米大統領ロビネットは、イギリスのG7サミット終了直後にスイス・ジュネーヴで、ロシア大統領ウラジーミルと会談に臨んだ。
日本の新聞でも、申し訳程度に報道されている。
ロビネットは暴徒と化した極右集団からの脅迫に立ち向かいながらの大統領選に勝利し、盟友・日本の秋ノ宮首相と真っ先に会談。世界に平和と秩序をしっかり根付かせることを誓い合い、固い握手を交わしたそうだ。
日本のマスコミはブーマー世代を主要な読者層としており、経営上でもかれらの購買力に大きく依存している。その精神がしみついているせいか、外国人に対しても基本、老人であるというだけで褒めそやす。
歴代最年長の大統領ロビネットは、まるで仏陀が再誕した如く描かれていた。
これまでは。
仏陀は聖人なので、助走をつけて相手を殴ったりはしない。
はずだ、たぶん。
しかしロビネットはウラジーミルに対してこれをやった。
ウラジーミルも激怒し「担架の上でもあいつをぶち殺す」と帰国後にコメント。
斯くして米露関係はにわかに緊張する。
日本としては米国の肩を持つ以外の選択肢がありえようはずもないのだが、国内の政治学者を総動員してもこんな状況に至った経緯を説明できない。
わからなければ語らない、これも日本のお家芸。
読者たちはもっと理解できないが、所詮海の彼方のできごとなので、隣の広告を眺めているうちに忘れてしまう。
日本は平和だ。これでいいのだ。
俺はエヴァンズから何ヶ月も前にロビネットの狙いを聞いていた。
かつてソ連の一部だったウクライナが脱露入欧のイデオロギーをこじらせており、2014年の武力衝突以来ロシアと険悪な関係にある。
ロビネットの息子がウクライナの国営企業とつながっている関係で、今の政権ならば対露戦へ備えた武器援助がスムーズだ。
ロビネットの真の目的はロシアへの悪感情を煽りたてて米国内のフラストレーションを外へ吐き出させることにある。ウクライナが自衛力をつけてロシアから円満に離脱するのでは、米国が損をするだけだ。ゆえにド派手な独立戦争を演出してみせねばならない。
そのためロシアを挑発したのである。
まったくブーマーよりひとまわり上の世代ってのは老獪もえげつないねえ。いざとなればボケたふりしてどんな追及だって躱せるからな。
いいのかよ民主主義。
おまえたち、とっくに終わってんだぜ。わかれよ。
イスラエル大使館周辺への爆弾設置は、当初10日間くらいかかると言われてたはずだが、ずるずると遅れている。
アリエルが厳戒態勢を強化したせいだ。
俺が大使館への潜入をたくらんでいるのだとすると、ドローンや人間に監視されているのを知りながらいつまでも周辺散策しかしないのはおかしい。
これも既に見抜かれているようなので、より説得力のある挑発へ更新する必要が生まれた。
意外に効果大だったのは、アジビラだ。
イスラエルに告ぐ!パレスチナより出ていけ!ホロコーストの後継者め!といった過激な文面を、街のいたるところにぺたぺた貼ってゆくのである。
作業は主に深夜行う。
判型は大きくてもA4サイズ。むしろA7くらいの方が信号待ち中の人が熱心に読んでくれたりするようだ。
300枚程度ポケットに仕込んで、ひと気のない街路から塗りつぶしていく。
防ぎたい側には必勝法が無く、どれだけヤキモキしていることかと痛快この上ない。
日中これを目当てに二番町へ集まってくるコレクターも出現するようになり、エヴァンズは毎日文面やデザインを変えたビラを準備してくるようになった。
このシリーズ化はブームに拍車をかけ、見物人の群れに紛れて俺も仕事がやりやすくなる。
おっとっと、油断は禁物。
敵は浮浪者に駄賃を与えて怪しい犯人をとっ捕まえようとしているぜ。
俺も駄賃をやったら見逃してもらえた。
小銭って、あなどれないな。
100円玉ひとつでだって救える命があるんだよ。
命を救うといえば、ワクチン接種が加速している。
ただ、いささか狂乱じみているように映るので、特筆しておきたい。
いよいよ来月へと迫ったオリンピック開催へ向けて日本へワクチンを優先的に割り当てましょうと、おそらくG7で決まったのだ。
先進国サミットにWHO代表は招かれないから、まだアフリカ諸国の大部分へ1回目のワクチンさえ届いていないのに!なんて抗議はおくびにも出されなかっただろう。
最大多数の最大幸福は民主主義の大原則であるはずだが、ロシア以外の民主主義国家はここを真っ先に塗りつぶすアレンジを加える。
もう、驚かないよね。
ともかく秋ノ宮が帰国するかしないかのうちに、先を争ってワクチン満載の貨物便が日本へと殺到した。
平塚・厚労省・全国自治体・ピカピカの免許証を携げた医療従事者たち・それから自衛隊が、狂喜の悲鳴をあげる。
