アヴァンティは予約制をとっている。
コロナ対策として始めた措置で、本来バールとしては不自然だ。
時間通りに来て時間通りに帰れなんて。そんな窮屈な酒場に客が来たがるわけもない。
ここがカモッラの秘密クラブで、カモリスタが時間厳守を徹底する連中だとしても、イレギュラーは常時発生する。
それに、仕事を終えてくつろぎに来る店では、くつろぎたいじゃないか。
だから完全予約制はすぐ緩和された。
ただ、このために始めたタスク管理システム自体は好評だったようで、カモリスタ各自のスマホやタブレットでいつでもアヴァンティの混み具合を確認することができる。
以前より回転率は向上し、一組の客が帰ればすぐ次の客が入ってくるようになった。
俺は適度に忙しく、ホール係として無駄のない所作と客の動態予測、そして日本語に限りだが聴き耳を研ぎ澄ませるスキルを、順調に磨いている。
今日カウンターで飲んでいた男が、スターンと外国語で対話していた。
オリンピックという言葉がやたらと出てきたので、気になっていた。
このあと博士が学生ぽい青年をひとり連れて入店。
アモスと名乗る、華奢そうなその男は日本語を習得中なので日本語でオネガイシマスと挨拶をする。俺にとってもありがたい。
ス「ところで博士、オリンピックが延期される方向で動いているみたいですよ。なにか聞いてませんか?」
ほう。
スターンによると、首相がアメリカ大統領に電話をかけて、IOCすなわち国際オリンピック委員会へ圧力をかけてほしいとオネガイシテいるとのこと。
さっきの客から聞いたネタかな。
首相官邸に盗聴器でも仕掛けているのかコイツラ。
博「ははあ。ちなみに都知事は動いてる?」
スターンは自信たっぷりに、否と答える。
都内では感染報告が急増中で、イベント類の中止対応に店舗への営業自粛要請とその補償、国に先駆けてロックダウンを宣言するかどうかとか、都知事は4ヶ月も先のオリンピックに注意を向ける余裕など無いそうだ。
こっちも日頃からモニターしてやがるのか?
博「読めてきた。
明日は火曜日だっけ。定例閣議をするだろ。
そこで決定するね。オリンピックを1年延期」
まるで推理ショーのように博士は力強く断言する。
ちょっと迫力に呑まれた。周囲の席でも、皆が耳を傾けている。
博「先週だっけ、聖火が届いただろう。GRから。
オリンピックの採火式って、ヘラ神殿の遺跡で聖処女が太陽から集光するとか古式ゆかしいオカルト儀式なんだ。ヤポもそういうの大好きだろう。
岸は、これが到着するまでは開催地を他へとられてしまう可能性があると考えた。だが手に入れた。
聖火を人質に、絶対この国で開催するんだと主張するつもりだ。
また採火すればいいだけなんだが。いかにもヤポらしい発想だから、きっと彼のオリジナルだね」
「各国のNOCは、そんな都合のために今まで返事を保留されていたわけですか!」とボックス席から声が上がる。
博「みなさんも御存知のように、covid-19の猛威で世界中のスポーツ活動が厳しい制限下にある。
選手たちは練習ができないし、それ以前に今月の家賃をどこから調達するかといった問題に直面している。
観客だって集まれない。
こんなパンデミックの最中に、オリンピックをスケジュール通り始めるから皆おカネ持ってきてね!と考えていられるなんてのはまさしく狂気の沙汰さ。
でも、これがヤポなんだ。この島では人命なんて、一杯の酎ハイよりも安いから」
酎ハイよりもかあ……と溜息が聞こえる。アヴァンティのレシピには無い酒だ。うまいんだ……けど、な。
博「ついでに。
現首相の任期は来年9月までだ。
オリンピックを自分の手柄にするため、それ以上の延期はしない。
ヤポは3桁以上の数字を計算できないが、ここまでは1桁だからできる。
なかなか、おりこうさんだろ」
おお、と歓声。
おい。いくらなんでもバカにしすぎだぞ。
博「さてさて今回もまた、こいつの得意技である軽率なフライングが繰り出された。
東京都知事は寝耳に水だ。というより、同じ内閣府の一員である文科大臣にさえ、明日の閣議で伝えるんだろうからね。こう決めたから承諾しなさいと。
ああモンカ省というのは教育省・大学研究省・文化省・スポーツ省を一緒くたにしたようなヤポ特有の行政機関で、オリンピック・パラリンピックともここが管轄している。実権はなにひとつ持っちゃいないからケツ拭き部署にすぎないが。
