珍しく、エヴァンズが部屋まで俺を起こしに来た。
エレベーターへ行く途中の更衣室にはスーツが準備してあった。
プリウスを運転し、成田へと向かう。
いよいよハイジャックかなあ。
何をやらされるんだろう。ドキドキしていた。
「何度も言ってるつもりなんだが、君にはできなさそうな仕事を振ったことはない。
今日は少しだけ頭も使ってもらうが、明日まで生きていたけりゃ、ミスだけはするな」
空港手前で、運転を交代する。
このとき、ウォッチを彼の口元に差し出した。
「マギア・テクニカ・ラ・ミーア・コンパッタ。マギア・テクニカ・ラ・ミーア・コンパッタ。
……コムニカツヨネ……ミクラフォノ……リペティトーレ……セラトゥーラ」
イタリア語だと思うが、なにかを指示していた。
タブレットで動作確認してる。
どうやら、いつも以上に細かなモニターチェックをされるようだ。
追跡だけならいいけど、時限爆破でもセットされていたらどうしよう。
空港で、俺だけ降りた。
ビジネスバッグを手に提げて、第2ターミナルへ入る。
3階ロビーの、指定された座席に腰掛ける。
前回来たときよりも、人がまばらだ。
コロナのせいで国際線も国内線も旅行のキャンセルが相次いでいる。
すでに倒産した旅行会社もあるらしい。切実だろうなあ。春休みに大型連休に、がっつり稼ごうと準備していたところだろうに。
チャイニーズ・ウイルスが憎くて憎くてたまらないだろうなあ。
時間通りに、銃声が轟いた。
天井の照明が砕け散り、場内に悲鳴が谺する。
けたたましいサイレンと緊急事態のアナウンス。
犯人は発煙筒を撒き散らし、あたりは白い闇に包まれた。
マシンガンの放つ火花が、右からも左からも。
これでは、逃げるに逃げられない。
だから床に寝そべり、座席にぴったり身を寄せて頭を抱え、やりすごす。
不慮の災難だったとしても、こうするしかないですもんね。
空港側が応戦する気配はなさそう。
そりゃ、一般客に自分たちの弾が当たっちゃ困るでしょうから。
アナウンスの内容が切り替わった。
テロの発生を、自動音声で告げている。
こんなのも準備してるのか。用意がいいな。
おちついて係員の指示に従えってさ。
わかったけど係員てのはいったいどこにいるんだよ。
煙が薄れてきて、銃声も、少しおとなしくなってきた。
ドヤドヤと重そうなブーツが走り回っている。
俺は発見され、ライフルを突きつけられ、立たされた。
清掃用のカートに載れと言われる。
指示に従うよりほかにない。
カートにはもう2人、男と女が載せられていた。
業務用エレベーターが開いている。
数十秒後には、1階へ。
大型のバンがハッチを開いて待っており、まっすぐ積み込まれる。
即座に発進。
歯を食いしばって、揺れに耐える。
誘導路を走り抜けているらしい。
マシンガン射手はしばらく後ろ方向に撃っていたが、くるりと前方に振り向いた。
けたたましく掃射。ゲートの一部が吹き飛ぶ。
あらかじめ爆薬でもセットしておいたのかしら。
この穴から、バンは悠々と走り抜けた。
森の中で車を乗り替える際、目隠しをさせられた。
ボティチェックも受け、バッグや偽物の財布など、すべて没収される。
一緒に運ばれている男女も、同じようにされているみたいだった。
10分ほど走ってから、建物の中へ。
目隠しを回収され、しばらくここで待っていろと3人で閉じこめられた。
12畳ほどの日本間。窓は塗り固められている。
ボロボロの畳に腰を下ろす。
元麻布の豚舎よりよほど落ち着くんだが。認めたくないな。
ポツリポツリと、3人の自己紹介が始まる。
男は中村氏。
30歳くらいか。公務員。
体格は立派だが、武装した犯人への抵抗なんて、もちろんしない。
正義感あふれる熱血男児で、犯人たちへの憤りを猛烈にたぎらせていた。同時に、かれらの虜囚となった自身の不甲斐無さを強烈に恥じているように感じられた。
女性は、山田さん。
35歳前後と思われる。事務員。
とにかく驚きました、今も怖くて怖くてたまりませんと、頭痛をうったえながら話す。意外に芯も強そうな雰囲気はするのだがな。
俺は、風野と名乗った。
都内の会社員。海外出張してきた上司を出迎えるために来てたら事件にまきこまれてしまったんです。いやあ、びっくらこいたのなんのって。
エヴァンズからは、事前にこんな指示を受けていた。
「普段どおり、なにも考えてないような顔をして、男の話を聞いていろ。
わからないことがあればいちいち質問して、男になるべくいろんなことを喋らせろ。
女には質問をするな。女の機嫌を損ねそうに感じたら、きまり悪そうにひっこんでしばらく黙っていろ。
女の邪魔をしないように気をつけながら、タイミングを見てまた男に話しかけろ」
さっぱり意味がわからなかったが、ひとつ、ヒントを見つけた。
山田さん、俺と同じウォッチをしている。
ブラウスの袖から、ちらりと覗いた一瞬、気付いた。
彼女もカモッラの一味か。
中村氏はもっと高級そうな、ごつい腕時計をしている。
それ、いくらぐらいするんですか?という質問が浮かんだが、呑みこんだ。
俺と山田さんのウォッチに注意を向けられては困るからだ。
中「テロリストは、癌細胞のようなものだ。健康な肉体から栄養をどんどん吸い取って、自分たちの邪悪な塊を無制限に増殖させてゆく。
これと戦い、悪性腫瘍を体からひとつのこらず取り除くには、相当の努力と、覚悟が必要だ。
私には、しなくてはならない仕事がまたひとつできたよ。なんとか生きてここから帰らなくてはな」
犯人たちは、これから俺たちをどうするつもりなんでしょう?
