237号室。
フェダーイーとなった俺の新しいねぐらだ。
ドアを開けるまでの手順は、これまでと変わりない。だから異次元へ迷いこんだかのような錯覚に驚く。
リゾートホテルの最高級スイートルームってこんな感じなのかな、窓が無いことを除けば。
とにかく広い。
ベッドがでかい。
冷蔵庫にはシリアルバーや栄養ドリンク類が各種並んでいて、好きなだけ摂っていいらしい。
奥の部屋はトレーニングルームになっていて、トレッドミル以外にも特定の筋力を鍛える器具が5つある。
スコアの目標設定を柔軟に変えられるので、飽きることなく楽しめそうだ。
さらに奥へ入ると、浴室。
これがいちばん嬉しい。
ライトグリーンを基調とした安らぎに満たされる空間で、アロマの芳香も漂う。足を伸ばして体を沈めていられるバスタブなんて、最高じゃないか。
簡易サウナまで設けられており、使用する20分前にスイッチを入れておけば、熱々の蒸気に身も心も包まれて深い瞑想にひたることができる。
まったく。先週までの家畜小舎は何だったんだよ。
もうあんな境遇には戻らないぞ。
俺はえらくなってみせるんだ。もっともっと出世して、更に更に上をめざしてやる。
カモリスタだっていい。強くなるんだ。
とうとう、やっと、そんなチャンスが、巡ってきたのだ。
エヴァンズから概略を聞かされた。
狙うはイスラエル大使館本舎。
標的コードはデス・スター。
郵政宿舎や私立大学の入居しているビルなどにびっちりと囲まれ、隙を見せない武装要塞である。
東京都内の各国大使館を軽く100以上見てきたが、ここまで隠れたがるのは異常であり、相応の理由があるからに決まっている。
テロを怖れているからなのか。世間に知られたくない秘密をたくさん抱えこんでいるからなのか。
それらを公衆の面前へドドーンと曝してみてあげようじゃないのという一興である。
勝てば義賊、負ければ犯罪者だ。
敵も総出で死にものぐるいの抵抗をするだろう。悔いのない戦いをしような。
そう、真剣勝負。殺されたら次は無い。
だから生き残らなきゃだし、まだまだ先まで延びてるはずだよ俺の生涯。こんな初手でつまづいてなどいられないのだ。
さあ、みんな。俺に元気を分けてくれ。やつらを倒せるパワーをくれ。
たのむぜ!
「デス・スターの防殻となっているすべての建築物に爆弾を仕掛け、一斉に炎上させる。この任務は慣れている者に担当させるが、10日ほどかかるかな。
その間、君は陽動だ。怪しげにうろつき回って敵の耳目を引きつけろ。
言うまでもなく、捕らえられてしまえば君はすぐ口を割るだろうからウォッチとの通信が途絶したら即座に自爆モードへ入るよう設定しておいた。
いいよな?嫌だといっても既に手遅れだが」
本望ですよ。
ちなみに半径どのくらいの爆発ですか?
できるだけ大勢巻きこんでやりたいものですが。
「残念だが他人は殺せない。
君の手首は吹っ飛んで、その際神経毒を浴びるから10秒程度で死ねるはずだが、目的は口封じなのでな。
だから、そんな事態を迎えないよう毎回確実に帰還しろと言っている。敵を連れてこずにだ」
敵に囲まれながら独りだけ死ぬのか。
そんなエンディングはまっぴらです。みっともないや。
しかしドローンが追いかけてくるのに安全圏まで到達するなんて可能なんですかね。もっと対ドローン戦術を教えておいてください。
羽音が聞こえなくても、近くにいないとは限らないんですよね?
「地上10メートルから通行人の顔を全数走査してるなんて基本ルーティーンだからな。
雨の日はこの脅威がいくらか減る。
標的を見つけたら自動で追尾するなんて機能もとっくにスタンダードだ。
もちろんその映像はリアルタイムでデス・スターにも送られている」
俺の顔はもうブラックリストに載っちゃってるんですよね。
ずっとマスクをしてますが、それでも間違わずに特定できるものですか。
「ああ、そうか。君はカモッラと契約してからはスマートフォンを触ってないんだったな。
顔認証機能を使ったことはあるか?」
使ったことはありますけど。
マスクをしてても本人だって承認されるんですか、あれ。
「covid-19初期、それが不思議がられて一時的だが話題にのぼったことがある。
USではFBIが止めさせたよ。マンハンターたちに広められちゃ困る知識だからね」
ほおおお。つまり機械は、鼻や口を、人相識別の手懸りにはしていない?