おっと下品だね失礼。」
ほんと失礼だ。聞くに堪えない。暴言すぎる。
博「東京オリンピックの主導権は都と国どちらにあるべきか。なんて議論をすること自体が、ここにいる皆さんには不思議でたまらないと思う。
でもせっかく18年ぶりの国際イベント、しかも首都での開催なんだ。
オレはせいぜい楽しもうと思うし、それをめぐってボスザル同士がガチバトルするのを眺めるのも、酒のツマミにゃ手頃だからさ。
ああ、つい興奮した。スターン、もう一杯たのむよ」
店内は落ち着きを取り戻したが、俺の心は煮えくり返っていた。
ヨソ者のくせしてこの博士、本統に、本統に、けしからん。
ア「博士。今のJP首相が、5年前の、あの人なんですよね。
あと1年半、任期があるのですか」
博士の連れてきた青年が、ポソッとつぶやいた。
博「紫党の総裁選が2018年で、任期は3年というルールになっているから、そうなるね。
いま3期目で、それ以前にも首相やってたことがあるから、ヤポの元首としてはかなーり長くやっている」
さきほどの話だと独裁者のような一面を持っているような印象を受ける、という意味の感想を青年は漏らした。
博「岸は独裁者ではないなあ。そんな器じゃない。
御機嫌取りの弱虫ばかり周囲に侍らせ、その中心で調子に乗りたがってるだけだから、脆弱なヘタレ根性しか身についてない。
ただ外国の強そうなリーダーへの憧れは強烈に持っているようだね。それを真似したがって見せている。
世界各国から失笑されているが、ヤポ相手ならあれでも尊敬を集められるんだ。でも、独裁者というよりはせいぜい場末のコメディアンだね」
ゴチャゴチャわけのわからんことを。
一国の元首をよくもヘタレだの低級芸人だのと。
てめえこそいったいナニサマなんだ。
博「それより5年前、君が見た彼の姿を聞きたいな。
そんなに印象的だったのかね」
アモス青年が語り始めると、店内はまた静かになった。
皆が興味津々らしい。俺も気になる。
我らが首相の、真実のカッコよさを、どうかこのイカレ野郎に教えてやってくれ。
ア「私はそれまで、世界にも外国にも、ましてアジアの涯てになんて、興味も持っていませんでした。
私たちの故郷は何千年にもわたって惨忍なアラブ人たちに占領されており、やっと国際社会の承認を受けて帰還し、ささやかな集落をつくって暮らし始めているところですのに、その生活は日々、屈強なテロリストたちの容赦無い攻撃にさらされています。
私は生まれてからずっと、両親・兄弟姉妹・親戚や同胞、そして良識ある諸外国の友人たちと支え合いながら、壁の中に閉じこもって平和を守り続けるしかなかったのです。
そこへ、彼が訪れました。
私たちのリーダー・ビビと堅い握手を交わし、国家間技術提携などを約束し、野心的な経済政策も披瀝して、世界を平和にするために全力を尽くすと宣言してみせたのです。
何もかもが衝撃的でした。
とくに私より幼い子供たちが、彼をマリオ、マリオと慕って熱狂しました。
イタリア生まれのゲームだと思いこんでいた、マリオやルイージ、ポケモンなどは、みんな彼の国でつくられたものだというのです。
たしかにJAPANと刻印されており、符合します。
きっと大金持ちなのだろう。その財力で、私たちをこの茨の道から解放してくれるんだ。
ねえ。あの日、私たちがどれほど未来への希望を語り合ったか。想像してもらいたいと思うんですよ」
はああ。いい話だ。
アモスよ、まさしくその彼こそ、我らがニッポン代表、三代目岸信介首相なんだ。
よくぞ語ってくれた。
どうだ博士、おそれいったか。
ア「その日のうちに、ネットで彼のことを検索した人は、すぐ正体に気付いて警鐘を鳴らしてくれてたんですが、私は、2日後、大騒ぎになるまで、彼が詐欺師であることを知らずにいた。
かえすがえすも一生の不覚です。
このときの反省が、私の目を世界に向けさせたんですね」
ん?
博「そう。名前だけでいくらでも画像が出てくるよ。
彼は世界中の誰とでも友達になりたがる。
旨い話を約束し、堅い握手を交わし、得意のアヘ顔でツーショットを撮って、その写真を見せびらかすのが大好きなんだ。モラルもセキュリティーもリテラシーも最低なくせして。
そんなのが今も首相をやってる国で、驚いただろ」