テクマクマヤコン、テクマクマヤコン。PCR検査とはいったい、何だ。
「ポリメラーゼ・チェーン・リアクションを利用した遺伝子検出技法です。
サンプルの中にきわめて微小な生体組織が存在するか否かを判定することを容易にします。
検知したい標的を特定できる遺伝子情報が判明していることを必須とします。
サンプルの中に標的が含まれていた場合、それだけを検出可能な量まで増幅させます。含まれていなければ増殖されず、非検出と判定されますが、これを根拠に標的が存在しないとは断定できないため、注意が必要です。
この技術は1980年代にUSで開発され、世界中の犯罪捜査で活用されるようになりました」
……は?
こ、これは本来、医療用の検査じゃないのでは?
たとえば犯行現場に犯人あるいは被害者の血痕が付着していたとき、それが誰のものであるかを判別するとか。レイプ事件で、精液から犯人を割り出すために使うとか。
そういう類いの発想だろう。
なんでそんな装置が500台以上も日本にあるんだ?
いや、今では医療用としても活躍しているから、とかそんな用途であろうとは思うのだけど。ちょっと、怖いぜ。
カモリスタは日本人が感染症対策の準備を怠ってきたといつもバカにしているが、こんなものが常備されている国ってのは凶悪犯罪が日常茶飯事なのだろう。同類にされてもらっちゃ困る。
平和な国にPCRなんか要らない。
今回、はからずも日本はそれを世界に証明することとなったわけだ。
そういうことでいいじゃないか。自信を持っていいんだぞ、我らがニッポン。ふう。
しかし確かに、週刊誌や新聞を読む限り、記者たちがPCRを理解しているとは言い難かった。
PCRは特定ウイルスの検出方法としては現状最も精度が高いといえそうだが、時間も手間もかかるし、一般家庭向けに市販できる種類のものでもない。
口か鼻に綿棒をつっこんで、それに付着した粘液の中にコロナウイルスが混じっていれば増殖させて検知できるよ、という理屈なのだが、初期症状などでウイルスが体内に大して含まれていない場合、検出されないことだってある。
とくに今度の新型は、感染力だけやたらと強いくせに必ずしも発症するとは限らないことがわかってきた。
重症化すると危険で後遺症もつらいのは俺が身をもって体験したことだが、どうやらあの病院の処方が良かったから生還したわけではないことも今は理解している。
この疫病には未だ特効薬も、予防のためのワクチンも無いのだ。
体力の衰えている老人は苦しみぬいた挙句に死んでしまうようで、日本ではまだ例が少ないが、海外ではコロナ患者が死ぬと遺族に別れの挨拶もさせず、すぐ焼却炉送りにされるそうだ。むごいじゃないか。
陽性だとわかったところで隔離と対処療法しかできない現状で、それでもとにかくPCR検査を今すぐ全国民へ提供するべきだという主張もあれば、予算があるのならもっと他に使えとたしなめる論説もある。
どの記事も、専門家である有名または匿名氏がこのように語っている、という体裁でまとめてあるのだが、似たりよったりの軽さだ。
丸暗記してそのままエヴァンズの前で披露すれば、瞬殺で何も考えてないんだなとせせら嗤われるぞ。俺でさえ指摘できるんだから。
外出規制に従い半年ほどおとなしくしていればウイルスは鎮静化する、と優しく説諭する論者が一定数いる。
読みやすくて和ませる効果はあると思うのだが、どいつもこいつも2003年のSARSがそうだったから、と説明してすませている点があまりにワンパターンで飽きた。
苦しんでいる患者と、その家族と、突然仕事を失ったりそのせいで派遣会社に騙されて奴隷やってる人のことを、しょせん他人事だと冷たく突き放しているようにしか感じられない。
晴海の選手村はまだ建設中で完成が大会開催直前くらいというギリギリスケジュールなのだけど、そんなことにも無関心で半年ゆっくり休んでれば予定通りオリンピックが勝手に始まってくれるよとか思ってなければ書けないだろこんな文章。
ああ、ムシャクシャする。
「ジョバンニ。来週いよいよ、僕はワクチンを射つことになった。
これっきりお別れになるかもしれないから、言い残していることがあれば、後腐れの無いようにしておいてくれ」
ほう?ついにですか。
しかし、お別れとはいったい?
