ヨルダンは王国だ。
イスラームのはじまり頃から続く王家の末裔から君主を戴き、この王に忠誠を誓い信任される執政たちによって国が統治される。
素朴というか、人間社会って本来みんなこうだったんじゃないの?と思わせる、ほのぼのさだ。
民主主義という、いつも騒いでばかりいる神経質な宗教政治体制にとっては、王政もまた前近代的で改められるべき因習なのだろうか。
その通りだぞ!と拳を振りかざす人だっているだろう。
民主主義者だって様々だ。
ヨルダンについては、むしろ王政だからこそ国内の揉め事も、国外との軋轢も少なかったんじゃないのかなという気がする。
1952年8月、父に代わって16歳で即位したフサイン王は、99年2月に崩御するまで現役をつとめた。
王家に誕生した以上は一生そんな重責を背負いつづけるか、ある日とつぜん暗殺されるかという難しい宿命論を意識しながら育てられるものなのだろう。
民主主義からはこんな精神、生まれようがないんじゃね?
まあ民主主義にだって良い点のひとつやふたつはあると思うんだが。てめえたちにとって敵か味方かという基準で一方的にそればかり押しつけてくるのは、テロの矛先を向けさせたがるだけの非効率な政略論かもしれないよ。
ユダヤ人の合法的侵略開始以来、今世紀までずっと、ヨルダンは最大規模のパレスチナ難民を受け入れてきた。
周囲のアラブ諸国と合同で対イスラエル戦争に参加もしたが、そちらにはあまり積極的でなかった。
もともとからして最低限の防衛に必要な軍備すら調達には慎重で、お隣のイラクからイスラエルへ侵攻するときはどうぞどうぞと道をあけ、ついでに駐留軍をのこしておいてもらうとか、そこまでして戦争したがらない王国だったのだ、ヨルダンは。
だからシリア・レバノン・エジプトといった国々ほどはイスラエルや西洋へも憎しみを駆りたててはいない。
困った連中だが、いったいどうすればいいものだろうか。
フサイン王は生涯悩みつづけていたのだと思う。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教すべてひっくるめてもこんな君主はめったにいない。
同胞であるイスラム圏の国々からは特に、そんな弱腰で状況を打開できるのかと批判されるのがヨルダンだ。
実際押しには弱くて、イラクに誘われて連邦結成とか、サウジアラビアに要請されてイエメン内戦へ介入とか、頼めば断らないだろうと思われているフシはある。
1967年5月にはエジプトと軍事協定を結び、戦時ただちにヨルダン軍はエジプト軍の指揮下に入るものと取り決めた。
その1週間後にイスラエルからの大規模な奇襲が開始されて、ヨルダン軍も大いに弱体化した。
国内の難民比率は高水準を維持しつづけ、イスラム式相互扶助を機能させて皆が貧しく平等な社会も維持された。
これが共和制国家ならどこかで破綻しただろうし、民主主義国家なら外部に敵をつくりだすことで暴力的に解決をめざしたことだろう。
しかしヨルダンでは国王の人柄が安定を続ける方に作用した。
いったいどれが正解なのだろうか。
民主主義国家だけは、こんなことで悩みはしないと思うのだが。
そんなフサイン国王が、一度だけ、猛烈に怒った事件がある。
ブラック・セプテンバーと語り継がれる1970年9月の内乱だ。
レバノン内戦と違ってヨルダンでは2週間で終結したが、これも国王の人柄ゆえではないか。
しかも多くの関係者にちょっとばかり反省もさせた。
日頃怒らない人ほど、そのインパクトは大きいのだ。
イスラエルへ向けての武力闘争は様々な形で日々行われていたが、レバノン人がパレスチナ難民へ教練を施したのが唯一のケースではない。
パレスチナ人という定義を厳密にすることもだんだん難しくなっていくのだが、直接の被害者でなくたってイスラエルを憎むことはできる。
現実問題「ここへ来ればテロができると聞いて」程度の了見で「思い出づくりにイスラエル兵殺してきた」みたいな不届き者も大勢いたのだ。1970年頃になってくると。
日本人がテルアビブの空港で銃を乱射したなんて記録もある。君たちがどうしてパレスチナに関心なんか持つのかね、と当局も困惑しただろう。しかしイスラエルは確実に敵も量産しつづけたので、どうしても世界中からテロリストが集まってくるのだ。
とくに1960年代から爆発的に成長した航空旅行業界が、劇場型テロリズムに愛された。
華やかな空の旅。普通に乗っても死と隣り合わせだが、それにしてはセキュリティが甘すぎる。武器を持ちこみ、乗客乗員を人質にとり、法外な要求を呑ませ、進路を指示して仲間の待機する空港へ着陸させる。一人も死傷者を出さずに逃走完了すればハイジャック犯はむしろ義賊扱いされるというオマケ付きだ。
もちろん時には盛大に失敗したりもするが、どちらに転んでもマスメディアが狂喜したので増収増益に湧く保険業界も広告費を惜しまず、経済の好循環が成立した。
