民主主義社会の水準には及ばないが、イスラム圏にだって悪党はいる。
2006年の暮れに処刑されたが、全盛期から現在に至るまで、彼のことを良く語る人はきわめて稀だという。
西洋人に嫌われるのは理解できるのだけど、ムスリムの間でも、彼を擁護すると強い批判にさらされるようだ。
いったいどれほどの犯罪をやらかしたのかと気になるではありませんか。まさか、シリアルキラーですか。
米国には掃いても掃いても捨てきれないほど大量のサイコパスが日夜湧いて平穏に社会生活を送っているらしいですよ。かれらの水準とくらべても異常だというのでしょうか。
検証してみましょう。
サッダーム・アブドゥルマジード氏。
1979年7月、イラク共和国の大統領に就任する。42歳だった。
若い頃から切れ者で、行動派。実力主義のナショナリストだ。
なんとも男臭くて、いいじゃないか。
半年前にお隣のイランでは、革命が起こった。
武装グループが親米派の国王を追い出して新政権を樹立。共和国へと転じたのだが、なかなか世情が安定しない。
イラクの新大統領サッダームには、イランとの国境をしっかり防衛する責務があった。
このとき、条約で定められた国境線よりもかなりイラン側へ侵入して実効支配を企てたらしいとの証言がある。
事実なら悪どいよな。まるでイスラエルだ。
ところでサッダーム大統領登場前からイラクは中東屈指の軍事大国であり、近代化にも積極的だった。
保有する兵器のほとんどはソ連製である。だからイラクは、米国をはじめとした納豆衆から、もともと危険視されていたのだ。
なお西側の一員となる場合はイデオロギーに加え様々な連帯責任まで強要されるものだけど、東側の武器を買い揃えたからといって共産主義まで押しつけられたりはしない。
これは案外誤解されているみたいなので念を押しておくぞ。
エジプトもイラクも、ただ単に西洋至上主義なんてクソくらえだと言っていただけで、共産勢力ではなかったのだ。
一方、親米だった頃のイランに米国が武器を融通していたかといえば、まったくしていなかった。
サウジアラビアに対しても同様で、一貫してはいるのだが。
親米でありさえすればいい、軍事的脅威に対しては駐留米軍が対処するからアラブ人は武器なんか持つな。というのが米国の基本姿勢である。そのための防衛予算は支払わせるが、ノウハウは一切教えなかった。
狙いはあからさまであるのだけれど、応じる側もよくこんな条件を呑んだものだと思う。
ちなみに一方が他方の生存権を完全に牛耳る、このような関係でも英語ではパートナーシップなどと表現するみたいなので、翻訳には注意が必要だ。
イランの新政権に、米国は安全保障の義務を負わなかった。むしろ腹いせに思いつくかぎりの妨害工作を仕掛け、国連にでも助けを求めてくるようにと画策する。
サッダームの侵攻だって、歓迎すべきアクシデント。
イランの民兵たちはイラクの戦車を前に為すすべもなく薙ぎ払われる。米国はそんな蹂躙を遠巻きに眺めて嘲笑した。
さらにはイラン国内で反政府運動を煽り、新政権も嫌いだがイラクだってゆるせないと自薦他薦する集団が現れれば気前よくサービスしてみせるのだった。
総体的に政府軍の支配力は弱まるばかりで、なかなか世情が安定しないのも当然だ。
イラクとイランの戦争は長期化していくが、西側世論はイラクを悪・イランを善と描くことで美しい団結を示す。
豊かな国々ではマスメディアが募金を呼びかけ、広告代と手数料その他諸経費を差し引いた金額がどんどんイランへ注がれた。
民衆はテレビでイラクが懲らしめられる場面を見たいだけでそれ以上の関心なんて無かったから、ある変化が起きていたことに気付かなかった。
1986年頃になると、イラン軍が、イラクの首都バグダードまで攻めこみそうな勢いをつけていたのだ。
とっくに世情は安定していた。イランは豊かさと力を手に入れており、1979年の革命政権が国民をしっかりまとめ上げていた。
一方、イラクでは厭戦気分が満ちあふれ、国際的批難を浴びつづけるサッダーム大統領への逆風が吹き荒れる有様だった。
とりあえず米国の諜報機関が慌てはじめる。
かれらなりに分析を試みた。
どうやらイラン政府は、志を同じくする国民に表面上親米のフリをすることを許し、西側諸国からの支援を掻き集める窓口にさせるという、高度な政略を完成させていたらしい。
こりゃあ一杯くわされたね。
それにしてもイランがイラクに勝利すると、なにか困ることでもあるのだろうか。
イランは、米国が陰でこそこそテロリストへの支援を続けてきた証拠をいつでも公表できる。
米国にとっては現政権が泣きついてくるか、あるいは親米新興勢力に倒されることを前提にした投資だったから、イランの政情が安定するかぎりニ国家間関係が良好に発展する可能性はゼロ以下なのだった。
米国はイランの口を塞ぐ必要を、切実に感じた。
ここで当時の共和党大統領が、とんでもない作戦を指令する。
イラクに大量のカネと武器を注ぎこんだのだ。邪悪な敵国を完膚なきまでに破壊してやってくれと。
形勢は大逆転し、イランの首都テヘランは焼き尽くされる寸前までいった。
ここで停戦協定が結ばれる。
なぜ焼き尽くさないんだと米国は怒り心頭だったことだろう。
だが黒幕だったので最後まで隠れていた。
ともかく平和の到来だ。
