7月23日、金曜日。
俺はCCPに派遣された。
セントラル・コマンド・ポスト。直訳すれば中央指揮所。
目隠しとヘッドフォンをしたまま連れてこられたので正確な場所はわからないが、市ヶ谷でも永田町でもなさそうである。
カモッラの監視が及んでないことは保阪が請け合った。
指示は現場の役人に仰げという。
アザリアのメンバーは俺ひとり。
なんだそりゃ。最悪じゃないか。
メインルームは大会議室ふうで、小学校の講堂くらいの広さ。
中央の大机には関東一円の航空写真を継ぎ接ぎした全体マップが載せられてあり、駒や付箋紙で彩られている。特に密集しているのは奥多摩と山梨か。
脇の机にも、市街地など縮尺の異なる白地図がいくつか。
一枚ごとにカラーサインペンの束が用意されているところを見ると、戦況報告が届くたびにここへ描きこんでいくつもりなのだろう。
随分とアナログだな。
ルームの奥側は衝立で仕切られており、タイプ音や通話している声がせわしなく聞こえる。
見てみたかったが止められた。幕僚・高級官僚と、実務作業員とはテリトリーを頑然と区別されているようだ。
なんのためにだろう。至近距離なのに。
無駄な連絡要員だって必要になるし、それこそ現場への伝達に何十秒あるいは何十分ものタイムロスが発生する。
いったい、なんのために、わざわざ?
しかし考えるのはやめにした。それは俺の仕事じゃない。
旧人類には旧人類のやりたいまま、やらせておけばいいんだ。
挨拶された役人の中に、俺を知っている者がいた。
中村ヤスオと名乗られる。知らんがな。
しかも俺の名を風野だと間違えてる。そんな名前も知らんがな。
だが適当に話を合わせているうち、思い出した。
去年、成田の誘拐狂言で一緒に拘束された非カモリスタの男だ。
所属は内閣情報調査室。CCPでは、警察庁との連携を担当する。
「総裁が身代金を払ってくれたので私は解放された。そのあと必死で君の行方を突き止めようとしたんだが、探し出せなかった。
てっきり殺されたものと思っていたよ。
まさかアザリアの一員だったなんて。びっくりだ」
そうでしたか。
当時は俺、一般人だったんですが。中村さんより先に連れ出されて、改造手術を受けてテロリストの片棒を担がされてました。
そこから逃げ出して、アザリアへ入ったのはつい最近なんですけど。
ま、よろしく。
「山田さんを覚えているかい。彼女の行方もわからぬままだ。
あの人も改造手術を受けて、カモッラのために働かされているのだろうか。
もし救出のチャンスがあれば、なんとか助け出したいものなんだがねえ」
保阪ァ。
こんなやつがヘラヘラ出入りしてるような指揮所がカモッラにばれてないわけないだろ。
ふざけんなよちくしょう。
とっととカモッラ皆殺しにして引き上げなきゃヤバいぜ。
とくにマリエは見つけ次第、身元もわからないくらいぐちょぐちょに潰しておかないといけねえな。
中村は変装した彼女の顔しか知らないはずだし、この調子なら死体を見ても気付きっこないだろうけど、念には念を入れておきたい。まちがってもマリエに口を開かせたら俺の身が破滅する。
もっともそれは全カモリスタについて言えることだ。
この先安泰に暮らしていくためには、俺の存在を知る者すべてを永遠に黙らせておくことが絶対必要条件なんだ。
その仕事はきっちりとやる。
むしろ他の者になんか任せられるか。
それにしてもなあ、ここの連中、どんだけ戦えることやら。
ちっとも頼りにならないぜ、ちくしょう。
閲覧を許可された書類に目を通していると、どんどん鬱がひどくなる。
今夜はじまるオペレーション・オリンピック・ゲームズには実戦部隊として自衛官・警察官・特殊工作員・そしてオリパラボランティアからの転用者、合計10万人が配備され突入準備を整えているというが、相手はカモリスタだぞ。
こいつら、まったくわかっちゃいない。
ヴィンチひとり片付けるのにだって何十人がかりだろうが、武器弾薬を持って行けば持って行っただけそっくり奪われるくらいのことも覚悟しておかなくちゃならない。
コジモも山梨カルテルも周囲は山だらけだから、まずはそっちを焼き払って退路を塞いでおく必要があるんだけれど、ナパームもクラスターも保有していない日本ではせいぜいヘリで毒物を撒き散らす程度の対策しか期待できず、それだってアザリアなら躊躇わないが、こいつらに決定できる可能性は1ナノミリも無いといってよいだろう。
当然逃がし放題になるが、最善を尽くしました・我方の人命尊重を優先しましたと始める前から弁解ありきで構えているのが見え見えだ。
話にならない。
いつの間にやら出されていた紙コップのコーヒーが冷めていた。
インスタントだから口をつける気もないが、こんな貧しい品性が骨身に沁みこんでる連中こそ、カモッラより先に焼き尽くしておくべきなのじゃないか保阪よ。
