見覚えのある青年が、アヴァンティを訪れた。
女性をエスコートしている。
カウンター席の椅子を引き、手荷物カゴを差し出し、自分もその隣に座る。
なかなか手慣れてるな。誰だっけあの男。
不愉快な印象がついてくるんだが。
女性は彼より10歳くらい齢上のように見える。
髪型はショート。身長は160cmくらい。手足が細く長い。胸はふくよか。
鍛えられてる感が漂う。アスリートかな。
カーメルワインをご所望だと?
あ、思い出した。
中東からの留学生じゃなかったか。岸首相の人質救出作戦がブザマだったと批判した、あの野郎だ。
俺は暗がりに潜みつつ、聴き耳を最大限に研ぎ澄ます。
マスクを外した女性の顔は端整で、宝塚の男役みたいにも映る。イメージでしか知らないけれど。
マリエ、アモスと呼び合っている。
まだそれほど深い仲でもないようだ。スターンに話題をフォローしてもらいながら、互いに相手を気遣っていることを示したがっているような感じ。
とりあえず日本語なので、ありがたい。
ア「ミドルイーストで富の象徴といったら、誰もが水だと答えます。石油は外貨を獲得する一資源に過ぎません。
浄水工場もパイプラインもテロリストや敵対国から真っ先に狙われる対象ですが、この国のメディアは石油プラントの映像素材ばかりを使いたがる。
たしかに黒煙を噴き上げて爆発炎上する工場群の方が見映えはするでしょう。その対応と復旧を背負うつもりがなければ尚更です。
しかし水に無関心であることは、まるで宇宙戦争アニメで剣術ごっこを見せられているような幼稚さに通じます」
マ「星球大戦じゃなくて機動戦士の方を言ってるかな?
あれはもはや剣術ごっこですらないからねえ。最前線で戦車兵同士がわめきながら禅問答するってのが、この国のお約束みたい。
あたしもここ20年くらい、新作は見てないけどさ」
見てないならディスるなよ、オバサン。
どうやらネイティブの日本人なのだが。こんな留学生に話を合わせてやるこたないじゃんか。
ア「私は勉強のためと思ってアニメやドラマも手当たり次第に視聴していますが……
スペースコロニーは地上よりずっと水も空気も耕作地だって貴重なはず。
JPの創作物では、あらゆる場面でコスト意識があまりにも無視されすぎています。気持ち悪い」
マ「アモス、あなたは正常。
ダークサイドへ堕ちそうだったら見るのをやめるべきだわ。
現実でも、ヤポにとって水ほど安いものはない。次が人命かな。
そんな連中がつくってる紙芝居なんですもの」
吐きそうになった。ババア、きさまもカモリスタか。
日本人の魂をどこへ棄ててきやがった。恥を知れ、非国民め。
ア「私の祖国はニュージャージー州と同じくらいの面積ですが、半分は荒地と砂漠です。
テロリストが根城にしている危険区域も至るところにあります。
JPはその30倍近い陸地面積を持ち、豊富な海水に囲まれている上に雨量も多く、最も凶暴な人種が国内のあらゆる他民族を抑えつけることに成功しているといってよい。
数字だけを並べれば、私たちが理想としている国の形に近いとも言えるし、実際来たことのない人ほどJPに対しては好感を抱いている気がするんです。
どこがおかしいのでしょう。何が間違っているのでしょう。
私にはうまく説明できません。
マリエさんには、できますか?」
マ「そうね……たとえば……
そこの暗がりに、ゴキブリが隠れている。
彼だってこの星のいきものだ。
私たちは、手を取り合って、仲間だと認め合うべきだろうか?
