勢力を攻撃して支配地域の拡大をめざしている。ドローンや弾道ミサイルも飛び交っていて、サウジアラビア領内の基地もしょっちゅう狙われているらしい。
もはや決着のつけどころもわからない。
なんとかせねばと立ち上がる人をこれ以上生み出さないために報道すまいと日本のマスコミが熟慮の末に無視しているのなら、それは賢者の知恵かもしれないとさえ思う。
戻ってきたエヴァンズに聞いたところ、駐日イエメン大使館は1974年開設。現在は、元2代目大統領を首班とするアデン暫定政府に属し、サウジアラビアと連帯する立場で活動しているのだという。
複雑すぎる。
イスラエルを敵としてアラブが一致団結なんて、とても言えるものじゃない。