ああ、鬱だ鬱だ鬱だ。
ナイヒリズムが止まらない。
夜8時の開会式スタートと同時に突入開始なので、夕食は早めに用意されていた。
俺は総裁に呼ばれる。
正確には今の紫党総裁は秋ノ宮なのだが、CCPではずっと三代目岸信介氏のみを総裁と呼び続ける慣習が定着しているのだ。
総裁は昨年8月のリタイア以来、ここに隠れている。
首相や大臣たちからの相談は絶え間がない。想像していたより岸氏はずっと多忙であるようだが、それでも退屈でたまらないらしい。新顔がやってくると呼びつけて会食し、閑談を楽しむのだそうである。
リアルでは初めましてだった。
「風野くんはカモッラで働かされてたんだそうですね。
テロリストから命じられる仕事とは、どのようなものなのですか。
ぜひお聞きしたい」
ネタ元は中村だなと一瞬でわかる。
俺は、酒場で掃除と片付けをやらされてました。キビキビ動いてないと怒られました。客の会話はほとんど外国語でした。せめて英語がわかれば、もっと情報を引き出せたんですけどね。
「英語はむつかしいですからねえ。
私は5年前パールハーバー追悼式に出席して、全文英語でスピーチをしたんですが、練習に半年かけました。
そこまでやると人は褒めてくれる。
あなたは若い。まだまだチャンスがある。
ぜひ勉強してください。
それは大きな財産となります」
今夜のオペレーションは総裁が最高指揮官だと窺っております。意見具申は、直接してもよろしいですか?
「私は最高指揮官ですが、それは責任をとるという意味です。
全責任は私にある。だから失敗をおそれず、テロリストたちに容赦ない鉄槌を下してもらいたい。それを現場にゆるしています。
ただ作戦指示となると素人にすぎません。
幕僚長に言ってもらった方がよいでしょうね。彼も忙しいから、できれば担当部署から上げてもらう方がいい。しかしもう作戦は決定されて実行するだけの段階なので、今からの修正は混乱を招くおそれがあります。
風野さんにお願いしたいのは、テロリストの死体写真が送信されてくるから照合をしてほしいのですね。それに専念してもらえれば結構ですよ」
わかりました。
ところで……総裁、3度目の首相には、いつ頃なられるおつもりですか?
「エッ。いや……アハハ。
みんな期待してくれているみたいなんだけど、なかなかそう簡単なものでもないんですよ。首相になるということは。
カモッラのせいで退陣せざるをえなくなったことは痛恨の極みですし、引き継いでくれた秋ノ宮さんが直面した艱難辛苦は筆舌に尽くしがたいものです。反省しているんですよ。だから今、すぐ返り咲くつもりはありません。
新型コロナもまだまだ終わる気配が無いし、ドナルド大統領だって負けちゃったでしょう。
いい仕事をするためには、しっかりと準備をして、最適な環境を整えておく必要があるんです。
テロリストの殲滅は重要な布石ですが、まだまだ、しなくてはならないことが、いっぱいある。もう少し時間をいただきたいな。
でもね、私は必ず帰ってきますよ。アイ・シャル・リターンだ。
そのときはあなたも紫党員になっていなさい。
いいポストを用意しておきます。若いから、よりどりみどりでしょう」
人間、一度惚れたアイドルには弱いものだ。
どんなに劣化していても、そこを直視できない。嫌いになんてなれないのだ。
俺はまた迷い始めた。
カモッラの残党から逃げきれること前提でだが、この先どうこの国とつきあっていったらいいものか?
メインルームに戻る。
まだ見ていなかった隅っこの衝立裏を覗いてみた。
リビングルーム風の空間がしつらえてあり、大型テレビをソファーが囲んでいる。
デジャヴだ。ええと……
「新型コロナが始まったばかりの頃、私、CMをつくったんですよ。ステイホームを楽しみましょうってね。
あのセットを再現させました。
ここで私、オリンピックを観てます。
皆さんも、交代で休憩するときは自由に使ってくれていいですからね」
時間がくるのをただ待っている幕僚や役人たちが、総裁に愛想笑いを返す。
運動会と戦争ごっこ。はてさてどっちが面白いやら。
どっちだろうが、勝ってるうちは。決まってるよな。
それにしても腑抜けどもばかりめ。
「カモッラさえいなければ、私、今日はいちばん忙しい日のはずだったのにな。
新型コロナもゆるせないけど、テロリストも、憎くて憎くてたまりません。
この日のために、どれだけ努力してきたと思ってるんですか。
全部ぶちこわされちゃった。
まあ、しかし、これも運命なのでしょう。受け容れます。
皆さんのお邪魔はしませんけど、今日はそっとしておいてください。
どうか、お願いします」
総裁をリビングに残し、俺は大机の地図を眺めに戻る。
運命だって?受け身だな。
そんなやつでも生きてこられた国なのか。今までは。
刻がきた。
オリンピックは、始まった。
(おしまい)