ゴキブリなら生物工学的には人間なんかよりはるかに優秀なテクノロジーを詰めこまれているらしいし、学ぶべきことは多いはずだよね。でも、共存はまっぴらだよ。生理的にも、衛生的にも。ムリムリムリムリ。
関わり合えば、お互いが不幸になる。サラバ。
説明ならこんなところでじゅうぶんじゃないかな。スターン、おかわり」
ス「はい、どうぞ。
マリエさんはお優しいです。
ジェイクという私の先輩が言ってました。店内で害虫を見つけると、ヤポの客は大声でわめきちらし、店長を呼びつけて土下座させた上で、慰謝料をふっかけてくるんですね。
そんな文化があるから、外界の飲食店では入口から厨房まで至るところに殺虫剤を置いてあって、これの消費量がすさまじいんだと。
ヤポは、清潔な国だと自画自賛しているみたいなんですが、真逆ですよ。製薬会社が儲かっているだけです。
構わないでおけば、ほら、あいつも怖がって、こちらへは飛びかかってこない」
おまえら。こっちを見るな。
そんな目で睨みつけてくんな。
心根が歪んでいるのはどっちだ。
飛びかかったりなんてしないから、頼むから話題をかえてくれ。
ア「ゴキブリをテロリストに変えているのは私たちだ、私たちがゴキブリの居場所を奪わなければテロリズムも消えてなくなる、と主張する人たちがいることは知っています。
しかし現実はそんなに単純じゃない。
ゴキブリの繁殖力はすさまじい。駆除する努力を一日でも躊躇すれば、たちまちテロリストが世界中に溢れます。
消えてなくなるのを待っているうちに、私たちの築いてきた歴史のすべては奪い尽くされてしまうでしょう。
武器を捨てよと軽々しく口にできる人間ほど、生涯一度も生活を脅かされたことのない階級なのだと私は見做します。
JPへ来て、そんな人たちばかり見てきました。
私が求めているのは、いかに戦えばいいのか。それを教えてくれる先生なのですけれど」
ス「そこまでわかっているのなら、ダークサイドへ堕ちる前に引き返すべきだと思う。ヤポとつきあっていたら、解決からは遠のくばかりだよ。
そうか……アモスは、先生を求めていたのか。
マリエさん、ミネオ老師は、今どちらにいらっしゃいます?」
マ「え?
ちょっとスターン、なんでここにパパが出てくるのよ」
ス「おかしいですか?
国際問題と戦術指導で頼れる人、とくれば真っ先に思いついたのが、お父様だったんですけど」
マ「パパはもう、ほとんど引退してるし」
ス「ヒカル老師もまだ現役ですが、お忙しいはずですから、ミネオ老師だったら可能かも、と思ったんですよ」
マ「うーん。今日はもう飲んで寝てると思うから、明日、聞いてみるね」
ア「ミネオ老師。いったい、どんな方なんですか?」
ス「マリエさんのお父様だから、彼女から聞くといい。
会いにいくときは、お嬢様を生涯幸せにしてみせますと神かけて誓うくらいの気構えで臨みたまえ」
マ「怒るよスターン。
冗談はさておき、あとでフォローするから、スターンの口からミネオの紹介をしてみせてよ。世間様からどんな風に見られてるのか、気にもなるしね」
ス「あらら。地雷を踏んじゃいましたかね。……では。
通称、山田ミネオ氏。お生まれは常春の国。
ダイヤモンド鉱山業で栄え、幼少期はかなりの贅沢をして過ごされたと聞き及びます。従僕を何十人も従え、チーム戦で競い合わせて遊んでいるうちに、小規模軍隊の編制スキルを磨かれたと御本人が語られてました。
やがて巣立ちして世界中を練り歩き、美しいプリマドンナと恋に落ち、御結婚。
この頃、宝石商としてILにも事務所をつくられていたはずですよ」
ア「私の国では昔、ダイヤモンドの研磨加工が一大産業だったそうですが、そこに食いこんでいたということでしょうか」
ス「ええ。帰国した時にでも調べてみるといい。
ミネオ氏は、六日間戦争のあとで多くの国がILへのボイコット運動を始めたとき、ヤポから10万台のスバルを輸出した事業でも活躍していたはずです。
当時、宝石業と自動車輸入業に携わっていたIL人なら、ミネオ氏の顔を知っているでしょう。名前は、その都度替えていたかもしれませんが」
マ「うなるほどのドルを持っていたらしいよ。あたしが生まれて、そのあとベルリンの壁が崩れるまでは」
ス「いわゆる東西冷戦の終結、そして新世界無秩序時代の到来。
ミネオ氏は破産し、最盛期の収入を生涯維持したとしても返せないほどの負債を背負いました。
その頃はヤポに隠れ住んでいて、たまたま埼玉県のアパルトヘイト抵抗運動に介入。反乱軍を組織して県庁を占拠し、半世紀にわたる人種隔離政策を撤廃させた功労者なんですよね。
このとき連帯したのが茨城県の民間軍事会社で、ミネオ氏の借金を返済するために300輌近いシャーマンを市場に流したと言われています。かれらは今、どこで戦っているのかな……。
どうですか、マリエさん。私が知っているのは、ここまでです」
マ「ま、合格点をあげようじゃない。じゃ、ごちそうさま。
アモス。続きはもう少し、くつろげる場所で聞かせよう」
ふたりは帰り支度を始めた。
一瞬、マリエと目が合う。
彼女は俺めがけて、頭痛をおさえるようなサインを送ってきた。そのしぐさ、どこかで……あ。
成田で誘拐ごっこされたとき、一緒に捕まった、実はカモリスタの、山田さんじゃないか?
えっ。あのときは、地味なおばちゃんだったけど。
変装か。
うそ。たったの今まで、まったく気付いていなかった。
俺は、いやらしく寄り添いながら出ていくマリエとアモスの後ろ姿を、見送った。