東京五輪殺人事件   作:ひねもす@HAMELN

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6月最後の一週間、日本へのワクチン供給が止まった。

 

デルタ株の猛威が、世界中のワクチンを最重要戦略物資の座へと引き戻したのだ。

第1世代はデルタに効かない。

とはいえまったく無駄というわけでもない。

プラセボ効果は科学的に立証されているし、そんなものなくたって需要があって高値がつくなら商売人は買い占める。

 

日本はどこまでも無為無策でいた。

新規の予約受付は中止され、予定日に行っても徒労に終わり、全国各地で大々的に準備されていた新しい接種態勢へ向けての努力が何もかも五里霧中の闇にとりこまれた。

予算もモチベーションも溶けてゆく。

あとには憎悪を象徴する骨がのこる。

 

芦屋都知事は自宅でマスコミからの絶え間ない取材申込を断り続けるうち、本統に体調を崩したらしい。

もちろん記者たちは病院へも押しかけ、門前払いされた怨みを文章にして翌日発散させるわけであるが。

おそらく一度も彼女と対面したことの無いであろう熱血記者が「都知事と朝鮮総連の黒い密約」という妄想小説を連載中。さすがにここまで荒唐無稽だと毎日読むのが楽しみだ。

ゲラゲラゲラ。

 

オリンピック開幕は7月23日。

とうとう1ヶ月をきった。

1年も延期して、直前にこれかよ。

さすがに笑うしかない。

 

ところで7月4日は東京都議会選挙の投票日だ。

候補者の中には声高に、今からでも大会を中止せよと息巻く者が何人も現れている。

一定の票は集められるかもしれないが、当選してから3週間足らずでそれが実現可能だとしたら、あなたの得る権力は首相よりも上なんだろうよ。

バカをあぶり出すキーフレーズに使えて結構なんだが、やかましいのが困りもの。

民主主義なんてやると、こういう手合いが調子づく。

なぜなんだ?

さすがに民主主義の始祖たちだって、こんなアレンジ許しはしないだろうと思うところなんだが。

 

選手団は連日、空港で歓迎を受ける。

7月の1週目には400名が来日予定だそうだ。

一般の入場レーンとは隔離されたルートを通って専用ルームでPCR検査。指定されたホテルで24時間待機する。

診断が陰性であればバスでホストタウンへと向かう。

陽性であれば対象者のみ引き続きホテルで療養。

このルーティーンで確実にコヴィッドの蔓延を防止するというのが組織委員会の説明だ。

これで安心する奴がいたら、無知にもほどがあるだろう。

 

6月中にも何名か陽性者を出しているが、当時はまだ人数も少なかったから、その都度記事になっていた。

出国前にワクチン射ってない選手なんて、いるわけないのだ。

とくに2度目の接種後は体調悪化を生じやすいため、慣れた気候のホームタウンでばっちりコンディションを回復しておくのは当然である。

ところが日本の記者は、とくに相手が小国出身者の場合、露骨に憐れみの表情を浮かべて「日本ノ医療体制ハ素晴ラシイデスカラネ」と一方的にアピールを始め、そんな自分の長広告を中心に原稿をまとめる。

いまどきスマホを携帯していないオリンピック選手もいるわけないので、直後すべて自国の言語で暴露されちゃうわけだけれども、このギャップがすさまじい。

 

めんどくさいから記事の概要だけ羅列する。

ルートは別々でもトイレは共用だったりとか

ホテルは個室でも移動は自由で現に記者がアポ無しで次々押しかけてきたとか

なんなら外出だってTOCのワッペン付けたボーイに軽く会釈をするだけでニコニコ通してくれたぜとか

スマホの通訳アプリでわざわざ日本語変換してコヴィッド対策を自国ですませてきたことを説明してるのに、日本人の医療スタッフは反論も質問もせずヘラヘラ笑うだけだったとか

ホストタウンへ着いたら着いたで子供たちとの握手ばかりさせられて練習どころかウォーミングアップする時間すら奪われてるとか

まあひどいったらひどい。

 

これもすべて日本がメダルをひとつでも多く獲得するための入念な準備だとするなら見事としかいえないが、たぶんそこまでも考えておらず、ナチュラルに客の迎え方を知らないのだろう。

「おもてなし」って昔、流行語になったんだっけ。

アプリに翻訳させると何だと変換されるのかな。

実際にオモテナシされた人たちの生々しい感想を参考にしながらAIが適切な単語をサジェストするはずだ。ああ怖い怖い。

 

TOCといえば気になる広告が一点。

広告というより、ボランティアスタッフへ向けてのメッセージか。

 

2019年の暮れになんとか登録者が11万人の目標に達し、年明けからは誓約書の提出や連帯保証人の捺印など事務作業が進められていた。

時間に余裕のある者は春先から応召され、虎ノ門ヒルズのTOC事務局で簡単なアシスタントをしたり、晴海の選手村建設現場で爽やかに汗を流すなどして、オリンピック精神をより濃厚に心身へ吸収する機会にも恵まれる。