予約システムの修正が容易だった自衛隊の大規模接種会場から、4日先以降の受付をいきなり18歳以上可とする大幅なフライング。
その時点で13万件あった空き枠が数時間で埋まったそうだが、駐車場とか足りんの?て思う俺は心配性なのかもね。
イギリス産のアルファオメガ・ワクチンも大量に来日したが、血栓を生じやすいとかで問題視されていた製品だ。
大先輩からの好意はありがたいけど、どうする。
日本政府は、妙技で解決した。フィッツナーとパイソンズのふたつだけでも取り扱いや接種間隔の違いで現場が大変混乱し、多くの廃棄ロットも出している。さらにひとつ増えるなんて日本人には目隠ししてポーカーに挑むくらい無謀なチャレンジだ。そこで、ワクチン不足に悩む近隣友好国へ提供してはどうかという案が出た。
検討中の段階で、耳聡い台北駐日経済文化代表処から、うちにもらえないだろうかと打診される。中国政府の禁輸措置によって必要量のワクチンが確保できていないそうだ。
日本政府、笑顔で契約を交わす。
すぐ中国にバレて大使から抗議を頂戴するが、ボケたふりして笑顔で謝罪しているところ。イマココ。
平塚大臣の計算によると、なんと11月末までに日本国内の全希望者へ接種達成が可能であるとの見通し。さすがにびっくりだ。
希望者なんて流動的な表現を使っている時点で電卓すら叩いてないだろうと察するが。
もう半年早ければなあ。オリパラを完全な形で開催できたかもしれないのに。
それでも9月5日にパラリンピックが閉会する頃には、マスクをつけている人が少数派になっているだろう。
1年と半年あまり。長かった。
世界はすっかり変わり果てた。
もっともっと変えていこう。
来年からは足枷なんてつけないで、脱・民主主義の戦いに全力を投じるのだ。その手始めがイスラエルさ。
さあ今日もはりきってアジビラばらまくぞ。
「その心意気は結構なんだが、ウイルスだって必死だ。生き残るためにありとあらゆる手を尽くす。
やりきったつもりで実はゲネプロでしたなんて錯覚は、なかなかに喜劇だよな」
ほお、意味深ですね。
もう少し具体的にお聞かせ願えますか?
「WHOが4月にデルタと命名した変異株が、きわめて強烈だ。
初検出は昨年10月。すでに全大陸へ伝播している。
従来型と免疫系が大きく異なっていて、つまり現在出回っているワクチンのほとんどが効かない」
……え?
ちなみに毒性は?
「感染力は従来比2倍。潜伏期間も短縮。重症化している報告もあり。
攻撃力は落ちていないようだね。
SARSは弱毒化・無症状化して表面上消えてくれたが、SARS2はまだまだ人類を殺し足りないらしい。この新型がG7サミット直後、参加国の間で急激に拡大しつつある……という速報だ」
日本でも?
「ヤポでのデータは無い。そもそも検査していないからな。
GB・FR・US・DE・CA・IT、それからマーストリヒト倶楽部の本拠地であるBEからの情報による。
いずれもワクチン接種が順調で、競い合って規制解除を行っている最中だ。そりゃあデルタ株にとっては無限大の放牧場に等しいよな」
なんてこった。まだまだ続くのか、こんなマスク生活が。
「博士によれば、対策は従来どおりで充分だそうだ。
マスクで防げる・アルコールに弱い・拾い食いはやめておけ、ということだな。
この基本すら守れないワカラズヤとはなるべく接触するな」
はあ……都内は今週から規制が一段階緩和されましたけど、またすぐ逆戻りですかね。
秋ノ宮が料亭で毎晩ウイルスをばらまいていることだろうからなあ。
「どうせ今度も、手遅れになってから騒ぎ始めることだろう。
それよりそろそろ花火を上げるぞ。心の準備をしておけ。気を抜くなよ」
……とうとう、ですか。やっと仕掛けが整いましたか。
「芦屋ユリコが今日か明日あたり、過労で公務を離れる。そのタイミングを見てから決行だ」
過労で公務を離れる?
来月、都議会選挙ありますけど、それに絡むことですか?
「投票日までには戻ってきたいだろうし、以降は都知事としてオリンピックが終わるまで不眠不休が続くだろう。それじゃあ心身がもたないから、今このあたりでしっかり休養をとる。
リーダーにはこんな体調管理も必須の責務なんだが、ヤポではただ休みますと宣言する者を軽蔑する伝統がある。
ばかげているが、芦屋ユリコはやむにやまれぬ理由をつくってでも休むことを選択するんだ。
僕は彼女を騒動に巻きこみたくないのでね。これに便乗させてもらうことにした」
はあ。騒動……ですもんね。二番町の一角が火の海になるんだから。
マスコミが休養中の芦屋都知事に責任追及しに押しかける……なんて事態が起きなきゃいいけど。
「外交問題だと誘導してやるから、そこは心配ない。
ヤポメディアはアルゴリズムが単純だから操縦が楽だよ。
ウイルスの方が、はるかに複雑な成長をする」