1970年にもなると視聴者もより強い刺激を求めるのだった。
9月6日、パレスチナのゲリラ組織を名乗る集団がドイツやオランダなどを出発した旅客機4つを同時ハイジャックするというアクロバットをやらかす。うち2機がヨルダン内の砂漠に着陸させられ、イスラエルに収監されている同志たちの解放を確認したあと、乗員をすべて降ろしてから、詰めかけていた世界中の報道スタッフへの約束どおりCM後に爆破された。
最高のドキュメンタリー・ショウだった。どんな映画にも生み出せない感動があった。
しかしフサイン国王だけは激怒した。
テレビに映っていた犯人グループは間違いなくヨルダンにも拠点を持つパレスチナ解放運動家たちだったので、かれらに出て行けと命じた。
9月14日、戒厳令が敷かれ、国軍が強制排除に赴く。
運動家たちはシリアやイラクの仲間たちに武力介入を依頼し、まずシリア国軍がヨルダンへ侵攻してきて北部の古都イルビドを占拠した。
ヨルダン空軍は自国民の住むこの街を空爆。
もう、メチャクチャである。
イスラエルですら、まさかヨルダンでこんな事態が、と固唾を呑んだ。しかし動く義理もなかった。西洋諸国や国連は尚更だった。
走り出したのはエジプトのガマール大統領だ。
駆け回って妥協点を探った。もう金輪際ヨルダンに迷惑をかけるんじゃない、と運動家たちにエジプトへの移住を薦め、フサイン国王へはなんとか冷静を取り戻していただけるよう慎重に説得した。
9月26日、停戦。
その2日後、ガマール大統領は心臓発作を起こして急死する。
なんともひどい9月だった。イギリスだけは、万事がひとりでに好都合に運んだので喜んだんじゃないかと思うが。やるせないったらないねえ。
フサイン王は、ガマール大統領の死にどれほど涙を流しただろう。
あのとき、国王として、どうすべきだったのか。
余人には想像もつかないほどの苦悶を重ねられたことと思う。
それと直接つながるかはわからないが、晩年に印象的なエピソードがある。1997年9月のことだ。
イスラエルは暗殺部隊を大量に養成していて、国内外でアラブ人を見つけてはバレないように殺して経験値を稼がせるという国策的なゲームを開催しているのだけれども、この頃ヨルダンで大物が見つかった。
イスラエル国内で開発した毒物をドリンク缶の中に仕込んで、チームが殺しに出向く。
さんざん練習してきたはずなのに失敗して、警備員たちに追われた。
何人かはイスラエル大使館へ逃げこんで匿われたが、これもマヌケだ。
毒を浴びて苦しむ患者はすぐ病院へ担ぎこまれたが、対処法がわからない。
フサイン老王は報告を受けるとすぐにイスラエル首相へ電話をかけ、解毒剤を要求した。
すべてを把握されていると観念したイスラエル首相は責任者を蹴りつけつつも外部へ漏らされないことだけを必死に願いながら、フサイン王の要求に従う。
フサイン王は段階的に、毒物の化学組成や致死量、どこの研究所でいつ頃開発されたのか、過去に別の人物を殺害した毒よりも強化された兵器なのかと情報を引き出していった。その口調は徹頭徹尾冷静で、イスラエル首相は身も縮む思いだったという。
20年も経つと、そんな情報も世間に知られてしまってるのさという、これも教訓にできそうな話だ。
しかし80年後にはどこまで変わり果てて伝わっているか、知れたものではないからねえ。
そんな不確かな没後の評判より、今この瞬間にリアルタイムで褒めちぎられる方が大切だって価値観も、そりゃ、あるよね。
嘘つきがいなくならない道理だよ。
やるせないったらないねえ。
1999年からは、フサイン王の長男アブドゥッラー氏が国王を継いでいる。
エヴァンズによると、それ以来一度だけ、日本のマスメディアにヨルダンが登場したことがあるという。
2015年1月、岸信介首相は中東を歴訪していた。
シリアで日本人を誘拐した犯罪組織からコンタクトがあり、2億ドルの身代金を要求してきた。
シリアは物騒なので日本の大使館はヨルダンへ移されており、そこからシリアの犯人たちと交渉するにおいて、首相はヨルダン政府へ仲介を依頼する。
日本のメディアは、ヨルダンがんばって犯人たちを説得してくれ!と連日エールを送りつづけたが、人質が4日後に殺害されてしまったので、一転してヨルダンは無力だとボロクソに叩きはじめた。
現地にいても自分にできることはないからとスケジュール通り帰国した岸首相は、犯人たちの残虐非道を涙ながらに批難し、やはり自衛隊を国外へ即時展開させられる法整備を整えなければならないと日本国民へ向けて強い口調で締めくくったそうなのだが。
エヴァンズの言うことなので、真には受けまい。百歩譲っても、民主主義者だって百人百様だと思うまでだ。
しかし、そのとき国家元首としてどうすべきだったのかなと考え始めると、つくづく、フサイン国王やガマール大統領の生きてきた世界の厳しさとつらさが、重く胸にのしかかってくる。
まったく、やるせないったら、ないぜ。