しかし3月24日、岸首相はパンデミックの影響を鑑みてオリパラ1年延期を決定。このときボランティア11万人の拘束期間も自動的に1年間延長された。

どうしても契約変更に従えない者もいただろうが、TOCだって貴重な人材を手放したくはない。

雇用であれば課せられる、種々の負担が免除されているとはいえ、フルタイムで就労可能かつ壮健な男女を逃さないよう管理しておく労力は大変なものだ。

名簿の中の一頁だけでも、欲しがる業者は大勢いる。

TOCは登録者の居住地を定期的に確認し、連絡を絶やさず、悩みがあれば相談にのったりスキマ時間でできる仕事を与えたりなどしてオリパラ本番までにスタッフのモチベーションが下がることのないよう地道な努力をねっちりと重ねた。

それでも6月末までに1万人が行方不明になったようなのだ。

 

今週ずっと同じ広告枠に掲載されているメッセージは、その、連絡とれなくなった1万人へ向けての警告である。

表面的にはボランティアスタッフ全員分のワクチンを確保したから築地市場跡地へ来てくださいと書いてあるだけなので、事情を知らない老人が読むと、TOCは雇用義務を負わない若者たちにも配慮してくれる、なんてすばらしい法人だと感心することだって可能だろう。

なにが気になっているかというと、新聞広告なんていまどき若者の目に触れることもないだろうにって点だ。

なのに、なぜこう毎日出すんだ。

きっと老人たちに通報を促すのが目的じゃないかな。

息子や孫が、ボランティア登録しているはずなのに行きたがらなければ、何かがあると勘ぐるだろう。本人が語りたがらなければ、広告の中に太字で書いてあるフリーダイヤルへ問い合わせてみるお節介焼きだって、いるだろう。

邪推しすぎか。

カモッラで鍛えられたせいかもしれない。

渡る世間は鬼ばかり。

逃げ切れよ、若者たち。

 

「フウ、ただいま。

7月に入って急に大使館職員からもオリンピックの話題を振られることが多くなったよ。

アラブ諸国はこれまでオリンピックには概して好意的でなかったんだが、今回に限っては特別だ。

ニンジャと一緒に写真を撮ってきてくれと、選手が出国前に子供たちから揉みくちゃにされるらしい」

 

ははっ。痛し痒しですね。

色紙にサインしときますか?

何枚くらい必要でしょう。

 

「君が書く必要はない。各大使館員がずっとそれらしい筆遣いで、子供たちの期待に応えるメッセージを準備するよ。

リアルな君の筆跡は、お世辞にもかっこいいとは言えないからな」

 

しかたありませんね。

選手の方々と直接会ったりも、できませんよねえ。

総勢どのくらい来られるんですか?

 

「一国で100人超えはEGくらいかな。KZも大所帯だが、今年は2桁台だと聞いている。

君の好きなJOからは14名だ。種目では男子テコンドーが花形だな」

 

なんだかんだいってオリンピックが始まればイスラーム圏のみなさんだって国の代表を熱狂的に応援するものですか。

 

「ヤポが、ハリウッド映画で描かれる自分たちの姿を観に押しかけて、帰ってからいつまでも冷笑するのに似てるかもな。西洋人が自分たちだけ盛り上がるように作りこんだゲームの数々なんて、誇り高いムスリムにとっては噴飯ものでしかないさ。

イスラーム諸国のオリンピック選手はほぼ全員、軍属だ。開催地はごく稀な例外を除いて民主主義国ばかりだから敵情視察が目的で、むしろオリンピックは貴重な機会といえる。まちがって勝ち進むと、アルコールをぶっかけられたり、無知かつ破廉恥なジャーナリストに追い回されるから、適度に相手を調子づかせて帰れとも命じられるものだな」

 

ああ。オリンピックだから話題にしてるんじゃなくて、たまたま舞台が日本だから注目が高まってるわけか。

それだとメダルの数なんて気にしない。むしろ持ち帰ったら肩身が狭くなりそうですね。

 

「メダルの数を競いたがる感覚が僕にはずっと理解できないんだがな。あんなもの、カジノのスロット並みに店側の設定でいくらでも操作可能だろう。

高い授業料を払いつづける奴に限って数学も英語もずっと苦手なままでいる。説明できるならしてくれ。何が楽しくて同じ罠のあるところばかりを周回するんだ」

 

さあ。俺にもさっぱりわかりません。

いまさらわかろうとも思いませんが。

 

エヴァンズは次の訪問先へ歩いていった。

靖国神社のすぐ南、チュニジア大使館だ。

ここは競泳が強いらしい。来日する選手は63名。精鋭揃いだろう。

いったいどれほどの情報を手に入れて帰国することか。

エヴァンズも手伝ってだからな。

怖すぎて、わかろうとも思わないよ。

 

ここは破壊のあとが痛々しい二番町からは1km離れており、ドローンの羽音も聞こえない。

しかし俺は今もお尋ね者なので、周辺では警戒を怠らない。

新聞を読みながら数秒おきに全ミラーを確認する。

こんな習慣も、すっかり板についた。

さて……

こちらへ近付いてくる黒い人影。

敵かな。

全神経を集中する。

 

男は窓越しに俺を見下ろし、ゆっくりとサングラス、そしてマスクを外した。

想像もしていなかった、なつかしい顔が、そこにいた。

 

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