7月3日。
静岡県で大規模な土石流災害が発生した。
数日前から続いていた豪雨で、山間部に投棄された大量のごみが川に溢れかえっており、このままでは地盤ごと決壊する!と下流の住民には予測できていた。
市役所が避難勧告を発令したのは伊豆山丘陵の温泉施設等が泥土に呑まれ始めてからになるが、すでに3万戸超の市民は自主退避を完了しており、災害発生後確認された死者数は30前後にとどまる。
ここから様々な教訓を読み取れよう。
数日間も準備する余裕があったのならバイバイしたいものを隠しておくことは容易いはずだし、2週間経っても30体しか発見されてないくらいだから成功率はかなり高いと見込めるのである。
自然災害だからね。しょうがないといえばしょうがない。
まてよ、山林への不法投棄が原因なら人災なのか?
だったら計画的犯行だったのかもよ。
直接関係ないとは思うが、ヨーロッパでは現在、特大低気圧ベルントという怪獣が暴れまわっているらしい。
ドイツ西部からオランダとベルギーにまたがる平野部で大洪水が起き、一日で死者200名近く。行方不明者も1300名ほどが届け出られているとか。
夏はハリケーンとか異常気象が多くなる季節ですけど、コヴィッドにオリンピックという二大災厄で世界中が疲弊しているときに更なる追い討ちですよ。
人類の自業自得とはいえ、まったくやりきれませんね。
「直接関係ないとは思うがUSがIQとSYに対し行っている空爆は、直近5年間だけでも2万回を超えるよ。
1回あたり最低でも100人を殺しているとして、200万人といったら岩手県と秋田県の人口を合わせたくらいか。
大したこともないといったら大したこともない。まだまだこれだけしか殺してないぜとも言えるね。
それで、何の話だったかな?
神様は慈悲深いという結論なら同意するけど」
人類がこれだけやりたい放題やらかしていても、低気圧の氾濫くらいですませているんですから、むしろ手ぬるいくらいですよね。
もしかして神様って、人類に罰を与えるほどの力なんて、持っていないのではないでしょうか?
「僕が創造主だったとして、少し目を離している隙にアクアリウムが共喰いのキャンプフィールドと化していたら、修復なんて試みないでとっとと新しい作品をつくりなおすけれどねえ。
まだ見ていて楽しめるうちは捨てないでおくかもしれないが、まちがっても他の生態系とは混ぜないよ。
蓋をこじ開けて出てくるやつが生まれ始めたら即処分する。徹底的にね。
そのくらいの責任は果たしたいものだが、実際の神様はどこまでズボラか知れたものじゃないからな」
少なくとも、信徒のひとりひとりに目をかけてやり、祈れば優しく手をさしのべてくれる、そんな暇人でないことだけはたしかでしょう。
さもなくば世界はここまでひどい状態に陥っちゃあいない。
いったい何百年、何千年放置されていたんだろう。俺たち。
いまさら所有者ヅラされて戻ってこられても、遅すぎるってんだよ。
「ベルントだって、イルマ・マリア・ドリアンたちハリケーン一族にしたって、現在の科学で説明のつけられる事象だから、神様のメッセージなんて携えてないよ。
短命だし、無邪気に暴れまわっているだけの姿を見る限りは、人類と同じく偶発的に生まれた癇癪玉のように思えるね。
神様だったら、ビッグファイブ級のサプライズを届けてくれるんじゃないか。
ネアンデルタール人にとっては、ホモサピエンスこそが第6使徒だったというジョークだってあることだし」
恐竜絶滅がビッグファイブでしたっけ。聞いたことあります。
「5番目の、と言いたいんだったらフィフスだ。まったく。
ところで最新の動物分類基準によると僕たちは毎日、生きた恐竜を見て過ごしていることになるらしいよ」
はい?
ワニやトカゲのことでしょうか。さすがにペットショップへでも行かないと見られませんが。
「ワニやトカゲは恐竜じゃないそうだ。ペットショップなんて探さなくても、野良であちこち飛んでいる」
飛んで?
