今日は、シリアについて学ぶ。
イスラエルを包囲する国のひとつ。
地境はゴラン高原。火山岩を主とした標高1000m級の山岳が連なり、ヨルダン川はじめ周辺への水源地として重要である。
当然、壮絶な奪い合いとなった。
イスラエル軍はすべての水脈を実効支配している。国営水道会社に開発と管理を請け負わせて、莫大な収益を上げているらしい。
戦争で勝ち続ける国ってのは、そこまでしちゃうものなんだな。
チュートリアルへも入らないうちから、憂鬱です。
シリア地方は15世紀以来オスマン帝国の一部で、イスラム文化が根付いていた。隣人へ改宗を強要しないイスラム社会ではキリスト教徒も伝統を守って生活することを許されたが、お互いに居心地は悪いので、離れて自分たちだけのコミュニティをつくるのは自然な流れだった。
そんなキリスト教団の代表格がマロン派。カトリックのお客さんがシリアへ滞在するときは宿場や案内・通訳などあらゆる便宜を提供した。
昔は、その場にいない人の悪口を言っても現代ほど咎められなかったので、マロン派はいつもムスリムをこきおろした。いつも寒そうで、貧乏たらしくて、他人を疑ってばかりいて、自己肯定感低すぎの西洋人は、マロン派におだてられると元気になれるのだった。
マロン派はカトリックの間では人気者だった。
でもシリアの方がずっと住みよかったので、西洋へ移住しようとは考えなかった。
別に、それで、構わなかったのだ。西洋が列強化してオスマン帝国を敗北させ、解体してしまうまでは。
マロン派はギリシャやトルコ、ダマスカスなどで数々の民主化闘争に暗躍し、オスマン帝国を内部から崩壊させたとしてますます西洋人からかわいがられ、ご褒美に領土をもらった。
それがシリア地方の地中海沿いに位置する一等地、レバノンである。
第一次世界大戦後、シリア地方の支配権を手に入れたフランスは、国境線を策定してシリアとレバノンを分けた。
アラブ人その他が大多数であるシリアの再統治には時間もかかるが、レバノンはカトリックの善き友人たちが自発的に楽園化してくれるだろう。当初はそんな目論見だった。
甘かった。
ギリシャの民主化だって傀儡王政による粗雑な西洋化がいつまでも進まなかったが、昨日までオスマン帝国民だった者たちにいきなりフランス化しろったって無茶な話なのだ。
フランス人官僚の統治が下手糞すぎたせいもあって、レバノン領土内の民族・宗教構成はどんどん複雑化していく。
新しい文化や常識も生まれていった。
やがてレバノン人と呼ばれるかれらのアイデンティティとは、世界の中心であるがままに生きることだ。
古今東西見渡しても、なかなかこんな国はない。
マロン派だってレバノンではマイノリティだからかもしれない。
まったく、どうして、こうなった?
25年後、戦勝国にいじめられすぎたドイツから生まれたヒーローが大暴れして、退場する。いわゆる第二次世界大戦だ。
この頃、西洋列強の考える理想的社会像は少し変化してきた。
大量破壊兵器もだが、個人携帯武器だって洒落にならないほど凶暴なものがいっぱい生み出されてしまった。これらは適切に厳重に管理され、国際承認された者しか取り扱えないようにするべきだ。
国際承認は秩序を守るべきリーダーたちによって決定され、かつそのリーダーは、それぞれの国で正しき民衆のみによる投票で選ばれる、任期制の元首であらねばならない。
そう、民主主義だ。
これが世界平和を実現するための最善策であり、違反者は罰則を受ける。列強のリーダーたちは勝手にそう決めた。
それはそれでひとつの解決策ではあっただろう。
いったい、どこがまずかったんだろうね?
