7時半頃。
スターンに、ボックス席のひとつからイスを2つ撤去するよう指示される。
ほどなく予約客が来店した。
高笑いと共に、車椅子のおじいさん。
あれ?見覚えがあるような、ないような。
スイスイと、ボックス席へ滑りこむ。あざやかな車輪さばき。
続いて少年がひとり。
彼も車椅子だ。あれ、見覚えが。たしか……あの……
スターンの眼差しが、一瞬、俺にも向けられた。
その動きを追うかのように少年も暗がりに隠れている俺を見つめる。
やだねえ、こんなアイコンタクト。狩る気まんまんじゃないか。
覚悟を決めるしかない。だって、俺はこの少年を……ええと。名前は……
少年も、俺の名前を思い出そうとしているようだった。
指をくるくると回しながら、もどかしそうに考えこんでいる。
その背後でドアが閉まり、3人目の客が、この光景をじっと見渡す。
ダン教授だ。
スターンとのアイコンタクトで何事か了解したらしく、黙っておじいさんの向かいに座る。
おじいさんは、首をひねりながら俺も含む全員を眺め回して、次の動きを考えているみたいだ。
まったく、おまえたちはエスパーかよ。
この中で唯一、超能力を持っていない俺は、どう料理されてしまうのか。
エヴァンズよ、こんな展開は全然聞いちゃいなかったぜ。
教授が少年に小声でなにか囁いた。彼はおじいさんの隣へ車椅子を動かす。
スターンが俺に指示を出した。
「ジョバンニ。教授の隣に座らせていただきなさい。
おまえはお客様をおもてなしする係だ。
それを、忘れないようにな」
家畜に逆らう術はない。さあ煮るなり焼くなり好きにしてくれ。
それにしてもこの少年、名前、なんて言ったかな。
教授をこんな間近で見るのも初めてだ。
威圧感が半端ない。ラスプーチンとかナイアルラトホテップみたいなキーワードが頭をよぎる。
フランスに関する話題だけは口にすまい。切実だ。
少年「ジョバンニ。僕を覚えていますか。
あなたのおかげで、僕は広い視野と新たな目標を手に入れた。
いつかまた、公平なレギュレーションのもとで真剣勝負を願いたいものだと思っている。約束してもらえるでしょうか」
どこまで本気なんだ?
俺は、君を障害者にして、車椅子生活にさせてしまった張本人だぞ。
それとも次は俺を障害者にしてやるから覚悟しておけってメッセージなのか。
仕方無いよな。うん、忘れないようにしておくよ。
おじいさん「奥多摩か!そうか、やっと思い出したよ。オレをここまで乗せてきてくれた、運転手の坊やだろう。
印象は薄かったが、実は遣り手というわけだな。そうか、ラブリオーラの運命を変えた男とはね。いいツラをしている。ちょっとやそっとでは、口を割らなさそうだ」
ああ。ラブリオーラだ。そうだった。
そしてこのおじいさん。たしか大阪から逃げてきた、スナッフ映画のコレクターだ。
どうして俺はこんなやつらとテーブルを囲んでいるのかな。まあ、ホールスタッフに客を選ぶ権利なんて無いんだが。
ラブリオーラ「足首ってものすごく複雑な稼働をする上に、全体重を載せながら急激に伸縮しなくてはならないので、ダメージの効果が大きいんです。アキレウスだけじゃない、全人類にとって弱点なんだ。
義足だってものすごく高くつくんです。それで僕は車椅子にしたんだけど、これがもう面白くてですね。あ。スターン、ジョバンニにもお酒を出してもらっていいですか?
僕、なんだかいっぱい語りたい気分なんです」
ドキドキしながら聞いていた。
命までとられそうな勢いを感じて、たしかに水が欲しかったんだが、まだ続くのかこの拷問。
たのむ、悪かったのは認めるから、ゆるしてくれ。
ラブリオーラ「以前の僕は、スポーツにもゲームにもちっとも積極的じゃなかったんですけど、失うと、取り戻したくなるんですよね。車椅子には腕力が必要なので、本格的に鍛えるようになりました。
そんな友達が何人もできてくると、競いたくなる。
障害のレベルは様々だけど、そこに適切なハンディキャップを設けて、全員が夢中になれるようにルールをつくって、全力を尽くすことに達成感を得る。
こんな楽しさを知るきっかけをつくってくれたのが、ジョバンニ。あなたなんですよ」
そんな考え方、したことないよ。俺はおまえを傷つけただけだ。
ラブリオーラが自分で気付いたんだよ。すごいのは、おまえだ。
よかったな。キラキラしてる。
俺のことなんていいから、おまえはおまえの道を走り抜いてくれ。
ラブリオーラ「今年のパラリンピック、どれだけ中継してくれるかなあ。
可能な限り見て、オリンピックとどうルールを変えられているか、どんな戦い方が可能なのかをじっくり研究したいんですよ。
そして参加種目を決めたら、トレーナーをつけて練習に明け暮れます。2024年のパリか、28年のロスに出場できればいいなあって考えてます。
競技によっては結構あちこちで障害者スポーツ大会が開催されているので、賞金稼ぎも夢ですねえ」
漠然とした夢レベルでないところが、さすがはコジモ・チルドレンだと思う。
素直に感心していたのだが、ここでおじいさんが余計な嫌味を語りだす。
おじいさん「オレは感心しないんだがね。
オリもパラも見世物興行と変わらない。
スーツを着こなした連中が世評を気にしながらルールを決め、企業が博愛精神をひけらかすために広告枠を買い、憐れみだけを誘う演出でひたすら感動を連呼するおしつけパフォーマンス。それがパッパラピッグズだよ。
好奇心が消えたらとっとと戻ってこい。マスコミに追い回されるようになる前に姿をくらますんだ。
真剣勝負をしたいなら尚更、あんな沼には用が無い」
おいおい。希望に胸ふくらませてる若者の前で言うことかよ。
と呆れていると、続けて教授も口を開いた。
教授「私は応援するよ。
オリンピックだとかパラリンピックとかが、どれだけ汚らしいヘドロの海かということを、その目に焼きつけておくことは悪くない。きっといい経験になり、君の将来をより豊かなものにできるはずだ。
もっともっと多くの財産を失いたまえ。
その数だけ、君は強くなれるだろう」
何を言ってるんだ、こいつら。
ラブリオーラも言い返せよ。
だめだ。さっきよりギラギラした目で口元をにやけさせやがってる。実は同類なのか?
