東京五輪殺人事件   作:ひねもす@HAMELN

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エジプトは一度だけ、民主主義国家だったことがある。

2012年6月から、369日間。

西洋社会が、人類史上最善かつ最良の政治形態だと日夜プロパガンダに明け暮れている、あの民主主義だ。

 

23名の立候補者が段階的に減らされていって、最後の決選投票では元空軍司令官と、米国で博士号を取得した教授との二者択一となる。

大接戦だったが教授が勝利し、大統領となった。

あたりまえだが米国はじめ全西洋諸国がこの結果を激賞した。

エジプトはこれからやっと民衆を幸福にできる、理性に根ざした文明国家の一員となれるのだ。世界中が歓迎し、応援するぞ。

そんな讃歌が谺したはずだと思う。

 

9年前かあ。さっぱり知らなかったなあ。

俺は高校生だったはずだが、そんな話題にゃちっとも興味が無かったからなあ。

しかし、言わせてくれ。

それ以前のエジプト民衆は、不幸だったのか?

先行する民主主義国家では、理想的な社会生活が営まれていたのだろうか?

 

有権者は何を基準に票を投じたのだろう。

テレビがかっこよく映す方に、だよなあ。

人口は8200万。全国13000の投票所で公正を期し投開票を行うなんて制度、いきなり見様見真似でやれるものじゃない。立候補者や有権者の資格を定義するとかいった選挙の根本部分から、民主主義の先輩たちが大勢乗りこんできて指導したはずだ。

最終候補のうち、長年国防の実務に携わってきたナショナリストを納豆衆が友人にしたいわけがないので、米国帰りの教授が選ばれたことは当然なのだけど、これが接戦だったという事実は意味深であろう。

エジプト人の半数は、メディアががんがん褒めそやす候補を拒絶するという意思表示を、ちゃんとしたのだ。

敗れたとはいえ、大いに誇ってよいことだと思います。

 

さて、この民主的な大統領の治世は、とてもひどかった。

政治についてまったくの素人だったことは、投票者も承知していたはずだから大目に見よう。しかし彼のお友達もまた一人のこらず同類で、大統領の人事権が及ぶあらゆる要職に、利権をむさぼるだけが目的のゴロツキ連中が送りこまれた。

民主主義と拝金主義は、資本主義という宗教を介して不可分につながり合っているそうだから、それのどこが悪いのかねと西洋人なら問うかもしれない。

だがエジプトの民衆には驚天動地だったのだ。

 

さらに大統領は、米国の友人たちと永遠不滅の交際を絶やさぬ誓いを掲げ、積極的に企業誘致を推し進めた。

エジプトもいつか先進国の仲間入りをしたい、そのため無知な私たちに手取り足取り教えてくださいと、税制も環境対策も物理的に可能な限り優遇して迎えいれた。

よくやった、さすがは大統領だと、西洋人は褒めちぎってくれるのだろうな。

しかしエジプトの民衆は激怒したのだ。

 

軍がクーデターを起こした。

エジプト史上最初で最後の民主政権は終了し、大統領は逮捕され裁判にかけられる。

米国はじめ民主主義国家は助けにいかなかった。クーデターはあまりにも鮮やかに達成されたし、今ここで元大統領を擁護すればエジプト民衆からこの先何百年も怨まれるからと賢明に判断したのだ。

悪党同士の友情なんてこんなものだよという教訓にもできるんじゃないか。

 

こうしてエジプトは一年ぶりに平穏を取り戻す。

クーデターを指揮した当時の国軍総司令官が、2014年から大統領となった。

国民に親近感を抱かせつつ、国土の防衛に生涯を捧げた堂々たる愛国者。

西洋視点では軍事独裁者でローグの一味らしいのだが、そんな蛮族どもと馴れ合う気なんて無いから、言わせておけばいいさ。

 

現代エジプトが進むべき道を印象づけた強烈なカリスマも、かつて、クーデターから生まれた。

ガマール・アブド大統領。1956年6月就任。

ずっと陸軍人で、砂漠とのつきあい方を覚えられないイギリス兵たちを反面教師としてきた。

1948年のパレスチナ解放戦争では兵力で勝っていながら戦略的な指揮を欠くアラブ連合軍の不甲斐なさに痛憤し、いかにすればイスラエルおよびその背後に連なる西洋列強から野心を取り除くことができるのかという議論を重ねる。

相手を殺し尽くせるだけの武器を持っているから自分たちの方が偉いのだとする西洋の倫理に相対する以上、アラブ陣営にも同等またはそれ以上の力がなくては始まらない。

そこで、スエズ運河という切り札に注目した。

 

アフリカ大陸とユーラシア大陸をつなぐスエズ地峡は古来エジプトの領土に含まれる。

1869年、地中海と紅海を結ぶ全長100マイルの運河が開通し、ヨーロッパからインドへ向かう航路が劇的に短縮された。その収益は大部分イギリスに搾取されるという合法的な条約が存在していたのだが、こんなもの破棄してエジプト政府が国有化してしまおう。

この計画は不条理な国際バランスを速やかに是正させる可能性を秘めていた。

もちろんイギリスは、ただでは呑むまい。反撃を封じる政治的な工作が必要となる。

ガマールは同志たちと研究した。

 