鳥のことを言ってるんですか。
「いつの間にやらなんだけれども、現生する鳥類はすべて恐竜に含まれるという分類学が定義されたらしい。
すなわち、恐竜は絶滅しちゃいないんだってさ」
はあ。どうしてそんなことに?意味わからないんですが。
「これまで恐竜と呼ばれていた動物の化石を、骨盤の構造で仕分け直すと、鳥盤類と竜盤類に二分化できたそうだ。
鳥類はたしかに恐竜から枝分かれしていった生物種だが、骨盤については竜盤類の特徴をほとんど変形させずに受け継いでいた。
だから鳥は竜盤類であり、従って恐竜の一部門だ。
……という理屈らしいよ」
はあ。
確認しますけど、鳥は竜盤類の方なんですね?鳥盤類ではなくて。
名付けた時点で、おかしいことに気付けなかったんでしょうか。
「先に名付けた老舗の学者側が、新参者の提案する修正を拒絶したんだろう。よくあることだ。
ちなみに学名では鳥盤類がオルナシスキア。オルニスは鳥を意味する。
竜盤類はソーリスキア。ソーリスはサウルス、つまり竜だ。
ヤポ語はこれを直訳しただけだが、せめて和名くらい自然な流れに乗せればよかったのにな。そこまで知恵も回らなかったか」
いろいろ面倒なしがらみだらけみたいですね、学問の世界も。
「あらゆる構築物に当てはまることなんだが、単体ごとのパーツ・段階ごとのプロセスが正確無比だったとしても、できあがった完成品は歪むのがあたりまえさ。
だから監督する必要があり、それでも歪んでいたなら組みなおさせるべきなんだが。どうやらその意味すら理解できないコストカッターが西洋には氾濫しすぎた。ほどなく決壊するだろう。
まだ数日は余裕があるから、穫れるものを穫りきったら、とっとと撤収する潮時かと思う」
ん?今のはどういう意味でしょう。
数日中に……決壊する?
何がですか。
まさか地球の滅亡ですか。ビッグセブンでも起きるっていうのですか。
起こすのかな?カモッラが。
「ジョバンニ。ここからは真剣に聞いてくれ。
最近カモッラの拠点が敵対勢力からの侵蝕を受けている。元麻布でも潜入された痕跡が見つかった。
これまでとは比較にならない戦闘が発生する可能性がある。
心しておいてくれ」
え?……はい。
それ以上のヒントは教えてもらえ……ませんよね。ひとまず了解。
なにか特に心掛けることはありますか。
「プリウス全機の重量チェックとナンバープレート交換はこれからも毎日行うが、追加装備を取り付けた。
君がいない間でも、車に近付いた者があればセンサーが作動する。
接触までされた場合は君のウォッチにもサインが送られるから、この場合は戻ってくるな。60秒以内に僕からもメッセージを送るから、その指示に従え。いいか?」
了解。つまり……
敵は、俺たちに接触してくる可能性があるってことですね。
「そうだ。可能であれば生け捕りにしたいが、単純に探知機あるいは爆弾を仕掛けられることも想定している。
車中から何かを見た場合は、これまで以上に詳細な報告を聞かせてもらう。
よほどのことでもない限り窓と扉をロックしていれば安全は確保できるはずだが、それは今更言わなくても大丈夫だよな?」
コンビニへ行く回数を減らします。携帯トイレ、常備しておきたいものですね。
「ダッシュボードに入れておいた。できるだけ、こちらから使え。
ただ、ずっと座って待っているのも苦痛だろう。周囲に人影や異物がなければ出て伸びをしたり、多少の散歩も構わない。その辺は臨機応変にやってくれ」
敵が接触してくるとしたら、イスラエル大使館で土木作業をしている保阪たちの身も危険だろうと思うが、そっちはそっちで鉄壁の網を張りめぐらしていることだろう。
それにしても、あの元麻布アジトへ潜入しただって?
命知らずなエージェントだな。
アリエルの手下かな。アモスが手引きでもしたか。
だとしたら、ゴステロやマリエもとっくに上層部から尋問を受けているはずだ。
俺やエヴァンズは狙われるかもしれない側だから、嫌疑をかけられることはない。
むしろ接触を受けてみたいものだな。
戦闘も、無難な範囲でしてみたい。
俺の経験値は、まだまだ足りてないからな。グロックの硝煙を嗅ぎたいぜ。
飯田橋のコインパーキングへ駐めた。
エヴァンズは注意深くプリウスの回りを2周たしかめて、南の高架下をくぐっていく。その先にフィリピン大使公邸があるらしい。
30分ほどで戻るとのことだった。
陽射しが強く、モーターでエアコンをかけてくつろいでいると、なんと保阪が歩いてきた。
心がざわつく。
いくらなんでも今ここにおまえが現れるなんて、おかしいじゃないか。
どうか幻であってくれ。
しかし、ぎらつく眼差しを向けたまま、その男はまっすぐ俺の傍までやってきた。
窓を開けろとジェスチャーをする。
どうすべきか。
心拍数は上がっていると思うが、ウォッチにサインは出てこない。
やむをえず声が通るギリギリの隙間だけ開けた。
「ケンヂ、おまえをカモッラから逃がしてやる。今すぐドアを開けて出てこい。
さもなければ、この場でおまえを殺さなくちゃならない。
それだけはさせてくれるな」
うわあああああ。
こんなところで、今いきなり何てことを言いやがる。
人生最大の決断かもしれない。
悩む時間なんて、もらえまい。
俺は左手で携帯トイレをわしづかみにしつつ、右手でドアを開けた。