エヴァンズは3月にワクチンを射った。スターンのスケジュールに合わせたのだという。
「2回目を注射したあと、24時間ほど部屋で寝ていた。
悪夢を見ていたことは覚えている。
サウナで裸のヤポたちに囲まれ、ずっとテレビを見させられているみたいな。
最悪で耐え難き拷問だった。
二度と御免だね」
最高じゃねえか。俺は射ちたいぞ。
俺のことを天然の抗体持ちだと博士は言っていたが、変異株には効かないんだろ?
俺を1週間休ませて、万全の態勢を整えさせてから使役する方が、エヴァンズだってスターンだって、より安心できるのじゃないか?
「なぜヤポにそこまでする。
もう少し使える人材なら検討もするが、仕事に適さなくなったら即交換だ。ふてぶてしい」
人を消耗品扱いしやがって。ふーんだ。
「SARS2ウイルスにはすでに何種類もの変異株が確認されている。
伝播が急速なので、世界各地で様々な環境に短期間のうちに曝されて、適応能力が刺激されているんだろうね。
ウイルスならではの戦闘力だ。複雑系には太刀打ちできない」
複雑な方が負けるってことか?
ああ、ウイルスは単純なだけに早く進化するから手強いぞって言いたいのか。
「そのくらいは常識だろう?
オリンピックに採用されるほどの競技になると、ルールがガチガチに固められてちょっとした変更すらできなくなるのと同じようなものだ。
素人が考え出したばかりの小規模なゲームほど、その日集まったメンツで公平に遊べるようなハンデがつけやすい。
単純な話だよ」
理屈としてはわからんこともないけど。
そんな実績も無いニューカマーが、鍛えこまれた大手に太刀打ちできるものかね。
ひっかき回すのは得意かもしれないが、所詮は子供が暴れてるレベルを超えるものじゃないような。
「ヤポは面白い考え方をするんだな。
そんな君なら、パイソンズじゃなくてフィッツナーの株を買うんだろうね」
フィッツナー?
「USの最古参製薬会社だ。
ここも、covid-19ワクチン開発への参入を発表した。
株価はいま35ドル。パイソンズは、67ドルだ」
はあ。株のことはよくわからんけど。
フィッツナーの方が安いのか?
しかも老舗で大手で、社員数も20倍以上?
その二択だったら、俺は迷わずフィッツナーを買うけど。
むしろ、純粋に配当金狙いする人がパイソンズを選ぶ理由がわからん。
なぜ?
「そう言うと思った。
君にマネーゲームは向いてないとだけ忠告しておこう。
株だけじゃなく、経済活動に首をつっこむだけで危険かもな。
おとなしく豚舎で飼われてるのが一番だ。幸福でいたいのなら」
幸福なんて感じちゃいねえっつの。
ちなみに正解は何なんですか?
「株に正解なんてないよ。市場原理に基づくバトルロワイアルだからな。
ただ、君みたいなのを手玉に取る連中が沢山いて、搾り尽くすのに30分もかからない。
それだけだ。だから、やめておけと言った」
モヤモヤしたまま、田園調布まで来る。
今日は、エヴァンズが運転している。
なにかあるぞと身構えていたのだが、ここで新手のミッションを命じられた。
「この家へ侵入。間取りはこれだ。
キッチンのここ、書斎のここに、これと同じものが仕掛けてある。
回収して戻ってこい。制限時間は40秒。
ほい。手袋と、玄関の鍵」
エヴァンズがバッグから出したA4サイズのファイルケースには、鍵、ICカード、そして朱肉スタンプのような丸い物体が整然と並んでいた。
とりあえず、言われた通りに仕事する。
回収したのは丸い物体。
小さな穴があいていて、盗聴器かなと思う。
裏側が粘着式になっていて、家具の背面などに、周到に隠してあった。
素早く済ませて、車まで戻る。
玄関までの往復だけで10秒から15秒とられるので、けっこうギリギリだ。
とても心臓に悪い。
「トレッドミルの成績を見る限り、この程度余裕のはずなんだがな。
早く慣れろ。次へ行くぞ」
はあ。
今日はこれの訓練をさせられるらしい。
慣れる頃には、俺は、空き巣のプロになっているんじゃなかろうか。
標的となる物件の近くまで来ると、エヴァンズは車を停め、俺にタブレットを見せる。
建物の外観、鍵の種類と開け方。
特殊な場合は解除する装置を持たされる。
間取り、盗聴器の設置場所。
その他注意事項などを手短に指示される。
注意事項というのはたとえば室内犬を飼っているぞとか、この窓は隣家から丸見えだから姿を晒さないように気をつけろとかだ。