「たとえば髪型やヒゲの有無などを決定打にするわけがないことは明白だろう。
瞳の色だって、カラコンで自由自在に変えられる。
空港を通過する指名手配者を確実に見つけ出すには、さてどこに注目すればいいだろうか?」
顔についてるパーツだと、耳かオデコくらいしか残ってない気がするんですが。
「正解。顔認識プログラムは額の皺一本一本を丹念にスキャンして個人を特定するんだ。
一般に人間同士で視認する際は最も軽視される部位だから、変装する場合でも無加工のままにされやすい。
もちろん他の箇所もチェックして総合ポイントで判定されるものだが、額や耳のウエイトはかなり高くて、髪型や瞳はほぼ無視される。
50年くらい前からこの基本は変わっていないね」
びっくりだなあ。
逆に、機械特有のアルゴリズムを精確に突けばドローンの追尾を振り切ることも可能ということですか。
「PSのガザ地区ではUAVが昼夜おびただしく飛び回っていると言っただろう。
USも、AF・PK・IQなどで同じような覗き見をしつこく繰り広げてきたが、連中が自画自賛するほどのテクノロジーを本当に持っているのなら、狙っている標的なんてとっくに全員挙げられているはずだよ。
現実問題として顔や指紋で個人を特定する生体認証技術は、おぞましいほど老朽化した思考ルーティーンのままなのさ。
西洋社会が闇雲にありがたがるUSが、頑なに固守したがるものだから、なおさらね」
スマホで顔認証や指紋認証使ってると、隣で寝ている恋人からのハッキングに一番無防備だぜ、なんて俺が学生の頃にもジョークになってましたけど、そんなものなんだろうなあ。
「まさにそれ。しかも狙われる側の方が切実に対策を研究するから、アラブ諸国や上海組は敵の捜査網から逃げる方法を磨き抜く。その技術がかれら自身のつくる監視システムにも活かされるので、手強いことこの上ないよ。
だから民主主義者は相手のことを知ることすらできずに対岸から悪口を叫びつづけるか、あるいはミサイルを射ちこむ以外の外交ができないんだ」
憐れでたまりませんね。
諸悪の根源は民主主義なんだから、とっとと征服して根絶しちゃえばいいんだけどなあ。
「その発想こそ民主主義流だぜ。
社会主義は防衛と安全保障が最優先課題だし、イスラームは相手に改宗を強要しない。わからんやつらのことなんて放っておくだけなんだ。民主主義者だけが、そうは考えないくせに、いつのまにやら暴力装置だけを肥大化させすぎたから迷惑だっていう話でね。
そろそろ脱線から戻ろう。
監視・偵察だけのUAVは相手にしなくていい。巻く方法はいくらでもあるから、毎回個別に指示する。
殺傷能力を持つUAVは要注意だが、ヤポにはほとんど配備されていないはずだから、確認されるまでは最低限の警戒のみをしよう。
大使館付の衛士か暗殺隊が直接肉弾戦を仕掛けてくる可能性がある。
一対一でも君には勝ち目が無いだろうし逃げられまい。それを承知の上で行動を指示するから即座に従うこと。
こんなところだ。質問は?」
エヴァンズたちが一瞬たりと目を離さず俺を見張っていてくれるんですね?
だったら安心です。忠実に役を演じます。
ところで日本にはほぼいないっていう殺人ドローンて、どんなのですか。スズメバチみたいな殺し屋ですか。
「そんなのも、いる。
有名なのはリーパーやアヴェンジャーなどの攻撃専門UAVで翼幅20メートル級だが、まずお目にかかれまい。
ILなら確実に超小型を使ってくるはずだ。それらの情報はきわめて少なく、どんな性能やヴァリエーションを持っているのかは僕たちが直接ぶつかって手に入れていくしかないというのが実情だ。
スズメバチが迫ってきたくらいで狼狽えるなよ。ガザではそいつらが連日、大量に飛んでるんだ。常にそのつもりでいることだ」
アラブ人を殺すためなら何だってやる連中ですからね。くれぐれも気をつけます。
もし俺が倒されたら確実に遺体を回収して、すぐ解剖してください。次のフェダーイーに人類の未来を託します。
「見上げた自己犠牲精神だ。ジョバンニ、君の名は永遠に語り継がれるだろう。
僕にしてほしいことがあったら言ってくれ。できるかぎりの力を尽くそう」
いいんですか?
じゃあ、ひとつ、わがままをお願いしたいな。
初めて会った頃、俺がファミレスでTボーンステーキ食ったの覚えてますか。
コヴィッドで味覚を失ってたし見るのも初めてだったんですが、エヴァンズは、こんな店ならこの程度かってあからさまに軽蔑したんですよ。
今なら俺、舌も肥えてますし、1ポンド以上でも余裕で平らげます。
ぜひ本場のショートロインを味わってみたい。
連れて行ってください。
「お安いご用だ。予約を入れておく。しっかり筋肉を乾しておけ」
言われずとも、部屋へ帰れば走りこむ。
へとへとにくたびれるたび、血が濃くなっていくことを実感する。
フィジカルとメンタルが満たされてくると、無性に女も欲しくなるが、こっちは自力で手に入れたいな。
浴槽に沈みこんで、俺はマユミさんを思い出す。
たわわな胸に、ひきしまった尻。メスの臭いをたぎらせながら、むしゃぶりついてきた、あの肉体を。
あんな想いは二度とできまい。
今は成田の地層に封じこまれてしまった、俺の大切な大切な記憶だ。
すべて、とりもどしてやる。
そう、俺は、誓う。