おまわりさんを見かけると、ドキドキしてしまうのです。
俺は正真正銘の日本男児で、この国を愛し、誇りにしている。
日本の文化と歴史は、世界中から認められる素晴らしいものだ。
勤勉さ。
清潔へのこだわり。
額に汗してコツコツと働き、自然との調和を希求し戦争を憎む。
開国して数十年で西洋列強の科学技術と社会制度を学び、追いつき、アジアの輝ける星となった。
ロシアに勝利し、アメリカと戦い、粘りに粘って不屈の敢闘精神を見せつけたが、資源が無くて敗北した。
アメリカから原子爆弾を2発も落とされた。
これ以上の犠牲者を出すべきではないと、無条件降伏の受諾を天皇陛下は決断されたのだ。
耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍ぶ、アメリカによる占領時代が幕を開けた。
しかしここでも日本人の優秀さは、駐留軍をうならせる。
復興はたちどころに進んだ。日本人は、休む間もなく働いた。明日を信じて。
そして、自分たちの反省を礎とした、戦争とりわけ核兵器の無い世界の実現をめざして刻苦勉励したのだ。
アメリカ人たちは驚いた。
こんな立派な民族を、自分たちが抑えつけておけるものではない。
独立が認められた。
日本は、アメリカを最大のパートナーとしつつも、確固たるアイデンティティを持つ主権国家として、ふたたび世界と対峙する。
それから約70年。
海外では血みどろの紛争が絶えないが、日本は平和を維持している。
かつては工業力で世界トップにも君臨した。
最近は、ちょっと不況だ。国民は生活苦に喘いでいる。それでも明日を信じ、扶けあう。
これが、俺たちの国だ。
世界がうらやむニッポンの未来。さあ前へ前へと進もう。
さざれ石の巌となりて苔のむすまで。
ビクッ。
また、おまわりさんが通った。目を合わせないようにする。
静かに祈りを捧げる。
職質、されませんように。
ああ。どうしてこんなことになってしまったのだろう。
ひと一倍、正義感に溢れている、愛国者である、この俺が。
犯罪者の手下となりて、骨までしゃぶられながら、たすけを求めることすらできない。
なぜだ。
なぜだ。
なぜだ。
今日来ている、千代田区富士見は、ただでさえ警官の多い町だ。
なんたって靖国神社がある。
日本神道のメッカで、特に戦没者への鎮魂を司る。
毎年8月になるとニュースが騒ぎたて、首相が参拝するかどうかが世界中に注目される。
年間通して不逞の輩がうろつくエリアなので、小さな揉め事はしょっちゅうだ。
俺が東京に越してきて驚いたことのひとつに、靖国での揉め事はほぼ大半が右翼や軍人の遺族によって起こされる、というトリビアがある。
左翼や外国人は、そもそも、ここへ来ない。
何年も通い詰めた熱心な信者が、とくに退職して暇を持て余すようになったおじいちゃんが、急に声を荒らげて騒ぎ出すものらしい。
アジア諸国からの抗議に対して政府は腰が引けているとか、首相はなぜ堂々と英霊たちを追悼しに来てくださらないのか、とか。
ちなみに岸首相は随分長く政権を担当しているけれど靖国の公式参拝はしていないはずで、「本来は首相として行うべきだと考えている」とコメントするに留めている。難しい立場だろうなあと察するところである。
現場の警官を煩わせるほどの事件はいかほど発生しているものだろうか。
いちいちニュースにされたりしない話題ではあるが、今の俺には切実に気になる。
エヴァンズ、早く戻ってきてくれないかな。
やっと、戻ってきた。
傘を畳んで、乗りこみ、助手席に沈みこむ。
もう少し休んでから出よう、とのこと。
承知いたしました。
「警官を見つけてすぐに目を反らすのは、職質してくださいと言っているようなものだ。その癖は早く直したほうがいいぞ」
ごもっともですけど、すぐに改めるのは難しいです。
反射的に避けちゃうんですよ。
「囮役には最適だが、それしかできないんじゃ囮役も振れない。
さてさて、いよいよヤポニカ送りかねえ」
ヤポニカ……実験動物だっけ。
今より悩まなくなるのかな。
どうだろう。考えたくない。
「いっそショック療法もありかな。
僕は今、総連本部の人と会ってきたんだが、あそこの門前には常に屈強なおまわりさんが立っている。肝試しに丁度いいぞ」
総連本部……て、朝鮮の?
え、何しに行ってきたんですか。
「何って、営業その他諸々だよ。
もっとも、中には入っていない。総連の向かいに大学があるだろう。地下でトンネルがつながっていてね。教授室で商談してきた。
おまわりさんはマニュアル通りに路上しか監視しないから、手順さえ守っていれば恐るるに足らない」
はあ。
その門前って、大学生もよく歩いているものなんですか?