侵入する家屋が無人になっていることは絶対確実のようで、イレギュラーが発生する余地は無い。
どこまでも抜かりのないカモッラ。
合鍵を揃えているくらいは驚かないが、作業に要する時間の目安が精確であることに毎回おそれいった。
びびる。
何軒か後からは、盗聴器を交換するという工程が加わった。
回収するだけならその家は標的から外されたということで、交換ならば監視を継続ということだろう。
設置場所も、家長の部屋が多めなのだが必ずしも一定はしておらず、リビングや寝室、意外に子供部屋も対象の場合があった。
一軒ごとに目的が違い、それぞれに入念なリサーチをされている。
これは空き巣狙いではない。
カモッラの辞書に行き当たりばったりなんて言葉は無いのだ。
ふと、成田の誘拐ごっこを思い出す。
人質となった警察官。彼は完全に狙われて、罠にかかった。
官僚の息子と言ってたよな。カモッラは彼の家にも盗聴器を仕掛けて、決行日のスケジュールを把握していたのだろう。
だからあれだけ、隙の無いプログラムを敷けたのだ。
……マジかこれ。
マジだとしたら、どうやってこんなやつらに勝てるんだ。
途方に暮れながら、俺は走った。
徐々に余裕も持ててきた。
午後には、また新たな工程を命じられた。
新規設置だ。メガネを手渡される。
これで見たままを撮影するようだ。
ということは、俺はこれから初めて侵入する家へ向かうわけで、危険度が爆上がりですね?
「そうだ。時間は上限5分。
適切な設置場所が見付けられなければ、何もせずに戻れ。
その代わり、家の隅々まで覗きこんでこい。その映像を精査して、後日また挑戦する。
在宅者がいないことは確かめてあるが、家の中にペットカメラやセンサー類が仕掛けられている可能性はあり、あればそのデータも参考にする。
わざと撮られてこい。侵入者の存在に気付いた住人がどう反応し行動するかが一番の手懸りになるんだ」
緊張しながら、忍びこんだ。
玄関には大手警備会社と契約している旨のシールが貼ってあったが、エヴァンズによるとダミーだという。
用意されていた鍵だけで、あっさりドアは開いた。
いきなり、広すぎるリビング。
トロフィーがいっぱい、暖炉の上に飾ってある。
ここも警察官の家らしい。
ずいぶん高給取りなんだな。公務員だしな。
それにしてはセキュリティがしょぼすぎるが、大丈夫か。
狙われることはないとタカをくくっているのか。
いやいや俺こそ油断してはならん。
息を殺しながら、1階・2階・3階まで昇る。
子供部屋が並んでいたが、どれにも鍵がついてないのが意外だった。
時間が無いのでひと目見たら閉める。
盗聴器の設置までは無理だな。
1階へ。
あと1分。
地下室も覗いていく。
ナンバー入力式の鍵がついた、いかついドア。違和感パネえ。
銘板を撮っておく。
脱出。
離れたショッピングモールの駐車場で、さっそくエヴァンズは映像のチェックを始める。
メガネを有線でタブレットにつなぎ、まず1周再生。
2周目では、手元のスケッチブックにスラスラと間取りを描き始めた。
壁が異様に厚いな、なんてつぶやきながら。
地下室については、その広さまで推定を試みている。
銘板の文字がしっかり読めることを褒められた。
これは核シェルターなのだという。
「この施工業者が、家の設計図に予備電源や防犯システムの仕様など全部記録しているはずだ。
ゴステロが事務員を何人も派遣していたはずだから、明日にはドアの開け方もわかると思うよ」
はあ。
仮に大手警備会社のセキュリティが本物だったとしても、カモッラにはまったく通用しないのではなかろうか。
「大手の警備会社ほどチョロいことも知っておけ。
巡回チームを監督するベテランが常に1人だけいる。あとはロボットだ。ベテランほど手の抜き方を心得ているから、想定内のギリギリしか準備なんてしないものだよ。
つまり、オーバーフローを起こさせる条件を正確に予測できるということだ」
はあ。
ここの家主は、警備会社なんかに頼らず自前のシェルターで身を守るつもりみたいですが。なまじ警察官だから民間の人力セキュリティなんか信用していないってことなんでしょうかねえ。
「信用か。
思ったんだが、この家の大人たちは子供の自由意思を信用していないみたいだよ。部屋に鍵をかけさせない主義のようだからね。
常に正々堂々としていなさいとか教育してるんじゃないかな。典型的な警察官僚の家庭だ。
おかげで攻略はチョロいな」