イランも今ここで切り札を見せるのはタイミングが悪いと判断した。双方、宿敵にとどめを刺す機会を次回へと持ち越したのだ。
そんな化かし合いが繰り広げられる中で、イラクだけが依然、悪者の烙印を押され、全責任を背負いこまされるハメになる。
サッダーム大統領はもっと前の段階で退陣し、駆け引きに通じた後任を立てるべきだったかもしれない。それができてさえいればここまでの一人負けは回避できていたんじゃないかと思う。
しかし彼の性格上、無理みたいだった。
サッダームは保身のため反対派の粛清に乗り出す。
ヤバい流れだ。これを始めると人材が急激に枯渇する。
イラクに投じられた米国民の血税という、出すべき場所で出せば核兵器にも匹敵する有効なカードをイラクは活用しそうになかった。
倒せるうちに倒せる方から始末しておこう。米国は、そう考えた。
終戦後の経済を再建するため、サッダーム大統領は石油の輸出を増やそうとしたが、産油国はどこも切実な状況を背負って商売しているので、イラクのために便宜を図ってくれはしない。
逆風は加速するばかりで、サッダームには世界中が自分にだけ嫌がらせをしているように映った。
特にその怒りを刺激したのが、隣国クウェート。
国土面積は25倍もの差があるが、イラク全土を合わせたよりも豊富な油田を有し、経済発展でも優等生。対イスラエル戦線でも地道な後方支援を続けていたので、アラブ諸国から頼りにされていた。
対イラン戦争中は、イラクを支持。法外なカネを貢いだが敗北してしまった。
クウェートはイラクへの投資を打ち切り、むしろ幾らかでも借款を返してはくれまいかと相談する。
我国の窮状につけこむ気か、とサッダームは激怒したのだがどう見ても君がおかしい。今までの援助に感謝を述べ、復興に全力を尽くすからあとこれだけ融資してくれとか鄭重に交渉へ持ちこむのが模範解答だったのではないか。
しかしそれができる人材は皆殺しにされたあとで、周囲には大統領に出撃命令を出させたがる取り巻きしかいなかった。
1990年8月2日、とうとうイラクはクウェートへの軍事侵攻を開始する。
米国は準備していたシナリオをすかさず読み上げた。
君はイラクの味方か、それとも正義の一員なのかと問われて参戦を約束させられた国は50近くにのぼる。
前代未聞の多国籍軍が米国の指揮でイラクへ侵攻を開始。ありとあらゆる財源を奪いながら、用がすめば破壊した。
ソ連までが協力しているのは冷戦末期を象徴している。
イスラエルは参加していない。エジプトやシリアなどを参戦させることは米国の大きな狙いであり、そのためチームにイスラエルはいないほうがよい、というきわめて政治的な配慮だった。
まったく別の理由から、イランは米国の誘いに乗らなかった。
西洋の地図で見るかぎり、この機に乗じてイラクの兵力を叩きつぶし、領土も分け前としてもらっておくのはイランのとるべき常識的な戦略のはずだ。
なぜイランが一顧だにせず断りつづけたのか。
おそらく当時も現在も未来永劫ずっと、西洋人にはこの謎が解けまいと思う。
あいつらは損得の勘定もできないんだと、アラビア数字を弄びながら嗤ってばかりいることだろう。
ちなみにコーヒーだってアラビア文化発祥だ。
やつらはこうして何もかもをその起源ごと奪い尽くしてゆく。
イランは、そんな悪党どもの一味になんて加わらない。それこそ神に対する最大の冒瀆だからだ。
さてイラクは再建もままならないほどズタボロにされた。サッダーム大統領はきっと処刑され、あとには米国主導の民主政権が誕生したことだろう。
ところがどっこい。
サッダーム政権は途切れることなく2003年まで続く。
おかしいだろ。
世界中の民主主義者は誰ひとり気付かなかったのか?この不自然さに。
解説しよう。
米国はイラクの復興という超めんどくさい事業を、自分ではやりたくなかった。
他の誰も引き受けたがらなかった。
その汚れ役を務めさせるために、サッダームの権力を維持させたのだ。
おかしいだろ。
誰もつっこまないなんて。
米国はイラクに基地だけは造りまくり、隣国イランへの監視と圧力を強化させた。
メディアが矛先を変えると世界中の民衆はイラクのことなんて忘れた。
すばらしいねえ、民主主義ってのは。
米国が牽引する新世界無秩序のもと、イラクは地道な復興を続けた。
それを指揮していたのは、まさしくサッダーム大統領だ。
もしも自伝が書けたなら、汲めども尽きぬ反省と祖国への複雑な想いに彩られていたことだろう。
しかし米国はその機会も奪った。
2001年に就任した共和党大統領は1991年イラク蹂躙を命令した大統領の実子だったのだが、父親の偉業ばかり聞かされて育てられたため、同じことをして国民から褒められたいという素朴な野心を抱く。
イラクが三たび世界征服をたくらんでいるぞという噂をどこかから聞き及んで、多国籍軍による懲罰を呼びかけた。
今回参集したのは4国のみ。
なぜだ、正義のヒーローになれるチャンスなのに。おまえたち損得の勘定もできないのかと不参加の同盟諸国を嘲弄しながら、攻めこんだ。
2003年12月14日、サッダーム大統領を隠れ家で拘束しイラクに平和をもたらす。
だが再建も米国資本で進めようとして反米テロに悩まされ、大赤字を出し、人気を凋落させた。
サッダーム元大統領は2006年暮れに処刑された。享年69歳。
今も悪党として語り継がれる。
その名に恥じぬ、おやじさんだ。