スターンは……表情が読めないなあ。
しっかり聴いてるはずだろって気はするんだが。
教授「ジョバンニは、エヴァンズのしもべだったか。
見たところイノセントのようだが。そろそろ、マッケイやラブリオーラが羨ましくなってきてないか?
いつでも手伝うよ。私は、博士ほどは痛くしない」
……え?
教授。それは、なんのお誘いですか?
俺も車椅子の一員になれと?
さすがにそれは……まっぴらごめんです。
何が悲しゅうて、今日まで五体満足でいられたものを、手放さなきゃならんのですか。
おじいさん「ハハッ。やはり本音はそうか。この坊やはオレたちのことを、憐れむべき身体欠損者だと見くだしておられるわけだ。そうなんだろう?」
マッケイという名前らしいスナッフじいさんが、あからさまな挑発を仕掛けてくる。
厭なムードになってきた。それにしたってあんまりだ。
俺はあなたたちを見くだしてなんかいません。敵意だって持っちゃいない。
ただ、俺が意味もなく自分の身体を欠損することで誰が得をするんですか。
冷静に、非合理的だと思うんですが。
ダン教授「既得権にしがみつく者特有の、典型的な詭弁だね。
安心したまえ。君が力を失うことで喜ぶ者は大勢いる。
決して無駄な行為ではない」
ラブリオーラ「ジョバンニ。僕を見てください。
かわいそうですか?憐れみたいと思いますか?
逆じゃないでしょうか。
僕はあなたを憐れみます。いつまでそんな生身の身体にしがみつくつもりかと。できることの限界にはそろそろ気付いているでしょう。この先ずっと、守り通すだけの人生ですか。
もったいないと思います」
マッケイ「この坊や、なかなかしぶといな。
お上品な福祉愛好家ならとっくにキレてる。時間がかかるだけ旨味が詰まってりゃいいけどな。
いいんだぜ。イノセントほど、レイプしがいがあるってもんだ」
店内の空気が張りつめている。吐きそうだ。これこそ見世物でなくて何なんだ。
ここまでひどいリンチは味わったことがない。どうリアクションするのが正解なんだ?
カモッラ流儀で考えよう。
俺もいつか、国境で地雷でも踏んで金玉を失うかもしれないが、そのときはそのときだ。
コヴィッドで味覚を失った半年間もせつなかったが、たしかに奪われてから気付くありがたみっていくらでもあると思う。きりがないから、いちいち悩まない。
俺もいずれ車椅子を使う日が来れば、先輩たちに学ぶとするよ。
それまで、いろんなノウハウを蓄積しておいてくれるといいな。
ラブリオーラ、俺はいつでも勝負を受ける。
おまえは俺の足を狙うだろうが、俺はそれを見越して、おまえのまだイノセントな部位を叩き壊してやるからな。覚悟しておけよ。
まとめる気もなく、だらだらと、そんな所信を述べた。
誠意だけは伝わってくれたものと信じたい。
雰囲気は少しマイルドになった。
教授「ジョバンニは国境を越える準備ができているということか。
有望だ。エヴァンズに、もっとこき使えと指示を出しておこう」
教授は冗談がきつい。
ただ俺なんかよりエヴァンズにはもっとキツいこと言ってそうだから、受け流しておく。
マッケイ「坊や、車椅子に乗るだけならイノセントのままでもできるんだぜ。
一度味わっておくといい。ヤポの道路は障害だらけだ。毎日肚が立ってたまらん。
オレはこの共感を広めたい。
民主的に考えた。国民の過半数が車椅子を手放せない身体になれば、行政も少しは本気で改善に取り組むんじゃないのか。
もちろん影響力のあるやつからターゲットにしていく。
どうだ、すばらしい社会貢献だと思わんか」
じいさん。やるなら共感を持たれるようなやり方をしてくれよ。
少なくとも俺はあんたに今日一度も共感していない。
思わんかだって?
思わねえよ。
ラブリオーラ「難しいなあ。ジョバンニの意識から、頑迷な拒絶を取り除くことができない。
ヤポでもここまで物わかり悪いのは珍しいです。
エヴァンズは一年半も飼っていて、いったい何を教えてきたんでしょう。ここから躾けるとなると、物理的な荒療治も必要な気がしてくるんですが……」
ラブリオーラ、何を言い出しやがる。
スターン、止めてくれよ。
俺はいったいどんな目に遭わされるんだ、これから。
教授「ラブリオーラ。ジョバンニの躾はエヴァンズが決めることだ。
彼の能力に疑問を持つのはわかるが、君に指図する権限はない。やりたいならジョバンニの所有権を譲渡してもらってからだ。
それ以降なら、君の好きなように躾けたまえ。
私は興が乗ってきた。スターン、カルヴァドスを全員にくれ」