「幼稚園児も行進する一般道だが?
昨今、人通りは激減しているけどね。
大学は春からリモート授業を規定にしているみたいなんだ。
受験に合格してアパートも契約して、家具も運びこんだのに引っ越しできなくて、実家から授業を受けている学生が全国にいっぱいいるってよ。
せつない話だねえ」
それでも家賃は毎月払い続けてなくちゃか。
泣きたくなりますね。
都内でホームレスがどんどん増えていることを考えると、余計にせつない。
「だから今、合鍵屋が休む暇もなく忙しいそうだ」
はい?
「完璧に整えられた空き部屋がたくさんあって、一方では住居を欲している難民が大勢いる。
それをマッチングさせようと考える商売人が、我先にと動き始めるのは当然だろう?」
いやいや。
いやいやいや。
それは。それは、犯罪でしょう。
バレたりしないものですか?
「どうやったら誰にバレるというのかね。
アパートに見慣れない誰かが住んでいても不審に思われることはないし、家主だって不動産屋に任せっぱなしだから見にも来ない。
見に来たところで、契約している本人またはその家族ですと名乗ればそれ以上の詮索はされないさ。
静かにステイホームしている限り、警察だって民事には不介入を貫く」
……あれ?
ばれないか。むしろ、絶対にばれるわけがないか。
コロナ禍が明けて、地方から学生が上京してきたところで初めて怒涛の大騒ぎにはなるだろうけど、違法居住者は逃げるだけだよな。
そして、何万件という被害届が一斉に出される。
警察はその受理だけでパンクする。
……いやいやいやいや。
ありえてたまるか。なんてことを考えるんだカモッラ。
裏ですべてを仕切っているのはおまえらじゃないのか。
「こんな少額案件をいちいちやるほど僕たちは暇じゃない。
ヤポ同士の揉め事ならば尚更介入しない。せいぜい勝手に共喰いしてればいいじゃないか。
そのうち力のある奴が頭角を現してきたら、そこで初めて取引をしてやるかどうか考えるけどね」
うぐぐぐぐぐ。どこまでも肚の立つ輩だ。
高潔で、協調精神といたわりあいに支えられている日本人を嘲り嗤い、ただ搾取する対象としか見ていない。
こんな外道には、最大級の神罰が与えられなくてはならない。
南無八幡大菩薩よ。願わくばこの男を、地獄の業火で焼き祓いたまえ。
タタタタタタタタタ!
突然、妙な機械音が轟いた。
何だ?耳をすませる。
雨粒が落ちる音。車の行き交う道路の喧騒。叫び声の類いは聞こえないが、今のは……
「銃声だね。南の方から聞こえた。
靖国神社かな?
すぐ取り押さえられた、と見るべきか。
5分ほど様子を窺おう」
何なんだ、いったい。
テロか?銃撃戦か?
音は一回きりだ。撃ち合いにはなってない。
人質をとって警官たちに包囲されている凶悪犯の姿を想像する。
……にしては、サイレンの音も聞こえない。
「そうだね。警察が応援を呼んでいないことは大ヒントだ。
ライフルを10発くらい連射したきり。
警察官の仕業ではない。自衛官か。誤射じゃないかね。
穏便に片付けようとしているみたいだし、被疑者をとりあえず宥めて車に乗せ、ひっそりとお見送り……かな。
たぶん記事にもならないよ。帰ったら調べてはみるけど」
5分後、車を出す。
周囲をぐるりと走ってから南へ向かうよう指示された。
エヴァンズには、目星がついているのか。
俺にはあれが銃声だったことさえも眉唾なのだが。
「神社で遊んじゃいけないよねえ。
御霊たちが全員、呆れてるよ。武器は正しく扱えって」
テロリストの仕業ですか?
「んなこたあるかい。本場のテロリストならもっと意味のある行動をするし、だいたい靖国なんか選ばない」
靖国を選ばない?そんなことはないでしょ。
中国や朝鮮にとって靖国神社は日本軍国主義の象徴であり、ここでテロを起こす効果は高いんじゃありませんか。
「ヤポは勝手にそう思いこんでるようだが。この島の外ではヤスクニなんて知名度皆無だし、正規軍の兵士を祀ることは万国共通、当然のモラリティだ。
どこの大使館員も、ヤポから悪意ある質問ばかりされて、常に怒っているかのように書き立てられて、心底迷惑している。
おまえたちの内輪揉めに巻きこむんじゃないよ。
まったく、けしからん」