中「空港での破壊行為が何を狙ったものかは不明だが、おそらく失敗して、慌てて撤収したのだと思う。
駄賃で、人質を連れて行った。私たち3人のことだ。
どう見ても狙って選んだ感じはしないからね。
殺す意味がないなら身代金を要求してくるだろう。
きっと今、私たちに値段をつけているところだと思うよ」
じゃあ、俺はハズレですね。実家にも借金しかありません。
中「政府が交渉に乗らなければいいが。
今の政権は、犯罪組織に対して鷹揚すぎる。人命尊重を言い訳に、相手の要求をなんでも呑むんだ。
もっと毅然とした態度で臨まなければ、癌の進行をますます早めるばかりなのに」
政府って、身代金を払ってくれるものなんですか?
中「相手によってはだよ。それから勿論、非公式にだからね。
たとえば風野くんに値段がつき、家族には払えない場合。
そのままでは殺される。
政府は風野くんの生涯年収を査定する。
風野くんが将来、国に多大なる貢献をすると期待できるならば、見殺しになんかできないという理屈だ。
達磨党時代は、この査定が実に厳しかった。紫党でも、筑豊タロウ元首相なんてビタ一文払わなかった。
しかし……岸首相は、すぐ払っちゃうんだよ。
しかも、払って殺されるという失態だって何度もやらかしている。
それじゃあダメなんだ。もっと警察に実権と予算を与えて、その力で健康も平和も成就させ、維持していかなくてはいけないと思うんだが。
まあ、これは僕個人の意見にすぎないことだけれども」
中村氏は警察官なのだろうか、と想像した。
岸首相は自衛隊の権力強化をライフワークに掲げてきた人だけれども、警察には冷淡なのかなあ。
じゃあ……
あの。警察がしっかり捜査して、この隠れ家を発見してくれたとします。
俺たちが内側から協力できることは、なにかありますか?
中村氏の瞳が輝いた。
さっきとは異なる眼差しで、俺を見つめ始める。
なんか、こそばゆいな。
中「風野くん。きみは、みどころのある青年だ。
だが、自分が一般市民であることは自覚してくれ。
危険をおかしてはならない。警察を信じて、じっとしていてほしい。
救助は、必ずくる。
解放されたら、そのとき、おまわりさんに、ありがとうと言ってほしいんだ。現場の警官は、その一言を求めている。
それだけ、覚えておいてくれたまえ」
錠を回す音がして、扉が開いた。
覆面男が銃を向けながら、俺に、出ろという。
中「待ってくれ。お願いだ。女性から解放してもらえないか」
中村氏が声を上げたが、覆面男に制止された。
2人を残し、俺は部屋を出る。
背後で錠をかける音が重く響いた。そのまま、薄暗い廊下を玄関口まで歩く。
覆面男がドアを開けると、目の前にエヴァンズが立っていた。
心拍数が正常値なので、帰りも運転しろという。
へいへい。
「君にしては上首尾な対話だった。アドリブで、よくあれだけ喋らせたな」
彼の何を知りたかったんですか?
「君は、彼の口を開きやすくさせるためのムード作りを担当しただけだよ。
彼女がそこまで全部やっちゃあ不自然だろう。
それにしても、いい出来だった。
彼女はよくアヴァンティへも行くから、そのうち何か奢ってもらえ」