さて、フランスが統治していたシリアは大戦終結後の1946年に共和国として独立する。
イギリスはあっさりパレスチナを手放したけど、フランスはなかなかあきらめきれず、ぐずぐずと居座った。
レバノン人もシリア人もフランス人をかなり嫌っていて、駐留軍の撤兵が進むにつれ、血なまぐさい暴動も多発したらしい。
しかしともかくシリアはアラブ人の国として解放されるに至った。
毎日ゴラン高原を越えて、多くの難民が逃げてくる。ユダヤ人のせいだ。
当時、周辺国は皆パレスチナからの難民を受け入れ、オスマンの遺産を共有するアラブ人としてもムスリムの同胞としても連帯感をもって国際情勢を注視していた。
1948年5月14日、イスラエル独立宣言。
もう我慢の限界だ。
シリアを含む5ヶ国が一斉にパレスチナへと進撃した。
そして、敗れさった。
休戦協定は個別に締結され、シリアは一番最後だった。
ゴラン高原にはシリア軍が陣取っており、突入こそ躊躇われたがイスラエル軍よりはるかに余力を持っていたからだ。
しかし国連の調整官はこの地域を非武装地帯とすることを主張して譲らず、シリア軍へ一方的退去を命じた。
国際連合とは、列強に媚を売る代理人にすぎない。この戒めはシリア人の心に深く刻まれた。
もちろんこの先何十年にもわたって、世界中の多数派が同じ悔しさを共有することになる。
かつてはユダヤ人こそ、そちら側に属していたはずだが、いまや立場は逆転しつつあった。
国連に愛されれば強力な援護をしてくれるという現実が存在する。
イスラエルはこの旨味を知った。
ならば徹底的に利用するぞ。
そう考えるのもまた当然だった。
イスラエルと国境を接さない国々も含め、アラブ諸国は模索を続ける。
いずれにせよ力を蓄える必要があった。内政も充実させなくてはならない。
保護したパレスチナ人の処遇は国によって温度差があったが、シリアでは希望者に市民権を与え、兵役も課した。
パレスチナ人ほど優秀な兵士はなかなか育たない。
シリア軍は高い練度を維持しつづけた。
パレスチナ人を故郷へ帰してやる。それは国是だった。
1958年、シリアはエジプトの提唱するアラブ連合共和国の一員となる。
その頃イギリスや米国を外交力でたじろがせるガマール大統領が一躍時の人となり、アラブ諸国を連邦化してひとつの国家になるべしと運動していたのだ。
シリアとイエメンが賛同したが、なにかと陽気で大衆受けしたがるガマールに嫌悪感を隠さない元首も多かった。
メディアとの熱愛を経験した者はちょっとでも人気が下がると精神が不安定になる。
ガマールも迷走を始めた。
アラブ連合共和国では政党制をやめよう、君主に絶対服従する承認機関がひとつあればじゅうぶんだ、なんて言い出しちゃう。
シリアでは反対運動が起きて、クーデターで政権が交代し、シリア・アラブ共和国として再独立するに至る。この過程で世情も不安定になり、5つほどの武装勢力が乱立してちょっとした内戦状態にもなりかけた。
ブレないパレスチナ人たちが頬を叩いてあげなかったら、本格的に内戦が始まっていたかもしれない。
ガマール大統領は1970年に急死して、副大統領のアンワル氏がその跡を継ぐ。
ガマールよりは穏健派と見られていたので、イスラエルも油断したのだろう。
1973年10月、エジプトはシリアと同時攻撃でイスラエルに奇襲をかけた。
これまでで一番よく練られた作戦じゃないかと思う。緒戦ではイスラエルをたしかに苦しめた。
しかしすぐ米国から武器が送り届けられる。間の悪いことに、3月、米国はベトナム戦争からの撤退を完了したばかりで、想像を絶する大量破壊兵器の余剰在庫がたっぷり備蓄されていたのだ。
イスラエルは核ミサイル発射寸前まで追いつめられていたが、使わずにすんだ。そのぶん、エジプトとシリアを全人類への最悪の敵だと世界中にプロパガンダして、二度と刃向かってくることのできないよう容赦なくその軍事力を封印させるように仕向けた。
事実、エジプトとシリアがイスラエルと交戦した記録はこれが最後となる。
イスラエルに戦争をしかけるアラブ国家は、これからも現れないだろう。見方によっては、イスラエルは中東に平和をもたらしたのだ。
世界中の反戦主義者がイスラエルを讃美するのも当然ですよ。
まったく、おみごとです。
1971年にシリアの国家元首となったハーフィズ大統領は、75年から始まったレバノン内戦に軍事介入し、同じく介入したイスラエルと危険な綱渡り外交を演じた。
どこから流れ弾が飛んできてもおかしくない瓦礫と死体だらけの街で、アラブ人への憎悪をたぎらせた精鋭軍団からの挑発を浴びつづけながら、粛々と治安維持に徹することを兵たちに強いる。
ハーフィズ大統領の統率力は、西洋社会の外側では高く評価されている。
しかしイスラエルある限り、シリアは永遠にローグの国と呼ばれることになっているのだ。
最近では、2011年頃から始まった反政府テロがひどかった。
100近い武装勢力がシリア国内で暴れまくり、独裁者を倒せと叫ぶ。
米国は公然と反政府側を支援して、お隣のイラクにおびただしく造ったばかりの基地からせっせと武器をばらまいた。
当時のシリア大統領はハーフィズ氏の次男がつとめていたが、亡国の危機に直面してロシアに支援を請う。
待ってましたとばかり西洋イデオロギーに染まった国々は「共産主義が復活するぞ」と囃したて、シリア政府の軍事拠点を全破壊する必要性を国際世論に承認させた。
2017年4月7日。59発のトマホーク・ミサイルがシリアへ向け、ぶちこまれる。
こうでもしなければ世界を平和にできないのだと、世界中のおりこうさんが信じているわけである。
民主主義国家のやることはすべて正義なのである。
証明終わり。