そんなに危険なものなんですか。
「博士のつくったワクチンだぞ。おまけに、原材料が君の体から取得したサンプルときてる。
どんな副反応に苦しめられるか、わかったもんじゃない」
なんともまあ。
カモリスタはもっと結束が強いと思っていたけど、案外信用し合ってないんだな。
俺の血からつくった云々はともかく、エヴァンズだって実験台にされるというのは小気味よい。苦しみやがれ。
「治験のためにヤポニカを100体くらい潰したって聞いてる。その補充も急務でね。
カモリスタの中でも体力のある連中が先にワクチンを射って、いまヤポ狩りに精を出しているよ」
おいちょっと待て。
ヤポニカって、日本人奴隷の転落組じゃあなかったか。
ワクチンつくるための実験台にして、殺したってことか?
ひでえ。どこまで人でなしなんだ、おまえら。
「covid-19のおかげで下町界隈には失業者があぶれていてね。面白いように釣れるそうだ。
ただ、すべてが使いものになるわけじゃない。
肺や腎臓、それに心が穢れすぎている者はヤポニカにすらできない。
この不都合ロットも大量に出ていてね。捨てる場所が足りなくて困っている」
うわあああ。厭な話になってきた。
「ところでジョバンニは大型車を運転できるか?
96式やストライカーは無理として、マイクロバスくらいなら、いけそうか?」
バスなら中型免許が必要でしょ?持ってませんよ。
「免許証ならすぐ作ってやるよ。しかし運転経験自体が無いようじゃあ、推薦するわけにもいかないか」
思っていた以上に、カモッラはギャング団だった。
それはさておき、どこに推薦するつもりだったんだよ。冗談じゃねえぞ。
「君の運転は丁寧だからね。これでも、実はかなり高く評価しているんだぜ。
さて、僕が抜けている間、誰と組んでもらうかなあ。
君を五体満足で返してもらえないと、次のヤポをまた一から教育してやらないといけなくなる。面倒なんだよねえ」
お別れっていうのは、俺のほうが、二度と地上へ戻ってこれない可能性もあるって意味だったのか。ふざけてんじゃねえぞてめえらあああああああ。
……あの、俺はアヴァンティの仕事もしてるんですよ。ワクチン射つったって異常が出なければ数日で戻ってこれるんでしょう?それまでの間、俺も昼間は休ませてもらっちゃいけませんかねえ。
「休む?
これ以上休むって?君が?
いやあ、その発想はなかったなあ。
そうか、今すぐヤポニカになりたいのか。そうかそうか。
その意思は尊重してやらねばならんかな」
ちょちょちょ。待ったあ。なんで、休むイコール即ヤポニカなんですか。
「え?君はまだ、スターンからも、ヤポニカがどういうものかって聞いてないのかい。やれやれだな。
ヤポニカはねえ。君の住んでいる1422号室と同じような部屋へ、30日から50日くらい閉じこめておくと作れるんだ。
生前の記憶や悩みをすべて忘れさり、純真無垢でア・プリオリな原人類に戻せるんだよ。成功すればだけどね。
ヤポニカは素体として、いろんな実験に使える。
人類のお役に立つんだ。すばらしいだろう。
この段階まで育てると、痛覚も退化するらしいからね。かれらは幸福だ。
君がそれに憧れているのかと思った。
理解はできる。しかしだな、まだ僕が支払っただけの成果は受け取ってないんだぜ。それでも契約が満了してからなら望み通りヤポニカにしてやる。だがそれまでは、ちゃんと働け」
苛立った声で、早口で、まくしたてられた。
ヤポニカヤポニカ連呼されたが、よく理解できなかった。
それ以上口論するのは、やめた。
この日の夜も、アヴァンティには山猫博士が来店した。
曜日も時間も不規則だが、けっこうな常連だ。毎回異なる相手2~3名と、ボックス席で語らう。
その対話者に合わせて、英語・イタリア語・日本語、それ以外の言語を駆使する。
俺は、日本語の場合のみだが、気取られぬよう、聴き耳を立てる。
内容はちんぷんかんぷんのことも多いが、昼間新聞や週刊誌を読んでいるおかげで、なんとかついていける話題も、たまに出てくる。
「世界全体での感染報告が、ついに10万人を突破した。死者は3500人だ。
すでに亜種も確認されている。これからますます拡大し、多くの死者が出て、鎮静化するまでに何年もかかることをオレは断言しよう。
だからね、この波に乗るべきだ。
covid-19は、新しい需要を次々とつくりだす。いくらでも稼げるよ。
君もサーファーなら、じっとしちゃいられまい。
我らが偉大なる友、キャリー・マリスやビル・キルゴアに続くんだ!」