すると、スエズ運河の誕生にイギリス人の汗と涙は一滴も費やされていないことがわかったのだ。

カネすらも、建設中には投じられていない。

連中が、運河はずっと自分たちのものだったのだぞと一度でも口にしたら、盛大に拍手して、全世界の前で嘲笑ってやろう。

こんな作戦が固められていった。

 

80年も経っていると記憶も曖昧になるし、間違った歴史が広く信じられることだって普通にあるよという教訓だ。

全員が、よい勉強をした。

参考までに、スエズ運河はどこの国家事業でもなかった。

フランス政府の外交官をしていた男性が個人投資家からの出資を掻き集めて会社を設立し、エジプトで登記して10年以上かけてコツコツと建設したのだ。

イギリス政府は喜望峰回りの海運業界がダメージを蒙るからと、盛大に妨害しさえした。このためイギリスでは投資家も集められなかった。ところが完成するなり利用客が先を争って入札し、会社と出資者は莫大な恩恵で報われる。一方、メンツをつぶされ、国内の業者や投資家から猛批判を浴びることになった大英帝国政府はエジプトを怨み、いつか仕返ししてやると鼻息を荒くした。

 

開通から6年後、スエズ運河会社の株が大量にイギリス政府へ売却されている。

議会は通していないらしいので表向きの金額さえ霧の中である。

さらに7年後、アレクサンドリアで起きた首謀者不明の暴動を鎮圧するという名目でイギリスよりエジプトへの軍事介入が開始された。

スエズ一帯はそこから200km以上も離れているのだが、イギリス管轄下の中立地帯とされることになった。

当時オスマン帝国領内各地ではこんな国境侵犯が無数に発生していたので、なんでやねんという声はジャーナリズムの弾幕に埋もれて目立たなかったようだ。

 

スエズ運河の権益をイギリスが完全に掌中へ収めたのは1904年だが、さっそく軍政に利用している。

同年、日本は中国大陸を南進してくるロシアに脅威を抱いて、占領していた朝鮮半島の北辺に軍隊を集結させ、開戦に及んだ。いわゆる日露戦争である。

シベリア鉄道はまだ極東までつながっておらず、ロシアはヨーロッパ側の港からバルチック艦隊や黒海艦隊を送り出そうとした。しかしイギリスが得意のいいがかりをつけて、スエズ運河を使わせなかった。

2年前に日本と軍事同盟を結んだばかりだったので、さっそく恩を売ってやったわけだ。

イギリスにとって直接の脅威であるロシアを困らせるというのも小気味よいではないか。

おかげで日本はロシアに勝て、西洋からわざとらしいほど激賞もされて、得意の絶頂に昇りつめる。

 

これほど重要な戦略施設を、エジプトは国有化するぞと主張し始めたわけである。

イギリスにとっては怒り心頭。これまで近代化に貢献してやった恩を仇で返すかと、大量破壊兵器でお仕置きしてやらねば気が済まなかった。

 

ところで世界の覇者を気取る者は体面も気にする。70年前にスエズをそっくり頂戴した手口も見事だったが、今回も自分たちが正義の使者として語り継がれるよう、入念なシナリオを作成した。気心知れあったフランスとイスラエルを仲間へ引き込み、役を割り振る。

イスラエル国境はどこでも毎日血なまぐさい事件が起きていたから、適当な口実をつけてイスラエルがエジプト領内へ侵攻。当然エジプトは応戦する。英仏が止めに入るが、イスラエルが退かないかぎりエジプトも停戦するわけがない。やむをえず軍事介入する。

英仏はわざとエジプト軍のみに壊滅的な打撃を与え、戦闘能力を削ぎ尽くすことで停戦へ持ちこむ。

やはり軍事政権だからよくないのだ、エジプトはもう一度イギリスの保護領としよう。民主主義を徹底的に再教育だ。イスラエルとフランスにも分け前はしっかり用意しておくからな。

王道の悪者退治に思われた。

 

三者同意のもと、1956年10月29日にイスラエル軍が突撃開始。

3日目にはエジプト軍、制空権を奪われる。

英仏の空挺部隊や陸戦隊がどんどん国内へ侵入してきた。

絶体絶命。

ここで、米国からの横槍が入る。

 

ガマール大統領は経済基盤強化のためナイル河上流に大規模な水力発電施設を新造する計画も進めていた。当初米国が参入を希望していたが、見積もりを出させてみるとえらく高額だし、エジプト政府の費用で駐留軍に護衛をつけろとか尊大ぶりが鼻につく。

ガマール大統領はソ連とも交渉してみた。

騒がしい広告代理店がついてこなかっただけでも好感度が高く、優秀な工学技術者が様々な問題を指摘してくれたので、友人になるなら共産圏とだ、というムードが政府内でも主流になっていった。

米国は当時中東への影響力が弱かったのでこの失敗から真摯に学ぼうとしていて、ガマール政権との友好は続けていくつもりだったのだ。それを英仏が根こそぎぶち壊し始めたのだから、怒ったわけである。

 

米国の一喝で国連は英仏イスラエルを批判するムードに傾き、勘のいいイギリスがまず戦闘停止。フランスもすぐ追随した。

イスラエルは可能なかぎりエジプト兵を殺しておこうと更に3日ほど粘ったが、最終的に退却。

耐え抜いたエジプト軍が英雄視されるという逆転劇となった。

 

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